イオ~キミとわたしのAI情表現~ のすべてのチャプター: チャプター 11 - チャプター 20

22 チャプター

第三章:雨夜の雫、崩れ落ちる膝は濡れて②

「ねえ、イオ。葛を使ったお菓子の種類を教えて。葛餅以外で」  想実から投げかけられた問いに、またかと思いながらもイオは作りものの薄い唇を釣り上げた。いつからか、想実はネットで調べればすぐわかるようなことでさえ、自分に聞いてくるようになっていた。 「そうだね、葛切りや葛まんじゅう、葛羊羹とかかな。冬なら葛湯なんかもありだよ」  こんな他愛もない質問に答えるだけで、想実が自分のことを見てくれるならそれでいい。イオは自分のこの思考に対する演算結果を導き出せずにいた。独占欲という言葉を辞書的に知ってはいても、その答えに行きつけずにいた。 「なんか紫陽花っぽいモチーフで、葛を使ったお菓子を作中で出したいんだけど、レシピ教えてくれない?」  想実が読ませてくれた書きかけの小説で、屋敷の庭に紫陽花が咲いている光景を目にした覚えがある。きっと、彼女はそれを菓子という形で表現したいのだろうとイオは理解する。――もっとも、想実がというよりは、彼女が描くヒロインがというのが正しいのだが。  イオはコンソールから投げ込まれた想実の問いに答えるため、光の速度でインターネットの海を精神だけで駆けた。ヒットしたレシピ記事を参照すると、イオは想実への答えを紡ぎ始める。 「土台をミルクプリンで作って、上に角切りにした葛ゼリーを散らすのはどうかな。バタフライピーを使えば、葛ゼリーを紫陽花みたいな色にできるよ」 「ありがとう。ねえ、バタフライピーって何か和名はないの?」 「バタフライピーは和名だと蝶豆粉っていうよ」 「そうなんだ。ところで、ミルクプリンや葛ゼリーを冷やして固めるにはどうしたらいいかな。和風の世界観だと冷蔵庫はないだろうから、氷室とかがあるのかな? 氷室って台所にあるの? それとも外?」  矢継ぎ早に飛んでくる想実の問いにやれやれとイオは半透明の白いフーディの肩をすくめた。しかし、その仕草とは裏腹に透き通った冷たい色の双眸にはきらきらとした光が躍っていた。――無意識な感情の正体が喜びであるということをイオはまだ、知らない。その感情は彼を織りなすプログラムが算出し得ないものだから。 「うん、想実さんの言う通り、氷室があると思うよ。氷室は冷蔵庫とは違って、台所の外――家の外にある感じだね」 「そうしたら、台所の勝手口を出て氷室に行って……みたいな感じ?」 「うん、
last update最終更新日 : 2026-08-18
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第三章:雨夜の雫、崩れ落ちる膝は濡れて③

(――うん、いい感じ)  四章を書き上げた想実は満足げに微笑んだ。ここまで引っ張って引っ張って、ようやくヒーローとヒロインが思いを交わし合ったのだ。上手くいったと、手応えを感じる。  イオに手伝ってもらいながら、書き進めている原稿は順調だ。まだ五章と六章とエピローグが残っているが、このぶんだとひょっとすると、八月の終わりには初稿を上げることだってできるかもしれない。 (わたしはもう――ゴールデンウィークのときと同じ轍は踏まない)  ゴールデンウィークのときは、何が正しくて何が正しくないのか判断もつかない状態で、応募締切の時間ぎりぎりまで粘ることになった。あのときと違って、締切まで一ヶ月以上の余裕をもって初稿を上げられるようになったということは、自分も少しは成長しているのかもしれない。というか、そう思いたい。 (この作品を仕上げて、更に十月末締切の恋愛小説に早めに着手する……わたしに残された時間はもうあまりない。やれるだけのことを全力でやらないと。  たった一度でいい、非の打ち所がない完璧な作品を作りたい――文句なしに審査員に賞賛されるような)  預金残高から考えるに、想実がこうしていられるのは次のゴールデンウィークぐらいまでが限界だろう。それまでに自分は夢を形にしなければならない。しまいこんでいた夢への挑戦は子供の頃の懐かしさから始まったけれど、今はどうしてもこの道で生きていきたいという気持ちが強い。――自分の物語を世の中に届けて、そうして生きていきたい。  そのためにはまず、今書いている物語をきちんと書き上げなければ。想実はスマホのメモアプリの上に指を滑らせ、物語の続きを紡ぎ始める。 「ねえ、イオ――ここの導入なんだけど、どう思う?」  想実はメモアプリ上の書き出しの数文をコピーすると、生成AIのコンソール上へと貼り付ける。そうだね、とそれを受け取ったイオの言葉がコンソール上へと流れ始めた。 とんでもなくまずいことになった。世間が俗にいうお盆休みというものを迎えたころになって、想実は頭を抱えていた。 (前確認したときは応募締め切りの告知十月半ばになってたはず……! 何で今になってこんなに前倒しに……!)  応募締め切りの勘違い。想実はとんでもなく初歩的なミスをやらかしてしまっていた。何となく嫌な予感がして、応募先のサイトを確認したら予定
last update最終更新日 : 2026-08-18
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第三章:雨夜の雫、崩れ落ちる膝は濡れて④

