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母が危篤になった日、彼氏は親友に七千万円を渡した

母が危篤になった日、彼氏は親友に七千万円を渡した

作家:  トウモロコシ88完了
言語: Japanese
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概要

切ない恋

クズ男

愛人

親友

後悔

妻を取り戻す修羅場

不倫

婚姻届を出す日。私、小松葵(こまつ あおい)が市役所に駆けつけたときには、彼氏の黒瀬拓海(くろせ たくみ)と親友の橋本優菜(はしもと ゆうな)の二人は、すでにそれぞれ婚姻届の受理証明書を手にしている。 優菜は嬉しそうに拓海の肩に寄りかかっている。 「私、賭けに負けちゃったから、先に拓海と結婚することになったの。一か月後には離婚するから。二人の邪魔はしないよ」 拓海は彼女の肩を抱きながら、冗談も通じないのかと私を笑う。 けれど、彼は忘れている。母が集中治療室に運ばれたとき、私は手術費を貸してほしいと彼に頼んだ。 なのに彼は言った。「俺は商売人だからな。いつだって価値と見返りを考える。お前に金を貸して、俺に何の得がある? それに、俺の金は慈善事業じゃない。大人なら、ちゃんと自立しろ」 そう言った直後、彼は優菜に七千万円を振り込んだ。 「好きに使えよ。起業の練習だと思えばいい。もし失敗しても、俺が全部引き受ける」 山登りも、旅行も、プロポーズも、そして結婚まで。拓海は何度も優菜との賭けを楽しみ、そのたびに私を置き去りにした。 私が泣きわめくこともなく、ただ静かに立っているのを見て、拓海は満足そうに頷く。 「それでいい。聞き分けがよくなったじゃないか。ほら、一緒に飯でも食って祝おう」 私は二人を押しのけ、ずっと前に署名を済ませていた別れの書類を拓海に差し出す。 「もういいよ。 あなたが教えてくれた自立って、もうあなたのお金を頼らないこと。あなたとの結婚を待たないこと。そして、あなたを必要としないことだから。 二人とも、末永くお幸せに」

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第1話

第1話

そう言い残して、私は振り返り、そのまま歩き出す。

背後で、椅子が倒れる音がする。

拓海が市役所から飛び出し、私の手首を掴む。

「葵、どういうつもりだ?」

私は振り返る。

拓海の手には、さっき受け取ったばかりの婚姻届受理証明書がある。その後ろには優菜が立っている。さっきまで浮かべていた笑みは、すっかり固まっている。

「あなたが言ったんでしょう?」私は手を振りほどく。「大人なら、ちゃんと自立しろって」

拓海は眉間に深い皺を寄せる。

「自立しろと言っただけで、こんな時に取り乱せって言ったわけじゃない。

ただの賭けだろ。婚姻届を出しただけだ。一か月後には優菜と離婚する。俺たちが結婚するのに、何の問題がある?」

私は拓海を見つめ、ふいに可笑しくなる。

拓海は優菜と、これまで何度も賭けをしてきた。

そのたびに、私をその場に置き去りにする。

そのたびに、「ただの冗談だ」と言う。

それでも私は、何度も信じていた。いつか、彼は私のもとへ戻ってくると。

けれど今日、また優菜の肩を抱き、何の迷いもなく笑う拓海を見てしまった。

まるで、私が三年間待ち続けた結婚さえ、いつでも一時停止できる遊びだったかのように。

私はスマホに目を落とす。

ちょうど病院から支払いの催促が届いている。

【小松様、お母様の手術費用がまだ確認できておりません。至急、お支払いをお願いいたします】

母は昨日、ICUに入った。

医師からは、今日中に手術を受けなければならないと言われている。必要な費用は、およそ七百万円。

昨日、私は拓海の前に跪き、金を貸してほしいと頼んだ。

彼は価値だの、見返りだのと言い出した。その直後、振り返って優菜に七千万円を振り込んだ。

あのとき、私は思わず聞いた。どうして、と。

拓海は説明することすら面倒そうに、ただこう言った。優菜の事業には将来性がある。でも、私の母の病気には先が見えない。どれだけ金をつぎ込んでも終わりが見えない、底なし沼だと。

