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第11話

「何をしている」背後から響いた風の低い声に、私はびくりと肩を震わせた。手にしていた軍の配置図を隠す間もなかった。どこからそんな度胸が湧いたのか、私は思わず口走っていた。「まさかあなた、密かに兵を蓄えて謀反でも企んでいるのではないでしょうね」風の目の奥に笑みがさらに深まった。「そこまで気づかれたのなら正直に話そう。実は俺は宮中のある大臣が民間に放った密偵なんだ。各地の情報を集める役目でね。この書状は、柳家が民間で行っている数々の不正について記したものだ。柳家の勢力があまりに大きくなりすぎて朝廷を脅かすのではとその大臣が案じていてね。それで俺に証拠を集めさせているんだ」それを聞いて私の胸はざわめいた。「あなたの言う……それはまさか、都の三大氏族の一つ、柳家のことではないでしょうね」「ああ、三大氏族の中でもこの柳家が一番横暴でな。その家には、皇帝の寵愛をほしいままにする娘がいるからだ」風は知らない。風の口にした皇帝に深く寵愛されているというその女こそ、私のかつての知り合いの若吟なのだということを。風が柳家の罪の証拠を集めていることには安堵したものの、これまで素性を隠していたことには、いくらか疑念も抱いた。「どうしてもっと早くこのことを話してくれなかったの」私は風を見つめ、目にわずかな失望の色を滲ませた。風は私の手をそっと握り真摯な顔つきで言った。「俺は君をこれ以上危険に巻き込みたくなかったんだ。柳家の証拠を集めるというのは、いつ命を狙われてもおかしくないことだからな。君が傷つくのが怖かった。だがこうして気づかれたからにはもう隠さない」本来ならば都の宮中で起きていることなど、もはや私には何の関わりもないことだった。けれど風は数少ない、私が心から信頼できる人だった。「何か私にできることがあれば言ってちょうだい」風は表情を引き締めた。「柳家は密かに兵を訓練しているが、兵への給金が足りず、士気も乱れているらしい。ちょうど彼らは都で反物の商売をしていて、君のいる刺繍工房の女将とも取引がある。今回届いた荷に何か問題があるんじゃないかと疑っているんだ」「分かったわ。工房に戻ったら気をつけて見ておく。何か気づいたことがあればすぐに知らせるわね」工房に戻ってから、私は柳家から届く荷物を注意深く見るように
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第12話

一方その頃、行舟は紫竹山を隅々まで捜し回ったが何一つ手がかりを得られなかった。深い悲しみと憤りが荒れ狂う潮のように押し寄せ、行舟の心を完全に呑み込んでいった。やむなく行舟は重い足を引きずるようにして、暗い面持ちのまま宮へと戻った。宮門をくぐるなり、行舟は血走った目で居並ぶ侍衛たちに向かって怒鳴りつけた。「役立たずどもめが!たった一人の行方すら突き止められぬとは、お前たちを置いておく意味がどこにある!」その怒声は雷鳴のごとく殿内に轟き、侍衛たちは震え上がり、ひれ伏して息を潜める様はまるで怯えたウズラの群れのようだった。この頃の行舟の胸中は、明月への深い心配と自責の念で満たされていた。まるで果てのない暗闇の底に落ちたかのようにぼんやりとした日々をどうにか耐え忍びながら幾日かが過ぎていった。そんなある日、夕餉を終えたあと、殿内には息の詰まるような重苦しい空気が漂っていた。そのとき一人の女官がおずおずと口を開いた。「陛下、本日は上元節にございます。街は大層賑わっていることでしょう。宮の外へ見物にいらっしゃいませんか」行舟はほろ酔い加減で視線もどこかぼんやりとしていた。女官のその言葉を聞いて行舟はゆっくりとわずかに目を上げた。朧げな意識の中でまるで日夜恋い焦がれる明月の顔が目の前に浮かび上がったような錯覚に陥った。かつて彼女もこうして小鹿のように澄んだ瞳で微笑みながら行舟を見つめ、宮の外へ上元節を見に行きませんかと優しく尋ねてきたものだった。