All Chapters of 7日だけの嘘で妻と娘は俺を永遠に失う: Chapter 1 - Chapter 10

16 Chapters

第1話

言いかけた言葉が、喉で止まった。直樹は、5年間育ててきた娘を見つめた。聞き返す声がかすれた。「ボディー……ガード?」「そうだよ。だからママと一緒に、お見舞いに来てるんでしょ?」芽依は迷いもなく答えた。直樹は黙ったまま、娘の顔を見つめた。冗談だと言ってほしかった。今にもベッドに駆け寄ってきて手を握り、「うそだって分かってたから、合わせてあげたんだよ」と笑うのではないか。だが、芽依の表情は真剣そのものだった。怜奈の袖を引き、もっともらしく続けた。「ママ、高瀬さんは私を助けてけがしたんだよ。ボーナス、いっぱいあげてね」何を聞かされているのか、理解できなかった。命を懸けて守った娘にとって、自分はボディーガードでしかないのか。では、父親には誰を選ぶつもりなのか。拓海なのか。胸の奥が鋭く痛んだ。こみ上げる問いをのみ込むために、直樹は拳を握りしめた。それから、ずっと黙っている怜奈に目を向けた。娘だけでなく、7年連れ添った妻の心にも、自分の居場所はあるのか。それを知りたかった。目が合うと、怜奈はわずかにためらった。だが何も言わず、芽依を病室の外へ連れ出した。胸の内が、ゆっくりと冷えていった。否定しなかった。それが答えだった。直樹は全身の痛みをこらえてベッドを下り、病室のドアにもたれた。小窓の向こうで、怜奈が芽依の前にしゃがんだ。怒りを抑えた声が聞こえた。「芽依、どうしてパパをボディーガードだなんて言ったの?」芽依は不満そうに口をとがらせた。「拓海お兄ちゃんにパパになってほしいんだもん。一緒にいると楽しいし。パパはだめって言ってばっかりで、嫌なの。それに拓海お兄ちゃんは絵がすごく上手なんだよ。パパなんて、ずっと家にいるだけで何もできないじゃん」娘の口からはっきり聞かされ、直樹の膝から力が抜けた。ドアにもたれたまま、その場に座り込んだ。やはり、聞き間違いではなかった。芽依は、自分の父親をボディーガードに追いやってでも、拓海を父親にしたいのだ。拓海の名を聞くと、怜奈の声から怒気が薄れた。それでも厳しい顔は崩さなかった。「だからって、うそをついていいわけじゃないでしょう」「でも、パパは自分が誰かも分からないんだよ?お願い、ママ。拓海お兄ちゃんも、私のパパになりたいって言ってたもん
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第2話

電話の向こうで、恩師の石田先生が驚いたように息をのんだ。「それでは、奥さんにも娘さんにも居場所を知らせられなくなるぞ。2人のために、これまで断っていたんじゃないのか。何があった」直樹はスマホを握り直した。これまでの日々が、否応なくよみがえった。怜奈も芽依も知らない。直樹は、何の取りえもなく家にいるだけの男ではなかった。7年前、直樹は瑞峰大学の薬学系博士課程に在籍し、当時最年少の院生だった。研究の才に恵まれ、寝ても覚めても実験のことばかり考えていた。ある日、いつものように徹夜の実験を終え、ふらつく足で川沿いを歩いていた。疲労で目の前が暗くなり、川の方へ倒れ込んだ。周囲から悲鳴が上がった。腕を強くつかまれた感触を最後に、意識を失った。目覚めたときには病院にいた。隣の処置台では、全身に擦り傷を負った怜奈が手当てを受けていた。看護師の話で、直樹はようやく事情を知った。転落しかけた自分を、怜奈がとっさにつかんでくれたのだ。2人とも土手を滑り落ちたが、怜奈が低く張り出した木の幹につかまり、直樹も斜面に引っかかって、水際で止まったという。感謝と申し訳なさで言葉を失う直樹に、怜奈は言った。自分の傷からはまだ血がにじんでいたのに。「大丈夫。今度からは気をつけて歩いてね」研究のことしかなかった直樹の頭から、その日を境に、怜奈の姿が離れなくなった。退院の日、勇気を出して連絡先を尋ねた。断られるのが怖くて、命を助けてもらったお礼をしたいだけだと、慌てて付け加えた。怜奈は長い間、黙って直樹を見ていた。そして、こう尋ねた。「お礼がしたいの?だったら、私と結婚してくれる?」直樹は目を見開いた。冗談ではないと分かると、胸が激しく高鳴った。「……はい」気づけば、そう答えていた。こうして、直樹は怜奈の夫になった。その後、怜奈は芽依を身ごもった。体調が安定せず、医師から無理をせず安静にするよう言われていた。青白い顔の妻を見て、直樹は悩み抜いた末に、研究センターへの誘いを断った。家庭に入り、家事や妻の世話を一手に引き受けた。怜奈も、直樹を大切にしてくれた。出張先でプレゼントを買ってきてくれたり、親子で旅行に出かけたり、結婚記念日にサプライズを用意してくれたりした。自分は愛する人と結ばれた、幸運な男なのだと思って
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第3話

