航空工学者の私は、この家ではいらない子だった의 모든 챕터: 챕터 1 - 챕터 10

10 챕터

第1話

「そうだ、お前、今回は何日くらいいるんだ?」父はスマホを操作しながら、スマートロックのゲスト登録をしていた。「ゲスト権限は一週間までしか設定できない。とりあえず一週間だけ登録しておく。期限が切れたら俺に言え」母は私の手を取り、指紋センサーへ指を当てさせた。けれど、一度、二度、三度。右手の指を一本ずつ替えてみても、認証は失敗したままだった。「なんであんただけ認証できないの?」母は少し苛立ったように眉をひそめた。「ゆいちゃんも、はるちゃんも、一回で終わったのに」母は昔からそうだった。結衣には「ゆいちゃん」、陽斗には「はるちゃん」。けれど私だけは、一度も愛称で呼ばれたことがない。いつだって「千紗」か、「あんた」。それだけの違いなのに、幼い頃の私は、その呼び方の中にある小さな距離を、ずっと感じていた。「左手でやってみて」言われるまま親指を当てても、結果は同じだった。母は私の手をぱっと放すと、うんざりしたようにため息をついた。「もう、ほんと手がかかるわね。あとは自分でやって」私は自分の手のひらを見つめた。十歳になるまで、私は祖母と二人で田舎暮らしをしていた。体の弱い祖母に代わって、畑を耕し、草を刈り、豚の世話をするのは、いつも私の役目だった。祖母が亡くなり、この家へ引き取られてからも、それは変わらなかった。姉だからという理由で、家事はいつも私の役目だった。食器を洗い、テーブルを拭き、床を磨く。毎日のように洗剤や水へ手を浸し続けた。指紋が擦り減ったのか。それとも、手にできたタコのせいで認証できないのか。今となっては、もう私にも分からなかった。「ぼーっとするな」父が急かすように言った。「認証できなかったら、いちいち開けに来られないからな。あとで締め出されたなんて文句言うなよ」私はポケットからティッシュを取り出し、手の汗を丁寧に拭った。そして息を整え、もう一度センサーへ指を強く押し当てた。ピッ。電子音が鳴り、スマートロックが無機質な音声で告げた。「ゲスト登録が完了しました」それを聞くなり、父はスマホをポケットへしまい、私を見ることもなくリビングへ向かって歩いていった。リビングでは、四人が旅行のお土産を楽しそうに仕分けしていた。父の取引先にはお茶。母
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第2話

私は着替えを取りに自分の部屋へ向かった。電気をつけた瞬間、思わず息をのんだ。ベッドの上から通路まで、収納ケースが隙間なく積み上げられていた。本棚からは、私の本やトロフィーがきれいになくなっていた。その代わりに飾られていたのは、陽斗の飛行機の模型だった。クローゼットを開けても、中には結衣の季節物の服がぎっしり詰め込まれていた。私はそのままリビングへ戻り、静かに口を開いた。「……私の荷物は?」「もう使わないと思って、処分したわ」母はテレビから目も離さず、あっさりと言った。「ゆいちゃんとはるちゃんの荷物が増えちゃってね。部屋に入りきらなかったから、あんたの部屋を借りただけよ。どうせあんた、めったに帰ってこないんだから。空けておくより、有効活用したほうがいいでしょ」私は一瞬、言葉に詰まった。「……じゃあ、私はどこで寝ればいいの?」父は視線すら向けず、淡々と答えた。「ベッドの上のケースを物置に運べば済む話だろ。それくらい自分で考えろ」仕方なく物置へ向かうと、そこにはまだ十分な空きがあった。収納ケースを何度も運び終えたころには、一度引いた汗がまた噴き出していた。ようやく椅子に腰を下ろすと、父が眉をひそめた。「お前、まだ風呂入ってなかったのか」「まだ誰か入ってるから」父は呆れたようにため息をついた。「結衣も陽斗も、ちゃんと順番考えて風呂入ってるぞ。なんでお前だけ、いつも要領が悪いんだ」言い返す気力も残っていなかった。私はコップの水を一気に飲み干し、そのまま黙って待ち続けた。ようやく風呂に入れたのは、それから一時間もあとだった。浴室にはまだ湯気が立ちこめていて、熱気にくらりとした。ドアの向こうから、母の声が響いた。「ちゃんと洗いなさいよ。小さい頃みたいに、また適当に済ませるんじゃないわよ」勢いよく降り注ぐシャワーが、頭から容赦なく全身を打った。私は顔をぬぐった。頬を伝うのがお湯なのか、それとも涙なのか、自分でも分からなかった。この家へ引き取られたばかりの頃も、私が風呂に入れるのは、いつも結衣のあとだった。当時はまだ、お湯の量にも限りがあった。私の番になるころには、お湯はほとんど残っていなかった。冷水で、急いで体を流すしかなかった。そんなある日、
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第3話

