All Chapters of 結婚式の1時間前、彼は私の親友を抱いていました: Chapter 1 - Chapter 10

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あらすじ

結婚式まで、あと1時間。ホテル最上階のスイートルームで、私、沢田真紀(さわだ まき)の婚約者・栗田颯真(くりたそうま)は、私の親友を抱いていた。そのスイートは今日、新郎控室として貸し切られていた。リビング側で着替えと撮影を行い、奥のベッドルームは荷物置きと休憩用に使う。式場スタッフから、そう説明されていた部屋だった。半開きのベッドルームのドアの向こうで、シャンパン色のドレスが颯真の腰をまたいでいる。シャンパン色のドレスは、友人代表を頼んだ坂下美和(さかした みわ)と、結婚式のために一緒に選んだものだった。肩紐は落ち、裾は太ももまで捲れ、颯真の手が慣れた動きで美和の腰を抱いていた。私は半開きのドアに手をかけ、ゆっくりと押し開けた。ドアが動く気配に、美和が振り向いた。私と目が合った瞬間、彼女は息をのみ、ずり落ちたドレスの胸元を押さえる。顔からみるみる血の気が引いていった。それでも謝ろうとはせず、颯真の膝の上から慌てて降りると、私の視線を避けるようにうつむいた。颯真は一瞬だけ目を見開いた。だが、すぐに眉間へしわを寄せた。そこに罪悪感はない。見つかった焦りさえなかった。浮かんでいたのは、行為を途中で邪魔されたことへの苛立ちだけだった。私の顔を見たあと、壁の時計へ目をやる。「真紀。式まで、まだ時間があるだろう」謝罪ではなかった。見つかったことへの焦りさえない。私が黙って後始末をするのを、当然だと思っている声だった。美和は胸元をシーツで隠しながら、泣きそうな顔を作った。「違うの、真紀。これは――」「服を着て」自分でも驚くほど静かな声が出た。頭の中では、昨夜2時まで直した颯真の企画書、以前、彼の父の会社へ無償で渡した分析表、美和の様々な相談に付き合った夜が、フィルムを逆回転させるように流れていた。私が差し出した時間も、知識も、信頼も、2人にとっては、いつでも使える便利な道具にすぎなかった。胸が裂けるより先に、ひとつの答えが落ちてきた。私は左手の指輪を外し、サイドテーブルへ置いた。「今日の結婚式はやめる」
last updateLast Updated : 2026-08-03
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1話

結婚式まで、あと1時間。ホテル最上階のスイートルームで、私、沢田真紀(さわだ まき)の婚約者・栗田颯真(くりたそうま)は、私の親友を抱いていた。そのスイートは今日、新郎控室として貸し切られていた。リビング側で着替えと撮影を行い、奥のベッドルームは荷物置きと休憩用に使う。式場スタッフから、そう説明されていた部屋だった。半開きのベッドルームのドアの向こうで、シャンパン色のドレスが颯真の腰をまたいでいる。シャンパン色のドレスは、友人代表を頼んだ坂下美和(さかした みわ)と、結婚式のために一緒に選んだものだった。肩紐は落ち、裾は太ももまで捲れ、颯真の手が慣れた動きで美和の腰を抱いていた。私は半開きのドアに手をかけ、ゆっくりと押し開けた。ドアが動く気配に、美和が振り向いた。私と目が合った瞬間、彼女は息をのみ、ずり落ちたドレスの胸元を押さえる。顔からみるみる血の気が引いていった。それでも謝ろうとはせず、颯真の膝の上から慌てて降りると、私の視線を避けるようにうつむいた。颯真は一瞬だけ目を見開いた。だが、すぐに眉間へしわを寄せた。そこに罪悪感はない。見つかった焦りさえなかった。浮かんでいたのは、行為を途中で邪魔されたことへの苛立ちだけだった。私の顔を見たあと、壁の時計へ目をやる。「真紀。式まで、まだ時間があるだろう」謝罪ではなかった。見つかったことへの焦りさえない。私が黙って後始末をするのを、当然だと思っている声だった。美和は胸元をシーツで隠しながら、泣きそうな顔を作った。「違うの、真紀。これは――」「服を着て」自分でも驚くほど静かな声が出た。頭の中では、昨夜2時まで直した颯真の企画書、以前、彼の父の会社へ無償で渡した分析表、美和の様々な相談に付き合った夜が、フィルムを逆回転させるように流れていた。私が差し出した時間も、知識も、信頼も、2人にとっては、いつでも使える便利な道具にすぎなかった。胸が裂けるより先に、ひとつの答えが落ちてきた。私は左手の指輪を外し、サイドテーブルへ置いた。「今日の結婚式はやめる」颯真はようやく私を見た。「感情的になるな。客はもう来てる。式だけ済ませて、話はあとだ」「あなたに『あと』はない」私は廊下へ出ると、従弟の沢田直樹(さわだ なおき)へ電話した。直樹は今日、受付を手伝うために早く来ていた。ホテル勤務の
last updateLast Updated : 2026-08-03
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2話