その刹那、行舟はまるで正気を失ったかのように大股で一歩踏み出すと目の前の女官を強く抱き寄せた。その声には切ないほどの深い情がにじんでいた。「明月、ようやく戻ってきたのだな。ずっと会いたかった!」あまりに突然の行動に女官は顔面蒼白になった。全身が抑えようもなく震え出し、女官はしどろもどろに答えた。「へ、陛下……わ、私は純児(じゅんじ)にございます。明月様ではございません!」「なぜ宮を出たのだ。なぜ今まで戻ってこなかった!」行舟はまるで純児の言葉など耳に入っていないかのように独り言のように話し続けながら両手で慌ただしく彼女の上衣を引き裂き始めた。続けざまに、雨あられのような口づけを純児の首筋へ降らせた。純児は恐怖のあまり泣き叫び渾身の力で必死に抗った。その声に
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第13話

上元節の街は、噂通りの大変な賑わいを見せていた。至るところに鮮やかな灯籠や飾り灯が施され、行き交う人々でごった返している。行舟は侍衛にひそかに守られながら通りをそぞろ歩いていたが、その眼差しは心ここにあらずといった様子で、いまだ明月への未練に囚われていた。行舟は花灯を一つ買い求め、水面に浮かべた。灯りが少しずつ遠ざかっていくのを眺めるうち、行舟の思いも遠い過去へと引き戻されていった。朦朧とした意識の中、かつて彼女と共にこの通りを歩いた光景がふと蘇る。あの日の明月の笑顔は、この上元節の灯火にも劣らぬほど眩しかった。そのとき、賑やかなざわめきが行舟の物思いを断ち切った。見れば大道芸を取り囲んで見物する人だかりができていて、その中の一人、幼い少女の笑い声がひときわ澄んで響いていた。行舟がふと歩み寄ると、その少女の顔立ちがどこか明月に似ている気がして、思わず我を忘れて見入ってしまった。そうして我を忘れていたそのとき、人だかりの中からいくつもの黒い影が閃いた。誰もが気づく間もなく、幾振りもの刃が一斉に行舟めがけて襲いかかった。その刹那、周囲の時が一瞬、止まったかのように感じられた。行舟の周りにいた侍衛たちは即座に反応し、瞬く間に行舟を守るように取り囲むと、襲いかかる刺客たちと激しく斬り結んだ。刃がぶつかり合い火花が散る中でも、行舟の視線はあの少女の姿から離れなかった。このとき行舟の脳裏にあるのはただ明月の面影だけで、まるで目の前で繰り広げられている凄惨な斬り合いすら、どこか遠い世界の出来事のように感じられていた。やがて一人の刺客が侍衛たちの防御を突破し、刃を行舟めがけて突き出したその瞬間、ようやく行舟は我に返った。目つきが鋭く変わり、体を捻って致命傷となる一撃をかわすと、間髪入れず腰の剣を抜き放ち戦いに加わった。その剣筋は鋭く容赦なく、一振りごとに凄まじい殺気を帯びていた。けれどそれでもなお、行舟の心の内はどこか虚ろなままだった。なぜなら行舟にとって目の前のすべては、明月と共に過ごしたあの穏やかな時間には遠く及ばないものだったからだ。激しい戦いの末、刺客たちは次々と血だまりの中に倒れていった。行舟は周囲に倒れた侍衛や刺客たちを見渡したが、その心に勝利の喜びは微塵もなかった。行舟はゆっくりと純児のもとへ
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第14話

「よく覚えておきなさい。この薬を純児の食事に混ぜて必ず飲ませるのよ」若吟の目には底冷えするような陰険さが宿り、その口調は氷のように冷たかった。女官は全身を震わせながら両手で薬包を受け取ると、震える声で言った。「これは……お命に関わることでございます。私には……恐ろしくてできません」若吟は冷ややかに笑い、その瞳に冷酷な光をよぎらせた。「やらないというなら、生き地獄を味わわせる手などいくらでもあるのよ。宮の外にいるお前の家族にもし何かあったら……」女官の顔からたちまち血の気が引いた。若吟の恐ろしいやり口を身をもって知る女官にとっては、家族の安全を思えば頷く以外の道はなかった。