数日後、両親の知人たちが何人か家へ遊びに来ていた。私はキッチンで果物を洗いながら、リビングから聞こえてくる話し声が、自然と耳に入ってきた。「恒一さん、本当に恵まれてるよな」客の一人が感心したように言った。「結衣は県内でも有名な大学に通ってるし、陽斗はまだ小学生なのに、科学コンテストで入賞したんだろ?育て方が違うなあ」父は照れくさそうに笑った。「いやいや、結衣も陽斗も、自分で頑張ってるだけさ。親が何かしたってわけじゃないよ。……でも、千紗だけは昔から言うことを聞かなくてな。家から通える大学にしろって言ったのに、わざわざ北浜市まで行ってさ。しかも、飛行機だかロケットだか、そんなような学科なんだ。俺には何の役に立つのか、さっぱり分からん」私が専攻していたのは、航空宇宙推進工学だった。佐伯教授はよく言っていた。「君たちが造るのは、ロケットの心臓だ」私たちの仕事は、ロケットエンジンや推進システムを支えることなのだと。その言葉を、私はずっと誇りに思っていた。けれど父の中では、名前すら覚える価値のない学科だった。食事が始まると、向かいに座っていた女性が笑いながら私へ声をかけた。「千紗、北浜市で一人暮らしなんでしょう?毎月どれくらいで生活してるの?うちの娘も今年から北浜市の大学に通うのよ。都会は何かとお金がかかるでしょう?どれくらい渡せばいいのか悩んじゃって」「えっと……」答えようとしたその瞬間、母は私の皿に海老を一尾のせながら、先に口を開いた。「ゆいちゃんには月8万円渡してるの。女の子には、ちゃんとお金をかけてあげないとね。足りない思いをさせたくないから、たまにお小遣いも送ってるのよ。ちょっと物を買ってもらったり、優しくされたくらいで、変な男について行ったら困るでしょう?」結衣は頬をふくらませ、甘えるように母の腕に抱きついた。「もう、ママったら……この前だって、タブレット買ってくれるって言ってたじゃん。今学期だって、ちゃんと奨励金取ったんだから」母は笑いながら結衣の頭をなでた。「もう、ほんとゆいちゃんは甘え上手なんだから。近いうちに一緒に買いに行きましょうね」私は何も言わなかった。ただ、今にも充電が切れそうなスマホへ目を落とした。それは父が5年間使い、買い替えたあと
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第4話