入院して3日が過ぎ、事故の傷はだいぶ落ち着いた。その間も、拓海は毎日SNSを更新した。どの投稿にも、怜奈と芽依が写っていた。初日は、3人でケーキを作っていた。できあがると、芽依が最初の一口を拓海に食べさせていた。2日目は郊外でキャンプをし、夜は芽依を間に挟んで寄り添い、テントから星を眺めていた。3日目は、芽依の絵画教室に2人で付き添っていた。お題は「わたしのパパ」芽依が描いたのは、拓海だった。退院の日になって、3日間姿を見せなかった怜奈と芽依が、ようやく拓海を連れて現れた。直樹のまだ癒えない傷を見ると、拓海は申し訳なさそうに笑った。「直樹、悪い。ここ数日ちょっと立て込んでて、見舞いに来るのが遅くなった。芽依から事故に遭ったって聞いたけど、具合はどう?」言葉とは裏腹に、その目は直樹の様子を探っていた。怜奈と芽依も、どこか緊張していた。記憶が戻っていないか確かめているのだと、直樹には分かった。「もう退院していいそうです。ただ、まだ何も思い出せなくて。あなたは?」何も分からないふりを続けると、3人はそろって安堵した。芽依が自分から拓海の手を握った。「高瀬さん、私のパパだよ」退院の書類を書いていた手が止まった。芽依が拓海に父親になってほしがっていることは、とうに分かっていた。それでも、実際に娘の口から「パパ」と呼ぶのを聞くと、胸の奥に鋭い痛みが走った。5年間、大切に育ててきた娘が、何のためらいもなく別の男を父親と呼んでいる。直樹は、そばで黙っている怜奈に目を向けた。視線がぶつかった瞬間、いつも冷静な怜奈の目に、珍しく気まずそうな色が浮かんだ。だが、怜奈はすぐに目をそらし、何も言わなかった。直樹の口元に、さらに冷ややかな笑みが浮かんだ。7年連れ添った妻は、娘のうそを黙って認めている。惨めだった。胸の痛みを抑え、「そうですか」とだけ答えた。手続きを終え、全員で車に乗った。後部座席では、芽依が大好きなアニメの話をしていた。拓海とのやり取りは、まるで本当の親子のようだった。直樹は助手席で目を閉じ、聞こえないふりをした。車が止まって初めて、帰宅したのではないと気づいた。そこは遊園地だった。芽依は待ちきれない様子で拓海の手を引き、車を降りた。「パパ、早く!遊園地、
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第4話