今になって思えば、拓海に金がなかったわけじゃない。

人を助けられなかったわけでもない。

ただ、私を助けたくなかっただけだ。

私は顔を上げ、拓海を見る。

「安心して。あなたたちの邪魔はしない。

あなたの結婚も、会社も、お金も、もう何もいらない」

拓海の目が険しくなる。

「葵、お前はいったい何をそんなに意地になってるんだ?」

私は答えず、振り返ってタクシーを一台止める。

背後から拓海の声が飛んでくる。

「手術費、まだ用意できてないんだろ?」

私は足を止める。

拓海が追いついてくる。その口調には、確信めいた響きがあった。

「今ならまだ間に合う。あの書類を破棄すれば、俺たちの間で何だって話し合える」

私は拓海を見る。

それが、彼の自信の根拠なのだ。

私には金がない。私には彼から離れられない。母がまだ病院のベッドにいる限り、私は本気で彼のもとを去ることなどできない。拓海は、そう思い込んでいる。

けれど、彼は知らない。三年前、拓海が会社を立ち上げるために、私は自分が開発した最初の医療リスク管理システムを彼に渡した。

私に能力がなかったわけじゃない。

ただ私はかつて、自分の持っているすべての力を、拓海の夢を実現するために使っていただけだ。

「拓海」

私は静かに言う。

「大丈夫。自分で何とかするから。そして、明日、あなたに一つ贈り物が届くよ」

拓海が眉をひそめる。

「贈り物?」

私はもう答えず、そのままタクシーに乗り込む。

ドアが閉まる瞬間、優菜が歩み寄り、拓海の腕に自分の腕を絡めるのが見えた。

彼女は手にした婚姻届受理証明書を見下ろし、口元にわずかな笑みを浮かべている。

私は視線を逸らし、長い間連絡を取っていなかった人物に電話をかける。

電話が繋がる。「葵さん?」

「私が開発した医療リスク管理システムを、研究機関にライセンス提供したい」

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主人公は痛い思いをしたけど、彼がつくすに値しない男だとわかってよかったと思う。入籍の日に女友達との賭けでその子と入籍し、その子に投資しなんでも買ってあげ、彼女からは創業資金も会社のコアシステムも何もかも犠牲にさせて、母親の手術費用さえ費用対効果が悪いからと貸してくれない。人の命を投資対象のようにいうところが、すでに愛情なんてないってこと。彼女の認可も決裁も偽造して会社を取り上げて、彼女の力を弱めてそばに置く。新しい女は若くて見栄えもいいから盛り上げて籍も入れて、飽きるまでは横に置いておく。だけど彼女が有能であるが故に横に並んで負けたくないから結婚しない。身勝手すぎる男の理屈。
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第1話
そう言い残して、私は振り返り、そのまま歩き出す。背後で、椅子が倒れる音がする。拓海が市役所から飛び出し、私の手首を掴む。「葵、どういうつもりだ?」私は振り返る。拓海の手には、さっき受け取ったばかりの婚姻届受理証明書がある。その後ろには優菜が立っている。さっきまで浮かべていた笑みは、すっかり固まっている。「あなたが言ったんでしょう?」私は手を振りほどく。「大人なら、ちゃんと自立しろって」拓海は眉間に深い皺を寄せる。「自立しろと言っただけで、こんな時に取り乱せって言ったわけじゃない。ただの賭けだろ。婚姻届を出しただけだ。一か月後には優菜と離婚する。俺たちが結婚するのに、何の問題がある?」私は拓海を見つめ、ふいに可笑しくなる。拓海は優菜と、これまで何度も賭けをしてきた。そのたびに、私をその場に置き去りにする。そのたびに、「ただの冗談だ」と言う。それでも私は、何度も信じていた。いつか、彼は私のもとへ戻ってくると。けれど今日、また優菜の肩を抱き、何の迷いもなく笑う拓海を見てしまった。まるで、私が三年間待ち続けた結婚さえ、いつでも一時停止できる遊びだったかのように。私はスマホに目を落とす。ちょうど病院から支払いの催促が届いている。【小松様、お母様の手術費用がまだ確認できておりません。至急、お支払いをお願いいたします】母は昨日、ICUに入った。医師からは、今日中に手術を受けなければならないと言われている。必要な費用は、およそ七百万円。昨日、私は拓海の前に跪き、金を貸してほしいと頼んだ。