出発の前日。その日の朝、母が珍しく私を呼び止めた。「これから買い物に行くんだけど、あんたも一緒に来なさい」私は断ろうとしたが、母は何気ない口調で言った。「その服、もうずいぶんくたびれてるでしょう。新しいのを一着買ってあげるわ」私に?一瞬、聞き間違いかと思った。母に服を買ってもらったのは、高校へ入学するときの制服が最後だった。期待しないようにしながら、私は黙って車に乗り込んだ。ショッピングモールへ着くと、私はセール中の秋冬物売り場へ向かった。プロジェクトの現地は風が強く、一年を通して冷え込みが厳しいと聞いていた。佐伯教授からは、暖かい服を多めに持ってくるよう事前に連絡が来ていた。ようやく一着のマウンテンパーカーを見つけた。値札を見た瞬間、思わず手が止まった。16,980円。母はその値段を見るなり、さりげなく視線をそらした。「今は夏なんだから、半袖でも見たら?」そう言うと、近くにあった白いTシャツを手に取った。「これなんていいじゃない。シンプルだし。ゆいちゃんの分と一緒に買えば、ちょうど二枚で割引になるから」値札を見ると、990円だった。結衣の服はどれも高かった。あと990円分買えば、ちょうどまとめ買い割引が適用される金額だった。そのあとも母たちは楽しそうに店を見て回っていた。私は買い物袋を抱えたまま、黙ってあとを歩いた。店内の冷房は効きすぎていた。腕をさすってみても、体は少しも温まらなかった。やっぱり寒かった。店内を歩き回るうちに、陽斗は飽きてしまったらしい。「ねぇ、お小遣いちょうだい。アイス買ってくる」私が両手いっぱいに買い物袋を抱えているのを見ると、陽斗は慣れた手つきで私のリュックから財布を取り出した。「ちょっとアイス買ってくるね。すぐ戻ってくるから」そう言うなり、陽斗は駆けていった。しばらくして戻ってきた陽斗は、両手に四つのアイスを抱えていた。そこに、私の分はなかった。陽斗は頭をかきながら、少し気まずそうに笑った。「あっ、ごめん。みんなの分を持ったら、もう手いっぱいで……もう一回買ってこようか?」父が振り返り、眉をひそめた。「お前、もういい歳なんだから、陽斗を使いっ走りみたいにするな」私は陽斗へ小さく首を横に振った。
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第5話

一方、その頃。真由美は既読のつかないLINEを見つめ、顔をしかめた。「まったく、千紗ったら。まだ拗ねてるの?」そうつぶやくと、家族グループに続けてメッセージを送った。【千紗、朝ごはん置いてあるからね。食べないなら片づけるわよ】【スマホもちゃんと充電しておきなさい。あとで困るのは自分なんだから】でも返事はなかった。恒一は味噌汁をすすりながら、小さく舌打ちした。「最近ますます生意気になったな。放ってけ放ってけ」結衣は食パンをかじりながら口を開いた。「ママ、千紗姉、アルバイトじゃない?この前、千紗姉がスマホで航空券を予約してるみたいだったよ」「航空券?」真由美は眉をひそめた。「アルバイトに行くだけなのに、飛行機なんて贅沢よ。帰ってきたらちゃんと話を聞かないと」そう言って立ち上がると、真由美は千紗の部屋のドアを開けた。部屋には誰もいなかった。隅に置いてあったスーツケースまでなくなっている。真由美は小さく目を見開いた。「……あの子、本当にバイトに行ったの?」だが、その驚きもほんの一瞬だった。真由美はすぐに顔をしかめた。「まったく、出かけるなら一言くらい言っていけばいいのに」恒一は新聞から目も上げずに言った。「別にいいだろ。朝は洗面所も混むし、いないほうがせいせいする」それから半月ほど、一家は何事もなかったかのように過ごしていた。陽斗は新しく買ったゲームソフトにもすぐ飽き、真由美はまた新しいソフトを買い与えた。結衣も新しいタブレットを買ってもらい、毎日のようにリビングで動画を見ていた。恒一は相変わらず仕事や付き合いで家を空けることが多く、たまに千紗の話題になっても、黙って家を出ていった千紗を非常識だと責めるばかりだった。八月も終わりに近づき、新学期まであとわずかになった頃。結衣は友達との集まりに向けて、新しいバッグが欲しくなった。両親からもらったお金を数えてみたものの、あと少し足りなかった。そこでようやく千紗のことを思い出し、スマホを手に取った。【千紗姉、今度友達と遊びに行くんだけど、ちょっとお金貸してくれない?】【バイトしてたんだから、少しくらい貯まってるでしょ?】だが、返信はなかった。半日待っても、既読すらつかなかった。結衣は諦め
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第6話

