All Chapters of 妹に婚約者も家名も奪われましたが、王妃の遺言状は私を後継者に指名していました〜三日後、王宮は相続争いで崩壊します〜: Chapter 11 - Chapter 15

15 Chapters

第11話 元婚約者は、初めて彼女の仕事を探す

  ユリウスは、机の上に積まれた書類を見ていた。 正確には、見ているだけだった。 読んでいるわけではない。 文字は目に入ってくる。日付も、署名も、項目名も、王宮で使われる定型文も、ひとつひとつは理解できる。 だが、それらが何を意味しているのか。 どの文書とどの文書がつながっているのか。 どれを先に処理し、どれを保留し、どれを誰に確認すべきなのか。 そこが分からない。 分からないことが、これほど苛立たしいとは思わなかった。「……なぜ、こんなものを毎日見ていた」 誰に向けた言葉でもなく、ユリウスは呟いた。 王太子執務室は、朝から重苦しい空気に包まれていた。 昨日、王弟カインが直接乗り込み、財務官の関連台帳提出を命じた。その場にいた官吏たちは、誰も大声を出さなかった。怒号が飛んだわけでもない。剣が抜かれたわけでもない。 それなのに、王宮の空気は一変した。 財務官の執務室は封鎖され、王妃基金関連の台帳は王弟直属の文書官によって押さえられた。王妃私室の薬棚も封鎖された。礼拝堂奥の祈祷箱にまで確認の手が伸びるという噂が、もう下働きの耳にまで届いている。 そして今朝。 王宮の誰もが、あることを知った。 王弟カインが、王都外れの旧邸にいるエレノア・ヴァレンシュタインを訪ねた。 ただの元婚約者ではない。
last updateLast Updated : 2026-08-18
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第12話 彼女はもう、殿下の婚約者ではありません

  夕刻の王宮は、昼間よりも静かだった。 静かであるはずがないほど、多くの人間が動いている。 女官たちは廊下を磨き直し、文書官たちは王妃私室の封鎖記録を確認し、近衛騎士は北翼から東翼へ抜ける通路に立った。普段なら見過ごされるような小さな扉にも、今は警備が置かれている。 誰も大声を出さない。 けれど、誰もが知っていた。 エレノア・ヴァレンシュタインが戻ってくる。 王太子の婚約者としてではない。 公爵家の令嬢としてでもない。 亡き王妃エレオノーラの遺言状に基づき、王弟カイン直属の臨時監査補佐官として。 その肩書きは、王宮の者たちに少なからぬ衝撃を与えていた。 つい数日前まで、エレノアは「冷たい」「堅苦しい」「可愛げがない」と囁かれていた令嬢だった。王太子ユリウスに捨てられ、妹リリアナに席を奪われ、静かに王宮を去った女。 そのはずだった。 だが、王妃の遺言状が開かれた。 王妃基金の監査権。 王宮文書管理関連資料の閲覧権。 王妃関連記録への立ち入り権。 そして、王弟カインの保護下。 噂は半日で形を変えながら王宮中を駆けた。 王妃陛下は、最後にエレノア様を信じていたらしい。 王太子殿下の婚約者だからではなく、エレノア様ご自身を。 王妃基金の不正に、ヴァレンシュタイン公爵家が関わっているかもしれない。
last updateLast Updated : 2026-08-19
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第13話 王宮裁定会議、開廷

  王妃エレオノーラの私室は、主を失ってからも、まだ王妃の気配を残していた。 白百合の香りはもう薄れている。 窓辺に置かれた椅子には誰も座らず、銀の燭台は磨かれたまま静かに光っている。寝台の薄布はきちんと整えられ、化粧台の上には使いかけの香油瓶が一本だけ残されていた。 けれど、エレノアが見ていたのは、そうした思い出の品ではなかった。 部屋の奥。 壁に嵌め込まれた薬棚。 王妃が晩年、毎日使っていた薬草や煎じ薬、鎮痛用の丸薬、睡眠を助ける香草袋が保管されていた場所である。 棚にはすでに、王弟カインの命令による封印が施されていた。 黒い封紐。 王弟印。 無断で破れば、証拠隠滅として扱われる。 その事実だけで、王妃私室の空気は以前とはまるで違っていた。 ここはもう、亡き王妃を偲ぶ部屋ではない。 証拠の眠る場所だった。「封印、確認いたしました」 マルタが低く言った。 エレノアは頷き、薬棚の前に立つ。 カインは少し後ろに控えていた。彼は前に出すぎない。エレノアが確認すべきものを、彼女自身の目で見られるように場所を空けている。 それが、ユリウスとは違った。 以前なら、王太子の周囲には常に誰かの感情があった。機嫌、苛立ち、疲労、甘え、不満。エレノアはそれらを読みながら動かなければならなかった。 だが、カインの隣では違う。 そこにあるのは、職務だけだ。 冷たくもある。 けれど、ひどく息がしやすかった。「開けます」 エレノアが言うと、カインが短く答えた。「ああ」 オスカーが開封記録を取り始める。 マルタが証人として封紐を
last updateLast Updated : 2026-08-20
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第14話 証拠で裁く令嬢