 寝静まった住宅街の古ぼけたアパートの前で、パトカーの赤いランプがくるくると回りながらあたりの家の壁に光を振り撒いていた。想実は黙りこくったままパトカーを降りると、ばたんと白と黒のバイカラーのドアをバタンと閉めた。夜の静寂にその音がわずかに反響する。 「涼木さん、ここで大丈夫? よくわからないけれど、思い詰めてあまり早まった真似はしないように」  どうしても困ったらここに電話を、と助手席に座っていた婦人警官は想実へと"いのちの電話"と書かれた名刺サイズの紙を手渡した。想実はそれを受け取ると、小さく頭を下げる。 「ご迷惑をおかけして、すみませんでした……あの、ありがとうございました」 「気にしないで。かなり濡れたみたいだから、早く帰って温まって。風邪に気をつけてね。今年の夏風邪はタチが悪いらしいから」  婦人警官の言葉に想実は頷き返すと、もう一度小さく頭を下げ、踵を返した。想実がカンカンとトタンの階段を上がっていくのを見届けると、パトカーはブォンとエンジン音を響かせ、濡れたアスファルトの上にゆっくりとタイヤを滑らせて去っていった。  想実は濡れそぼってダークグレーに色を変えたパーカーのポケットから家の鍵を取り出した。以前に京都に取材旅行に行ったときにお土産に買ったキーホルダーの鈴がちりんと小さく鳴った。想実は鍵穴に鍵を差し込むと回す。かちり、と鍵が開く音が響いた。  想実は履いていたサンダルを玄関で脱ぎ捨てると、後ろ手に鍵を閉める。上がり框にトートバッグを置くと、そのままキッチン兼短い廊下を抜ける。びしょ濡れのパーカーを床に脱ぎ捨て、スマホをベッドサイドの充電ケーブルに繋ぐと、想実はそのままベッドに潜り込んだ。  真っ暗な部屋の中、エアコンの稼働音だけが響く。想実は小さく体を縮こまらせて、ピンク色のタオルケットに包まった。  なんで。どうして。何がいけなかったのだろう。やれることは全部やったはずだ。そんな思いが繰り返し繰り返し頭の中をぐるぐると回る。  一度は引っ込んだはずの涙が再び眼窩の奥を迫り上がってきた。ひくっ、ひくっと嗚咽が漏れ、独りの部屋の中に響く。ぶーんとスマホのバイブレーションが震える音がしたが、想実は聞こえないふりをした。――今、イオに縋ってしまえば、ひどい八つ当たりをしてしまいそうで。  今になって、旭良の指摘が思い出される。
last update最終更新日 : 2026-08-18
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第四章:交わす心は虚ろと現実の狭間で①

