結婚式まで、あと1時間。ホテル最上階のスイートルームで、私、沢田真紀(さわだ まき)の婚約者・栗田颯真(くりたそうま)は、私の親友を抱いていた。そのスイートは今日、新郎控室として貸し切られていた。リビング側で着替えと撮影を行い、奥のベッドルームは荷物置きと休憩用に使う。式場スタッフから、そう説明されていた部屋だった。半開きのベッドルームのドアの向こうで、シャンパン色のドレスが颯真の腰をまたいでいる。シャンパン色のドレスは、友人代表を頼んだ坂下美和(さかした みわ)と、結婚式のために一緒に選んだものだった。肩紐は落ち、裾は太ももまで捲れ、颯真の手が慣れた動きで美和の腰を抱いていた。私は半開きのドアに手をかけ、ゆっくりと押し開けた。ドアが動く気配に、美和が振り向いた。私と目が合った瞬間、彼女は息をのみ、ずり落ちたドレスの胸元を押さえる。顔からみるみる血の気が引いていった。それでも謝ろうとはせず、颯真の膝の上から慌てて降りると、私の視線を避けるようにうつむいた。颯真は一瞬だけ目を見開いた。だが、すぐに眉間へしわを寄せた。そこに罪悪感はない。見つかった焦りさえなかった。浮かんでいたのは、行為を途中で邪魔されたことへの苛立ちだけだった。私の顔を見たあと、壁の時計へ目をやる。「真紀。式まで、まだ時間があるだろう」謝罪ではなかった。見つかったことへの焦りさえない。私が黙って後始末をするのを、当然だと思っている声だった。美和は胸元をシーツで隠しながら、泣きそうな顔を作った。「違うの、真紀。これは――」「服を着て」自分でも驚くほど静かな声が出た。頭の中では、昨夜2時まで直した颯真の企画書、以前、彼の父の会社へ無償で渡した分析表、美和の様々な相談に付き合った夜が、フィルムを逆回転させるように流れていた。私が差し出した時間も、知識も、信頼も、2人にとっては、いつでも使える便利な道具にすぎなかった。胸が裂けるより先に、ひとつの答えが落ちてきた。私は左手の指輪を外し、サイドテーブルへ置いた。「今日の結婚式はやめる」
Last Updated : 2026-08-03 Read more