——木曜日の朝7時。 九条のオフィスに、私は夜明け前から詰めていた。 コンクリート打ちっぱなしの壁に複数のモニターが並び、リアルタイムの株価チャートが無数の線を描いている。 いつものソファではなく、トレーディングデスクのような机に向かって、私は数字とグラフを見つめ続けていた。「美咲、朝は食ったか?」 九条がコーヒーカップを差し出してくれる。「ありがとうございます……でも、お腹に入らなくて」 正直に言った。胃が縮み上がっているような感覚で、何を口にしても味がしない。「そりゃそうだ。今日動く金額が違いすぎる」 九条が隣に座り、モニターを指差す。「お前の口座に今500万。そこに三條圭から俺が預かってる投資金を追加した……」 九条の目が細くなる。「合計200億を使う」 200億。 その数字を聞くたびに、現実感が薄れていく。(本当に私が……こんな大金を動かすことになるなんて)「怖いか?」 九条の問いに、私は首を振った。「怖いです。でも……」 私はモニターのレヴァンストのチャートを見つめた。「進むと決めたので。後悔はないです」 昨夜から何度も確認したデータが、頭の中で整理されていく。 大富龍平の買収計画、そこには粉飾決算疑惑のデマリークというカラクリがあると私は確信している。 それが発動すると読んでいるのが明日金曜日。 だから相手は、今日の底値付近で買い仕掛けてくるはずだ。「九条さん、もう一度確認させてください」 私は手元の資料を広げた。「大富の作戦は、今日の朝一番で最後の売り圧力をかけて株価を押し下げ、予定価格まで落としてから大量買収。そのラインは……」 私の指がチャートの一点を指す。「ストップ安の1,200円直前に大富の買が大量に並ぶはずです。たぶん1201円」 九条がうなずく。「で、俺たちは?」「1,210円で最初の指値買い。大富の想定価格のギリギリ上で仕掛けます」「タイミングが勝負だな。早すぎれば無駄撃ち、遅すぎれば間に合わない」「はい、その後は必ず大富龍平が売りを浴びせてくると思うので、それを少し上回る成り行き買いを入れ続ける」「つまり、最後の我慢比べってやつだな……リスキーだが大胆な戦略だ」 9時の開場まで、あと30分。 私の手のひらに、じっとりと汗がにじんでいた。 ──9
Last Updated : 2026-10-04 Read more