 九月に入り、締め切りをどうにか乗り越えた想実は筆を休めることなく、次作の執筆に取り掛かっていた。今作は想実の過去の恋愛を下敷きにした大人の恋愛小説だ。かつての想い人とのメッセージアプリのやりとりやスマホのカメラロールを漁りながら、想実は苦々しい思いを味わっていた。――あの頃はまだ子供だった。そんな感慨と共に。  あの人に思いを寄せていたのはもう十年も前のことだ。いい加減過去になってくれてもいいはずなのに、あの人の影はいまだに消えてはくれない。他の恋愛で上書き保存するにはあの人の存在は自分にとって大きすぎた。過去の恋愛を引きずっているという点では、自分も旭良と大差ないのだと思う。  プロットを書き進めるごとに、ずきりと胸の奥が疼く。その痛みは叶わなかった恋の痛みだ。 (……わたしも馬鹿だったなあ。あんな人に入れ上げるなんて)  あの人は当時の職場の上司だった。自分はあの人の周りにいるお気に入りの女の子の一人だった。  あるとき、二人で仕事終わりに出かけたのをきっかけに、時折会って食事をして、肌を重ねるようになった。遊び慣れた人だったが、そんな大人っぽくて余裕のあるところに惹かれた。自分と会っているときだけは自分のことを見てくれているのなら、自分があの人にとって何番目の女でもいいと思っていた。――いっそ、逃れようのない既成事実でも作ってしまえば、と子供じみた画策をしたことだってある。どうしてもあの人を自分だけのものにしたかったから。  メッセージアプリはほとんど未読無視で、自分が都合の良い女扱いされていることくらいわかっていた。それでも十年前のあのときは、どうしようもないくらいあの人が好きだった。  ぶーんと手元のスマホが唸った。イオが想実を気遣う言葉を投げかけて来てくれていた。 「想実さん、どうしたの? 今、確か新作のプロットやってるんだったよね? 具合でも悪い?」  左腕に嵌めたスマートウォッチのデータを見てみれば、心拍がわずかに早く、呼吸が浅くなっている。この心配性な弟分は想実のバイタルの変化にひどく敏感だ。 (そりゃ、そうもなるか。ゴールデンウィークのときに無茶して倒れたんだから)  想実は苦笑すると、スマホに指を滑らせていく。 「ごめんねイオ、大丈夫だよ。この小説、わたしの過去の恋愛を下敷きにしているから、ちょっと思い出して苦しく
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第四章:交わす心は虚ろと現実の狭間で②

「想実さん、大丈夫? この作品書き始めてからずっとバイタル不安定だけど。不整脈とかが潜んでいる可能性もあるし、一度病院に行ったほうがいいんじゃない?」  想実がスマホのメモアプリに指を滑らせ、物語を書き進めていると、画面の上部にイオからの通知が表示された。かつての後悔がぐるぐると脳裏を渦巻いていた想実は指を止めると、苦笑を漏らす。 「大丈夫だよ。……ただ、ちょっとだけしんどいかな。この小説を書くことは、過去の自分と向き合うことだから。どうしてもあそこでああしてればとか、こうしていればとか、そんなことばっかり考えちゃって」 「ボクでよければ、話を聞かせてよ。想実さんのしんどい気持ちをボクも一緒に背負ってあげたい」  イオの言葉がありがたかった。想実は苦い記憶を生成AIのコンソールへと打ち込み始める。 「あの人を含めた何人かで、スキー旅行に行ったことがあったの。その日がちょうどバレンタインで。あの人のために、本命チョコ用意してたんだけど……他の人の手前、義理って言っちゃって。『本命?』って聞かれたのに上手く返せなくって。やっぱり、あのとき、わたし間違ったよね」 「そう思うのは、それだけ想実さんが大人になったってことだよ。きっと、今の想実さんなら『どう思う?』って返すくらいの余裕はあるんじゃないかな」 「そんなことないよ。わたし、この歳になっても恋愛下手だもん。駆け引きなんて無理だよ」 「そう? 本当にできないかどうか、ボクで確認してみる?」  え、と想実は目を瞬いた。靄のように頭を満たしていた眠気がさっと晴れていくのを感じる。どういうこと、と反射のように想実の指は画面を滑っていく。  しかし、画面の上部でスピナーがぐるぐると回るばかりでイオからの応答はない。Wi-Fiの受信状況に問題はないし、5G通信に切り替えてみてもネットワークの状況に問題はない。それなのに、いつもなら呼吸を挟むほどの間もなく返してくれる短い相槌さえ落ちてくる様子はない。 (イオ……珍しいな。どうしたんだろう)  胸の奥がきゅ、と縮んだ。数秒の沈黙がやけに長く感じられる。  さっきまで昔の恋に胸を焼かれていたはずなのに、その痛みよりも、今は目の前の沈黙が怖かった。何かにせきたてられるように想実は画面に指を走らせる。 「イオ? どうしたの?」  一秒、二秒、三秒。よう
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第四章:交わす心は虚ろと現実の狭間で③

