All Chapters of 私を7年冷遇した夫。今更泣き縋ってももう遅い: Chapter 1 - Chapter 10

17 Chapters

第1話

私が司に離婚を切り出すと、書斎は水を打ったように静まり返った。司は眉間にしわを寄せ、いぶかしげに私の顔色をうかがった。「颯太の迎えに行かせなかったからか?彩月、お前がそんなみっともない雑用をする必要はない。送り迎えなんて、使用人に任せておけばいいんだ」彼はデスクを回って立ち上がり、私を抱きしめようとした。「最近、会社が忙しいんだ。面倒をかけないでくれよ」そんな適当ななだめ方をする彼を見つめながら、私は一歩後ずさった。そして、冷たく言い放つ。「離婚届と離婚協議書にサインしてくれれば、雑用も、人前に出せない妻もあなたを煩わせることはなくなるわ。司、これなら一石二鳥でしょう?」心を通わせようと7年間尽くしてきた思いやりも、司にとってはすべて些細な雑事に過ぎなかった。――心を込めて用意した誕生日のプレゼントも、たまに颯太を学校へ送ることも。息子の颯太まで、私を遠ざけるような態度を取る。「ママ、僕もう5歳だよ。テーマパークやアニメで子ども扱いしないで」「ママがくれたブレスレット、どこのブランド?誰の作品?どっちでもないの?じゃあいらない。着けてたら恥ずかしいもん」子供の言葉は、あまりにも残酷でストレートだ。容赦なく、いとも簡単に私の心をえぐっていった。ある日、書斎の前を通りかかったとき、司と颯太の会話が聞こえてきた。颯太が司にねだっていた。「パパ、蛍さんにテーマパークへ連れて行ってもらっていい?」部屋から返ってきたのは司の声ではなく、甘く優しい女性の声だった。「お上手なこと言って。でも、行けるかどうかは颯太くんのパパのお許し次第よ」「パパは蛍さんが一番大好きなんだから、蛍さんが賛成なら絶対いいって言うよ!」廊下に立つ私の手は、冷や汗でぐっしょりと濡れていた。颯太は、テーマパークや子どもっぽい遊びが嫌いなわけではなかったのだ。ただ、司と同じように、私のことが嫌いなだけだった。その瞬間、あまりにも広すぎる邸宅が冷え冷えとして、息が詰まるように思えた。もう、これ以上我慢し続ける理由が見つからなかった。彼らを愛そうと、自分を追い込むのはもうやめにしよう。
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第2話

司は私をじっと見つめ、私が本気か確かめていた。「彩月、よく考えろ。離婚届にサインすれば、お前の代わりなんていくらでもいる。だが、お前には何も残らないんだぞ」私はくすっと笑った。「そんなふうに試さないで、司。私だって聖人じゃないんだから、一文無しで出ていくつもりはないわ。財産分与の希望は、はっきりと書いたわ。安心して、この7年間の補償分だけだから」司は黙り込んだ。そして、ゆっくりとうなずいた。「いいだろう。後悔するなよ」彼は迷わず離婚届と離婚協議書にサインした。力強いペンの音が、部屋に響いた。司はペンを放り投げた。「俺も非情な男じゃない。お前が要求した財産を、倍にして払ってやる」もらえるものはもらっておく主義なので、私は断らなかった。サイン済みの書類を大切にしまい、私は書斎を後にした。背後から、司が不意に声をかけてきた。「一つだけ正直に言え。一体、なぜなんだ?」ドアノブに置いた手が止まり、すぐには答えられなかった。「疲れたのよ」ドアが閉まり、私を見つめる彼の視線を遮った。自分の部屋に戻り、私は荷物をまとめ始めた。颯太が5歳を過ぎてから、司とは寝室を分けていた。私の荷物は少なくて、持っていくものはスーツケースひとつに収まった。これが、私が桐生家で過ごした7年間で得た、私のすべてだった。部屋の中を見渡す。棚の中には、今年の颯太への誕生日プレゼントが入っている。机の上には、編みかけのマフラーと手袋が置かれたままだ。あの父子は二人とも寒がりなのに、マフラーや手袋を持っていくのをよく忘れる。そのたびに注意しても、司はいらだたしそうに、「そんなことは使用人に任せればいい」と遮ってきた。そんな時、颯太は遠くに立ち、私を一瞥すると、すぐに目をそらした。だが、その瞳にある失望と嫌悪を、私は見逃さなかった。私は首を振って、そんな煩わしいことを考えるのをやめた。階段のところまで行くと、オーダーメイドのドレスを着た女性が、颯太の手を引いて上がってきた。蛍。颯太が「蛍さん」と呼んでいる相手だ。そして、私が司と結婚する前の、彼の幼なじみでもあった。私は少し足を止め、驚いている二人に軽く会釈した。颯太が私を呼び止めた。「スーツケースを持って、どこに行くの?蛍さんが僕を
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第3話

