All Chapters of 6年待った聖夜に、恋を終わらせた: Chapter 1 - Chapter 9

9 Chapters

第1話

「いいよ」考えるより先に、その言葉が口をついて出た。沙耶は目を丸くした。「瑞希、もしかして怒った?冗談だってば」慎一の顔がすっと険しくなった。「瑞希、何をムキになってるんだ。沙耶は冗談で言っただけだろ。いくらなんでも、『いいよ』はないだろ」冗談?この6年、クリスマスイブになるたび、慎一は沙耶と2人で出張していた。その一方で、恋人であるはずの私は、6年もの間、職場の新人たちにずっと独身だと思われてきた。少なくとも私には、笑って流せるような話じゃなかった。私は呆然と慎一を見つめた。慎一は私が意地を張っているだけだと思ったらしく、沙耶のキャリーケースを引くと、振り返りもせず空港の中へ入っていった。沙耶は申し訳なさそうに私を抱きしめた。「瑞希、怒らないでね。慎一って昔からあんな感じでしょ。私たちがいない間も、ちゃんとご飯食べて、無理しないでね」そう言うと、沙耶は慎一を追いかけていった。そして慎一に追いつくなり、その腕に勢いよく飛びついた。2人の後ろ姿を見ていると、遅れて鼻の奥がつんとした。タクシーで会社に戻ると、私たちが付き合っていることを知る同僚たちが、そろって同情するような目を向けてきた。ぼんやりしたまま仕事を終え、家に帰るとスマホが鳴った。慎一は、出張中の予定はちゃんと連絡すると言っていた。慎一からだと思い、よく見もせず通知を開いた。けれど、表示されたのは沙耶のインスタの投稿だった。【クリスマスだからって、みんなホテル取りすぎ!どこも満室で、出張中の社畜2人はダブルルームに泊まる羽目になりました!】【変に誤解されたくないから、証拠写真も載せとく!】写真では、ダブルベッドが真ん中に並べられたバラの花びらで2つに仕切られていた。沙耶は両足を上げてベッドにうつ伏せになっていて、そのつま先は、花びらの境界の向こうに座る慎一の肩に触れそうなほど近かった。コメント欄には、意味深なニヤニヤ顔の絵文字がいくつも並んでいた。中には、「このまま慎一とくっついちゃえば?」なんてコメントまであった。沙耶は何も返していなかった。その投稿に真っ先に「いいね」をつけたのは慎一だった。けれど、私には何の説明もなかった。私はしばらく、その画面を見つめていた。慎一から来るはずだった
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第2話

慎一とクリスマスを過ごせる日を待ち続けて、もう6年になる。毎年デートプランを考えてきたけれど、6年も経てば、私の我慢も期待ももう残っていなかった。それでも、最後にちゃんと答えだけは聞きたかった。通話が切れる直前、慎一は冷たく言った。「自分のことは、自分で考えろ」まただ。私のことはいつもこうして突き放すくせに、沙耶に何かあれば、慎一は必ずそばにいる。子どもの頃からずっと一緒だったぶん、そう簡単には気持ちを切り替えられなかった。胸が痛くてたまらないのに、それでもスマホを手放せず、沙耶のインスタが更新されるたび、また開いてしまった。写真には、沙耶に指で口角を持ち上げられ、無理やり笑顔にされている慎一が映っていた。それを見たら、涙が出たのに、なぜか笑えてしまった。慎一も、ちゃんとクリスマスを楽しめる人だったんだ。慎一とクリスマスを過ごすことは、そこまでありがたがって待つようなものじゃなかった。私だけが、いつかはと期待して待ち続けていただけだった。深夜、沙耶が「今年のクリスマスはこれでおしまい」と投稿したのを見て、私はスマホを伏せてパソコンを開いた。3日前からメールに届いていた海外の研究所への申請書類を初めて開き、署名欄に自分の名前を書き込んだ。沙耶の言う通り、何年も1人で過ごすクリスマスには、もううんざりだった。慎一の出張は7日間だった。その間に私は少しずつ1人の生活に慣れていった。ずっと慎一ばかり追いかけてきたけれど、足を止めてみてようやく、私の人生に慎一が絶対に必要なわけじゃないのかもしれないと思えた。7日目、疲れ切って家のドアを開けた私は、その場に立ち尽くした。玄関から先は、目に入るところすべてがひどく散らかっていた。その奥の寝室からは、慎一の優しい声が聞こえてきた。「ゆっくり食べろ。誰も取らないから」寝室まで行くと、私のベッドに寝転がってポテトチップスを食べる沙耶と、その横で沙耶のアイスを持っている慎一がいた。冷えたカップについた水滴が、薄いピンクの掛け布団にぽたぽた落ちている。一瞬、息が詰まり、耳鳴りまでしてきた。私がひどい潔癖症なのを、慎一は知っていた。それなのに慎一は笑いながら沙耶にティッシュを渡し、服を汚すなよと言っただけだった。沙耶がポテトチップスの食べかすを何気なく私のベッドに払
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第3話

