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第4話

Autor: 鹿見森子

出発の前日。

その日の朝、母が珍しく私を呼び止めた。

「これから買い物に行くんだけど、あんたも一緒に来なさい」

私は断ろうとしたが、母は何気ない口調で言った。

「その服、もうずいぶんくたびれてるでしょう。新しいのを一着買ってあげるわ」

私に?一瞬、聞き間違いかと思った。

母に服を買ってもらったのは、高校へ入学するときの制服が最後だった。

期待しないようにしながら、私は黙って車に乗り込んだ。

ショッピングモールへ着くと、私はセール中の秋冬物売り場へ向かった。

プロジェクトの現地は風が強く、一年を通して冷え込みが厳しいと聞いていた。

佐伯教授からは、暖かい服を多めに持ってくるよう事前に連絡が来ていた。

ようやく一着のマウンテンパーカーを見つけた。

値札を見た瞬間、思わず手が止まった。

16,980円。

母はその値段を見るなり、さりげなく視線をそらした。

「今は夏なんだから、半袖でも見たら?」

そう言うと、近くにあった白いTシャツを手に取った。

「これなんていいじゃない。シンプルだし。

ゆいちゃんの分と一緒に買えば、ちょうど二枚で割引になるから」

値札を見ると、990円だった。

結衣の服はどれも高かった。あと990円分買えば、ちょうどまとめ買い割引が適用される金額だった。

そのあとも母たちは楽しそうに店を見て回っていた。

私は買い物袋を抱えたまま、黙ってあとを歩いた。

店内の冷房は効きすぎていた。

腕をさすってみても、体は少しも温まらなかった。

やっぱり寒かった。

店内を歩き回るうちに、陽斗は飽きてしまったらしい。

「ねぇ、お小遣いちょうだい。アイス買ってくる」

私が両手いっぱいに買い物袋を抱えているのを見ると、陽斗は慣れた手つきで私のリュックから財布を取り出した。

「ちょっとアイス買ってくるね。すぐ戻ってくるから」

そう言うなり、陽斗は駆けていった。

しばらくして戻ってきた陽斗は、両手に四つのアイスを抱えていた。

そこに、私の分はなかった。

陽斗は頭をかきながら、少し気まずそうに笑った。

「あっ、ごめん。みんなの分を持ったら、もう手いっぱいで……もう一回買ってこようか?」

父が振り返り、眉をひそめた。

「お前、もういい歳なんだから、陽斗を使いっ走りみたいにするな」

私は陽斗へ小さく首を横に振った。

「いいよ。私はいらないから」

陽斗は首をかしげ、私の顔をのぞき込んだ。

「あれ、千紗姉さん……目、なんか赤くない?」

私はそのまっすぐな瞳を見返した。何も言えなかった。

けれど陽斗はそれ以上気にも留めず、父のあとを追いかけていった。

その夜は、家族で近くの料理店へ食事に出かけた。

料理を注文しながら、母は父に言った。

「ゆいちゃんは鮭の塩焼きが好きで、はるちゃんは唐揚げが好きだから、ちゃんと頼んでね」

父はうなずいた。

「分かってるよ」

私は湯のみを両手で包んだまま、黙ってお茶を口に運んでいた。

食事を終えると、佐伯教授へのお土産を買おうと思い、財布を開いた。

その瞬間、胸が冷たくなった。

財布に入れていた現金が、きれいになくなっていた。

カフェで十日間、毎日十時間近く働いて、ようやく貯めたお金だった。それが、一瞬で消えていた。

私は思わず陽斗を見た。

陽斗は目を泳がせると、そっと母の後ろへ隠れた。

私はできるだけ声を抑えて尋ねた。

「……私のお金、盗った?」

母はすぐに陽斗をかばうように前へ出た。

「そんな大きな声出さないの!『盗った』って何よ!はるちゃんはあんたの弟でしょう?少しくらい使っただけで、そんな言い方しなくてもいいじゃない」

私は陽斗へ向かって手を差し出した。

「返して」

その一言で、陽斗は「わっ」と声を上げて泣き出した。

「ゲームのソフト買っちゃった……!

ママにダメって言われたけど、どうしても欲しかったんだもん……!」

今度は父まで顔をしかめた。

「お前は姉なんだから、それくらい大目に見てやれないのか。たかがその程度の金で、弟を泣かせるなんて何を考えてるんだ!外で騒ぐな。みっともない!」

差し出したままの手が、宙で止まった。

父は泣きじゃくる陽斗を抱き寄せた。

母は涙を拭いながら優しく声をかけ、結衣も飴を差し出して陽斗をあやしていた。

気づけば、四人は自然と互いに寄り添っていた。

あれが、家族なんだ。じゃあ、私は……?

父は私を振り返ると、冷たく言い放った。

「少しは姉らしく振る舞え!」

そう言い残すと、陽斗を抱いたまま歩き出した。母と結衣も何も言わず、そのあとをついていた。

また私だけが、その場に取り残された。

現金はなくなり、スマホの充電も切れかけていた。私は歩いて帰るしかなかった。

家まで、およそ二十キロ。

途中で道を間違え、遠回りをしながら、何度も立ち止まっては歩いた。足の裏にはいくつも水ぶくれができ、それが潰れても歩き続けた。

家へたどり着いた頃には、歩き始めてからもう八時間近くが経ち、日付はとっくに変わっていた。

マンションの管理人さんは、私を見るなり顔色を変えた。

「大丈夫ですか?顔色が真っ青ですよ」

私は無理に笑みを作った。

「平気です」

そのうち慣れる。これから先も、一人で生きていくしかないのだから。

翌朝、まだ午前五時だった。

まだ充電しきれていないスマホをバッグに入れ、スーツケースを引いてリビングを横切った。

家族はまだ誰も起きていなかった。

ポチだけが目を覚まし、小さく鳴きながら私のあとをついてきた。

私はしゃがみ込み、ポチの頭をそっと撫でた。

「見送りに来てくれて、ありがとう」

もちろん、ポチには言葉の意味なんて分からない。それでも嬉しそうに尻尾を振っていた。

私は静かに玄関の扉を閉めた。

北浜空港に着いたのは、午前十時だった。

私は佐伯教授たちと合流すると、プロジェクトのメンバーもすでに集まっていた。

佐伯教授は私たちを見回すと、口を開いた。

「このあとスマホは預かる。家族に連絡がある人は、今のうちに済ませておいてくれ」

私はスマホを手に取り、画面をつけた。

LINEの家族グループには、母からメッセージが届いていた。

【今日でゲスト権限が切れるわよ。更新してほしかったら、まずはるちゃんに謝りなさい】

【お姉ちゃんなんだから、そんなことで怒るものじゃないわ】

私は返信しなかった。

そのまま電源を切ると、画面がゆっくりと暗くなっていった。

頭を下げてまで更新してもらうくらいなら、もういらない。

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