「由紀江。俺は、お前を愛してる」その言葉が耳に届いた瞬間、私の胃が激しく収縮した。喉の奥から酸っぱいものが込み上げ、吐き気が全身を駆け巡る。病室の白い天井は、蛍光灯の冷たい光を反射してひどく明るく、目が痛いくらいだった。私はゆっくりと、自分のお腹に手を置いた。ふっくらとしていたはずのその場所は、今はただの平らな皮膚と骨だけ。私が守れなかった、小さな命の温もりは、もうどこにも残っていない。そして――もう一つ。龍斗さんを愛していた私も、そこにはいなかった。「だから、もう一度やり直そう」龍斗さんは泣いていた。目尻を真っ赤に腫らし、鼻をすすり上げながら、私の手を握ろうと必死に指を伸ばしている。病室の空気は消毒液の匂いと、古い空調の乾いた風が混じって、妙に冷え冷えとしていた。「今度は外に出さない」 「……」「お前が逃げたいと思わないように、俺が全部変える」その言葉に、私の身体が小さく強張った。指先が微かに震え、シーツを握りしめる。この人は、まだ何もわかっていない。私は「逃げたい」のだ。あなたから。あなたのいる、あの暗い家から。あなたの妻として生きてきた、息の詰まるような人生から。「だから……帰ってこい」私はしばらく、龍斗さんを見つめた。涙に濡れたその顔は、本気で私を愛しているのだろう。だからこそ、もう戻れないのだと、胸の奥で静かに確信する。「……龍斗さん」「なんだ?」「私、もうあなたの妻じゃありません」「……え?」龍斗さんの顔から、みるみる血の気が引いていく。唇が半開きのまま、言葉を失ったように動かなくなる。「何を言ってるんだ。俺たちは夫婦だろ」「もう違います」「由紀江……」「子どもも、もういません」龍斗さんが黙った。病室に、時計の秒針の音だけが不気味に響く。私はお腹に添えていた手を、ゆっくりと下ろした。空になったその感触が、指先にまで沁みる。「それから――」自分でも驚くほど、声は静かだった。感情をすべて凍らせたような、澄んだ声。「あなたを愛していた私も、もういません」「……」龍斗さんは何も言えなくなった。けれど、すぐに何かを思い出したように、病室の隅に置かれた紙袋を慌ただしく持ってくる。中から次々と出てきたのは、高級なバッグ、光を反射する宝石、そして冷たい金属の指輪。どれも、これまで私が泣くたびに、黙って差しだされて
最終更新日 : 2026-08-23 続きを読む