怜奈は2人を追いかけようとして、直樹の顔に残る傷に目を留めた。事故の瞬間、芽依を守ろうと飛び出した姿がよみがえり、表情を和らげた。「退院したばかりなんだから、休憩所で待っていて。芽依には私と拓海がついているから」直樹は、かすかに鼻で笑った。「分かりました。家族水入らずの邪魔はしませんよ」思いがけない返事に、怜奈は直樹を見た。いつも優しかった目には、もう何の温かさもなかった。なぜか胸がざわついた。怜奈は何か言いかけるように口を開いたが、結局は何も言わず、複雑な表情で直樹をじっと見つめただけだった。「……あなたが思っているようなことじゃないの」直樹は危うく笑いそうになった。芽依のうそを認め、夫と父親の座を拓海に明け渡したのは怜奈自身だ。今さら、仕方がなかったような顔をして、誰に信じろというのか。「全部怜奈が認めたことだろ」怜奈は目を見開いた。胸の内に、思いがけない不安がよぎった。どうしてそんなことを言うのだろう。まさか、記憶が戻ったのか。問いただそうとしたときには、直樹は何事もなかったように休憩所へ歩き出していた。思わず追いかけようとしたが、前方から芽依の呼ぶ声がした。怜奈は直樹の静かな背中を見つめ、気を落ち着けた。直樹は、自分と芽依をあれほど愛している。もし記憶が戻っていたら、娘がほかの男をパパと呼ぶのを、こんなに落ち着いて見ていられるはずがない。今のは、聞き間違いだったのだろう。怜奈はためらいを振り切り、2人を追った。直樹は休憩所の窓越しに、並んで歩く3人を見ていた。芽依は左右で拓海と怜奈の手を握り、跳ねるように歩いている。拓海がかがんで、ティッシュで額の汗を拭いてやった。怜奈は、その様子を優しい目で見守っていた。なんて幸せそうな家族なのだろう。ふと目を落とすと、薬指に光るものがあった。7年間、肌身離さずつけていた結婚指輪だった。これをはめた日、これから始まる結婚生活に、どれほど胸を膨らませただろう。それが今では、みじめな思いを呼び起こすだけだった。直樹は指輪を外した。かつん、と乾いた音がした。指輪は、ごみ箱の底に落ちた。
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第5話

日が暮れかけた頃、ようやく3人が戻ってきた。午後いっぱい遊んだ芽依は汗だくで、真っ先に休憩所へ駆け込んだ。アイスクリームの売店を見つけると、目を輝かせ、直樹に指図した。「高瀬さん、アイス食べたい。早く買ってきて」そして、小声でつぶやいた。「今はパパじゃなくてボディーガードなんだから、もうだめって言えないよね」芽依は難産の末に生まれ、幼い頃から体が弱かった。医師からも、体調の変化に気を配るよう言われていた。直樹はこの5年間、できる限りのことをしてきた。夜中も何度となく起きて布団がはだけていないか確かめ、栄養が偏らないよう献立を工夫し、無理のない範囲で運動にも付き合った。遊び疲れた今、体を冷やすものを食べさせたくはなかった。以前なら、今はだめだと言い聞かせ、代わりに水を渡して休ませていただろう。だが今は、額の汗に目をやっただけで、静かに答えた。「分かりました」芽依は目を丸くした。記憶がなくなると、こんなにも変わってしまうのだろうか。「……本当にいいの?」芽依はこらえきれず、もう一度尋ねた。直樹はアイスクリームを買って渡した。それが答えだった。「これからは、何を望まれても止めませんから」拓海を父親にしたいという願いも。近づいてきた怜奈が、芽依の手にしたアイスクリームを見て眉をひそめた。「どうしてアイスなんか食べさせたの?」「本人が欲しがったので」怜奈は納得できず、平然とした直樹を見つめた。以前の直樹なら、こんなふうに汗だくで疲れているときには、食べさせなかったはずだ。記憶を失っていても、実の娘なのに。無意識に気遣ってしまうことさえ、ないのだろうか。その様子を見た拓海は、ふっと目を細めた。芽依の額の汗を拭ってやりながら、気遣うように口を開いた。「怜奈、そろそろ帰ろう。ずっと遊んでいたし、芽依も疲れたんじゃないかな」芽依も帰りたいとせがんだ。車に乗ると、よほど疲れていたのか、芽依は隣の拓海にもたれて眠ってしまった。直樹はミラーに映る、寄り添った「親子」を見た。かすかに口元をゆがめ、窓の外へ目を向けた。そのとき、制御を失った大型トラックが、こちらへ突っ込んできた。運転手がとっさにハンドルを切った。激しい衝突音が響き、車が電柱にぶつかった。前部が大きくつ
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第6話