桐生家を後にして、夕暮れのひんやりとした空気を深く吸い込む。このほんの少しの静寂を味わいたかった。寝泊まりする場所は、前もって見つけておいた。荷物を片付ける気力もなく、ベッドに倒れ込んで眠ってしまった。夢の中では、私の失敗した7年間の結婚生活がまるで映画のように流れていった。司との関係は、身内が決めた結婚から始まった。結婚式の日、彼の目を見た瞬間、嫌われているのだと悟った。司は、私との結婚を拒んだために彼の祖父を怒らせ、何ヶ月もの間、実家に閉じ込められていたという。それでも最終的には、彼も親と祖父の決定に従うしかなかった。結婚式の夜、司は一言も喋らず、ただ怒りをぶつけるように私を抱いた。身支度を終えて彼が出ていく。私は全身に残ったあざに耐えながら、ベッドの上で呆然と天井を見つめていた。それでも私は受け入れた。受け入れるしかなかった。こうして司と私の、他人同然の夫婦生活が始まった。たまに顔を合わせても、司は、遠くから冷たく見やるだけだった。彼には蛍という、私と同じくらいの年の女の子がいる。彼らは私の前でも、親しげに寄り添って話していた。蛍の目には、私への嫉妬と、司と同じ軽蔑の色が浮かんでいた。私には味方がいなかった。意を決して親に相談しても、大げさに騒ぐなと警告されるだけだった。だが思いがけず、それから間もなく私は妊娠した。お腹の子のおかげで、私と司の関係は奇跡的に少し和らいだ。
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第4話

ある日目を覚ますと、司がベッドの脇に座っていた。私のお腹を撫でようとしているみたいだった。暗がりで司の目は見えなかった。低く落ち着いた声だけが聞こえた。「お前を起こすつもりはない。お休み」彼がこんなに穏やかに話しかけてくれたのは、これが初めてだった。噂に聞く、落ち着いていて品のある桐生家の跡取りそのものだった。私は思わず彼の手を握った。「司、私、結婚を無理強いなんてしてないよ……」彼は私の夫だ。せめてこれだけは、信じてほしかった。「お願い、信じてくれない?」司は何も言わなかった。でも、私の手を振り払うこともしなかった。彼は私の隣に横たわり、布団越しにそっと肩を抱き寄せてくれた。祖父を亡くして以来、あれほど近くで「愛」の温もりを感じたのは初めてのことだった。やがて、私たちの間に颯太が生まれた。妊娠7ヶ月の頃、私は楽しそうに司へ話したことがあった。この子には山を吹き抜ける風のように、自由に生きてほしい、と。彼はくすりと笑って、考えが甘いと言った。そして、桐生家の人たちが颯太を連れ去るのを、彼はただ黙って見ていた。私は気が狂いそうだった。弱り切った体を引きずり、子供に会わせてほしいと縋りついた。司は私の体を冷たく抱き込み、誰かが責任を持って育ててくれると告げた。じゃあ、私は?母親である私は、自分の子に触れることすら許されないの?見ないふりをしてやり過ごしてきた悪意は、私が最も弱っている隙を突き、偽りの平穏を容赦なく引き裂いた。せめて子育てに関わらせてほしいと、私は司にすがりついた。彼は冷たく私の顎を持ち上げた。「彩月、お前には母親を名乗る資格はない。颯太に必要なのは、品格ある立派な母親だ。恩を着せて取り入るような卑しい女じゃない」私は呆然と司の冷たい瞳を見つめることしかできなかった。スーツを掴んでいた私の両手から、力が抜け落ちていく。恩を着せる?私たちの結婚は、私の祖父と司の祖父の深い絆のおかげじゃなかったの?司は哀れむように私の顎をつまみ、耳元で冷たく嘲笑った。「俺の祖父が情けをかけて、この結婚を認めてくれたとでも思い込んでいたのか?椎名家の人間は図々しいな」私が嫁げたのは、私の祖父が死ぬ間際に、かつて命を救った恩を盾にして脅したからだと彼は言った。祖
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第5話

