そう言い残して、私は振り返り、そのまま歩き出す。背後で、椅子が倒れる音がする。拓海が市役所から飛び出し、私の手首を掴む。「葵、どういうつもりだ?」私は振り返る。拓海の手には、さっき受け取ったばかりの婚姻届受理証明書がある。その後ろには優菜が立っている。さっきまで浮かべていた笑みは、すっかり固まっている。「あなたが言ったんでしょう?」私は手を振りほどく。「大人なら、ちゃんと自立しろって」拓海は眉間に深い皺を寄せる。「自立しろと言っただけで、こんな時に取り乱せって言ったわけじゃない。ただの賭けだろ。婚姻届を出しただけだ。一か月後には優菜と離婚する。俺たちが結婚するのに、何の問題がある?」私は拓海を見つめ、ふいに可笑しくなる。拓海は優菜と、これまで何度も賭けをしてきた。そのたびに、私をその場に置き去りにする。そのたびに、「ただの冗談だ」と言う。それでも私は、何度も信じていた。いつか、彼は私のもとへ戻ってくると。けれど今日、また優菜の肩を抱き、何の迷いもなく笑う拓海を見てしまった。まるで、私が三年間待ち続けた結婚さえ、いつでも一時停止できる遊びだったかのように。私はスマホに目を落とす。ちょうど病院から支払いの催促が届いている。【小松様、お母様の手術費用がまだ確認できておりません。至急、お支払いをお願いいたします】母は昨日、ICUに入った。医師からは、今日中に手術を受けなければならないと言われている。必要な費用は、およそ七百万円。昨日、私は拓海の前に跪き、金を貸してほしいと頼んだ。彼は価値だの、見返りだのと言い出した。その直後、振り返って優菜に七千万円を振り込んだ。あのとき、私は思わず聞いた。どうして、と。拓海は説明することすら面倒そうに、ただこう言った。優菜の事業には将来性がある。でも、私の母の病気には先が見えない。どれだけ金をつぎ込んでも終わりが見えない、底なし沼だと。今になって思えば、拓海に金がなかったわけじゃない。人を助けられなかったわけでもない。ただ、私を助けたくなかっただけだ。私は顔を上げ、拓海を見る。「安心して。あなたたちの邪魔はしない。あなたの結婚も、会社も、お金も、もう何もいらない」拓海の目が険しくなる。「葵、お前はいったい何を
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