夫を送る日、息子はいなかったーー榊原家の秘密

夫を送る日、息子はいなかったーー榊原家の秘密

last updateTerakhir Diperbarui : 2026-11-03
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Bahasa: Japanese
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結婚して7年、夫が亡くなった。夫・榊原圭吾(さかきばら けいご)の葬儀に、榊原若菜(さかきばら わかな)は6歳の息子・榊原湊(さかきばら みなと)を連れてこなかった。激怒した義母は、孫を本家へ取り戻そうとする。四十九日にも姿を見せない湊。募る疑念から義母がひそかに親子鑑定を依頼すると……三世代の嘘と選択が交錯する、家族愛憎サスペンス。

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Bab 1

1話

「お子さまを、もう少しお待ちになりますか」

葬儀会館のスタッフが、棺のそばに立つ榊原若菜(さかきばら わかな)に尋ねた。

一般の参列者はほとんど帰り、式場には親族と葬儀社のスタッフだけが残っていた。祭壇のろうそくはまだ揺れ、白い花に囲まれた遺影の中で、夫の榊原圭吾(さかきばら けいご)は穏やかに笑っている。

棺の中の顔は、その写真より少し痩せて見えた。

若菜は遺影から目をそらさなかった。

「いいえ。このまま閉じてください」

スタッフが棺のふたに手をかけた瞬間、最前列に座っていた義母の榊原祥子(さかきばら しょうこ)が勢いよく立ち上がった。

「待って!」

泣きはらした目を若菜へ向け、祭壇の前へ出てくる。

「湊はどこなの?」

若菜は棺のそばを動かずに答えた。

「今日は幼稚園の発表会です。妹が付き添っています」

祥子は棺へ目をやり、すぐに若菜へ向き直った。

「発表会って……今日は父親の葬儀なのよ。それでも行かせたの?」

声は式場の後ろまで届いた。

席を立ちかけていた親族が動きを止め、出口へ向かっていた参列者も振り返った。

「今すぐ呼び戻しなさい!まだ間に合うでしょう。父親と最後のお別れもさせないつもり?」

「呼び戻しません」

若菜は一歩も退かなかった。

「湊は最後まで舞台に立たせます」

「何を考えているの。湊はまだ6歳なのよ。今日、父親の顔を見なければ、もう二度と会えないのよ!」

祥子は棺の中へ手を伸ばし、圭吾の頬に触れた。指先を離しても、その手は宙に残ったままだった。やがて手のひらを胸元へ押し当て、喪服の布を強くつかんだ。

祭壇の下には、湊を肩車した圭吾の写真が飾られていた。ふたりともカメラへ顔を向け、楽しそうに笑っている。

祥子は写真を指した。

「湊が生まれてから、圭吾がどれだけあの子を大切にしてきたか、あなたが一番よく知っているでしょう。それなのに、父親との最後の別れまで奪うの?母親として、何とも思わないの!」