7年前。大学4年の春、私は21歳だった。森鷹製薬の1次選考会場で、私は原料分析職の面接を待っていた。隣の椅子では、紺色のスーツを着た青年が、営業職の応募書類を握り潰しそうになっていた。それが颯真だった。その日、私の就活バッグには、小さな遮光瓶が入っていた。卒業研究で精油の成分変化を調べており、研究内容を説明するため、分析に使ったラベンダー精油を持参していたのだ。颯真は何度も深呼吸をした。けれど、呼吸が浅くなるばかりだった。「香り、平気ですか」私は瓶の蓋を少しだけ緩め、彼へ渡した。「ラベンダーです。直接肌につけないで、少し離して、ゆっくり呼吸を意識すると落ち着きます」颯真は半信半疑で香りを吸い、やがて肩の力を抜いた。「これ、魔法?」「化学です」私が答えると、彼は初めて笑った。2次面接の日も、偶然同じだった。廊下で私を見つけた颯真は、まっすぐ歩いてきた。「今日も、ラベンダーを貸してくれる?」「どうぞ、今日はもっと緊張しますね」「ありがとう。この香りのおかげで、受かる気がする」調子のいい人だと思った。それでも、緊張を隠さず頼ってくる素直さが、少し可愛く見えた。私たちはそれぞれ希望職種で内定を得て、翌春、22歳で同じ会社へ入社した。後から知ったが、颯真の実家は社員約100人の栗田貿易を営んでいた。父の栗田克彦(くりたかつひこ)が医薬品・化粧品原料の輸入で会社を大きくし、颯真はいずれ後継者になる予定だった。大手で営業実績を作るために、森鷹製薬へ入ったのだという。付き合い始めたのは研修が終わるころだった。颯真は人の懐へ入るのが早く、私は数字と成分を見るのが好きだった。違うからこそ、補い合えるのだと思った。入社2年目、颯真が海外原料の大型案件を任された。彼は深夜まで見積書を作り、私へ誇らしげに見せた。私は合計欄を見て、指を止めた。「この為替レート、契約日の仲値じゃない。輸送保険も二重に入ってる」再計算すると、提示額は本来より8.6%高かった。そのまま出せば競合へ負けていた。颯真は青ざめ、私が直した数字で翌朝の商談へ向かった。案件は取れた。営業部長は颯真の交渉力を褒め、社内報には彼の写真が載った。「真紀のおかげだ」2人きりのとき、彼は何度もそう言った。私は、その言葉で十分だと思ってしまった。表彰台へ上がるのが彼でも、2人で
last updateLast Updated : 2026-08-03
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3話