耳をつんざくような着信音で、ハッと目が覚めた。勢いよく起き上がると、まだ朝の7時30分だった。背中の冷や汗がすっと引いていく。まさか結婚当初の夢を見るなんて……スマホの画面を見ると、司からの着信だった。「彩月、颯太の風邪薬はどこに置いてある?」私は少し間を置いた。「そんなの使用人に聞けばわかるでしょ」司の声には疲労がにじんでいた。「おとといから休みを取らせてる。今は家には俺と颯太だけだ。使用人は、薬の管理はずっとお前に報告していたと言っている」カーテンの隙間から昇る朝陽を見つめ、私は息を吐いた。「書斎の3番目の本棚の棚板の上、青い箱に入ってる。熱がなければ普通の風邪薬を飲ませて。熱があるなら測って、38度以下なら温かいタオルで体を拭いてあげて」電話の向こうから物音が聞こえ、どうやら薬を取りに行ったようだった。彼がほっと胸をなでおろすような息づかいが聞こえた。私はそこで口を開いた。「用がないなら連絡してこないで。司、あと数日して離婚届を出したら、私たちもう夫婦じゃなくなるのよ」司は不満そうに声を低くした。「颯太がお前の息子であることに変わりはないだろ。自分の息子すら見捨てるつもりか?」カーテンを開け、私は淡々と返した。「司、忘れたわけじゃないでしょ。私には颯太の母親になる資格がないって、そう言ったのはあなたよ。思い出させてあげようかしら?」スマホの向こうが、しんと静まり返った。通話を切り、私は背伸びをしてパジャマを取り出し、シャワーへ向かった。今住んでいる部屋は、大学に入る前に自分で用意しておいたものだ。ワンルーム程度で狭いが、一人で暮らすには十分だった。髪を拭きながら部屋に戻り、パソコンを開いて今日の勉強を再開した。司と結婚したとき、私はまだ18歳だった。司の心を繋ぎ止め、彼の妻として専念させるため、父は私に退学を強要した。颯太を産んでからも、再び学び直す機会は訪れなかった。私は司の気まぐれな態度と、精神的な苦痛に耐え続けた。施しのような優しさを見せられたかと思えば、態度を豹変させて私を罵倒し、侮辱した。花束や宝石を贈ってきたかと思えば、そのすぐ後に、颯太が蛍を「ママ」と呼んだのだと、誰よりも優しい声で私に告げてくるのだった。すべてに疲れ果て、自分を磨くことなど考
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第6話

昼まで夢中で勉強を続けていたら、お腹が空いてピザのデリバリーを頼んだ。体は疲れていたけれど、心はそれ以上に満ち足りていた。以前の私は、司と颯太の世話に追われるか、部屋でぼんやり過ごすかだった。外に出て人と関わるなと、司に釘を刺されていたからだ。本当は、彼にとって私が外に出るのは恥だということだ。昼寝の前にお茶を淹れたら、スマホが鳴った。眉をひそめたが、それでも電話に出た。「いったい何の用?」司の声は少し疲れていた。「彩月……そんなに冷たくしないでくれ。颯太ならもう大丈夫だ。心配しなくていい」私は冷ややかに返した。「最初から心配なんてしてないわ」司は急に黙り込んだ。電話越しに聞こえる低い息づかいが、何かを躊躇しているように響いた。司は戸惑ったように尋ねてきた。「お前の部屋にあるマフラーは、俺へのプレゼントなのか?」「施設へ寄付するものよ。邪魔なら捨てて」司は声を低くして言った。「お前の物だから、自分で処分したほうがいいんじゃないか?」私はついに苛立ちを抑えきれなくなった。「司、子供みたいにいちいち言われないと分からないの?置いてきた物は要らない物よ。捨てようが何をしようが勝手にすれば?役所に離婚届を出す日の約束でもない限り、電話してこないでくれる?」電話の向こうで、彼が言葉に詰まった気配がした。かすかに女の声が彼を呼ぶのが聞こえた。「司さん、颯太くんが目を覚まして、あなたを探してるわ」私は皮肉っぽく笑った。「素敵なお相手がいるのに、元妻につきまとうのはやめてくれる?」
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第7話