王宮裁定会議の翌朝、王宮の空気は明らかに変わっていた。 それまで廊下を満たしていた噂の気配は、まだ消えていない。むしろ濃くなっている。 だが、その質が違った。 以前は、面白がる囁きだった。 王太子殿下が婚約破棄をなさったらしい。 妹君が新しい婚約者候補になるらしい。 エレノア様は王宮を追い出されたらしい。 そんな、他人の不幸を甘い菓子のように口にする声だった。 今は違う。 王妃基金。 遺産目録。 財務官の台帳封鎖。 サルヴィ商会。 ヴァレンシュタイン公爵家の宝飾保管室。 そして、王妃陛下の薬。 誰もが、軽々しく口にできない言葉を抱えて歩いている。 笑い話ではない。 これは、王宮の骨にひびが入る音だった。 エレノアは、王弟カインの用意した北翼の控室で朝を迎えた。 正確には、ほとんど眠っていない。 半刻休めと言われ、横にはなった。けれど、目を閉じれば王妃の筆跡が浮かんだ。 黒眠草。 サルヴィ商会。 グレゴール・ヴァレンシュタイン公爵。 王妃基金。 月涙石の首飾り。 どの言葉も、眠りの底へ沈ませるには重すぎた。 それでも、体は少しだけ楽になっている。 カインが命じた通り、温かい食事と薬草茶を口にし、侍女に髪を整えてもらった。王宮にいた頃のエレノアなら、食事を後回しにしてすぐ書類へ向かっただろう。 だが、今は違う。 倒れれば、証言が止まる。 証言が止まれば、記録を握り潰したい者たちに時間を与える。 だから、食べる。 休む。 息をする。 それもまた、務めの一部だった。
last updateLast Updated : 2026-08-21
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第15話 王妃の死に毒の影

王妃エレオノーラの死は、病によるものだった。 少なくとも、王宮ではそう記録されている。 長く伏せっていた。 食が細くなった。 眠る時間が増えた。 医師の見立てでは、体力が徐々に落ちていった。 だから、誰も疑わなかった。 王妃は静かに衰弱し、祈るように息を引き取ったのだと、皆が思っていた。 けれど、記録は時に、死者の声よりも冷たく真実を語る。 中立薬師が王宮へ到着したのは、翌日の昼前だった。 カインが手配したのは、王宮医師団とは縁の薄い老薬師だった。名をヘルマンという。王都の北区で小さな薬房を営んでおり、貴族に媚びることも、教会に寄りかかることもなく、ただ薬草と処方の正確さで知られている人物だった。 白髪を後ろで束ね、深い皺の刻まれた顔をしている。背は高くないが、目は鋭い。王宮の豪奢な廊下を歩いても気圧される様子はなく、むしろ王宮側の官吏たちの方が彼の沈黙に緊張していた。 王妃私室の隣に、臨時の分析部屋が用意された。 窓は開けられ、机には清潔な布が敷かれ、薬包、小瓶、王妃の服薬記録、納入台帳、処方記録の写しが並べられている。 エレノアは、カインと共に立ち会った。 マルタも証人として同席している。 王宮医師は、少し離れた場所に立たされていた。彼の顔色は悪く、何度も額の汗を拭っている。 財務官ベルトラムは出席を求められていたが、まだ到着していない。 遅れているのではない。 来たくないのだろう。 だが、カインの命令書に逆らうことはできない。「では、始めますぞ」 ヘルマン老薬師は、王妃の未使用薬包をひとつ開いた。 指先で粉末を少量取り、色を確かめ、香りを嗅ぐ。次に小さな銀皿の上へ移し、薬液を一滴垂らした。 粉末の一部が、鈍い紫に変わる。
last updateLast Updated : 2026-08-22
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