名刺を見た数週間後、颯真から意外なことを聞かされた。美和は私たちと同い年で、商談中、ふとした言葉に私と同じ土地の訛りが混じったらしい。颯真が出身地を尋ねると、高校まで私と同じだった。「俺の彼女も同じ高校だって話したら、名前を聞かれた。真紀だって教えたら、ぜひ会いたいってさ」 その翌週、颯真に連れられて入ったレストランで、美和は私の顔を見るなり目を見開いた。「真紀?うそ、懐かしい」高校時代、美和は親友ではなかった。話せば笑うし、同じ班になれば協力する。けれど、休日に2人で出かけるほど近くもない。そんな同級生だった。美和は母親を早くに亡くし、田舎町で父親と2人で暮らしていた。私の母と美和の母が同級生だったと知ったのは、高校へ入ってからだ。「美和ちゃんのお母さん、交通事故だったの。残された子に罪はないから」母はそう言って、体育祭や文化祭の日には、ときどき弁当を2つ持たせた。高校2年の体育祭。昼休みに美和を探すと、体育倉庫の裏で紙パックの牛乳だけを飲んでいた。「よかったら、一緒に食べない?」私は赤い弁当箱を差し出した。中には卵焼き、鶏の照り焼き、タコの形のウインナーが詰まっていた。母は美和の好きな甘い卵焼きを覚えていた。美和は一瞬、嬉しそうに蓋を開けた。けれど、クラスの女子が通りかかり、「真紀って優しい」と言った途端、表情を硬くした。「別に、頼んでないけど」「うん。お母さんが作り過ぎて、余っただけだから」傷つけないように言い直したつもりだった。美和は黙って食べ、帰り道に空の弁当箱を返した。その日の体育祭で、私たちのクラスは対抗リレーに優勝した。アンカーとして表彰された私に、担任が「勉強も運動もできて、沢田は何でも持ってるな」と笑った。隣にいた美和も笑っていた。ただ、拍手する手だけが止まっていた。体育祭の帰りには夕立が来た。校門には私の母が傘を2本持って立ち、美和へも乾いたタオルを渡した。「お父さんが遅いなら、うちでカレーを食べていきなさい」母は善意で誘った。けれど美和は、私と母を交互に見て、タオルを私へ押し返した。「家族ごっこしなくていいから」雨の中を走り去る背中を、私は追えなかった。翌日、美和は何もなかったように話しかけてきた。だから私も、触れてはいけない傷なのだと思い、何も聞かなかった。再会した美和は洗練され、当時よりずっ
last updateLast Updated : 2026-08-03
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4話

美和が颯真の助手席へ迷わず乗った日から、彼女は少しずつ私たちの生活へ入り込んだ。 颯真が森鷹製薬を辞めたのは、27歳の春だった。父の克彦が心筋梗塞で倒れ、栗田貿易を継ぐことになったのだ。 社員100人の生活がかかっている。そう言われれば、私に反対できるはずがなかった。 就任初日、颯真は濃紺のスーツで社員の前に立った。 「父が戻るまで、俺が会社を守ります」 拍手を受ける横顔は、自信に満ちて見えた。 けれど、その夜、私の部屋へ来た颯真は、鞄から見積書と資金繰り表を床へ落とした。 「数字を見ると頭が止まる。来月の支払いが足りない。真紀、助けて」 人前で見せた強さは消えていた。私は床へ座り、資料を拾った。 「まず、利益が出ていない取引を分けよう。売上が大きくても、運ぶほど赤字になる原料がある」 私は仕事を終えたあと、栗田貿易の数字を調べた。原料ごとの利益を出し、為替が動いた場合の損失を計算し、不採算だった仕入先と輸送ルートを3本切った。 午前2時、組み直した表を颯真へ渡すと、彼はようやく笑った。 「やっぱり真紀がいれば何とかなる」 「社員にも説明して。現場の協力がなければ続かない」 「分かってる。明日は俺が話す」 翌週、業績改善策は颯真の提案として役員会を通った。 「若いのに大したものだ」 克彦から電話で褒められた颯真は、私の隣で胸を張った。私の名前は一度も出なかった。 颯真が電話を切ったあと、私は尋ねた。&n
last updateLast Updated : 2026-08-05
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5話