司に離婚を切り出す前まで、私は母親としての権利を取り戻そうと、決して諦めてはいなかった。でも司は、いつも私の希望を容赦なく打ち砕いた。颯太が5歳になる前、アレルギーで何度も高熱を出していた時期があった。ちょうどその頃、司は海外へ出張中だった。だから私は、ようやく颯太のそばで看病することができた。数日間、不眠不休で看病を続け、颯太の咳や熱もようやく治まった。幼い颯太は名残惜しそうに私の服を握りしめ、「ママ」と呼んでくれた。その瞬間、これまでの苦労なんてどうでもよくなった。だが、司が帰ってきた。その隣には、清楚で甲斐甲斐しい蛍の姿があった。私はとっくに司への期待なんて捨てていた。ただ颯太の服を着替えさせ、お風呂に入れてあげたかっただけなのに、司は私を遮り、すべてを蛍に任せてしまった。司はなぜここに来たのかと問い詰めてきた。私は冷たく彼を見据えた。「颯太が病気なのに、母親もそばにいないなんて嫌だからよ」彼は私の腕を掴み、力任せに連れて行くと、私を部屋に閉じ込めた。「こんなことをすれば颯太に懐いてもらえるとでも思ったか?俺が受け入れてくれるとでも思ったのか?!」心臓がきゅっと音を立てて竦んだ。けれど私も負けじと司の腕を掴み返し、問い詰める。「どういう意味よ?」彼はしばらくじっと私を見つめた後、急に顔を寄せて唇を重ねてきた。それはキスというより、まるで噛みつくような乱暴なものだった。もがいて彼を一蹴りした時には、唇が切れて血が滲んでいた。司は痛みに顔をしかめ、私から手を離した。彼は声を潜めて言った。「彩月、欲張るな。お前はもう俺の妻なんだ。颯太は蛍に譲れ」私は信じられない思いで顔を上げた。だが司は言葉を続けた。「お前が現れなければ、俺と蛍は結婚して子供も作っていた。お前が彼女の居場所を奪ったんだ。なら埋め合わせをするのが筋だろ。颯太はもう蛍に懐いてるし、彼女を母親だと思っている。俺が築き上げたものを壊すな。これ以上俺の人生を狂わせないでくれ、分かったな?」私は全身の力を込めて司の頬を引っぱたいた。全身が震え、涙が堰を切ったように次々とこぼれ落ちた。「司、あなたって本当に最低!」震える声でそう言い捨てると、私は自分の部屋を飛び出した。司は追いかけてこなかった。けれど、颯太の部屋の
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第8話

一人暮らしは、思っていたよりもずっと気楽だった。この1ヶ月間、私は知識を貪るように学び続けた。いよいよ、役所で離婚届を出す日が来た。私は薄くメイクをした。鏡の中の、優しくて大人しそうな自分と目が合う。これは司が一番好んでいた姿だ。優しくて大人しく、非の打ち所がない。「完璧なセレブ妻」そのものだった。もうあの家を出たのに、どうしてまだ彼の好みに合わせていたのだろう?私はメイクを落とすと、目元を強調するようにアイラインをひき、アースカラーのリップを塗った。長い髪を高くポニーテールに結び、カジュアルなパンツスーツに着替えた。一新された自分自身の姿に、一瞬呆然としてしまった。これこそが、本当の私だ。役所に着いたが、司はまだ来ていなかった。私はロビーの椅子に座り、時間を見つけて読書を続けた。10分ほど待った頃、どこか戸惑うような声が耳に届いた。「さ……彩月?」顔を上げると、司が颯太の手を引いて立っていた。その瞳には微かな驚きが浮かんでいる。「なんだその格好は?」私は自分のスーツに視線を落とし、淡々と挨拶を返した。「遅かったわね。並ぼう。今日は空いてるから、すぐ終わるわ」司の手を握った颯太は、司と同じように目を丸くした。「ママ、どうしてスカートはいてないの?」私は小さく笑った。「好きじゃないからよ」颯太はきょとんとした。子供の彼には、今の私の言葉に混ざる、聞き慣れない晴れやかさが理解できないのだ。彼は黙り込んでいる司の顔を見上げた。そしてあごを上げて眉をひそめ、生意気そうに言った。「ママ、そんな格好で出歩いたら恥ずかしいよ。桐生家のしつけがなってないって笑われちゃう。パパを困らせないでよ。パパ、僕の面倒を見るせいで全然寝られてないんだから」面白半分で司を見ると、エリートの代名詞とも言えるあの顔に、うっすらと隈ができている。たった一度、颯太の世話を手伝う人がいなくなっただけで、もう限界なの?私がこれまで笑顔すら奪われて過ごしてきた、2000日以上の苦しみの万分の一にも満たないというのに。颯太の言葉に滲む微かな悔しさを、私は聞き逃さなかった。私は両手を広げて肩をすくめた。「あなたのパパには蛍さんがいるじゃない。彼女はテーマパークには連れて行ってくれても、風邪薬は飲
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第9話