現地は想像以上に風が強かった。到着してすぐ、統一支給のマウンテンパーカーと防寒用のインナーが配られた。どちらも厚手で、身につけると寒さはほとんど気にならなくなった。部屋は二人部屋だった。同室になったのは、青木真帆(あおき まほ)先輩。私より二学年上で、仕事はてきぱきしていて、口数も少なかった。初日の夜、私はいつものように体を隅々まで洗った。シャワーを浴び終えて部屋へ戻ると、赤くなった私の肌を見て、真帆がふいに口を開いた。「ここは乾燥がひどいから、毎日お風呂に入らなくても大丈夫だよ」私は思わず指先をぎゅっと握った。「……汚いって、思いませんか?」真帆は笑いながら首を振った。「何言ってるの。千紗って、ここじゃ一番きれい好きで有名なんだから」私が目を丸くすると、真帆は少し照れくさそうに笑った。「みんな『真帆、いいルームメイトに当たったね』って羨ましがってるくらいだよ」真帆は少し間を置いて、続けた。「だから、そんなに気を張らなくて大丈夫。ここでは誰も、そんなことで人を嫌ったりしないから。毎日そんなに洗ってたら、肌がカサカサになっちゃうよ」私は小さくうなずいた。誰かに「きれい好きだね」と言われたのは、その日が初めてだった。真帆はスーツケースの中をしばらく探ると、小さな袋をひとつ、私に投げてよこした。「これ、あげる」受け取ったのは、ピンク色のベビークリームだった。「いっぱい持ってきたから、使ってね」私はベビークリームを手にしたまま、胸の奥がじんわり熱くなるのを感じた。それは、幼い頃、母が結衣に使っていたものと同じだった。一度だけ、羨ましくて少し使ってみたことがあった。チューブを強く押しすぎて、中身を洗面台にこぼしてしまった。その瞬間、母は振り返って言った。「汚い手で触らないで!」あの頃の私には、触れることさえ許されなかった。それなのに、出会って間もない真帆が、何のためらいもなく一つ分けてくれた。その日は荷ほどきや説明を済ませるうちに、あっという間に夕方になっていた。夕食は食堂だった。食事をしていると、佐伯教授が私を見つけて席までやって来た。そして、ハンバーグを一皿、私の前にそっと置いた。私は思わず顔を上げた。「千紗さん、もっと食べなさい。細
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第7話

データの照合も、三巡目に入っていた。午前二時。サーバールームには、機械の低い駆動音だけが響いていた。私はモニターを見つめ、推進剤の配合データを一行ずつ確認していた。「もう休め。目が真っ赤だぞ」先輩の一人が肩を軽く叩いた。私は首を横に振った。視線は、ある数値の小数点以下四桁目に釘づけになっていた。理論値との差は、ごくわずかだった。通常のチェックなら、そのまま見落としてしまう程度の誤差だった。それでも、どうしても違和感が拭えなかった。私はこの半年分の実験データをすべて取り出し、一枚ずつ照らし合わせていった。静まり返った部屋に、紙をめくる音だけが響いていた。真帆は何も言わず、私の手元に水筒をそっと置いた。中には、まだ温かいはちみつ入りのお茶が入っていた。東の空が白み始めた頃、私はようやくその誤差の原因を見つけた。あるセンサーの低温時ドリフト係数が、入力の段階で最後の一桁だけ四捨五入されていたのだ。それだけ見れば、ごくわずかな違いだった。だが、その誤差が機体全体に影響すれば、軌道は17キロもずれてしまう。私は計算結果を手に、佐伯教授の部屋へ駆け込んだ。佐伯教授は資料を読み終えると、しばらく黙り込んだ。そして内線を取り、プロジェクトメンバー全員を招集した。検証会議が始まると、佐伯教授は私に視線を向けた。「千紗さん、どうしてこの誤差に気づいた?」私は答えた。「ほかのデータには、それぞれ説明のつくばらつきがありました。でも、この値だけは、不自然なくらい揃いすぎていたんです」会議室は静まり返った。佐伯教授は手元の資料を閉じ、小さくうなずいた。「よく見つけたな。このままだったら、試験運転は三か月延期になっていただろう」その日を境に、それまで話したことのなかったメンバーとも、顔を合わせれば自然と挨拶を交わすようになった。食堂のおばちゃんも、何か一品おまけしてくれるようになった。私は少し戸惑った。でも、それが嫌な気持ちではないことくらい、もう分かっていた。認めてもらえるって、こういうことなんだ。もう、自分を押し殺す必要はない。目立ちたがりだなんて言われることもない。ある日、真帆と一緒にデータを整理していると、ふいに真帆が笑った。「最初は静かな子だなっ
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第8話