壁の向こうには、ほの暗い部屋がぽっかりと広がっていた。まるで、何もかも呑み込もうとする怪物の口みたいだった。慎一は私より先にリフォーム業者のところへ行き、何やら話し始めた。沙耶は満面の笑みを浮かべた。「瑞希、慎一と一緒に業者に頼んで、この部屋と隣をつなげてもらったの。これでいつでも遊びに来られるよ。嬉しいでしょ?」思わず手が震えた。ここは私の家で、私の寝室だ。それなのに2人は、私の知らないところで、寝室と隣の部屋を隔てる壁を勝手に壊していた。次は何?そのうち2人で婚姻届でも出すつもり?「慎一、この壁、元に戻してもらって……」言い終わらないうちに、慎一のスマホが鳴った。慎一は人差し指を口元に当て、そのまま背を向けて電話に出た。私は反射的に口をつぐんだ。何年も慎一の仕事を何より優先してきたせいで、こうして黙ることがもう癖になっていた。その途端、沙耶はさっきまでの笑顔を消し、私の耳元で声を潜めた。「瑞希、慎一が私のために買ってくれた部屋に、何があると思う?」私の顔がこわばると、沙耶は小さく笑った。「瑞希も慎一も身寄りがないでしょ。瑞希じゃ、慎一の望むものを全部叶えてあげられないよ。だから私に譲って。そうしたら、これからも3人で仲良くしていけるじゃない」耳を疑った。大学の頃、沙耶は、私には才能があるのに埋もれたままなのはもったいない、これからずっと支えていくと言ってくれた。親友の彼氏に手を出すようなことだけは絶対にしないとも言っていた。それなのに今は、何のためらいもなく慎一を譲れと言っている。問いただす間もなく、電話を終えた慎一が戻ってきた。「瑞希はここに残って、工事の様子を見ててくれ。俺と沙耶は取引先のパーティーに行ってくる」私が問い詰めるより早く、慎一はもう背を向けていた。沙耶は慎一の腕に絡みついたまま、私に手を振った。「瑞希、スマホ、テーブルで充電してるから、充電器から外しといてね」2人が出ていくと、部屋から話し声が消えた。残ったのは、低い音を響かせる工事の機械と私だけだった。しばらくその場に立ち尽くしたあと、私は壊された壁を越えて隣の部屋へ入った。窓から差し込む陽射しが、ベッド脇のテーブルを照らしていた。そこには、6年前のクリスマスに私が慎一へ贈ったブレスレットが
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第4話

そのメッセージを見た瞬間、胸の奥がすっと冷えて、感覚までなくなっていくようだった。この6年、クリスマスになるたび慎一が優先していたのは仕事じゃなかった。沙耶との約束だった。毎年「今年こそは」と待ち続けていた自分が、急に馬鹿みたいに思えた。その日の深夜、慎一はすっかり酔いつぶれた沙耶を抱えるようにして帰ってきた。私は明かりもつけず、リビングのソファに座っていた。慎一は沙耶をゲストルームに寝かせると、リビングの明かりをつけ、私の隣に腰を下ろして腕を回してきた。私がここで待っているのが当たり前だとでも思っているような、あまりにも自然な仕草だった。「もうすぐ届くぞ。お前の好きなラーメン、頼んどいた」少し酔っているせいか、慎一は鼻にかかった声で、これから先、2人でどう過ごしていきたいかを珍しく楽しそうに話していた。その時間だけは、今も変わらず私だけを愛してくれているような気がして、胸の奥がほんの少し揺れた。それでも私は、その気持ちを抑えて静かに切り出した。「慎一、寝室の壁なんだけど……」けれど私が言い終わる前に、慎一の顔つきが一気に冷たくなった。「そんなこと気にしてる暇があるなら、もう少し仕事に集中しろ。そうしてれば、急に担当を外されることもなかっただろ」私は慎一の目をじっと見た。その一言で、さっきの迷いもきれいに消えた。そのとき、スマホの通知音が鳴った。慎一は眉をひそめた。「また仕事か?瑞希、何度言えば分かる。仕事は最優先だ。定時までに仕事を終わらせられず、毎日のように残業してたら、そのうち会社に見限られるぞ……」私はそれ以上聞かず、パソコンを抱えて書斎に入り、内側から鍵をかけた。さっきの通知は、海外の研究所から届いた面接の連絡だった。慎一はそれを知らない。私にとっては、遠い国へ行き、慎一とはもう二度と会わない人生が始まる合図でもあった。その夜、私は書斎でオンライン面接を受けた。面接をしている間も、リビングからは沙耶が慎一をなだめる声が聞こえていた。それから数日、私は1人で渡航に必要な書類をそろえ、仕事の引き継ぎも進めた。家にも帰らなかった。少しずつ慎一から離れ、自分の生活から彼を切り離したかった。出発するまで、もう慎一と顔を合わせることもないと思っていた。そんなある日、慎一が私
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第5話