車から救出されたとき、救助隊員に尋ねられた。「ご家族に連絡しましょうか?」直樹は少し黙ってから、首を横に振った。「いいえ。家族はいません」命の危険にさらされた自分を置き去りにする妻と娘を、もう家族とは呼べなかった。直樹はめまいをこらえ、1人で病院へ向かった。幸い、検査では大きな異常はなかった。薬を飲んで、数日安静にしていればよいという。薬を受け取り、処置室の前を通りかかった。中では、拓海が傷の手当てを受けていた。血がわずかににじむ程度の浅い傷だった。それでも、そばの母娘は気が気でない様子だった。芽依は医師の手元にあるガーゼを食い入るように見つめ、顔をしかめた。「先生、パパの手、跡が残っちゃう?」怜奈も口を挟んだ。「絵を描く仕事をしているんです。どうか、丁寧にお願いします」医師は笑みを浮かべた。「奥さんも娘さんも、ずいぶん心配なさっているんですね。大丈夫ですよ。この程度なら、傷跡もほとんど残らないでしょう」直樹はドアの外に立ったまま目を伏せ、皮肉な笑いが込み上げるのをこらえた。本当に、よくできた「妻」と「娘」だ。視線を戻し、立ち去ろうとした。「直樹?」「た、高瀬さん?」背後で、驚いた声が重なった。怜奈が真っ先に口を開いた。「どうやって来たの?検査は受けた?大丈夫だった?」その目の奥に、わずかな後ろめたさがにじんでいた。「ご心配ありがとうございます。俺は大丈夫です、奥様」他人行儀な呼び方に、怜奈は凍りついた。今の直樹は、藤崎家に雇われたボディーガードだ。分かってはいた。それでも、実際に距離を置かれると、胸の内がひどくざわついた。何か言いたかった。だが、直樹の冷静な顔を見ていると、喉が詰まって言葉が出てこなかった。そこへ、電話がかかってきた。会社で急用ができ、怜奈は先に立ち去った。残った3人には、自分たちで帰るよう言い残した。屋敷へ戻ると、芽依は真っ先に拓海を2階へ連れていった。直樹は、かつて自分の寝室だった部屋に、拓海が入っていくのを見ていた。拓海を休ませると、芽依は駆け下りてきて、1階の小さな寝室を指した。「高瀬さんのお部屋はここだよ」直樹は静かに娘を見た。「承知しました、お嬢様」なぜか芽依の顔が変わった。むっとして直樹を
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第7話

腰が作業台の角にぶつかった。鋭い痛みが走り、額に冷や汗がにじんだ。直樹はどうにか体を起こした。「俺は入れていません」何度否定しても、芽依は聞かなかった。他のボディーガードたちに言いつけ、直樹をリビングまで連れていかせた。拓海は全身に発疹が出て、顔色を失っていた。ソファに横たわり、怜奈に肩を支えられていた。「直樹、こんなひどいことをする人だったなんて」怜奈は怒りを抑えた声で言った。「怜奈……直樹も、わざとじゃなかったのかもしれない」拓海が力なく言った。弱りきった様子を見て、芽依は涙ぐんだ。「パパ、かばわなくていいよ!ずっとキッチンにいたんだもん、絶対この人が入れたんだよ。パパを苦しめたかったんだ!」直樹はあきれ果てた。拓海に何かあれば、この2人は何もかも直樹のせいにする。だが、忘れているのだろうか。今の自分は、ただのボディーガードだ。この家の「主人」である拓海に、何の恨みがあるというのだ。腰がまだ痛んだ。直樹は、もう一度繰り返した。「その人には、何もしていません」「うそつき!パパがこんなに苦しんでるのに、まだうそをつくの?ママ、悪いことをしたんだから、お仕置きしなきゃ!」芽依が怒鳴った。怜奈は拳を握りしめ、複雑な顔で直樹を見た。だが、支えている拓海の呼吸が弱々しくなると、目を閉じ、低く答えた。「……そうね」そして、拓海に肩を貸し、病院へ急いだ。「高瀬さん、悪いことをしたら罰を受けるんでしょ。自分でそう教えたよね」芽依が合図すると、2人のボディーガードが直樹の両腕を押さえた。続いて、使用人に牛乳を持ってこさせた。直樹は、信じられない思いで娘を見た。自分には、重い牛乳アレルギーがある。芽依は知っているはずだった。必死に抵抗したが、両側から押さえつけられ、振りほどけなかった。無理やり牛乳を流し込まれると、息が苦しくなった。膝が折れ、その場に崩れ落ちた。かすむ視界の中で、娘の顔だけは見えた。芽依は冷めた目で見下ろすばかりで、動こうともしなかった。実の娘が、別の男のために、自分を死なせかねないものを飲ませた。誰よりも深く自分を傷つけたのが、守り続けてきた娘だったとは。笑うしかなかった。もう耐えられなかった。目の前が暗くなり、すべての感覚が途切れた。
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第8話