月日はあっという間に流れた。気づけば、あれから三年が経っていた。プロジェクトは無事に完了し、私は佐伯教授率いるチームとともに北浜市へ戻った。プロジェクトの表彰式が行われたその日、講堂には、プロジェクト関係者が大勢集まっていた。表彰状とメダルを受け取った瞬間、スポットライトが少しまぶしかった。客席にはプロジェクトメンバー全員の姿があった。佐伯教授が拍手を送り、真帆は私以上に嬉しそうな笑顔を浮かべていた。手にしたメダルは、ずっしりとした重みがあった。そこにはプロジェクト名と、私の名前が刻まれていた。記念撮影では、佐伯教授が私を真ん中へ呼んだ。大きな手を私の肩にぽんと置き、誇らしそうに笑った。「千紗さん。今回の初飛行が成功したのは、君のデータがあったからだ」私は思わず目を伏せ、胸元のメダルへ視線を落とした。隣では、真帆がそっと親指を立てて微笑んでいた。私も思わず頬がゆるんだ。このメダルは、誰のものでもない。私だけのものだった。表彰式が終わり、会場を出ようとしたときだった。大学時代の同級生が、慌てた様子で駆け寄ってきた。「千紗。ご実家の近所の人から伝言頼まれたんだ。ご両親が表彰のこと聞いて、今こっちに向かってるらしいよ。少しでも会えないかって」私は小さくうなずいただけだった。応接室で30分ほど待つと、扉が静かに開いた。父と母、それに陽斗が入ってきた。三年ぶりに会った二人は、少しだけ歳を取って見えた。父のこめかみには白髪が増え、母の目尻にも以前より深い皺が刻まれていた。陽斗はすっかり背が伸び、いつの間にか私より大きくなっていた。手には、最新型の折りたたみスマートフォンが握られていた。画面にはゲームが映ったままだった。「……ちっちゃん」母が口を開いた。その声はどこかかすれていた。「三年ぶりね。なんだか、前とはずいぶん雰囲気が変わったわ」私は小さく笑った。「少し大人になっただけだよ」父は私を頭の先から足元まで眺め、胸元のメダルに目を留めると、すぐに視線を逸らした。「……痩せたな」少し間を置いてから続けた。「向こうは大変だったんだろう。あのとき、君は何も言わずに出ていったから、こっちは本当に心配したんだ」私は静かに答えた。「ちゃんと話したよ。家
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第9話