彼は価値だの、見返りだのと言い出した。その直後、振り返って優菜に七千万円を振り込んだ。あのとき、私は思わず聞いた。どうして、と。拓海は説明することすら面倒そうに、ただこう言った。優菜の事業には将来性がある。でも、私の母の病気には先が見えない。どれだけ金をつぎ込んでも終わりが見えない、底なし沼だと。今になって思えば、拓海に金がなかったわけじゃない。人を助けられなかったわけでもない。ただ、私を助けたくなかっただけだ。私は顔を上げ、拓海を見る。「安心して。あなたたちの邪魔はしない。あなたの結婚も、会社も、お金も、もう何もいらない」拓海の目が険しくなる。「葵、お前はいったい何を
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第2話
「それは、お母さんが残してくれた最後の研究成果で、絶対に手放さないって言ってなかったか?」「売るのは使用権だけ。所有権は渡さない」私は少し間を置いてから言う。「ただ、すぐにお金が必要なの」電話の向こうで、しばらく沈黙が続く。「何があった?」「母が手術を受けるの」教授の菅野真生(すがの まさき)はそれ以上聞かなかった。ただこう言う。「今すぐ経理に連絡する。早ければ二時間以内に、まずは初回のライセンス料を振り込める」私は目を閉じ、小さく「ありがとう」と呟く。二時間後、私はお金を手に、病院へ駆けつける。救急処置室の前に座り、手のひらは冷や汗でびっしょりだ。そのとき、スマホが鳴る。拓海からだ。私は出ない。すぐにメッセージが届く。【もう気が済んだか?】続けて、もう一通。【夜になったら帰ってこい。何もなかったことにしてやる】私はその二つのメッセージを見つめ、ゆっくりとトーク履歴を削除する。そしてメールを開き、拓海の会社宛てに正式なお知らせを送る。【中核技術のライセンス契約先による重大な契約違反を確認したため、医療リスク管理システムの使用許諾を終了します。72時間後をもって、ライセンスは正式に失効します】病院の廊下は、青白い照明に照らされている。それなのに私は、胸の奥が少しだけ軽くなった気がした。ほどなくして、拓海から電話がかかってくる。私は電話に出るが、何も言わない。拓海は怒りを押し殺した声で言う。「会社に送ったお知らせ、どういう意味だ?」「書いてある通りだけど」「葵。あのシステムは三年前から会社にライセンスしてるんだぞ。今になって突然使用を止めたら、会社がどれだけ損害を被るか分かってるのか?」「分かってる」「分かってて、こんなことをするのか?」私は、固く閉ざされた手術室の扉を見る。「商売をするなら、価値と見返りを考えろって言ったのは、あなたでしょう?優菜に七千万円渡して、好きに使わせたときだって、損失くらい計算したんでしょうね」電話の向こうが、一瞬静まり返る。「それとこれとは話が違う」「どこが違うの?」「会社のことを、意地や感情で決めるな」私は小さく笑う。「じゃあ、会社のお金を優菜との賭けに使うのはいいのに、私が自分の技術を取
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第3話
夜、私は母の保険関係に関する必要な書類を取りに、屋敷へ戻る。玄関のドアを開けた瞬間、リビングから笑い声が聞こえてくる。優菜が私のパジャマを着て、ソファに座りながら果物の皮を剥いている。私を見ると、一瞬だけ驚いた顔をした。けれど、すぐに微笑みを浮かべて立ち上がる。「葵、おかえり」キッチンから拓海が出てくる。手にはグラスが二つ。「帰ってくるなら、先に連絡してくれればよかったのに」私は部屋に置かれたスーツケースを見る。「荷物を取りに来ただけ」優菜が拓海の腕に絡みつく。「拓海、私、先に帰ったほうがいい?」「いいよ」拓海は優菜の手を軽く叩く。「ここもこれからは、優菜の家だから」私の視線が止まる。優菜がわざと手首を揺らす。そこには、真珠のブレスレットが光っている。それは母が私のために残してくれたもの。母が入院する前、私に預けてくれた大切な品でもある。昨日まで、私は寝室の引き出しにしまって鍵をかけていた。「そのブレスレット、外して」優菜の顔色が変わる。「これは拓海が私にくれたの」「外してって言ってるの」拓海が眉をひそめる。「葵、たかがブレスレット一つだろ。そこまで騒ぐ必要あるのか?」「母のものよ」「お母さんはもう入院してるんだろ。