「慎一、私にプレゼントを渡すのは忘れるのに、沙耶のうどんは7割くらいで上げてもらうって、ちゃんと覚えてるんだね」あのラーメンだって、沙耶のうどんを買いに行ったついでに、近くの店で買ってきただけだった。そう思った途端、急に吐き気がこみ上げた。胃の中をかき回されるような気持ち悪さに耐えきれず、慎一の返事も待たずにトイレへ駆け込み、胃が空になるまで何度も吐いた。しばらくすると、慎一の声がした。「瑞希、俺は先に沙耶とパーティーに行ってくる。あとは自分で何とかしてくれ。帰ったらちゃんと話す」やがて、2人の足音が遠ざかっていった。私は慎一にメッセージを送った。【今日、施設長のお墓参りに付き合って。それが終わったら、別れよう】しばらくして返信が来た。【墓参りくらい、自分で行ってくれ】続けて、もう一通届いた。【すぐ別れるとか言うな。仕事が終わったら、明日一緒に行く】明日なんて、もう私たちにはないのに。私が乗るのは、今夜8時半の便だった。……施設長のお墓に着くと、これまでのことが次々と思い出された。墓石のまわりに生えた雑草を一本ずつ抜き、持ってきた花を供えた。こらえていた涙がこぼれそうになり、花の上に落ちる前に慌てて拭った。「先生……私、間違ってた。あのとき、どうして言うこと聞かなかったんだろう。もっと強く引っぱたいてでも、止めてもらえばよかった」声を押し殺そうとしても、涙は止まらなかった。あの頃の私は、慎一と一緒にいることを選んで、国内トップクラスの企業からもらっていた内定を断った。施設長は杖をついて、わざわざ都会まで私に会いに来てくれた。恋人のために自分の仕事を諦めるな、と何度も説得してくれた。身寄りのない私たちは、ここまで来るだけでも十分苦労してきた。だから、自分から人生を台無しにするようなことだけはするな、と。施設長があんなに怒ったのを見たのは、あれが初めてだった。それでも、私は聞かなかった。大学を出たばかりの私は世間知らずで、どうしようもなく甘かった。沙耶との友情も、慎一からもらった愛情も、仕事やお金なんかよりずっと大切で、何より確かなものだと信じていた。今になって思えば、笑ってしまうくらい馬鹿だった。気づけば、もう夜7時半だった。長いあいだ墓前に座り、これまでの
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第6話