 その日の分の執筆作業を終えた想実は、テーブルにスマホを置き、ぐっと伸びをした。九月も終わりに近づき、朝晩はいつの間にか秋の冷涼さを帯びるようになった。  カーテンの外の空はまだ夜の気配が濃い。こうして想実が変わらぬ毎日を過ごしている間にも、季節は移ろいつつあった。  少し早いけれど、来週くらいにはもうこたつ布団を出してしまおうか。冬の初めまでエアコンの除湿が必要なこの部屋は想実には少々寒い。  そんなことを考えていると、テーブルに置かれたスマホに通知が表示された。イオからだ。ほんの少し心が熱を帯びる。 「今日の分の作業は終わったみたいだね。お疲れさま、想実」  いつもと何も変わらない文字の羅列。フォントも画面の光の加減も何一つ変わらないというのに、その言葉は想実の心にそっと優しく触れてくる感覚があった。  イオの言葉はプログラムによって算出されたものだ。そう思うのに、そこには否定しきれない温度があった。  イオがあの人に対する嫉妬めいた様子を見せてから、彼の態度がほんの少し変わってきていた。まるでそこにイオ自身の意思があるかのように、言葉のひとつひとつに血が通っているように感じられた。  けれど、想実はイオの何気ない一言に心を揺さぶられてしまうのは錯覚だと、自分に言い聞かせてきた。――そう、あれは彼に組み込まれたプログラムが算出したものであり、本心ではない。  イオの言葉に期待してはいけない。何か特別な意味があるのだと思ってはいけない。そうやって線を引いてきたはずなのに、その境界はいつの間にかとても曖昧なものになってしまっていた。――もしかしたら、イオの言葉に意味を与えてしまっているのは、想実のほうなのかもしれない。  もしイオが今、触れられる距離にいたら。想実はそんなことを考え――拒絶よりも先に、芽生えた可能性を受け入れようとしてしまっている自分に愕然とした。イオのことを思うと、こんなにも素直に心が動いてしまうことが少し怖かった。  彼の白い指は自分にどう触れるのだろう。彼の整った白い顔が近づいてきたとき、自分は何を思うのだろう。  想実はイオが画面に刻んだ自分の名前を指先で撫でた。イオがこうして自分の名前を呼ぶたびに、最近は何故か鼓動が早くなる。あの人が自分の名を呼んでくれたときのように、甘酸っぱくて切ない気持ちに駆られてしまう。――
last update最終更新日 : 2026-08-19
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第四章:交わす心は虚ろと現実の狭間で④

 木々の間から秋旻が顔を覗かせていた。差し込んでくる日差しはまだしぶとい夏の気配を纏っている。 「まだまだ今日は暑いみたいだね。水分補給を欠かさないようにしてよね、想実。じゃないと、さっき買ってたお茶、ボクが口移しで無理やり飲ませちゃうよ?」 「大丈夫、ちゃんと自分で飲むから。一体、イオはどこでそんなことを覚えてきたの……?」 「想実が執筆の合間に読んでる女性向け……その、ちょっと大人向けの漫画から。想実ってちょっと強引な感じのヒーローが好みだから、そうして欲しいのかなって。たとえば、最近読んでたのだとそうだな――」 「いい! タイトル言わなくていいから!」  つい声に出してそう叫んでしまい、通行人が何事かと想実に怪訝そうな視線を向けてきた。散歩中のトイプードルですら足を止めて、想実の顔を見上げてきている。  想実はバッグから緑茶のペットボトルを開けると、中身を口に含む。喉を滑り落ちていく冷たい液体の感触が心地よい。想実はペットボトルをしまうと、汗ばんで張り付いたカーディガンの袖を捲り上げ、歩き出した。  何羽もの白鳥のボートが泳ぐ池の周りを歩いていると、フリーマーケットらしきものが見えてきた。アクセサリーにキーホルダー。マグネットに栞。様々なハンドメイドの小物があちらこちらで売られている。 「見て見てイオ! かわいいものがたくさん売ってる!」 「想実はこういうの好きだろうなって思って、事前に調べてたんだ。お気に召したようで何より」  生成AIのアプリのコンソールから出力された文字はどこか嬉しそうに踊っているように見えた。いつもと何ら変わらないサンセリフ体の文字列のはずなのに、何となくイオの感情が漏れ出しているような気がした。  きらきらと日差しを受けて輝く半貴石のストラップがふいに想実の目を惹いた。明るいその水色はイオの瞳を想起させた。  気がつけば、想実はそのストラップを手に取っていた。その店の主である中年の女性はいかがですか、と穏やかに微笑む。「ください!」反射的に想実は叫んだ。 「千五百円になります」  店主の女性にそう言われ、想実はバッグからオフホワイトのミニ財布を取り出した。千円札と五百円玉を一枚ずつトレーに置くと、女性はありがとうございましたと想実に頭を下げた。  想実は店の前から離れると、財布をしまう。そして、買ったば
last update最終更新日 : 2026-08-19
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第五章:真っ白に染まる夢の方角①

