弦也はデスクの前に立ち尽くしていた。 彼の視線は、端に置かれた小さなグラスに注がれている。 紫の都忘れと、白いヤマボウシ。 弦也の顔から、いつもの険しい表情が消えていた。 ぽつんと置かれたその花を見た瞬間、彼の脳裏に鮮やかな記憶が蘇っていたのだ。『弦也、見てごらん。都忘れが咲いたよ』 土で汚れた分厚い手。日焼けした祖父の笑顔が浮かんでくる。『きれいだね、おじいさま!』 遠い記憶の中で、幼い彼がはしゃいでいる。 書斎に飾られた花を見て、目を細める祖母の姿。 屋敷中が穏やかな空気と温もりに包まれていた、あの頃。 弦也は無意識に手を伸ばしてグラスに触れようとした。 しかし指先が触れる直前で、その手を引き戻した。(駄目だ。こんなものに惑わされてはいけない) 彼は唇を強く噛んだ。 周囲は敵ばかりだ。親族でさえ、いつ自分の寝首を掻くか分からない。 心を許せばそこから崩れ去る。つけ込まれる。(これは……あの女の仕業か?) 今まで屋敷に花を飾ろうとする者はいなかった。弦也が禁じたからだ。 冷泉院家が送り込んできた身代わりの妻。彼女がなぜこんなことをするのか。 打算か、それともただの気まぐれか。 どちらにせよ、自分には関係のないことだ。 弦也は無理やり心を硬く閉じて、鋭い声を出した。「誰がこんなものを置いた」 廊下に立っていた透子は、その声に肩をすくめた。 やはり怒らせてしまった。 透子はドアを押し開き、室内へ入る。「私です。勝手に入って申し訳ありません」 弦也は振り返り、冷ややかな視線を透子に向けた。「君の仕業か」「はい。お嫌でしたか」「俺の許可なく書斎に入るなと言ったはずだ。それに、こんなものを飾っても無駄だ。仕事の邪魔になるだけだ」 言葉は氷のように冷たかった。 先ほど花
Última atualização : 2026-09-30 Ler mais