「あの日、瑞希にスマホを充電器から外しておいてって頼んだよな。あれ、本当にそれだけだったのか?隣の部屋、もうとっくに改装は終わってたんだろ? それなのに、なんで一度も俺を入れなかった?俺が頼んだのは、ブレスレットを返してくれってことだけだ。なのに、なんでわざと隠したんだ?何するつもりだったんだ」矢継ぎ早に聞かれ、沙耶の顔からみるみる血の気が引いていった。「沙耶、俺たちがどういう関係か、忘れるな」そう言うと、慎一は沙耶の返事も待たずに立ち上がり、緑色のドアを開けて隣の部屋へ入った。部屋の中を見た途端、慎一の顔色が変わった。そこに並んでいたのは、以前、沙耶に処分を任せたはずの慎一の古い持ち物ばかりだった。私がこの部屋を見たとき、どんな気持ちだったのか。慎一は考えようとしただけで、胸が詰まりそうになった。あの夜、私が寝室の壁のことを切り出したときの表情も蘇った。今になって思えば、あのときの私は、傷ついた気持ちを必死に押し殺していたように見えた。それなのに、慎一は何と言った?そんなことを気にする暇があるなら、もっと仕事に集中しろと、私を責めた。あのときスマホに届いたのが海外の研究所からの受け入れ決定だったとも知らず、仕事を終えられず、また残業しているだけだと決めつけた。あの夜、閉ざされた書斎の中で、私がどんな気持ちでいたのか。慎一は今さら、それを想像することさえ怖かった。慎一は振り返り、後から入ってきた沙耶を見た。「寄付したって言ってた物が、なんで全部ここにある?服まで残して、お前がどうするつもりだったんだ?」沙耶は一瞬言葉に詰まり、目をそらした。けれどすぐに開き直ったように顎を上げた。「私が持ってきたの。だから何?これを使って瑞希を追い出した。それの何が悪いの?お金なら払う。それでいいでしょ?」慎一の目が赤く血走った。「瑞希がいないなら、金なんかいらない」沙耶は鼻で笑った。「もうやめてよ。今さら傷ついたみたいな顔して、何なの?全部私のせいにするつもり?慎一が私のことを本当に何とも思ってなかったなら、私だってここまで好き勝手できなかったでしょ?」沙耶はさらに畳みかけた。「最初の約束、忘れた?5年間、私の言うことを何でも聞く。その代わり、契約が終わったら20億円を渡す。そういう条件
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第7話

私は屋上のフェンスにもたれたまま、何も言わなかった。慎一は少し離れたところで足を止め、低い声で言った。「会社の海外拠点も提携先も、思い当たるところは全部回った。やっと瑞希を見つけたんだ。少しでいいから、話を聞いてくれ」思わず慎一を見返した。もう私を愛していないのなら、どうしてそこまでして探しに来たのだろう。「あの服は、沙耶が支援団体に寄付するって言うから渡しただけなんだ。ほかに意味はない」慎一は焦ったように言葉を続けた。「ブレスレットだって、パーティーのときに服に合わないから外してって言われて、それで一時的に預けただけだ。ラーメンは本当にお前のために買いに行った。沙耶のうどんは、そのついでだったんだ。プレゼントを渡し忘れたのも、あの頃は仕事が忙しすぎたからで……でも、全部俺たちの将来のためだったんだ!」思わず慎一を見つめた。目には涙が滲んでいるのに、口元には冷たい笑みが浮かんだ。「沙耶をずっと優先してきたことまで、私たちの将来のためだったって言うの?」「本当だ。瑞希、これを見てくれ」慎一は慌ててスマホを取り出した。「これが5年前に沙耶と交わした契約だ。それから、こっちも……ずっと貯めてきたんだ。全部、俺たちがこの先一緒に暮らしていくために」差し出された画面には、慎一と沙耶が交わした契約書が映っていた。続いて見せられた口座の明細には、貯金するたびに、何のためのお金なのか慎一自身のメモが残されていた。私と暮らす家のため。ウェディングドレスのため――そんなふうに、どれも私との将来を考えて貯めてきたことが分かるものばかりだった。そして一番新しいのは、3か月前に振り込まれた20億円だった。そこにも、私とこの先ずっと安心して暮らしていくためだと書かれていた。目頭が熱くなり、こらえていた涙が頬を伝った。それを見た慎一の顔がぱっと明るくなった。私が許したと思ったのか、迷いもなく近づいてきて、いつものように私を抱きしめようとした。「瑞希……悪かった。もう二度とこんなことはしない。だから、許してくれ」私は咄嗟に身をかわし、その腕から逃れた。慎一は伸ばした腕を宙に止めたまま、みるみる表情をこわばらせた。私は頬の涙を拭った。「慎一、今さら説明されても、愛してるって言われても遅いよ。もう何
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第8話

