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忘却の代わりに、愛を捨てる のすべてのチャプター: チャプター 11 - チャプター 20

22 チャプター

第11話

「そんな、まさか!」大翔は勢いよく立ち上がり、その拍子にテーブルの上のコーヒーカップを弾き飛ばした。コーヒーがあっという間に広がり、大事な書類を濡らしていく。それでも彼は片付ける余裕すらなく、目を血走らせて電話に向かって怒号を飛ばした。「海外だと?あいつが海外になんて行くわけないだろう。お前、愛夏とグルになって俺を騙してるのか?」佳澄は深く息を吸い込み、呆れを押し殺しながら努めて冷静に答えた。「騙してなんかいないよ!私にそんな度胸あるわけないじゃない!10日前、愛夏が海外に行くって決めたとき、すぐにメッセージ送ったよね。それなのに、何の反応もしなかったじゃない。愛夏、海外に行ってからも忙しいみたいで、メッセージ送っても全然返ってこなくて。大翔が焦ってる様子もないし、何も聞いてこないから、てっきり気にしてないんだと思って、それ以上何も言わなかったのよ」佳澄の言葉が終わる前に、電話の向こうからガシャンという大きな音が響いた。続けて、何かが床に落ちて砕け散る音が次々と聞こえてくる。佳澄はぎょっとして慌てて声をかけた。「ちょっと、どうし……」言い終える前に、電話は突然切れた。佳澄はスマホを握りしめたまま、思わず安堵の息をつく。だが、ほっとしたのも束の間、また着信が入った。大翔の陰鬱で冷え切った声が、すぐさま耳元に響く。「今、彼女と連絡を取れるか」……愛夏が取ったのは、F国行きの航空券だった。着陸後、彼女は再婚して新しい家庭を築いている実母に連絡を取った。娘が来ると知った母は大喜びし、すぐさま今の夫で、愛夏の継父にあたるジャックに休みを取らせ、二人揃って空港まで迎えに来てくれた。母と顔を合わせた瞬間、愛夏はどこか気まずさを覚えた。何しろ、もう15年近く会っていなかったのだ。けれど継父のジャックは根っからの陽気なタイプで、熱烈なハグで彼女を迎え入れた。それにつられるように母も加わり、あっという間に母娘の空白が埋まっていく。愛夏がF国で暮らすことに決めたと知ると、母は強引なほど熱心に、今の自宅である3階建ての立派な邸宅に住むよう勧めてきた。普段、この家にはジャックと母の二人しか住んでいない。ジャックには元妻との間に一男一女がいるが、すでに二人とも成人しており同居はしていなかった。好意を
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第12話

電話の向こうで揉み合うような大きな音がして、佳澄のスマホが誰かの手にひったくられる。いきなり怒鳴り声が割り込んできた。「海外に定住だと?愛夏、はっきり言え。海外に定住するってどういう意味だ!もう帰ってこないつもりか?じゃあ、俺はどうなるんだ!?」愛夏の瞳に嘲るような笑みがよぎった。淡々とした口調で言う。「あなた、誰?そもそも、私がどこに住もうと、あなたに何の関係があるんですか?その詰問するような言い方、失礼じゃない?」そう言うと、彼女は少し間を置き、はっと気づいたように続けた。「ああ、もしかして、あなたが例の藤山さん?ごめんなさい。私、あなたに興味ないんです。私たち、そんなに親しい仲でもないですよね?まともに話したことすらほとんどないのに、私が海外に定住するかどうかに口を出す資格があなたにあるとは思えないんですけど」愛夏はそれだけ言うと、大翔に反論の隙を与えず電話を切った。そして、佳澄の電話番号を迷わずブロックした。国内にいる、自分を道化のように扱っていたあの友人たちには、もううんざりだった。同じ頃、国内のとある会員制クラブの個室では水を打ったような沈黙が広がっていた。その場にいた全員が、驚愕の表情のまま顔を見合わせている。誰一人、口を開こうとする者はいなかった。大翔は煌びやかな照明の下、みんなに背を向けたまま全身を怒りでこわばらせて立っていた。両手は固く握りしめられ、手の甲には青筋が浮かんでいる。血走った目で、たった今床に叩きつけたスマホをじっと見つめていた。やがて画面の光が完全に消えると、彼はどこか呆然とした様子でぽつりとつぶやいた。「愛夏、あれは……どういう意味だ?」誰も答えられなかった。沈黙がさらに広がっていく。どれほど時間が経っただろうか。中央の席に座っていた歌織が突然立ち上がった。顔には怒りがありありと浮かんでいる。「もう、頭にきた!」彼女は大翔の腕をつかみ、一言ずつ噛みしめるように言った。「大翔、私、もう黙ってられない!愛夏さん、絶対にわざとやってるわ!大翔が自分を好きだって知って、好意につけ込んで、わざとこんなことを言って刺激してるのよ」歌織は佳澄のほうへ向き直り、冷ややかに問い詰めた。「佳澄さん、あなた愛夏さんと一番仲がいいよね。彼女、なんでも話すん
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第13話