「圭吾は、今日の発表会を楽しみにしていました」

「勝手に圭吾の気持ちを決めつけないで!」

「あの人なら、湊が決めたことを最後まで応援したはずです」

前日の夜、若菜はリビングで湊と向かい合い、圭吾がもう帰ってこないことを伝えた。

湊は膝の上に置いた発表会の台本を見つめたまま、長いあいだ何も言わなかった。やがて台本の角を折れそうなほどつかみ、何度も瞬きをした。

「お父さん、明日も来られないの?」

「うん」

若菜は、それだけ答えた。

湊はうつむいた。圭吾の名前が書かれた見学者用の札は、ローテーブルの上に置かれたままだった。

「明日の発表会は、休んでもいいんだよ」

若菜がそう言うと、湊は台本を胸に抱き、首を横に振った。

「出る。お父さんと、いっぱい練習したから」

「無理をしなくていいの」

「お父さん、最後までできたら、一番大きな拍手をするって言ってた」

そこで初めて、湊の目から涙がこぼれた。

「お父さんが来なくても、僕、最後までやる」

若菜は湊の隣へ座り、その小さな体を抱き寄せた。湊は声を押し殺すように、若菜の喪服へ顔を埋めた。

朝になると、湊は自分で舞台衣装の入った袋を持ち、若菜の妹、西村琴音(にしむら ことね)と家を出た。

玄関を出る直前、壁に飾られた圭吾との写真へ向かって、小さく「行ってきます」と言った。

葬儀へ連れてくれば、湊は圭吾の顔を見ることができる。発表会へ送り出せば、その最後の機会を失う。

若菜は、湊が自分で選んだ約束だけは、途中で取り上げまいと決めた。

祥子は黒いバッグからスマホを取り出した。

「だったら私が妹さんに電話するわ。番号を教えなさい」

「教えません」

「圭吾の子でしょう!」

祥子の叫び声が式場に響いた。

スタッフが棺から手を離し、困ったようにふたりを見比べる。参列者の間では、押し殺した声がいくつも重なっていた。

若菜は一度、棺の中の圭吾へ目を向け、それから祥子を見た。

「圭吾の息子だからこそ、湊があの人と交わした約束を最後まで守らせます」

「何を言っているの。きちんと説明しなさい!」

祥子が若菜へ詰め寄ろうとした。

「祥子、もうやめなさい」

最前列に座っていた榊原英明(さかきばら ひであき)が立ち上がった。

「あなたは黙っていて!」

祥子は夫を振り返り、声を張り上げた。

「圭吾がこんな姿になっているのに、どうして黙っていられるの!湊までいないのよ。圭吾は自分の息子に見送ってもらうことさえできないのよ!」

最後の言葉は涙に崩れた。

祥子は口元を押さえたが、嗚咽を止められなかった。もう片方の手に握ったスマホが、細かく震えている。

若菜は何も答えず、棺へ向き直った。

圭吾の胸元に添えられた花を避け、少し乱れていた白いシャツの袖口を指先で整えた。

何度直しても、圭吾は朝になると片方だけずらして家を出た。若菜が玄関で引き留めて直すと、いつも困ったように笑っていた。

今は、指先を離しても、袖口はきれいにそろったままだった。

整え終えても、若菜の手はしばらく袖口に触れたままだった。

祥子は若菜の横顔を見つめた。唇が一度動いたが、声にはならなかった。

やがて若菜は手を引き、スタッフへ向き直った。

「お待たせしてすみません。お願いします」

スタッフは小さくうなずき、棺のふたを閉じ始めた。

「圭吾……待って。湊が、まだ来ていないのよ」

祥子が棺へ手を伸ばした。英明がその腕を押さえた。

「離して!」

留め具のかかる音が、祥子の叫びを遮った。

棺のふたは、完全に閉じられた。

祥子は英明の手を振り払い、閉じた棺へ両手を置いた。指先が白くなるほど力を込めても、ふたはもう動かなかった。

若菜は一歩離れた場所に立っていた。頬には、最後まで涙が見えなかった。

……

出棺を終え、親族は火葬場へ向かった。

圭吾の棺が火葬炉へ納められても、祥子はその場を離れようとしなかった。遺影を胸に抱き、閉じた炉の扉を見つめ続けていた。

係員に促され、ようやく待合室へ入った。

若菜が窓際の席に座ると、祥子も正面へ腰を下ろした。英明は少し離れた場所に立ち、ふたりの会話を避けるように窓の外を見ていた。

「今日のことで、よく分かったわ」

祥子は膝の上でハンカチを握りしめた。何度折り直しても端がそろわず、最後には小さく丸めて手の中へ閉じ込めた。

「この先、湊のことをあなたひとりに決めさせるわけにはいかない」

若菜が顔を上げた。

「どういう意味ですか」

「圭吾が亡くなった以上、今までと同じではいられないということよ。湊のことは、これから私たちにも相談してもらいます」

「湊の暮らしを変えるつもりはありません」

「あなたひとりの子ではないでしょう。圭吾が残した、たったひとりの息子よ。榊原家の跡継ぎでもあるの」

「湊は、まだ6歳の子どもです」

「だからこそ、あなたの都合だけで振り回していいはずがないでしょう!」

そのとき、若菜のバッグの中でスマホが震えた。

琴音から、短いメッセージと写真が届いていた。

【発表会、無事に終わったよ。湊、最後まで頑張った】

写真の中で、舞台衣装を着た榊原湊(さかきばら みなと)が笑っていた。目元は少し赤く、それでも折り紙の花を胸の前で掲げている。

若菜は写真を見つめ、画面の上へ親指を置いた。無事に終わった。その言葉に息をつくことさえ、祥子の前ではためらわれた。

「湊なのね。見せなさい」

祥子が手を伸ばした。若菜はスマホを胸元へ引き、画面を伏せた。

