封筒など、名前を書くだけだと思っていた。 昨日までのミレーヌ・フォン・エルディアなら、きっとそう言った。 白く上質な紙。 王宮の紋章。 美しい筆跡で書かれた宛名。 蝋で封じれば、それで招待状は完成する。 それくらい、自分にもできる。 そう思っていた。 けれど、王宮儀礼局の長机に座らされて一刻もしないうちに、ミレーヌは自分が何も分かっていなかったことを思い知らされた。「ミレーヌ様」 マルタ女官長の声は、低くも高くもない。 叱るために声を荒げる人ではなかった。 だから余計に怖い。「はい」「こちらの宛名を、もう一度お読みください」 ミレーヌは、目の前の封筒を見た。 自分では丁寧に書いたつもりだった。 ローゼン侯爵夫人宛ての招待状。 筆跡も乱れていない。 インクのにじみもない。 封筒の中央に、きちんと名前を書いた。「ローゼン侯爵夫人、でございます」「敬称が足りません」「え?」「ローゼン侯爵夫人は、王妃主催茶会の筆頭招待客です。この場合、家名と爵位だけでは不十分です。夫君の宮廷職、夫人本人の慈善委員会名誉職も踏まえた敬称が必要です」 ミレーヌは、目を瞬かせた。「でも、長すぎませんか?」「長くても必要です」「封筒に入りませんわ」「入るように書くのが仕事です」 隣で、若い女官が肩を震わせた。 笑ったわけではない。 たぶん、笑いそうになったのを堪えたのだ。 ミレーヌは頬が熱くなるのを感じた。 今まで、周りはそんなふうに自分を見なかった
Last Updated : 2026-08-18 Read more