その最後の一言を聞いた瞬間、大翔のタバコを持つ手が抑えようもなく震え始めた。つけたばかりのタバコの灰がぽろりと床に落ちた。大翔はそれをぼんやりと見つめたまま、頭の中が真っ白になっていた。何か言いたいことがあるはずなのに、言葉が喉元まで出かかっては、また虚しく飲み込まれていく。大翔が何も言い返さないのを見て、他の者たちも次第に大胆になり、口々に相槌を打ち始めた。「そうですよ、大翔さん。俺たち、絶対に愛夏には何も言ってません」「今回彼女が記憶を失ってから、俺、まだ一度も会ってないんですから、伝えようがないですよ」「愛夏が記憶喪失のふりをしてるっていうなら別ですけど。でも大翔さん、薬をすり替えたんですよね?だったら記憶喪失のふりなんてする理由もないでしょう。それに、もし本当に記憶を失ってないなら、なおさらこんな態度、取るわけないですし」「俺が思うに、愛夏は今回、本当に大翔さんのことをきれいさっぱり忘れちまったんですよ!」「もういいッ!」ついに大翔がゆっくりと振り返った。険しい眼差しが、その場にいる全員を鋭く射抜くように見渡す。それから彼は手を伸ばし、佳澄に向かって冷ややかに言った。「スマホをよこせ」佳澄は慌てて拾い上げていたスマホを、再び大翔に差し出した。大翔はタバコをくわえ、ニコチンで今にも暴走しそうな感情を鎮めようとしながら、もう一度愛夏に電話をかけた。けれど返ってきたのは冷たい女性の自動音声だった。「申し訳ございません。おかけになった電話をおつなぎすることができません」大翔は信じられない思いで通話を切り、もう一度かけ直した。だが10回以上かけ直しても、返ってくるのは同じ冷たい応答だけだった。やがて、佳澄が小さな声で口を開いた。「……愛夏、私のことブロックしたみたい」バキッという音とともに、大翔の抑え込んでいた感情がとうとう爆発した。血走った目のまま、スマホを壁に向かって力任せに叩きつける。「愛夏!」彼は歯を食いしばりながら一言ずつ怒鳴った。「お前ら、何をぼさっと突っ立ってる?今すぐ調べろ!愛夏が今どこにいるのか、1時間以内に居場所をつかめなかったら、お前らの会社を全部潰してやるからな!」その場にいた全員が、蜘蛛の子を散らすように個室から飛び出していった。あれほど騒がしかった個室が一瞬で静
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第14話