「かしこまりました。必ず仰せの通りにいたします」翌日、純児は朝餉を終えたあと、激しい腹痛に見舞われた。行舟は気が気でなく、急いで御医を呼び寄せた。「陛下に申し上げます。純児様は迷迭散(めいてつさん)という毒を盛られております。この毒はきわめて解毒が難しく、血を薬に用いる必要がございます」「何事もなかったというのに、なぜ突然毒を盛られたのだ」行舟は、床に跪き震え上がっている女官を冷ややかに見据えた。「者ども、この卑しい女を引きずり出し、四肢切断の刑に処せ!」女官は顔を真っ青にして、必死に額を地に打ちつけた。「陛下、柳様でございます。柳様が私にこうせよとお命じになったのです!」行舟は太い眉を寄せると侍衛に命じた。「若吟をここへ連れて参れ」若吟が入ってきたとき、その表情には僅かな動揺すら見受けられなかった。「陛下、まさか女官の一方的な言い分だけを信じて、私を疑ったりはなさいませんわよね」行舟の瞳の奥には、万年雪を思わせる冷たさが宿っていた。「正直に申せ。さもなくば朕は決して容赦しないぞ」「もし私がやったのではないと申し上げたら、陛下はお信じくださいますの」その言葉が終わらぬうちに、侍衛が慌ただしく入ってきた。「陛下、柳様のお部屋にてこれを見つけました」侍衛が差し出したのは白磁の小瓶だった。御医がそれを検分すると頷いた。「まさにこの毒でございます」行舟は怒りに胸を激しく上下させながら、若吟の喉を掴み上げた。両の目は真っ赤に染まり、まるで若吟を生きたまま引き裂かんばかりの形相だった。「貴様、なんと悪
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第15話

純児の寝殿にて、行舟は純児の手をしっかりと握りしめ、苦痛に歪むその顔を見つめながら、胸を抉られるような苦しみに苛まれていた。「純児、必ず持ちこたえてくれ。朕が必ずお前を救う。御林軍はすでに千年雪狐を探しに向かっている。お前に何かあったりはさせない……」純児の意識はすでに朦朧としていたが、行舟の手の温もりを感じ取り、懸命に目を開けるとかすれた声を絞り出した。「陛下……どうか私のために危ない真似はなさらないでくださいませ……」行舟は目元を赤くしながら、そっと純児の額を撫でた。「いや、朕はお前に何かあったりはさせない。お前は朕にとって何よりも大切な存在なのだ。必ず救ってみせる」その頃、御林軍は統領に率いられ、昼夜を分かたず極北の地へと急いでいた。雪山の上は骨まで凍える寒風が吹きすさび、積もった雪はあまりにも深く、千年雪狐を見つけ出すのは困難を極めた。それでも皇帝直々の命を受けた彼らは、一瞬たりとも気を抜くことなく四方八方を探し回った。そしてついに、数日にわたる困難な捜索の末、一人の兵士がひっそりとした洞穴の付近で千年雪狐の足跡を見つけ出した。御林軍はすぐさま洞穴を包囲し、激しい格闘の末、ついに千年雪狐を捕らえることに成功した。彼らは休む間もなく都へと駆け戻り、雪狐を行舟のもとへ献上した。御医は直ちにその心臓の血を取り出し、解毒薬を調合すると純児に飲ませた。皆が固唾を呑んで見守る中、純児の顔色は次第に血の気を取り戻し、腹の痛みも徐々に和らいでいった。行舟の張り詰めていた胸のうちも、ようやくゆっくりと緩んでいった。この一件により、若吟は二ヶ月の禁足を言い渡された。……一方、私と風は依然として柳家の罪の証拠集めを続けていた。ある日、風のもとに差出人不明の密書が届いた。文には、柳家が人里離れた谷に密かに武具の工房を構え、大量の武器を製造しているとあった。私たちは一刻も猶予がないと悟り、すぐさまその谷へと向かった。幾多の困難を乗り越え、ようやくその隠された工房を見つけ出した。私たちは慎重に潜入すると、職人たちが忙しく様々な武器を作り上げている光景を目にした。周囲には厳重な警備が敷かれていた。息を潜めて工房の様子を詳しく書き留め、立ち去ろうとしたそのとき、うっかり仕掛けを作動させてしまった。たちま