結婚式の半年前。ダイニングテーブルの向こうで、颯真が指輪の箱を開いた。けれど、口にしたのは愛の言葉ではなく、私の仕事のことだった。「原料分析では有機溶剤も使うだろ。妊娠したら体に良くないかもしれない。結婚を機に仕事を辞めてほしい」森鷹製薬には局所排気装置も防護具もあり、妊娠時は担当を変える制度もあった。すべての分析業務が妊娠へ悪影響を与えるわけではない。私はそう説明した。「辞める必要はない。担当を替えてもらえば続けられる」「そこまでして働く意味があるのか?」颯真は指輪の箱を閉じた。私の返事より先に、機嫌を損ねたことが伝わった。「意味があるから、いままで続けてきたの。担当している仕事にも、育てている後輩にも責任がある」「俺の会社には責任を感じないのか。父さんが倒れてから、俺がどれだけ必死に会社を支えてきたと思ってる」「大変だったのは分かってる。でも、それと私が仕事を辞めることは別でしょう」「結婚しても、俺より仕事を選ぶのか?」問いかけではあった。けれど、答えは一つしか許されていなかった。颯真は、仕事を続けることが、家庭を選ばないことだと言わんばかりだった。私が黙ると、今度は声をやわらげた。「俺の会社が落ち着くまででいい。真紀なら、またどこでも働ける。でも俺には今、真紀しかいないんだ」必要とされることと、選択を奪われることは違う。その違いを、私はまだ言葉にできなかった。けれど颯真は、私の母と祖母へ先に話をしていた。「真紀と子どもの健康を守りたい。生活は僕が責任を持ちます」母は、「そこまで考えてくれる人なら安心ね」と言った。颯真の父も、結婚後は栗田貿易で経営を手伝えばいいと勧めた。私は迷った。研究室から続けてきた仕事だった。自分の名前で出した分析法も、育てている後輩もいた。その一方で、颯真の会社は急成長の途中にあった。家族になるなら支えるべきだと、誰もが口をそろえた。「2年だけ。会社が落ち着いたら、真紀の好きな仕事に戻っていい」颯真はそう約束した。私は退職届を出した。最終出勤日、分析室の後輩たちがラベンダーの花束をくれた。白衣をロッカーへ置いたとき、自分の一部までそこへ置いてきたような気がした。後輩のひとりが、泣きながら小さなノートを差し出した。私が教えた検査の要点を、入社以来ずっと書き留めていたものだった。「沢田さんがい
last updateLast Updated : 2026-08-06
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6話

東央バイオマテリアルから声をかけられたのは、退職の1か月前だった。 当時、私は28歳で、部長経験はなかった。 けれど森鷹では、輸入原料の表示内容と実際の成分に食い違いを見つけた際、分析結果を出すだけで終わらせず、製造と購買を巻き込み、製造計画を組み替えながら代替原料への切り替えまで主導していた。 その対応を受入試験の手順書にまとめ、後輩が判断に迷ったときも同じ根拠へ戻れる仕組みにした。東央の品質本部長は、その手順書を業界勉強会で見ていた。 採用担当によれば、東央が探していたのは、年齢や現在の肩書ではなく、品質上の問題を見つけたあとに部署をまたいで解決まで動かせる管理職だった。 結婚後は栗田貿易を手伝うつもりだった私は、返事を保留していた。 式を中止した翌朝、私は採用担当へ電話した。 一晩、ほとんど眠れなかった。それでも、結婚式の写真を消すことも、颯真からの着信を拒否することもしなかった。 怒りの勢いで人生を決めたと思われたくなかった。何より、自分自身にそう思いたくなかった。 机の上に、森鷹時代の研究記録と東央の公開資料を並べた。採用されるなら、裏切られた花嫁としてではなく、ひとりの専門家として仕事に戻りたかった。 「先日のお話がまだ有効でしたら、選考を受けさせてください」 同情で採られたくなかった。面接では結婚式のことを一切話さず、公開されている過去3年分の自主回収事例と、選考課題として渡された品質資料を読み込み、改善案を提出した。 面接官から、なぜ森鷹を辞めたのかと聞かれた。 「結婚を機に退職しました。ただ、退職前に御社からお声がけいただき、自分が本当に品質の仕事を手放したいのか、改めて考えるきっかけになりました。
last updateLast Updated : 2026-08-07
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7話