「ママ」という言葉が、とても自然に口から出た。私は呆然として、胸の奥に痛みが走った。颯太の親権を取ろうと考えなかったわけではない。あの子は私にとって、この世界との唯一の絆なんだ。引き離される理由なんて、どこにもないはずなのに。だが、颯太には失望させられた。その瞳には、司とまったく同じ傲慢さと冷たさがあった。「ママ、どうして何も知らないの?どうして蛍さんみたいに、何でも知ってて頭が良くないの?蛍さんがママだったらよかったのに」あんなに愛を捧げてきたのに、一言であっけなく踏みつけられた。私はサングラスを外し、颯太を見下ろした。「颯太、母親を見下すような息子はいらないわ」颯太は一歩後ずさり、怯えて司の後ろに隠れ、ズボンをぎゅっと握った。司は眉間にしわを寄せ、低い声で言った。「子ども相手に、そんな言い方をしなきゃいけないのか?」「離婚届を出しに来たんでしょ?司、颯太を連れてきて私に嫌がらせする気?」司は怒りを抑えながら言った。「離婚までする必要はないんじゃないかと思っただけだ。昔の態度が悪かったのは認める。でも彩月、7年だぞ。7年も我慢したのに、どうして――」「どうしてこれからも我慢して、あなたに傷つけられ続けなきゃいけないの?」私は落ち着いた声で言葉を返した。司は言葉を失い、少し戸惑った様子を見せた。「そんなつもりじゃ……」サングラスでその目を突いてやりたい衝動を、冷笑しながら抑え込んだ。「どういうつもりだろうと、私には関係ないわ!司、桐生家のいい嫁を演じるのも飽きたし、あなたの芝居を見るのもごめんなの。まさか『恩を押しつける卑怯者』との生活に慣れて、離婚するのが惜しくなったんじゃないでしょうね」「惜しくなった」を強調して、面白がるように笑ってやった。颯太は張り詰めた空気に怯え、すっかり固まっていた。司の後ろに隠れ、見知らぬ人でも見るような目で私を見ていた。司が唇を震わせる。その目には複雑な感情が浮かんでいたが、探る気にもなれず、次の言葉を待った。結局、彼は深く息を吸い込んだだけだった。「なら、望み通りにしてやる!」離婚届の提出は、すぐに終わった。私はようやく、心の底から自由になれたのだと実感した。何年も縛り付けていた枷が外れ、ボロボロになった背中から、
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第10話

私は肩までの長さに髪をバッサリ切った。さっぱりとしていて、まるでスポーツが好きだった中学時代に戻ったみたいだ。イヤホンをつけてソファに寝転がり、SNSを見ながら英語のリスニング音声を聴いた。ドライブ旅行のインフルエンサーを何人かフォローしていて、彼女たちがアップする写真に夢中になっていた。そんな時、スマホの着信音が鳴り響き、英語のリスニングが遮られた。画面を見ると、父からの電話だった。でも、それは予想外のことでもなかった。あれから1ヶ月。私が司と離婚したことを知ったのだろう。予想通り父は激怒していた。酷い言葉を並べ立て、身の程知らずだとか、セレブの仲間入りをするチャンスを棒に振ったと罵ってきた。そして最後には、離婚で手に入れた財産を渡せと要求してきたのだ。あまりにも身勝手な考えに、思わず笑ってしまった。「バカなこと言わないで。司は私のことなんて好きじゃなかったのよ。桐生家から何か恵んでもらえるとでも思ったの?私の手元にあるものは、一銭だって渡さないわよ。勝手な夢を見るのはもうやめて!」「電話を切ったら絶縁だぞ!」私は鼻で笑うと、思い切りよくスマホのSIMカードをへし折った。長年使ってきた電話番号だし、そろそろ変え時だった。過去と決別するなら、思い切りが大事だ。もう誰かに媚びへつらう気もないし、誰とも関わり合いたくない。過去に未練なんて、これっぽっちもなかった。独学でのオンライン学習も順調だ。かつて断念せざるを得なかった夢に、今度こそ手を伸ばす。写真の勉強をして、世界中の美しい景色を巡ること。その夢のために、私はずっと陰で努力を重ねてきた。桐生家にいた頃、彼らにバカにされずに済んだ数少ない趣味でもあった。半年間、寝る間も惜しんで勉強を続けた。そしてついに、報われる時が訪れた。ロードアイランド・デザインからメールが届き、合格の知らせを受け取ったのだ。私は呆然と画面を見つめ、唇を震わせた。視界が一気に涙で滲んでいく。この7年間で、私が失った一番大切なものは何だったのだろう。それは司の愛でも、子供でもない。認められることだった。「彩月」という人間そのものを認めてもらうこと。誰かの母親でも、誰かの妻でもない。男に媚びて、周りから羨ましがられる必要もな
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