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第16話

半月ほどが過ぎた頃には、風の傷もすっかり癒えていた。この間、柳家の罪の証拠集めのために、風はずっと神経を張り詰めさせていた。まるで限界まで引き絞られた弓のようだった。その様子を見て私は放っておけない気持ちになり、郊外へ舟遊びに出かけて気晴らしをしないかと持ちかけた。風も快く承知してくれた。私たちは蓮池のほとりへとやってきた。あたりの空気は清々しく心地よかった。そよ風がふわりと頬を撫でるたび、ほのかな蓮の香りが鼻先をかすめ、胸の奥まで満たされていくようだった。まるでこれまでの疲れが、その一筋の香りにそっと拭い去られていくかのようだった。私たちは小舟に乗り込み、蓮池の奥へとゆっくり漕ぎ出した。風は慣れた手つきで櫂を握り、力強く舟を漕いでいた。私は舳先に腰を下ろしそっと目を閉じ、この滅多にない安らぎのひとときに全身を委ねた。ここ最近の証拠集めで積もっていた緊張と疲れを、すべて水に流して。「明月、あっちを見てみろ」風がふいに口を開いた。その声にはいくらかの喜びが滲んでいた。私はその声に目を開け、風が指し示す方向を見やった。すると魚の群れが水の中を楽しげに泳ぎ回っていた。その生き生きとした様子に引き込まれ、私は思わず笑みをこぼした。風は私を見つめながら、その瞳に次第に柔らかな光を宿らせ、そっと呟いた。「……明月、君……綺麗だな」その声は低く優しく、人を惹き込むような不思議な力を帯びていた。その一言を聞いた瞬間、頬が熱く染まり、私は無意識のうちに視線を落としてしまった。胸の奥で心臓が早鐘を打ち、いつまでも落ち着きを取り戻せずにいた。いつの間にか日は西へ傾き、空の彼方は鮮やかな橙色に染まっていった。風は舟を岸辺に静かに寄せ、私たちは連れ立って舟を降りると、蓮池のほとりの小道をゆっくりと歩いた。あたりは静寂に包まれ、聞こえるのはただ小道を踏む私たちの足音と、時折響く虫の声だけだった。「明月、この間そばにいてくれて本当に助かった」風は突然足を止めると振り返り、真剣な眼差しで私を見つめて言った。「君がいなければ、俺一人でこの厄介事に立ち向かうなんて、どうしていいか分からなかっただろう」その瞳には心からの誠意と感謝の色があふれていた。私は静かに答えた。「そんなふうに言わないで。これは私たち
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第17話

翌日、約束の紫竹林へ向かうと、そこには見覚えのある人影が立っていた。若吟だった。しばらく見ないうちに、若吟はずいぶんとやつれていた。「明月、この卑しい女め。知ってるかしら?あなたが姿を消してから、陛下は身代わりを見つけて、毎日その者ばかり寵愛しているのよ」その言葉に私は思わず胸を突かれた。行舟の心の中で、私がまだそれほど大きな存在だったなんて思いもよらなかった。私が黙っているのを見て、若吟の眉間にはいっそう怒りの色が濃くなった。「父から聞いたわ。あなた、こっそり柳家を調べているそうね。何が知りたいのかしら」胸がひやりとした。この件がどうして若吟の耳に入ったのだろう。私は平静を装いながらまっすぐに若吟を見据え、冷ややかに言った。「いったい何をするつもり?」若吟は口の端に不気味な笑みを浮かべるとゆっくりと私に歩み寄り、その瞳には恨みと悔しさが満ちていた。「ふふふ……あなたにも、死んだほうがましだと思うほどの苦しみを味わわせてやりたいのよ!あなたがいなくなってから、陛下はますます私に冷たくなった。あの身代わりの純児があんなにも寵愛を独り占めしているというのに、あなたは私がこのまま黙っていると思っているの!?」その声は甲高く、抑えきれない嫉妬に満ちていた。胸の奥がざわついたが、それでも冷静に応じた。「そうまで狂ったように振る舞うのは、結局、あなたが陛下の心を一度も手に入れられなかったからでしょう」その瞬間、若吟は凄まじい形相になり、いきなり私の襟元を掴み上げた。「他人事みたいなことを言うんじゃないわ!