東京で暮らし始めてから、もうすぐ一年になろうとしていた。新しい仕事にも、この街での暮らしにも、ようやく慣れてきた。朝起きて、誰かの機嫌をうかがうこともない。帰宅が遅くなっても、行き先を問い詰められることもない。一人でいることは、寂しさではなく自由なのだと知った。九条興業は取引先を次々と失い、やがて破産手続きに入った。表の看板だった会社を失った征士郎は、再び極道の世界へ戻っていったらしい。森川蓮は、莉香が自分に無断で子どもをおろしていたことを知った。週刊誌への告発や慰謝料請求だけでは、怒りが収まらなかったのだろう。そんなある夜、大阪の市外局番から見覚えのない着信があった。出ようか迷った末、通話ボタンを押す。『夜分に失礼いたします。大阪市内の救命救急センターの医師です』『九条さんの緊急連絡先に、こちらのお電話番号が残っていまして』電話口の男性医師は、慎重な口調で続けた。『九条征士郎さんが交通事故に遭い、こちらへ搬送されました』一瞬、言葉が出なかった。『同乗していた女性は、現場で死亡が確認されています』莉香のことだと、すぐにわかった。『九条さんも予断を許さない状態です。これから緊急手術に入りますが、その前にどうしてもお話ししたいとのことで』『自分の携帯では出てもらえないだろうから、病院の電話を使ってほしいと、ご本人から頼まれまして』電話の向こうから、慌ただしく人が行き交う気配が伝わってきた。かつてなら、何も考えず病院へ向かっていた。けれど今、胸に浮かんだのは悲しみでも喜びでもなかった。ただ、遠い場所で起きた出来事を聞いているような感覚だけだった。「どなたかとお間違えではありませんか」自分でも驚くほど、声は穏やかだった。「九条征士郎という人は、知りません」医師が何か言いかける前に、通話を終えた。それきり、征士郎と話すことはなかった。数日後、ニュースで事故の全容を知った。森川は、手元に残る証拠をすべて渡し、訴えも取り下げると持ちかけていた。条件は、弁護士を通さず、征士郎と莉香の二人だけで湾岸の倉庫へ来ることだった。これ以上の醜聞を恐れた征士郎は、その条件をのんだ。二人が倉庫にいる間に、森川は征士郎の車のブレーキホースを切断していた。防犯カメラには、その一部始終が映っていた。帰り道、下り坂でブレーキが利かなく
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