その頃、怜奈は芽依を連れ、拓海の病室に戻っていた。拓海のアレルギー症状は、かなり治まっていた。芽依はベッドに駆け寄り、心配そうに尋ねた。「パパ、もう大丈夫?」拓海は芽依の頭をなで、笑った。「ああ、もう平気だよ。ありがとう、芽依」芽依はほっとした。それから、褒めてもらおうとするように続けた。「パパ、私、高瀬さんにも牛乳を飲ませたよ。あの人、牛乳はだめなんだよね。パパを苦しめたんだから、お仕置きしなきゃ!」話しながら、また怒りが顔に浮かんだ。拓海は一瞬驚いたが、すぐに内心ほくそ笑んだ。直樹を陥れるだけのつもりだったのに、思いがけないおまけがついた。怜奈と芽依に、直樹を嫌わせられれば十分だと思っていた。それが芽依は、自分のために実の父親にまで危害を加えたのだ。ますます自信が湧いてきた。これほど芽依に懐かれているなら、怜奈の夫の座を奪うのも時間の問題だろう。怜奈は今も自分を忘れられずにいる。拓海はそう信じて疑わなかった。直樹など、自分を忘れるために選んだだけの男なのだ。拓海は笑みを深めそうになり、慌てて困った顔を作った。「でも芽依、直樹が本当のパパなんだろ。記憶が戻ったら、どう思うかな……」芽依の体がこわばった。牛乳を持ってこさせたときも、パパが思い出したら怒るかもしれないとは考えた。けれど、苦しんでいる拓海の姿が頭から離れなかった。悪いことをしたら罰を受ける。それはパパ自身が教えたことだ。そう思って、勢いで飲ませてしまった。だが、パパが床に倒れたまま動かなくなると、急に怖くなった。慌ててボディーガードに言いつけ、病院へ運ばせた。あのときには、もう後悔していた。それなのに、病床のパパの落ち着いた顔を見ていると、なぜか意地を張って、思ってもいないことを口にしてしまった。ママになだめられ、ようやく安心できたところだった。拓海に言われると、また不安がこみ上げた。「平気だよ。パパは……怒ったりしないもん。先に悪いことをしたのは、パパだし!」自分に言い聞かせるように、声が大きくなった。怜奈は眉をひそめた。直樹が拓海にアレルギーを起こさせたから、芽依がお仕置きしたがったのだと信じていた。それでも、牛乳を無理やり飲ませるほどのことをするとは、思っていなかった。「芽依、今
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第9話

