All Chapters of 夫を送る日、息子はいなかったーー榊原家の秘密: Chapter 1 - Chapter 2

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1話

「お子さまを、もう少しお待ちになりますか」葬儀会館のスタッフが、棺のそばに立つ榊原若菜(さかきばら わかな)に尋ねた。一般の参列者はほとんど帰り、式場には親族と葬儀社のスタッフだけが残っていた。祭壇のろうそくはまだ揺れ、白い花に囲まれた遺影の中で、夫の榊原圭吾(さかきばら けいご)は穏やかに笑っている。棺の中の顔は、その写真より少し痩せて見えた。若菜は遺影から目をそらさなかった。「いいえ。このまま閉じてください」スタッフが棺のふたに手をかけた瞬間、最前列に座っていた義母の榊原祥子(さかきばら しょうこ)が勢いよく立ち上がった。「待って!」泣きはらした目を若菜へ向け、祭壇の前へ出てくる。「湊はどこなの?」若菜は棺のそばを動かずに答えた。「今日は幼稚園の発表会です。妹が付き添っています」祥子は棺へ目をやり、すぐに若菜へ向き直った。「発表会って……今日は父親の葬儀なのよ。それでも行かせたの?」声は式場の後ろまで届いた。席を立ちかけていた親族が動きを止め、出口へ向かっていた参列者も振り返った。「今すぐ呼び戻しなさい!まだ間に合うでしょう。父親と最後のお別れもさせないつもり?」「呼び戻しません」若菜は一歩も退かなかった。「湊は最後まで舞台に立たせます」「何を考えているの。湊はまだ6歳なのよ。今日、父親の顔を見なければ、もう二度と会えないのよ!」祥子は棺の中へ手を伸ばし、圭吾の頬に触れた。指先を離しても、その手は宙に残ったままだった。やがて手のひらを胸元へ押し当て、喪服の布を強くつかんだ。祭壇の下には、湊を肩車した圭吾の写真が飾られていた。ふたりともカメラへ顔を向け、楽しそうに笑っている。祥子は写真を指した。「湊が生まれてから、圭吾がどれだけあの子を大切にしてきたか、あなたが一番よく知っているでしょう。それなのに、父親との最後の別れまで奪うの?母親として、何とも思わないの!」「圭吾は、今日の発表会を楽しみにしていました」「勝手に圭吾の気持ちを決めつけないで!」「あの人なら、湊が決めたことを最後まで応援したはずです」前日の夜、若菜はリビングで湊と向かい合い、圭吾がもう帰ってこないことを伝えた。湊は膝の上に置いた発表会の台本を見つめたまま、長いあいだ何も言わなかった。やがて台本の角を折れそうなほどつかみ、何度も瞬きをした。
last updateLast Updated : 2026-09-15
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2話

葬儀を終えて自宅へ戻ったとき、外はもう暗くなっていた。若菜が玄関の明かりをつけると、圭吾の革靴が目に入った。出かける前のまま、つま先をきれいにそろえて置かれている。廊下には濃紺のコートが掛かり、片方のポケットから革手袋がのぞいていた。朝、圭吾が家を出た姿だけが、そのまま残っているようだった。若菜は白い布に包まれた遺骨と位牌を抱え、居間の一角に用意した祭壇へ運んだ。線香を一本あげ、鈴を鳴らす。「ただいま」答える声はなかった。テーブルには、湊が発表会で使った台本が開いたまま残っていた。椅子の背には、練習のときにかぶっていた黄色い帽子が掛かっている。若菜は台所へ入り、戸棚からコップを取り出した。青い車の絵が描かれた、湊のコップだった。水を注ぐ寸前で手が止まった。コップを洗いかごへ戻し、自分のグラスを出し直す。ひと口も飲まないうちに、玄関の呼び鈴が鳴った。モニターには祥子と英明が並んでいた。若菜が扉を半分ほど開けると、祥子は大きな黒いバッグを腕に掛けたまま、開いた隙間へ足を進めた。「湊の着替えを取りに来たわ」「祥子さん、今夜は帰ってください」「着替えを持って帰るだけよ」祥子は若菜の肩をかすめるように玄関へ入った。英明は敷居の外で一度足を止めたが、妻を制止せず、黙ってあとへ続いた。祥子は靴を脱ぐと、迷わず廊下の奥へ向かった。若菜は追い越し、湊の部屋の前に立った。「着替えは必要ありません」「妹さんの家に、何日分も置いていないでしょう」「明日は私が迎えに行きます。そのあとは、この家へ帰ります」「ここへ?」祥子は廊下を見回した。壁には、湊が描いた三人の似顔絵が貼られている。圭吾だけが大きく描かれ、両手に若菜と湊をつないでいた。「圭吾がいない家へ、あの子を戻すつもりなの?」「ここが湊の家です」「本邸にも部屋はあるわ。泊まりに来たときの服も本も、そのまま置いてある。今までどおり幼稚園へ通えるよう、運転手にも話しました」「運転手に?」「朝は本邸から送らせます。帰りも迎えに行かせるわ。食事も身の回りのことも家の者が見る。あなたが仕事に戻っても、湊をひとりにせずに済むでしょう」申し出ではなかった。祥子の口から出てくる予定は、どれもすでに決まっていた。若菜は黒いバッグへ目を向けた。「そのための着替えですか」「しばらく必要なも
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