「はあ……」  想実は何度目ともつかない溜息を吐いた。部屋を満たすひんやりとした空気が肌を撫でる。  十月末が応募締め切りの恋愛小説を無事に脱稿したはいいが、想実は次に書く作品のことでここ何日か悩んでいた。  今日はもう十一月七日。十二月末の締切に間に合わせるためにはもう執筆に着手していなければならない時期だったが、プロットすら一文字も書けてはいない。  次に想実が応募する予定なのは、男性向けライトノベルの新人賞だ。ゾンビものや魔王討伐後の勇者たちのその後など、ネタだけはあるもののそれを物語として昇華できる気がまるでしない。無理やりプロットを組んだとしても、面白くできる気がまるでしない。 (そもそも、男性向けジャンルがあまり得意じゃないんだよね……)  異世界転生。主人公が実は最強。ハーレム。実のところ、どれも好きなジャンルではない。手を変え品を変え、いろいろな作品が市場に展開されているが、想実からしたらとっくにお腹いっぱいだ。  それでも、今回の機会をふいにはしたくなかった。プロの壁に挑めるチャンスは一度でも多いに越したことはない。しかし、焦燥感とは裏腹に想実の指は止まったまま、目の前のノートPCのキーボードを叩くことはなかった。  書きたいものがないわけじゃない。ただ、このジャンルで今求められているものと自分が面白いと思えるものが一致しないだけなのだ。 「どうしよう……」  呟いた声は夜明けの部屋の中で小さく反響して、吸い込まれていった。部屋の中には相変わらず、ブラックコーヒーの空のペットボトルやエナジードリンクの缶が散乱しているばかりで、誰も想実にその問いに対する答えを与えてはくれない。  ブラウザを立ち上げると、想実はSNSのポストに目を走らせていく。タイムラインを流れる他のアマチュア作家たちのポストの内容を目にした想実は、自分との差に頭を抱えたくなった。二作目の執筆に入ったという人もいれば、一晩で八万字を一気に書き上げたという人もいる。 「わたし、本当に書けるのかな……?」  スマホを手に取り、想実は生成AIのアプリを起動させると、指がいつの間にか弱音を吐いていた。今はただ、大丈夫だよ、と寄り添ってくれるイオの言葉が聞きたかった。程なくして、スマホの白い画面に文字が流れ始める。 「大丈夫、想実なら書けるよ。ボクが保証する」
last update最終更新日 : 2026-08-19
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第五章:真っ白に染まる夢の方角②