これほど厳しいママを見たことがなく、芽依は怖くなって身を引いた。「でも……」「でもじゃないの。パパは5年間、あなたを一生懸命育ててくれたのよ。そんなことを言われたら、どれほど傷つくか分かる?この7日間だけっていう約束だったでしょう。本当にパパを替えていいわけじゃないの」「……分かった、ママ」芽依はうつむいた。拓海は、シーツを強く握りしめていた。怜奈が、これほどまでに直樹との結婚にこだわるとは思わなかった。「拓海はゆっくり休んでいて。芽依と、直樹の様子を見てくるわ」怜奈は芽依の手を引き、病室を出た。歩きながら、芽依が不満そうに尋ねた。「ママ、やっぱり拓海お兄ちゃんがパパだったらいいのに。この7日間、すっごく楽しかったんだもん。ママだって、拓海お兄ちゃんと一緒にいると楽しそうだったよ?」はっきりだめだと言ったのに、娘がまだそう思っているとは。怜奈は、どう説明すればいいか分からなかった。確かに、拓海は初恋の相手だった。付き合っていた頃は、本気で結婚したいと思っていた。だから別れを告げられ、海外へ去られたとき、どうしても納得できなかった。直樹から恩返しをしたいと言われ、結婚を持ちかけたのも、そのせいだった。最初の動機は、決して褒められたものではない。結婚することで、失恋から立ち直りたかっただけだ。だが、結婚式の日。直樹の目にあふれる喜びを見て、胸を強く揺さぶられた。この人を裏切ってはいけない。そう思った。あの日交わした結婚の誓いに、偽りはなかった。毎朝用意される温かい朝食。深夜に帰っても、消えずに待っている明かり。酔って気分が悪いとき、枕元に置かれた水。日々の小さな思いやりが、あのときの選択は正しかったと教えてくれた。やがて、かわいい娘にも恵まれた。一緒に暮らすうちに、はっきり分かった。拓海とのことは、もう過去だ。これからの人生をともに歩むのは、直樹なのだと。それでも、かつて深く愛した相手との再会に、まったく心が動かないわけではなかった。頼られれば、突き放せなかった。そのうえ、芽依が拓海にひどく懐いていた。子どものことだ。珍しがっているだけで、すぐに落ち着くだろう。そう考えたから、7日間だけ拓海を父親にするという、無茶な願いを聞き入れた。だが、直樹と離婚するつ
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第10話

退院した?いつの間に。どうして、自分は何も聞いていないのだろう。怜奈はスマホを取り出し、直樹に電話をかけた。【ただいま電話に出ることができません】何度かけても、無機質な案内が繰り返されるだけだった。今まで感じたことのない不安が、胸に広がった。直樹が自分の電話に出ないことなどなかった。まさか、何かあったのだろうか。そう考えると、急に怖くなった。空の病室と、つながらない電話を見て、芽依が怜奈の袖を引いた。「ママ、パパ、おうちに帰ったんじゃない?」家に?そうだ。病院へ運ぶのが早かったから、大事には至らなかったと医師も言っていた。今の直樹は、自分を藤崎家のボディーガードだと思っている。1人で退院し、帰っただけなのだろう。怜奈は芽依を抱き上げ、足早に病院を出た。帰宅すると、玄関を開けるなり直樹の名を呼んだ。返事はなかった。眉をひそめ、2階の寝室へ向かおうとすると、芽依に服を引かれた。「ママ、パパのお部屋、今は1階だよ」怜奈の表情が曇った。この数日の芝居に合わせ、直樹の荷物を小さな寝室へ移すよう命じたのは自分だ。主寝室には拓海を入れ、自分は書斎で寝ていた。動揺のあまり、そのことを忘れていた。足を向け直し、1階の寝室を開けた。部屋は、もぬけの殻だった。今度こそ、不安を抑えられなかった。秘書に連絡して直樹を捜させようとしたとき、使用人の言葉に手が止まった。「奥様、ご主人でしたら、午後に戻られて、荷物をまとめて出ていかれました」怜奈は、その場に立ち尽くした。「自分で……出ていったの?」使用人がうなずいた。そこで初めて気づいた。直樹の服も日用品も、すべてなくなっていた。なぜ出ていったのだろう。どこへ行ったのだろう。どうして、何も言ってくれなかったのだろう。疑問ばかりが押し寄せ、頭が働かなかった。「出ていくとき、何か言っていなかった?」使用人はしばらく考え、はっとした。「そういえば、最後にお屋敷を振り返って……『怜奈、芽依、もう会うことはない』と、そのようなことを……」怜奈の顔色を見て、声がだんだん小さくなった。使用人も、ただ出かけたのではないのだと気づいた。怜奈の頭の中では、耳鳴りがしていた。何も告げずに去ったこと。自分たち
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