愛夏は、こんなに早く大翔と再会することになるとは思ってもいなかった。カフェで働き始めてしばらく経ち、少しずつコーヒーを淹れる仕事も任されるようになっていた。その日、コーヒーを淹れている最中、同僚が突然彼女の袖を引っ張り、興奮した様子で耳打ちした。「今日、めちゃくちゃかっこいい男の人が来てるよ!コーヒー1杯頼んで、ずっと隅の席からあなたのこと見てる」愛夏は少し意外に思った。「私を?」「そうだよ」同僚は勢いよくうなずいた。「これ、運命の出会いってやつじゃない?このコーヒー、あなたが出してきてよ。ついでに、タイプかどうか見てきたら?」行きたくなかったが、同僚があまりに乗り気で無理やりコーヒーを手に押し付けられてしまい、仕事に支障をきたさないためにも仕方なく向かうことにした。カウンターを出た瞬間、隅の席に座る見慣れた顔を見て、愛夏はすぐに後悔した。けれどここまで来た以上、腹をくくって大翔の隣のテーブルへコーヒーを運んだ。彼女を見た瞬間、大翔の目がわずかに輝いた。けれど愛夏は決して視線を合わせないようにしながら、コーヒーを置くとすぐに背を向けて立ち去る。大翔はその後ろ姿を見つめたまま、胸の奥が重く沈んでいくのを感じた。彼はそのまま、カフェが閉店するまでずっと、その席を立たなかった。「彼のこと、本当に興味ないの?」同僚が愛夏の脇をつつきながら言った。「でも本当にかっこいいんだよ。私だったらとっくに連絡先聞いてるって」「やめとくよ」愛夏は苦笑いを浮かべた。「イケメンには興味ないの」同僚はその言葉を聞いて、慌てて目配せを送ってくる。愛夏が振り返ると、大翔と目が合った。「どこに住んでるんだ?送っていくよ」大翔が低い声で言う。愛夏は布巾で手を拭きながら、あっさりと答えた。「結構です。迎えに来てくれる人がいますので」大翔の笑みが瞬時にこわばった。「……誰だ?」愛夏は不思議そうに彼を見た。「藤山さん、私たち、病院の前で一度顔を合わせただけの間柄ですよね。そんなに親しくないと思うんですけど。誰が迎えに来ようと、あなたに関係あります?」大翔の顔色がわずかに変わり、感情が一気に高ぶった。彼は愛夏の腕をつかみ、思わず口走る。「誰が親しくないって?俺たちは、この10年……」
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第15話

その瞬間、大翔の自信に満ちた表情が一気に崩れ落ちた。余裕を取り繕っていた仮面に、ひびが入る。彼は信じられないという顔で愛夏を見つめ、全身が抑えきれないほど震え始めた。「今、何て言った!?そいつは……誰だ?」驚きを隠しきれないアダムの様子に、愛夏はこっそり彼の脇をつついてから話を続けた。「紹介します。こちら、私の彼氏のアダムです。アダム、こちらは……」愛夏はふと言葉を止め、大翔をどう紹介すべきか迷っているようだったが、数秒の間を置いてから気まずそうに言った。「まあ、私に言い寄ってる人、ってところかな。あんまり親しくないけど」「オー、ベイビー」アダムはそれを聞くとすぐさま愛夏の腰を抱き寄せ、親密そうに笑った。「そんなこと言われるとプレッシャーだな。ベイビーを好きな男って、こんなにいるのか?」「バカな……」大翔はその場に立ちすくんだまま、まるで思いきり頬を張られたかのように顔を引きつらせた。「そんな……愛夏、俺は信じないぞ!」愛夏はもう相手にする気もなく、アダムに寄り添って助手席に乗り込んだ。窓を閉めると、アダムが声を落として尋ねた。「元カレ?」愛夏は苦笑いを浮かべる。「協力してくれてありがとう。もうこれ以上つきまとわれたくなくて、こんな苦肉の策を思いついちゃって」アダムは片眉を上げ、意味ありげに言った。「喜んで力になるよ」彼はアクセルを踏み込み、車を発進させた。ちょうど車を出そうとしたその瞬間。車の前に突然人影が飛び出し、道の真ん中に立ちはだかった!アダムは顔面蒼白になりながらすぐさまブレーキを踏んだ。タイヤが甲高い悲鳴を上げたが間に合わず、車が大翔にぶつかり、その体が後ろへ倒れ込んだ。「クソッ!」アダムはハンドルをドンと叩きつけると、慌てて車を降りた。「マジでイカれてるな……」愛夏は車の中で動かなかった。車の外から大翔の声が聞こえてくる。「愛夏、話がしたい」けれど彼女は、まぶたを上げることさえしなかった。アダムはため息をつくと、車の鍵を窓越しに愛夏の膝へと放り投げた。「先に帰っててくれ。俺、こいつを病院に連れて行ってくる」2時間後、アダムは疲れきった足取りで邸宅に戻ってきた。愛夏は事前に用意していた麺を差し出した。「お疲れさま」アダム
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第16話