しまっておいたって仕方ないじゃないか」まるで何でもない物の話をしているような、あまりにも自然な口調だった。優菜が腕を背中に隠す。「葵、これがお母さんのものだなんて知らなかったの。拓海が結婚祝いにくれたものだと思ってた」「だったら返して」「でも、拓海が私にくれたものだよ」私は拓海を見る。「私の部屋から持ち出したの?」私はスマホを取り出し、その場で警察に通報する。優菜の顔が、一瞬で青ざめる。「警察を呼ぶの?」「私のものを許可なく持ち出されたのよ。どうして通報しちゃいけないの?」拓海が私の手首を強く掴む。「葵、いい加減にしろ」私は自分の手首を掴んでいる彼の手を見る。「放して」「もう少し大人しくできないのか?」「私の母のものを愛人に身につけさせておいて、私に大人しくしろって言うの?」拓海の顔から、すっと表情が消える。「優菜は愛人じゃない」「じゃあ、何?」「俺の正式な妻だ」そ
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第4話
ついに、拓海の顔色が変わる。翌朝、私は弁護士と一緒に会社へ向かう。拓海は私に会おうともせず、秘書を通して一枚の声明文だけを渡してくる。【小松葵は数年前に当社を退職しており、現在はいかなる経営にも関与しておりません。また、本人が保有する権利・技術と当社の事業には一切関係がありません】私はその声明文を見て、思わず笑う。三年前、私が会社を離れたとき、拓海は私を抱きしめて言った。「葵、今は少し休めばいい。会社のことは俺が背負うから」それなのに、その後、彼は外向きには私をただの婚約者として扱い、会社の経営には一度も関わっていないことにしていた。そして今度は、私と会社には何の関係もないと言う。弁護士が私を見る。「本当に、これらの証拠をすべて提出するんですね?」「はい」「提出すれば、もう後戻りはできません」「拓海が優菜と婚姻届を出した瞬間から、もう戻る道なんてないよ」弁護士は資料の整理を始める。午後、拓海から電話がかかってくる。「会社に何をしに来た?」「私のものを取り戻しに行っただけ」「葵、そこまでやるつもりか?」「私を会社からも、結婚相手という立場からも、先に切り捨てたのはあなたでしょう」拓海はしばらく黙る。「優菜のプロジェクトはもう正式に契約してる。七千万円だって、お前が考えているようなものじゃない」「じゃあ、何なの?」「会社が彼女のプロジェクトに将来性を感じて、正式に支援しただけだ」「正式な支援なら、どうして研究開発用の口座から振り込んだの?」「一時的に資金を回しただけだ」「私の許可は?」「お前はもう会社の社員じゃないだろ」「だったらなおさら、私の技術とお金を勝手に使うべきじゃない」電話の向こうから、冷たい笑い声が聞こえる。「三年間も会社を離れていたくせに、今さら戻ってきて株も金も返せって?葵、自分がどれだけおかしいことを言ってるか分かってるのか?」私は怒らない。「拓海。私が三年間会社を離れていたのは、あなたが私のものを守るって言ったから。今になって思えば、私のほうがあなたを見誤っていたみたいね」「見誤ったんじゃない」拓海の口調が少しだけ柔らかくなる。「お前が感情的すぎるんだ。俺たちはもうすぐ結婚するっていうのに、たった一度の賭けで
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第5話
拓海が私の前に立ちはだかる。「ここは騒ぎを起こす場所じゃない」「私の技術を使って発表会を開いておいて、私が騒ぎに来たって言うの?」会場では、すでにスマホを取り出して撮影を始める人までいる。優菜がマイクを手に取り、静かに説明する。「皆さん、誤解しないでください。小松さんは以前、拓海の婚約者でした。でも、二人の間に少し個人的な問題があって、今回のライセンスについても誤解されているんです」そう言いながら、優菜は大型スクリーンに映し出された書類を開く。「これが、小松さんご本人が署名した永久使用許諾書です」拓海が私を見る。その目には、はっきりとした警告が浮かんでいる。「今なら帰れば、これ以上は追及しない」私はスクリーンに映る許諾書を見つめる。「その書類、私は署名していない」会場が一気にざわめく。すると優菜は、すぐに録音を再生する。そこから流れてきたのは、私の声だった――「技術の運用はそちらに任せるわ。