第十話 信長と龍之介 明智光秀が毛利攻めへ向かうために本能寺を出ると、謁見の間には織田信長と龍之介が残された。 信長は光秀が去っていった方へしばらく視線を向けていたが、やがて龍之介へ向き直った。「さて、中納言殿。儂は以前から、一度そなたと腹を割って話してみたいと思っておりました」「それは奇遇ですな。それがしも、安土様とは一度、ゆっくりお話をしてみたいと思っておりました」「では、茶室へ場所を移しましょう。蘭丸、茶室の支度はできておるか?」 信長が声をかけると、襖の外で控えていた森蘭丸が、間を置かずに返事をした。「はっ。すでに整っております」 蘭丸は、信長が龍之介と二人で話すために茶室へ移ることを予想し、謁見が始まる前から準備を進めていたらしい。 信長が細かな指示を出すより先に、その意図を読み取って動く。蘭丸が小姓として寵愛されているのは、容姿が美しいからだけではなく、主人の考えを先回りできる有能さを備えているからなのだろう。「中納言様、こちらでございます。茶室までご案内いたします」 龍之介は信長に続いて立ち上がると、蘭丸の案内で本能寺の庭へ出た。 庭園の一角に、周囲の景色へ溶け込むように小さな茶室が設けられていた。 建物そのものは質素で、華美な彫刻や金銀の飾りは見当たらない。しかし、庭の石や木々との釣り合いが見事に整えられ、窓からは季節の草花を借景として楽しめるよう工夫されている。限られた空間の中へ自然の美しさを取り込む造りには、武将としてだけでなく、文化人としても優れた感性を持つ信長の才能が表れていた。 龍之介と信長は、身体をかがめなければ通れない狭い躙り口から茶室へ入った。 室内に入ったのは二人だけであり、森蘭丸は外で待機している。わずかな物音にも対応できる位置にはいるが、二人の会話を邪魔することはなかった。 茶室の中には畳と土壁の落ち着いた香りが漂い、庭から聞こえる鳥の声と、時折風に揺れる葉の音だけが、静かな空間へ届いていた。 信長は龍之介の前へ座ると、自ら茶を点て始めた。
Last Updated : 2026-09-04 Read more