そう言いながら、大翔はためらいもなく愛夏の腰に手を回した。懐かしい匂いが押し寄せてくる。けれど愛夏の胸に湧き上がったのは、ときめきではなかった。強烈な吐き気だった。その瞬間、愛夏は思わず手を上げ、顔をそむけてえずいた。大翔の表情が、一瞬にして真っ白になる。大きな衝撃を受けたように身をかがめる愛夏を信じられない様子で見つめ、声を失いながら問いただした。「愛夏……お前、俺を嫌がってるのか?」愛夏はその隙にすぐさま大翔の腕から逃れた。腹部を押さえながら、込み上げる不快感を必死にこらえて言う。「藤山さん、そういうの、自分ではかっこいいと思ってるんですか?正直に言うと、そういう振る舞い、ちょっと気障すぎて無理です。好きになんて、なれるはずがないですよ」大翔の顔から、瞬時に血の気が引いていった。その場に立ち尽くしたまま今にも倒れそうなほどよろめきながら、ひどい衝撃を受けた様子で言う。「愛夏……どうしてそんな……どうしてそんなことが言えるんだ?お前、俺のこと一番愛してたんじゃないのか?」愛夏が踵を返して立ち去ろうとするのを見て、大翔はとうとう抑えきれなくなり、すぐさま駆け寄って彼女の腕をつかんだ。「信じない、俺は信じないぞ!愛夏、お前が俺を愛さないなんてあり得ない……お前はあんなに俺のことが好きで、俺のためなら何もかも捧げる覚悟だったじゃないか!」カフェの外にはすぐに大勢の客が集まり始めた。愛夏はその中に何人か、毎朝アメリカーノと朝食を買いに来る常連客の顔を見つけた。けれど大翔に腕をつかまれたままでは、ドアを開けることさえできない。愛夏の中の苛立ちが限界に達し、大翔を見る目にはもう嫌悪しか残っていなかった。「離して!私たちのお店の営業の邪魔になってるのが、分からないの?」大翔はただ目を血走らせながら、財布から札束を掴み出し、地面に叩きつけた。「お前ら、失せろ!」愛夏はその光景に呆然とした。大翔がここまで理不尽な人間だとは思ってもみなかった。つかまれた手首がひどく痛み、青あざになりそうだった。愛夏の忍耐は、ついにここで尽きた。彼女は大翔を見据え、怒りのあまり、思わず乾いた笑いがこぼれた。「大翔、そんなに自信満々なんだ。記憶を失った私なら、また絶対にあなたを好きになるって?」大翔は思わず固
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第17話

大翔は地面に座り込んだまま、真っ青な顔に驚愕の色を浮かべていた。4月とはいえまだ肌寒い季節なのに、彼の体からは季節にそぐわないほど大量の汗が噴き出し、服をびっしょりと濡らしている。何か言おうとして唇を動かすが、まともな言葉一つ出てこない。ただ、愛夏が鍵を取り出してドアを開け、迷いもなくカフェの中へ入っていくのをなすすべもなく見つめることしかできなかった。立ち上がろうとしても力が入らず、その場に座り込んだまま、周囲から向けられる無数の探るような視線を浴び続けるしかなかった。みっともない姿だった。大翔はそのまま入り口に座り込み、どれほどの時間が経っただろうか、ようやく少しずつ現実を受け止められるようになった。愛夏は、記憶を失ってなどいなかった!一体いつから知っていたのか?どうやって知ったのか!?無数の疑問が頭の中を駆け巡り、やがて巨大な重石のように胸にのしかかって、息もできないほどだった。やがて大翔は青白い顔のまま震える手でスマホを取り出し、アシスタントに電話をかけた。「すぐに調べろ……愛夏が、一体いつ気づいたのか!家、会社、病院……確認できる防犯カメラを全部当たれ。映像を一つ残らず調べろ」大翔はその場を離れる気になれなかった。なんとか体を支えて立ち上がり、近くの街のベンチに腰を下ろす。昇ってきた太陽が体を照らしているのに、彼の体からは冷たい汗が止まらなかった。そうして、ただ待ち続けた。どれほど待っただろうか。ようやく、アシスタントがまとめた映像データが送られてきた。【藤山社長、愛夏さんが薬のすり替えに気づいてから、もうかなり経つようです。それと、歌織さんについても、ちょっと気になることが……】アシスタントは言葉を濁し、はっきりとは言わなかった。大翔は見ているだけで息が詰まりそうになる映像を、一つ、また一つと再生していった。アオギリの木の下で気だるげに寄りかかりながら、愛夏が何度自分を忘れても、必ずまた恋をすると豪語していたあの日。愛夏は物陰に立ち、真っ青な顔でその言葉を聞いていたのだ。愛夏が右足を骨折して激痛に苦しんでいたとき、彼は迷いもなく歌織を抱いて連れ去った。歌織が愛夏のマフラーを台無しにした上、はした金で侮辱したとき。彼は駆け込んできて、それを愛夏が歌織を傷つけたの
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第18話