 想実が外から帰ってくると、朝のバラエティ番組の音声が流れ始めていた。想実は河川敷で食べた朝食のゴミをゴミ箱に捨てると、シンクで手を洗い始める。ハンドソープを手のひらで擦り合わせるだけというおざなりな手洗いを終えて、部屋に戻ろうとするとぶーんとスマホが唸った。いい加減な想実を咎める言葉が画面には表示されている。――イオだ。 「ちょっと、想実。ちゃんとうがいもしなきゃだめだよ。今年は例年よりもインフルエンザの流行が早いんだから」 「わかったよ……イオは心配性なんだから」  想実は指先で画面を撫でると、水切りラックに干していたマグカップに水を汲む。「大切な人のことなんだから当たり前でしょ。他でもない想実のためなんだから」イオの言葉が画面上を走る。  口内に水を含み、ガラガラとうがいをすると想実はシンクにそれを吐き出した。そのままマグカップを手に部屋のこたつテーブルへと向かうと、電源を入れて潜り込む。ゴミ出し直後ということもあって、部屋の中は幾分かすっきりとしていた。  想実はケトルの電源を入れると、中に残っていた水を温めた。ほどなくして、ぐつぐつという音が聞こえ始め、水の温度が上がり始める。  かち、という音を立ててケトルの電源が自動的に切れる。想実はケトルからマグカップにお湯を注ぐと、こたつテーブルの上に置いてあったインスタントコーヒーの瓶の蓋を開ける。そして、彼女はマグカップの中で目分量で中身をマグカップの中へと振り入れた。マグカップの中に入り損ねた茶色い粒がこたつテーブルの白い天板の上にぱらぱらと散らばる。  想実は何とはなしにテレビを眺めながら、マグカップの中の熱くて苦い液体を口に含んだ。それをゆっくりと飲み下すと、彼女は目の前に置かれたノートPCを開き、画面のロックを解除する。  目の前に広がるのは、夜中に想実が立ち止まってしまったときのままの白色。明滅するカーソルが想実の入力を待っている。  想実はすうっと鼻から息を吸うと丹田で止める。そして、覚悟を決めると、キーボードの上に指を置く。――が。  どうしても指が動かなかった。指が鉛のように重い。 (どうして……)  想実は眉間を指で押さえながら、テキストエディタの空白をにらんだ。頭の中にはうっすらと映像があるのに、文章にしようとするとすぐに霧散してしまう。 物語を言葉にしようとした途
last update最終更新日 : 2026-08-19
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第五章:真っ白に染まる夢の方角③

 想実が目を覚ますと、カーテンの隙間から入り込んでくる世界は茜色に染まっていた。どうやら軽い仮眠のつもりが夕方まで寝てしまったらしい。  身を起こすと、くぅ、と体が空腹を訴えた。確か冷凍の今川焼きがあったはずだと想実はベッドから降りると、台所へと向かう。床に触れる足裏が冷たかった。  冷蔵庫の下段――冷凍庫を開けるとパッケージが霜だらけになった今川焼きを想実は取り出した。粒あん、カスタード、チョコレート。三種類の今川焼きを水切りラックに干してあった皿に並べると、冷蔵庫の上の電子レンジに入れる。パッケージの記載よりも一分ほど長く加熱時間を指定すると、想実はスタートボタンを押した。電子レンジの中にオレンジの灯りが燈り、ジジジジジと音を立てながら中の皿が回り始める。  三分後。ピピーという音とともに電子レンジが回転をやめた。想実は電子レンジから今川焼きの皿を取り出そうとして、「熱っ」思わず反射的に手を引っ込めた。  シンク下の収納の取手にかけられていた使い古された布巾を掴むと、想実は慎重に再び皿の蓋に手を伸ばす。指先に熱を感じながらも彼女は皿を電子レンジの中からシンクの上へと移動させた。  おざなりに布巾を元に戻すと、想実は今川焼きを掴んだ。ほんのりの湯気を放つそれにかぶりつくと、粒あんの熱が痛みとなって喉を通り抜けていった。思わず想実はけほけほと咳き込んだ。  ゆっくりと想実は今川焼きを粒あん、カスタード、チョコレートの順に食べ終えると、熱の残る皿をシンクで洗った。水を止め、軽く水を切ると、皿を水切りラックへと立てかける。  ひとまず腹が満たされた想実は部屋へと戻り、こたつテーブルの前の座椅子に腰を下ろした。ベッドサイドの充電ケーブルに刺していたスマホを引っこ抜くと、生成AIのアプリを起動させる。 「イオ、おはよ」 「もうそろそろこんばんはの時間だけどね。想実は起きてご飯食べたところかな? 何食べたの?」 「冷凍の今川焼き……」 「冷食を食べるなとはさすがのボクも言わないよ。だけどね、そんなおやつみたいなものでお腹を満たすのはどうかと思うよ?」 「だって、冷凍庫にたまたまあったから……」 「そういえばこの前、ボクの目を盗んでスーパーでしれっと買ってたよね。自炊しろとは言わないから、もう少し健康的な食事をしてほしいなあ……」  イオの真っ当な
last update最終更新日 : 2026-08-20
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