私は今後の経営には関わらないから」確かに、私の声にしか聞こえない。優菜はマイクを強く握る。「葵、私たちが婚姻届を出したからって、わざと約束をひっくり返すなんて……会社もプロジェクトも、もう多額の資金を投入しているの。そんなことをされたら、会社に大きな損害が出るよ」会場のあちこちから、ひそひそ声が聞こえてくる。「婚約破棄みたいな形になって、感情的になってるんじゃない?」「もともと二人は結婚する予定だったらしいよ。彼氏が親友と先に結婚したら、そりゃ冷静じゃいられないだろ」「もう技術の使用を許可してたんだろ?今さら撤回なんてできるのか?」拓海が振り返り、声を落とす。「葵、これ以上、取り返しのつかないことにするな。金なら払う。優菜のことも、俺が何とかする」「私にお金を払う?」私は手を上げ、スクリーンを指差す。「だったら先に説明して。この許諾書の日付が、母の手術の前日になっている理由を」拓海の顔色がわずかに変わる。「確かに、あの日、会社で書類に署名した。でも私が署名したのは、技術の保守契約だ。永久使用許諾じゃない」「書類の内容を自分でちゃんと確認しなかったんだろ。どうして俺たちのせいにする?」私が口を開くより先に、会場の入口から声が響く。「小松さん、こちらに通報があり
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第6話
私はハードディスクに保存された最後のファイルを開く。サーバーの管理記録には、永久使用許諾書の最終承認を行ったアカウントが、拓海の個人アカウントだったことが残っている。そして、そのファイルがアップロードされた日時は、母が集中治療室に運ばれた、まさにその日。あの夜、私は拓海の前に跪き、七百万円を貸してほしいと頼んでいた。拓海は「俺の金は慈善事業じゃない」と言いながら、その一方で私の研究開発資金を使って、優菜の事業を後押ししていた。拓海の顔から、完全に血の気が引く。私は彼を見つめ、一言ずつ言い聞かせるように口を開く。「拓海。私が今日ここに来たのは、あなたを取り戻すためだと思ってる?」調査は丸一週間にわたって続いた。拓海は会社のすべての役職を停止され、優菜にも出国禁止の措置が取られる。発表会の動画は、瞬く間にネット上へ広がっていく。当初、世間の誰もがこう思っていた。婚約者を親友に奪われた女が、嫉妬に狂って、婚約者の親友の起業を邪魔しているのだと。けれど、完全版の録音とサーバーの記録が公開されると、世論は一気にひっくり返る。【婚約者の中核技術を無断使用。男は研究開発資金で親友の事業を支援】【婚姻届を出したその日に、元婚約者に尻拭いをさせようとしていた?】母の二度目の手術を終えるまで病院に付き添っていた私の前に、ようやく拓海が現れる。病室の前では警備員に止められている。以前よりずっとやつれた顔をしている。「葵、話をしよう」私は足を止めない。「何を?」「許諾書の最終承認に署名したのは、俺だと認める。でも、優菜が資金を勝手に移していたことまでは知らなかった」「知らなかった?あなたが署名したとき、その七千万円がどこから出た金なのかも知らなかったの?」拓海の目が泳ぐ。「当時は会社が急いで資金を調達する必要があった。優菜のプロジェクトにも、技術的な裏付けが必要だった。俺はただ、先にプロジェクトを軌道に乗せたかったんだ」「だから、私のお金と私の技術を使った」「必ず埋め合わせる」「あなたはいつもそうね」私は静かに言う。「人のものを勝手に持っていって、それから埋め合わせるって言う」拓海は長い間、黙り込む。「お前なら分かってくれると思ってた」私は笑う。「分かってるよ
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第7話