今日ここへ来たからには、無事に帰れると思わないことね。柳家の罪の証拠を集めているのでしょう?なら、ここで終わりにしてあげるわ!」そう言うが早いか、若吟は激しく私を突き飛ばした。私の背後には断崖絶壁が広がっていた。まさにその一瞬、横合いから力強い腕が伸びてきて、しっかりと私の腕を掴み、崖の縁から引き戻してくれた。驚きと動揺のまま振り返ると、そこにいたのは風だった。風は燃えるような目で若吟を冷ややかに睨みつけていた。その身からはぞっとするほどの気迫が漂っていた。「風……どうしてここに……っ」私は震える声で尋ねた。風は私の手をしっかりと握りしめた。まるで少しでも力を緩めれば、私が消えて
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第18話

皇宮の中では、純児がすでに若吟に代わり、行舟の寵愛を一身に受けていた。純児はかつて明月としばらく暮らしており、その好みをよく知っていたため、わざと明月の真似をしていた。明月が寝る前に行舟のために汁物をこしらえていたと知ると、純児は長い時間をかけて習い覚え、毎晩欠かさず厨房へ通って汁物を作った。明月が刺繍を得意とし行舟にいくつもの香袋を縫っていたと知ると、純児もまた刺繍を学び始めた。明月が普段から緑色の衣を好んで着ていたと知ると、純児は何十着もの緑の衣を用意した。こうして純児は、一歩ずつ確実に行舟の心を掴んでいった。ある日、食事をとっていた純児のもとに、若吟がふいに姿を現した。純児の手にした箸がびくりと震え、危うく落としそうになった。純児は無意識のうちに背筋を伸ばし、その瞳にはわずかな警戒の色がよぎった。若吟は一歩また一歩と歩み寄ってきた。その足音一つ一つが、まるで純児の心を踏みつけるかのように重く鈍く響いた。その眼差しはまるで毒を塗った刃のように、骨まで蝕む恨みを湛えながら、まっすぐ純児を射抜いた。「純児、本当にたいした手腕ね。ほんの短い間で陛下をすっかり骨抜きにするなんて」若吟の声は氷のように冷たく、静まり返った食事の間に響き渡り、まるで地獄の底から漏れ出る呟きのようだった。純児は無理に平静を装いながら箸を置き、わずかに身をかがめた。「若吟様、何を仰っているのやら。私はただ陛下に真心を込めてお仕えしているだけでございます」若吟は鼻で笑い飛ばした。「真心を込めて?あなたは所詮、明月にどこか似た顔のおかげで、陛下のお心の中にある私の居場所を奪おうとしているだけでしょう」そう言うなり、若吟は勢いよく手を伸ばし純児の襟元を掴み上げた。爪が肌に食い込むほどの強い力だった。「よく聞きなさい。かつて私は少し手を回すだけで、陛下に明月を嫌わせることができたのよ。今だってそれは変わらないわ」ちょうどそのとき、行舟が大股で踏み込んできた。行舟は手を振り上げると、暗く沈んだ表情のまま若吟の頬を平手で打った。「貴様は昔、いったい明月に何をしたのだ!それが原因で明月は宮を去るまで追い詰められ、今なお行方が知れぬというのに!」行舟のその一撃には渾身の力がこもっていた。若吟はよろめきながら地面に倒れ込み、口の端から
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第19話

小さな町で私と風は、柳家が三千の精鋭を密かに動かし、今は竹渓山に潜伏させているという報せを耳にした。その知らせを聞いた瞬間、私たちは互いに顔を見合わせた。その目には覚悟にも似た重々しさが宿っていた。竹渓山は地形が複雑で、攻めにくく守りやすい天然の要害だ。柳家がそこに精鋭を移したということは、明らかに周到な備えをしている証だった。けれどそれは同時に、私たちがそこで柳家を追い詰める決定的な証拠を掴める絶好の機でもあった。「明月、今回はこれまでにない危険な旅になる」風は私の手をしっかりと握りしめ、まっすぐな眼差しで私を見つめて言った。「だが、柳家の野望を砕く最後の好機かもしれん」私は静かに、けれど力強く頷いた。「怖くはないわ。