それから数日が経った。その日は、雲ひとつない青空だった。新しいプロジェクトのため、しばらく大学に戻って特別研修を受けることになった。佐伯教授は笑いながら言った。「現地からは、もう受け入れの話が来ている。特別研修を終えたら、そのまま戻ってきなさい。君には、一つテーマを任せるつもりだ。責任者としてな」私は深く頭を下げた。未来のことが少しずつ形になっていくのを感じながら、私は行政棟を後にした。そのときだった。不意に名前を呼ばれた。「……千紗姉」振り向くと、結衣が壁にもたれて立っていた。数年前よりずいぶん大人びて見えた。スーツをきちんと着こなし、口元には落ち着いた色のリップを引いていた。私を見ると、どこかぎこちない笑みを浮かべた。「おめでとう。母さんたちから聞いたよ。国家プロジェクトで表彰されたんだって?本当にすごいね」私は小さくうなずいただけだった。結衣はそのまま私の隣を歩き始めた。ヒールの音だけが、石畳に乾いた音を刻んでいた。「千紗姉、家を出てから一度も帰ってきてないよね。今、家がどうなってるかも知らないでしょ?」結衣は少し言いづらそうに視線を落とした。「父さんの仕事、最近あまりうまくいってなくて……前のお客さんもずいぶん離れちゃったの」結衣は小さく息をつき、足元へ視線を落とした。「家計にも余裕がなくて、私も働き始めたばかりなのに、お給料はほとんど家に入れてる。母さんも、毎日のようにため息ばかりついてるよ」しばらく黙り込んでいた結衣は、困ったように笑った。「それに……陽斗も反抗期に入っちゃってさ。すぐ母さんたちとぶつかるし、ドアを乱暴に閉めたりするの。先週なんて、ゲーム機が欲しいって大騒ぎして、父さんの血圧まで上がっちゃった」そう言って肩をすくめ、小さく苦笑した。「私が何を言っても聞いてくれないし……『千紗姉さんは何でも譲ってくれたのに』って、そんなことばかり言うの」結衣はしばらく黙って歩いていたが、やがて意を決したように足を止め、私を見つめた。「……一度、家に帰ってきてくれない?千紗姉が帰ってきたら、陽斗も少しは落ち着くと思う」私は何も答えなかった。結衣は私の表情をうかがうように、言葉を続けた。「母さんたちも、もう若くないんだ。この家には、千紗姉も必
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第10話

その夜、机の上のスマホが何度も震えた。画面には、陽斗の名前が表示されていた。通話に出ると、開口一番、陽斗が声を荒らげた。「千紗姉さん、結衣姉ちゃんから聞いた!もう僕たちと関わるつもりはないって言ったんだって?どういうつもりだよ!お父さんもお母さんも、姉さんに会いたがってるのに、全然帰ってこないじゃないか!今は二人とも歳を取ったんだぞ。そんなふうに突き放すなんて、本当に家族なのかよ!」私はスマートフォンを手にしたまま、窓際へ歩いた。窓の外では、街路樹の葉が静かに風に舞っていた。私は小さく息をついた。「陽斗。私が大学生だった頃、生活費は月2万円だった。その頃のあなたは、何万円もする靴を当たり前のように買ってもらってたよね。私のお金を勝手に持っていってゲームを買っても、お父さんたちも、あなたをかばってた……もう忘れたの?」電話の向こうが一瞬黙った。やがて、歯切れ悪そうに陽斗が答えた。「そ、それは……昔の話だろ」それでも、陽斗は食い下がった。「けど今は違うじゃん。お父さんもお母さんも歳を取ったし、仕事もうまくいってない。姉さんだって立派になったんだから、一度くらい帰ってきてもいいだろ」「現地へ行く前に、同意書にサインしたのはお母さんだった。でも、内容なんて見てもいなかった。家を出た日だって、家族のグループチャットでは、私じゃなくて、あなたに謝れって言われた……それも全部、『昔の話』だよね」電話の向こうで、しばらく沈黙が続いた。「今になって家族だなんて言われても、もう遅いよ」その直後、通話は一方的に切れた。夕方、お母さんからメッセージが届いた。長い文章だった。【千紗へ。お母さん、ずっと考えてた。あの頃は、本当にあなたをないがしろにしてしまっていたね。お父さんと二人で田舎から出てきて、毎日生活に追われてた。あなたが生まれても、ちゃんと育てる余裕がなくて、おばあちゃんに預けるしかなかった。あなたの成長を、ちゃんと見てあげられなかった。そのあとゆいちゃんたちが生まれて、気づけばあの子たちばかり見ていた。あなたには、寂しい思いばかりさせてしまったね。本当にごめんね】続いて、お父さんから一枚の写真が送られてきた。新しく取り付けられた玄関のスマートロックだった。
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