母は長い間、黙っていた。やがて手を伸ばし、私の頭をそっと撫でる。「じゃあ、別れなさい」母は理由を聞かなかった。我慢しろとも言わなかった。ただ、こう言った。「葵は小さい頃から、あの人よりずっとしっかりしてたでしょう。一人の男のために、自分の居場所までなくすような生き方をしちゃ駄目よ」私は俯く。目の奥が、ようやく熱くなる。この三年間、私はずっと、拓海こそが自分の帰る場所だと思っていた。でも今になって、ようやく分かった。どんなときでも無条件に私の味方でいてくれたのは、ずっと母だった。そして私は、危うく拓海のために、その母まで失うところだった。拓海は会社の顧問弁護士を使い、調査を引き延ばそうとする。さらに会社名義で声明を発表した。七千万円は通常の事業投資であり、小松葵はあくまで会社の元技術顧問にすぎない。そして、この七千万円も婚約者である拓海を支えるため、小松葵自身の意思で出資したものだという。その声明が発表された直後、私は弁護士を通じて会社に内容証明を送る。同時に、株式の名義預かりに関する契約書を仲裁機関へ提出する。審理当日。拓海側の弁護士は、開口一番こう主張する。「小松さんは三年間会社を離れており、その間、経営にも関与していません。会社がその後に負ったリスクも一切引き受けていません。過去の出資だけを理由に、会社の株式を請求することはできません」私は原告席に座ったまま、何も言わない。弁護士がまず、第一の証拠を提出する。拓海が起業したばかりの頃、私に送ってきたボイスメッセージだ。「葵、この七千万円は俺から借りたことにしてくれ。会社が上場したら、利子をつけて全部返す」第二の証拠は、医療リスク管理システムの初期ソースコード。一つ一つのコードの末尾には、私の名前と開発日時が記録されている。第三の証拠は、会社がまだ小さかった頃の顧客とのメールだ。そこには、はっきりとこう書かれている。【小松さんが提案されたリスク評価案は非常に完成度が高いです。次回のプロジェクト打ち合わせにも、ぜひご本人に参加していただきたいです】第四の証拠は、拓海自身が当時署名した株式の名義預かり契約書。その最後のページには、彼が私に書いた一文まで残っている。【この20%の株は、永遠に葵のものだ】法廷
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第8話
優菜名義の会社には、40%の株式が拓海の父親名義で登録されている。そして、拓海の父親が保有していたその株式は、二年前、贈与契約によって拓海へと譲渡されていた。つまり拓海は、ずっと前から優菜のために、もう一つの逃げ道を用意していたのだ。会社の資金調達が成功し、優菜が技術を手に入れれば、拓海は彼女の会社を経由して資産を移すことができる。あの七千万円も、実は優菜に渡す最初の「結婚の手土産」だった。この調査資料を手にしたとき、私の中に残っていた最後の期待が、すっと消えていく。そうだった。私がかつて愛した人は、愚かだったわけでも、鈍かったわけでもない。ただ、未来から私を切り離すことを、最初から冷静に決めていたのだ。拓海が再び私のもとへ来たとき、私は調査資料を彼の前に置く。「説明して」拓海は書類を見つめたまま、しばらく口を開かなかった。「これは、親父が自分で決めたことだ」「どうして優菜に株を渡したの?」「プロジェクトを軌道に乗せるためだ」「じゃあ、どうして二年も前から準備していたの?」拓海の顔が険しくなる。「万が一に備えただけだ」「何のために?」私は拓海を見る。「私が言うことを聞かなくなったときのため?」拓海が、はっと顔を上げる。私は小さく笑う。「あなたは、ずっと前から私が離れていくことを分かってた。ただ、婚姻届を出すその日に私が離れていくとは、思ってなかっただけ」拓海は拳を強く握りしめる。「葵、お前を傷つけるつもりなんてなかった」「私をそばに置いておきたかった。でも、対等な立場を与えるつもりはなかった」「お前が何を言おうと勝手だ」「だけど、会社を潰させるわけにはいかない」「会社は俺のものじゃない」「だったら、ルールに従って運営すべきでしょう。優菜のために会社を利用するんじゃなくて」拓海は長い間、黙っている。「優菜は、俺を愛してると言った」「だから七千万円を渡したの?」「少なくとも、あいつはずっと俺のそばにいてくれる」私は拓海を見つめ、ようやく分かった。拓海が必要としていたのは、永遠に自分を頼り、自分を見上げてくれる人だった。私のように隣に並んで歩く人間は、彼にとって「強み」ではなかった。むしろ、自分を脅かす存在だったのだ。「拓
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第9話