民を苦しめる者を排し、あなたの重荷を少しでも分かち合えるのなら、私は喜んでお供するわ」こうして私たちは手早く旅支度を調え、すぐさま竹渓山へと向かう旅路についた。鬱蒼と木々が茂る険しい山道は、一歩進むのも骨が折れた。けれど私たちの胸には確かな信念があり、一度たりとも退くことはなかった。ようやく竹渓山の麓に辿り着いた。山の警備はものものしく、巡回する兵士たちが絶え間なく行き交う様が遠目にも見て取れた。私たちは慎重に身を潜めながら、潜入の隙を窺った。夜の闇に紛れて獣道を辿りながら、少しずつ山を登っていった。そのとき、前方から足音が聞こえてきた。風はとっさに私を茂みの陰へと引き込み、息を潜めるよう合図した。松明を掲げた一隊の兵士がこちらへ向かって歩いてくる。「聞いたか。柳家、今回は随分と手間取っているらしいぞ。証拠を握られそうで、ご当主もこのところずっと焦っておいでだそうだ」一人の兵士が小声で話していた。「ああ、俺たち下っ端には関係ない話だがな。上が守れと言うなら守るまでさ。首だけは飛ばされたくないからな」もう一人がそう応じた。兵士たちが遠ざかっていくのを見届けて、私たちはようやく安堵の息をついた。さらに進んでいくと、ついに山の中腹でひっそりと張られた天幕を見つけた。天幕の外には二人の見張りがうろついているだけだった。風が小声で私に言った。「明月、俺が見張りの気を引く。その隙に中に大事な書類がないか見てきてくれ」私が反対しようとするより早く、風はすでに静か
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第20話

その美しい景色に見とれていたとき、風の表情がふいに引き締まった。風は警戒するように周囲を見回した。「明月、気をつけろ。この近くに誰かいる気がする」私は無意識のうちに風のそばへ身を寄せた。心臓がどきどきと早鐘を打ち始める。そのとき茂みの奥から、質素な衣をまとった老人がゆっくりと姿を現した。年老いてなお矍鑠としており、その眼差しには深い知恵と落ち着きが宿っていた。老人は私たちを上から下まで見渡すと、小さく頷いた。「若者たちよ、警戒するには及ばぬ。わしに害意はない」風は私を庇うように前に出て、慎重に尋ねた。「失礼ですが、どなたでしょうか。なぜこのような場所に」老人は微笑んだ。「この山に住まう隠者だ。俗世を離れ数十年になる。今日そなたたちがこの地に踏み入るのを見てな。ようすを見にきたのだよ。見たところ二人とも、随分と難儀な目に遭っているようだな」私と風は目を見交わし、少し迷ったのちに、柳家の悪行と自分たちの身に起きたことをかいつまんで老人に語った。老人は聞き終えると表情を険しくした。「柳家がそこまで好き放題に振る舞っているとは、まさに国を蝕む害悪だな。そなたたちが民のために幾多の困難をものともせず立ち向かっているとは、その勇気、実に見事なものだ」そう言うと、老人は懐から黄ばんだ古い書物を取り出し風に差し出した。「幾年も前にたまたま手に入れたものでな。兵法や陣立ての秘伝、精巧な兵器を作る独自の技法が記されている。柳家が密かに兵を鍛えているというのなら、この方面にも必ず秘密があるはずだ。この書が柳家を打ち倒す助けになるやもしれぬ」風はその書物を受け取ると、瞳に驚きと感謝の色を浮かべた。「ありがとうございます。このご恩は決して忘れません」老人に別れを告げ、私たちはその書物を携えて帰路についた。道中、私たちは何度も書物を読み返した。読めば読むほど、その計り知れない価値に息を呑んだ。町に戻ってから私たちはその書物と、これまで集めてきた柳家に関する断片的な手がかりを照らし合わせた。すると柳家のさらに驚くべき陰謀が浮かび上がってきた。柳家は密かに兵を鍛えているだけでなく、古の陣法と新たに作り上げた兵器を組み合わせて謀反を企んでいたのだ。ただ、今のところ手元には確たる証拠がなく、私たちはひとまず様子
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