突き飛ばされた歌織は地面に激しく倒れ込み、硬い石畳で肘をひどく擦りむき、いくつもの傷から血が滲んだ。痛みに全身から冷や汗を噴き出しながら、彼女は慌てて言い訳を並べた。「大翔、何か誤解してない?私が言ったこと、全部本当だよ?嘘なんてついてない、お医者さんに聞いてくれてもいいから……」大翔は花壇に手をついて、ゆっくりと立ち上がった。まだ完治していない足を引きずるように数歩進み、その影が歌織の頭上に落ちる。あの底知れず冷え切った瞳を見た瞬間、歌織の背筋にぞっとするような寒気が走った。歌織は地面に手をついたまま、じりじりと後ずさり、顔面蒼白になった。「大翔、私……っ」大翔はロックを解除したスマホを、そのまま歌織の頭めがけて投げつけた。痛みに歌織は身を縮め、地面に落ちたスマホを震える手で拾い上げる。画面に映る映像を見た瞬間、彼女は雷に打たれたように固まった。「そんな……」大翔は歌織の前に立ち、見下ろし、氷のように冷え切った声で言い放った。「今この瞬間から、藤山家と蛯名家の取引をすべて打ち切る。これ以上愛夏を傷つけるような真似をしていると俺の耳に入ったら、お前は今よりもっと悲惨な目に遭うことになる」それを聞いた歌織は、大翔のズボンの裾をつかみ、信じられないというように声を震わせた。「いや……!大翔、私にそんな仕打ちができるはずないでしょ!蛯名家のプロジェクトの八割は藤山家との協力で成り立ってるって知ってるでしょう。こんなことされたら、蛯名家全体が終わっちゃう!」歌織は全身を震わせながら這いつくばり、何度も頭を下げて許しを乞うた。「ごめんなさい、すみません、私が悪かった、全部私のせい、責めないで……大翔だって、私のこと好きだったんじゃないの?私たち、子供の頃からずっと一緒に育ってきたのに、こんな仕打ちできないよね!」あの可憐な被害者を装う仮面が、この瞬間ついに完全に砕け散った。彼女は形相を変え、目を血走らせながら怒鳴った。「愛夏ごときが、何様のつもり!?あなたの手の中のおもちゃに過ぎないくせに!あんな女のために、私にこんな仕打ちができるなんて!私こそが幼馴染で、将来あなたの妻になるはずなのに!私をこんなふうに扱う資格なんて……」ドンという大きな音とともに、大翔は歌織を蹴り飛ばした。歌織の体は数メー
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第19話