私は新たに会社を立ち上げた。最初のメンバーは、たった四人。菅野教授には技術顧問を、弁護士にはコンプライアンスを任せる。私はプロジェクトと資金調達を担当し、そこに病院勤務の経験がある財務コンサルタントが一人加わった。起業したばかりの頃は、決して順調ではなかった。私が拓海の元婚約者だと聞いただけで、取引を断ってくる人もいた。中には、面と向かってこんなことを聞いてくる人もいる。「小松社長、今こうして起業したのは、黒瀬社長より自分のほうが優秀だって証明したいからですか?」私はコーヒーカップを置く。「違います。私は、黒瀬社長に頼らなくても、自分の力で何だって成し遂げられると証明したいんです」初めて参加した入札で、競合となったのは、かつて拓海が経営していた会社だった。拓海はすでに会社から職務停止処分を受けていた。それでも、昔の人脈を使って顧客に圧力をかけ続けている。さらには、こんな噂まで流していた。「小松は技術しか分からない。経営なんて何も知らない。あいつに任せたら、遅かれ早かれ問題が起きる」入札のプレゼンで、顧客から難しい質問が飛んでくる。ある医療機関が、新たな前払い型の治療プランを始めようとしていた。けれど、資金繰りには大きなリスクがある。もし途中で資金が尽きれば、患者が支払った治療費を返せなくなる可能性がある。そうなれば、病院そのものが経営危機に陥る。他のチームは、市場規模や収益性の高さばかりを強調している。その中で、私だけが資金の流れにある三つの問題点を指摘する。「このプロジェクトは利益を出せます。でも、このまま始めるべきではありません。資金調達のためにリスクを隠せば、最後に代償を払うのは投資家ではありません。病院に最後の希望を託している患者さんです」会議室が静まり返る。顧客の責任者が尋ねる。「そちらの案で改善すると、プロジェクトの期間は長くなります。収益率も下がりますよ」私は頷く。「それでも、資金が尽きたせいで、治療を受ける最後の機会を失う人が出るよりはいいです」その言葉を口にした瞬間、母がICUで眠っていたあの夜を思い出す。拓海は言っていた。自分の金を出すなら、見返りや収益性を考える、と。でも、患者にとって治療は、決して投資じゃない。最終的に、顧客は私たちの提案を選ん
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第10話
三年後、葵生(あおい)メディカル・リスクプラットフォームが正式にサービスを開始する。大規模な医療機関に資金面のリスク管理を提供するだけではない。高額な医療費を負担できない一般家庭にも、適正な手続きを踏んで支援を受けられる救済窓口を用意している。サービス開始当日、最初の支援対象者の中に、一人の16歳の少女がいた。母親が急病で手術を必要としているのに、どうしても費用を工面できないという。プロジェクト責任者が資料を私の前に置いたとき、私は長い間、何も言えなかった。その瞬間、母がICUへ運ばれていったあの日のことを思い出す。「緊急支援をスタートして」助手が不安そうに尋ねる。「社長、この案件はリスクがかなり高いです」私は書類を見つめる。「一番お金が必要なときに、そんな収益性を待っていられない人もいるの」プロジェクトは無事に完了した。その夜、私は母の眠る墓地へ向かう。墓石のそばには、新しい花束が置かれている。誰が供えたものなのか、考えるまでもない。拓海は、もうずっと私の前に姿を現していない。聞いた話では、会社の破産手続きが終わったあと、彼はかつて暮らしていた街を離れたらしい。その後も、医療プロジェクトに関する責任問題が尾を引き、いくつもの会社から取引を断られているという。私は彼の行方を調べたことなど、一度もない。それでも、彼は時々この墓地を訪れていた。私は花束を拾い上げ、脇へ置く。「もう来ないで」背後から、足音が聞こえる。雨の向こうに、拓海が立っている。三年前より、ずっと痩せている。手には一通の書類を握っている。「お義母さんに会いに来ただけだ」「あなたのお義母さんじゃない」拓海の動きが止まる。「分かってる」「だったら、もう邪魔しないで」拓海は小さく頷き、持っていた書類を私に差し出す。「これが最後の資産整理の書類だ。俺の名義で残っているマンションと投資信託を、全部葵に譲る」私は受け取らない。「裁判でもう決着してるでしょう」「これは、あの判決には含まれていない」「どうして私に?」「俺にはもう、お前に渡せるものが何もないから」私は拓海を見る。「もう何もいらない。私はもう、何も不足してない」拓海の目が赤く滲む。「今の葵が幸せなのは知って
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