南野たちは今、牛に追われていた。 牛である。 それも、一頭や二頭ではない。 百以上もの牛の大群に猛然と追われているのだ。 走る、走る。 原野をひたすら走りながら、南野は近い将来牛にミンチにされる図を想像してしまった。「ねえええええ!? いつまで走るの!?」 隣を走っていた少女が非難めいた声を上げる。「わた……わたし……もう、はしれません……」 眼鏡をかけた気の弱そうな少女がひいはあと息を切らせながら弱音を吐いた。「こっ……このおれにかかれば……うしなど……」「ならとっととやってみんかい!! このアホンダラ!!」 端正な顔立ちで耳の尖った男と巨大なハンマーを担いだ少女が口にする。 盛大な土ぼこりを上げながら突進してくる牛たちの目は、どれも怒りに燃えていた。「や、やっぱり……あんなことしなければ……!」 南野までもがあきらめかけたその時、がしっと隣の少女が南野の腕をつかんだ。「こうなったら……飛ぶよ!」「飛ぶって……ええ!?」「つかまって!!」 強引にからだを引き寄せた少女は素早く印を切り、呪文を唱え地を蹴った。「『第二百八楽章の音色よ! 創生神ファルマントの加護のもと、空を泳ぐがごとき旋律を解き放て!』」 こんなことになったのも、元はと言えば『あの女』のせいだ。「あのねえ、南野君……」 島崎部長の指がとんとんと苛立たしげにオフィスのデスクを叩いている。 頬杖をついてお茶を口に運びながら、『物わかりのいい上司』を装ってはいるが、じっとりと湿った視線がそれを台無しにしていた。 オフィスに残っている他の社員たちが遠巻きにひそひそとささやいている。『また南野か』『そりゃそうだよな、あの成績じゃ』『部長そうとうおかんむりだよ』 やめてくれ、丸聞こえだ。 こころの中でひっそりとそうつぶやきながら、南野アキラは部長のデスクの前で直立していた。 25歳、男性。結婚はしていない。恋人はもちろん友人もいない。 最近とみに目立つようになった若白髪が気になる、ひょろりとした体躯を安物のスーツに包んでいる。 営業職として新卒でこの石垣商事に入ったものの、営業に必須の対人スキルが壊滅的で、同僚とも打ち解けられず、低飛空横ばいの営業成績をなんとかするでもなく、今日もこうして部長に説教を食らっているという体たらく。 とんとんとん
Last Updated : 2026-08-25 Read more