愛夏が知る限り、大翔は人一倍、世間体を気にする人間だった。カフェであれほどの屈辱を受けたのだから、もう二度と姿を見せることはないはずだった。けれど、まったく予想外だった。翌日、カフェの開店時間ぴったりに、大翔がまた入り口に立っていたのだ。周囲からは大勢の好奇の視線が注がれ、中には指をさして噂する者までいた。昨日の出来事を、みんなまだ覚えていたのだ。大翔なら、こんな扱いには耐えられないはずだった。けれど彼は、何も言わなかった。静かにブラックコーヒーとパンを一つずつ注文し、いつもの席に座った。一日中仕事の処理をしながら、ほとんど顔を上げることもなかった。同僚まで思わず感心してつぶやいた。「あの人、本当に面の皮が厚いね。あんなに噂されてるのに、まるで何事もなかったみたいに微動だにしないなんて」愛夏も意外だった。「彼、前は……あんな人じゃなかったのに」以前の彼なら、これほど大勢に指をさされるどころか、たった一人からちょっとした視線を向けられただけで、すぐに冷たい顔をしていたはずだった。そのせいで、愛夏自身もどう対応すればいいのか分からなくなってしまった。それから丸1週間、大翔は毎日同じことを繰り返した。コーヒーとパンを一つずつ頼み、一日中座り続ける。足首の怪我も、日に日に良くなっているようだった。愛夏はとうとうお手上げになり、思い切って仕事を辞めることにした。追い払えないなら、自分が避ければいい。ところが、大翔は今度は邸宅の前まで追ってきた。カフェに居座っていたのが、今度は邸宅の外のベンチに朝から晩まで座り込むようになった。母は呆れたようにつぶやいた。「あの子、本気であなたに許してもらう気ね」愛夏はそれを聞いても、冷めた様子で首を振るだけだった。「でも、私は絶対に許さない」愛夏は家から一歩も出ず、彼が外にいることなど知らないふりを続けた。そうこうするうちに5月になった。F国は、その年最大級の台風による猛烈な暴風雨に見舞われた。夕方5時から、雨粒は叩きつけるように激しく降り始めた。母は二階から外を見下ろし、不安げに言った。「愛夏、彼にどこかへ避難するよう言ったほうがいいんじゃない?テレビではこの暴風雨、何日も続くって言ってたわよ。あの子、ずっと外で座り込んでるつもりなの?何
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第20話

何度も記憶を失ってきたけれど、愛夏がこれほど穏やかな気持ちで大翔と向かい合って座るのは、初めてだった。彼女は温めた牛乳まで一杯、彼に差し出した。大翔はそのカップを落ち着かない様子で持ちながら、視線をさまよわせていた。「言いたいことがあるなら、遠慮せず言って」愛夏は静かに彼を見つめた。その瞳は驚くほど静かに凪いでいる。「これが、私たちが話す最後の機会になるかもしれないから」大翔の胸が、鉛のように沈んだ。彼ははっと顔を上げ、その目には怯えの色すら浮かんでいた。「愛夏、俺は……」いざ口にしようとすると、途端に言葉が乱れた。「歌織が今までお前をたくさん傷つけてきたことは分かってる。でも、本当に知らなかったんだ。それに俺があんなことまでしてしまったのは、お前を愛しすぎてたからだ。お前が俺のために嫉妬して、俺に夢中になって取り乱す姿が、見たかった……」そう言いながら、彼はうなだれ、自分の髪をつかんで激しく引っ張った。「愛夏、俺が悪かった。俺はクズだ。全部、俺のせいだ!あの写真の件も、もう会社の公式アカウントで声明を出して、お前の無実を証明した。今はもう、みんなお前が無関係だってことを分かってる。今はネットで俺が散々叩かれてるよ。見る目のない最低な男だってな」大翔はそう言いながら慌ててスマホを取り出し、その声明を表示させた。コメント欄には千件を超える書き込みがあり、そのすべてが大翔と歌織への非難で埋め尽くされている。彼は素早く画面をスクロールした。「ほら、これ見てくれ。見る目がない、自分の彼女を傷つけたって書いてある。これもだ。前にお前を中傷してたことを謝罪してる……」「は……もういいから」愛夏はため息をつき、うんざりした様子で彼を遮った。「そのコメント、私も全部見た。藤山家が今、蛯名家を潰しにかかってて、蛯名家が3日前に正式に破産を発表したことも知ってる。でもそのことは、私たちの関係には何の影響もない」愛夏は彼を見つめたまま、この上なく落ち着いた表情で言った。「大翔、私たちはもう完全に終わったの。これが最後になることを願ってる。言いたいことがあるなら言って。言い終わったら、帰っていいから」愛夏は手元のカップをテーブルに置き、立ち上がって歩き出した。強い力が突然、彼
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