翌朝、私は部下の立ち会いのもと、栗田貿易から届いた未開封のラベンダー精油を外部の検査機関へ送った。 社内の検査結果だけを疑えば、私が結婚式の腹いせに騒いでいると言われる。だから、誰が調べても同じ答えになる形が必要だった。 結果が届いたのは3日後だった。 待っている間にも、同じ精油を使う製造予定は進んでいた。私は対象となる原料だけを保留にし、製造部へ理由を必要最小限に伝えた。 「また品質部が止めたのか」と不満の声も上がった。結論が出る前に騒げば混乱を招く。止めなければ、問題のある原料を製品に使うかもしれない。 どちらを選んでも誰かに責められる。その重さを引き受けるのが、今の私の仕事だった。 報告書の最初のページをめくった瞬間、指先が止まった。天然のラベンダー精油なら検出されるはずの成分がほとんどなく、代わりに合成香料由来の成分が検出されていた。 香りは似ている。だが、中身は別物だった。 私は報告書を閉じ、泰石の部屋を訪ねた。 「栗田貿易の精油から、表示と違う成分が出ました」 泰石は報告書を読み、すぐには口を開かなかった。窓の外へ一度目をやってから、私を見た。 「あなたと栗田社長の関係は、調査上どう扱いますか」 「影響させません。ただし、私だけで進めれば、私怨だと疑われます」 「なら、僕と監査担当を入れます。調べる人も、証拠を保管する人も分けましょう」 泰石はすぐに製造、監査、法務の責任者へ順番に連絡した。対象ロットだけを保留し、証拠は監査室で保全する。栗田貿易への照会は、保全が終わるまで待つ。 わずか数分で、製造全体を止めず、証拠も確実に保全で
last updateLast Updated : 2026-08-08
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8話

美和は、始業前に私の部屋へ入ってきた。 「昨日のデータ削除、私を疑ってるんでしょう」 ドアを閉める音が強かった。昨日までの取り繕った笑顔はなかった。 「だから、接続記録と入退室記録を照合している」 「私を犯人にしたいんでしょう」 「まだ誰も犯人だとは決めていない」 「白々しい。颯真さんに捨てられたから、今度は颯真さんの会社ごと潰すつもり?」 「東央が表示と違う原料を買わされていた時点で、もう個人的な問題ではない」 美和は机に両手をついた。 「正義を振りかざして、また私から全部奪うの?」 「私があなたから何かを奪ったことはない」 「その言い方が嫌いなのよ!自分は何でも持ってるから、奪ったことにも気づかない!」 声が廊下まで響いた。私はそれ以上、二人きりで話を続けるべきではないと判断した。 「高校のとき、私のやり方があなたを傷つけたことは謝る。でも、今の調査とは別よ」 「何でも分けて考えれば、自分だけきれいでいられるものね」 美和はそう吐き捨てると、ドアを乱暴に開けて出ていった。 昼前、人事部から連絡が来た。美和が、私による職権乱用と嫌がらせを申し立てたという。 訴えには、私が高校時代から美和を見下し、結婚式のあと、私怨から自分を調査対象にし、職を奪おうとしていると書かれていた。業務記録の間へ、個人的な恨みを混ぜた文章だった。 社内ではすぐに噂が広がった。廊下で会話が止まり、会議室へ入ると視線が集まる。&n
last updateLast Updated : 2026-08-09
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9話

調査報告会には、東央の役員、監査担当、法務担当が並んだ。栗田貿易からは颯真と父親の克彦が出席し、美和は会社側の席から離れて座っていた。 テーブルの端には録音機が置かれていた。誰かの記憶ではなく、今日の言葉を記録に残すためだった。 開始前、颯真は私へ近づこうとしたが、弁護士に止められた。美和は一度もこちらを見ず、指先で資料の角を折り続けていた。 泰石は私の隣ではなく、半歩後ろに控えた。前へ出るのは私だと分かっている距離だった。 「声が震えたら、代わります」 「震えても、最後まで自分で話します」 「では、震えていることを誰にも隠さなくていい」 その一言で、肩から力が抜けた。 強く見せることと、強くあることは同じではない。 私は前に立ち、資料の1枚目を映した。 「今回確認された問題は3つです。表示と違う精油が納入されたこと。検査表に不自然な変更があったこと。そして、仕入先から購買担当者へ不自然な支払いがあったことです」 専門用語は使わなかった。 誰が、何を、いつ変えたのか。 確認された事実だけを、日付順に示した。 外部検査の結果。元の規格表。削除された3項目。価格改定の根拠として提出された仕入れ資料と、東央への請求額。 そこまで説明して、私は資料を閉じた。 「ここから先は、監査室が確認した結果です」 私は西村を見た。 西村が立ち上がり、私と入れ替わるように前へ出た。 「沢田部長に対す
last updateLast Updated : 2026-08-10
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