「瑞希、お前……その人は……?」少し離れたところから歩いてきた慎一は、信じられないものでも見るように私たちを見つめていた。婚約者が「知り合い?」とでも言いたげにこちらを見た。私は試着していた指輪を外してから、慎一に目を向けた。「前に付き合ってた人。うちの会社の相川部長」それから慎一にも紹介した。「こっちは私の婚約者。研究所の提携先に勤めていて、大学の先輩でもある南条晃(なんじょう あきら)」晃は慎一をひと目見て、ふっと笑った。「瑞希、昔はずいぶん見る目がなかったんだな」「そういうこともあるよ。優しくされたら、見えなくなることだってあるから」私は苦笑した。慎一の表情が一気にこわばった。私と晃を交互に見つめるうちに、目に浮かんだ驚きや焦りは、やがて絶望へと変わっていった。「瑞希、嘘だろ?俺たち、まだ別れてないよな?それなのに、なんで婚約者がいるんだ。いつ婚約したんだよ?」慎一が手を伸ばしかけたので、私は少し下がってその手を避けた。「慎一、私たちはもう別れてるよ。最後のメッセージを送ったあの日に、もう終わってたの。あなたは、そう思ってなかったみたいだけど」その言葉で、慎一も思い出したらしい。施設長のお墓参りに付き合ってほしいと、私があの日送ったメッセージを思い出した途端、顔色がさっと変わった。「瑞希、行きたくなかったわけじゃない。あのときは仕事があって、それで……」けれど、そこから先は続かなかった。あのパーティーは、断ろうと思えば断れた。沙耶との契約だって、その時点でもう終わっていた。それでも慎一は、沙耶を優先することに慣れきっていた。そしてそれを繰り返すうちに、気持ちまで少しずつ沙耶へ向いていた。「あの日、私がトイレで吐き続けてたの、覚えてる?あなたは様子を見に来ることもなく、沙耶と出ていったよね。それでも私を愛してたって言える?」私は静かに尋ねた。慎一は何も言えず、唇だけがかすかに震えた。「本当に悪かった。瑞希、もう一度だけ……許してもらえないか」「私が潔癖症だって知ってたのに、沙耶が私のベッドでポテトチップスを食べても止めなかった」「ごめん、瑞希……」「私へのプレゼントは忘れたのに、沙耶のうどんの茹で加減は覚えてた」慎一はまた、消え入りそうな声で謝った。「
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第9話

【宮本家令嬢、男性部下に巨額送金、抱擁やデートの見返りか】【婚約間近の男性部下に接近、宮本家令嬢に批判殺到】大きな見出しが、嫌でも目に飛び込んできた。記事を開くと、沙耶が慎一にいくら払い、その見返りに何を求めていたのかが細かく書かれていた。抱きしめてもらうだけで2000万円、深夜に川沿いの夜景を見に行くのに付き合ってもらうだけで1000万円。そんなやり取りが、いくつも並んでいた。……似たようなやり取りが次々と明るみに出て、沙耶は一気に世間の非難を浴びた。コメント欄も荒れていた。「こんな男なら私もお金払いたい」と面白がる人もいれば、「お金持ちの世界、さすがに怖すぎる」と呆れる人もいた。表向きは、ただの炎上騒ぎに見えた。けれど、これで沙耶が宮本家での居場所を失ったことくらいは分かった。どうやら慎一は、すべてを公にして、沙耶とのことに決着をつけるつもりだったらしい。記事を眺めていると、これまで慎一が沙耶に向けてきた優しさが次々と思い出された。今さらすべてをさらしたところで、私への謝罪だとは思えなかった。むしろ、見ているだけで気分が悪くなった。「瑞希、まだかかりそう?」控室に入ってきた晃は、白いドレス姿の私を見るなり目を輝かせた。本当に見惚れているらしく、まっすぐ向けられた視線に思わず頬が熱くなった。私はスマホの画面を見せながら答えた。「ちょっとニュース見てただけ。ねえ晃、今日は婚約パーティーでしょ?こんなちゃんとしたドレスまで着なくてもよくない?」晃は私の手を取り、指先につまんでいた婚約指輪を左手の薬指にはめると、優しく目を細めた。「せっかく瑞希が主役なんだから。ちゃんと一番いいものを着てほしいんだよ」そんなことをさらっと言われて、また頬が熱くなった。婚約パーティーは予定どおり開かれ、それをきっかけに、私と宮本グループの関係も、雇われる立場から対等なパートナーへと変わった。その席で、社長は沙耶のことで迷惑をかけたと私に直接謝り、今後は二度と私の前に現れないようにすると約束してくれた。私は何も返さなかった。今さら許すかどうかを考える気にもならなかった。過ぎたことを、もうわざわざ振り返りたくなかった。それから数日後。研修先から戻り、会社に入ったところで、聞き覚えのある声
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