「今は見せません」

「どうして隠すの?」

「湊に会うときは、先に私へ連絡してください。幼稚園や妹の家へ、勝手に迎えに行くこともやめてください」

「私を不審者のように扱うつもり?」

「湊を混乱させたくないだけです」

「父親との別れもさせなかったあなたが、よくそんなことを言えるわね!」

若菜はスマホをバッグへ戻し、席を立った。

「若菜さん」

祥子の声が、その背中を追った。

「あなたがそういう態度を取るなら、私にも考えがあります」

若菜の足が止まった。

「何をするつもりですか」

祥子は涙をぬぐい、圭吾の遺影を胸へ抱き直した。

「圭吾の子は、榊原家へ返してもらいます」

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面白い発想大好き
面白い発想大好き
若菜の子って、まさか義理のお父さんの子じゃないですよね?
2026-09-27 10:49:09
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1話
「お子さまを、もう少しお待ちになりますか」葬儀会館のスタッフが、棺のそばに立つ榊原若菜(さかきばら わかな)に尋ねた。一般の参列者はほとんど帰り、式場には親族と葬儀社のスタッフだけが残っていた。祭壇のろうそくはまだ揺れ、白い花に囲まれた遺影の中で、夫の榊原圭吾(さかきばら けいご)は穏やかに笑っている。棺の中の顔は、その写真より少し痩せて見えた。若菜は遺影から目をそらさなかった。「いいえ。このまま閉じてください」スタッフが棺のふたに手をかけた瞬間、最前列に座っていた義母の榊原祥子(さかきばら しょうこ)が勢いよく立ち上がった。「待って!」泣きはらした目を若菜へ向け、祭壇の前へ出てくる。「湊はどこなの?」若菜は棺のそばを動かずに答えた。「今日は幼稚園の発表会です。妹が付き添っています」祥子は棺へ目をやり、すぐに若菜へ向き直った。「発表会って……今日は父親の葬儀なのよ。それでも行かせたの?」声は式場の後ろまで届いた。席を立ちかけていた親族が動きを止め、出口へ向かっていた参列者も振り返った。「今すぐ呼び戻しなさい!まだ間に合うでしょう。父親と最後のお別れもさせないつもり?」「呼び戻しません」若菜は一歩も退かなかった。「湊は最後まで舞台に立たせます」「何を考えているの。湊はまだ6歳なのよ。今日、父親の顔を見なければ、もう二度と会えないのよ!」祥子は棺の中へ手を伸ばし、圭吾の頬に触れた。指先を離しても、その手は宙に残ったままだった。やがて手のひらを胸元へ押し当て、喪服の布を強くつかんだ。祭壇の下には、湊を肩車した圭吾の写真が飾られていた。ふたりともカメラへ顔を向け、楽しそうに笑っている。祥子は写真を指した。「湊が生まれてから、圭吾がどれだけあの子を大切にしてきたか、あなたが一番よく知っているでしょう。それなのに、父親との最後の別れまで奪うの?母親として、何とも思わないの!」「圭吾は、今日の発表会を楽しみにしていました」「勝手に圭吾の気持ちを決めつけないで!」「あの人なら、湊が決めたことを最後まで応援したはずです」前日の夜、若菜はリビングで湊と向かい合い、圭吾がもう帰ってこないことを伝えた。湊は膝の上に置いた発表会の台本を見つめたまま、長いあいだ何も言わなかった。やがて台本の角を折れそうなほどつかみ、何度も瞬きをした。
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-09-15
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2話
葬儀を終えて自宅へ戻ったとき、外はもう暗くなっていた。若菜が玄関の明かりをつけると、圭吾の革靴が目に入った。出かける前のまま、つま先をきれいにそろえて置かれている。廊下には濃紺のコートが掛かり、片方のポケットから革手袋がのぞいていた。朝、圭吾が家を出た姿だけが、そのまま残っているようだった。若菜は白い布に包まれた遺骨と位牌を抱え、居間の一角に用意した祭壇へ運んだ。線香を一本あげ、鈴を鳴らす。「ただいま」答える声はなかった。テーブルには、湊が発表会で使った台本が開いたまま残っていた。椅子の背には、練習のときにかぶっていた黄色い帽子が掛かっている。若菜は台所へ入り、戸棚からコップを取り出した。青い車の絵が描かれた、湊のコップだった。水を注ぐ寸前で手が止まった。コップを洗いかごへ戻し、自分のグラスを出し直す。ひと口も飲まないうちに、玄関の呼び鈴が鳴った。モニターには祥子と英明が並んでいた。若菜が扉を半分ほど開けると、祥子は大きな黒いバッグを腕に掛けたまま、開いた隙間へ足を進めた。「湊の着替えを取りに来たわ」「祥子さん、今夜は帰ってください」「着替えを持って帰るだけよ」祥子は若菜の肩をかすめるように玄関へ入った。英明は敷居の外で一度足を止めたが、妻を制止せず、黙ってあとへ続いた。祥子は靴を脱ぐと、迷わず廊下の奥へ向かった。若菜は追い越し、湊の部屋の前に立った。「着替えは必要ありません」「妹さんの家に、何日分も置いていないでしょう」「明日は私が迎えに行きます。そのあとは、この家へ帰ります」「ここへ?」祥子は廊下を見回した。壁には、湊が描いた三人の似顔絵が貼られている。圭吾だけが大きく描かれ、両手に若菜と湊をつないでいた。「圭吾がいない家へ、あの子を戻すつもりなの?」「ここが湊の家です」「本邸にも部屋はあるわ。泊まりに来たときの服も本も、そのまま置いてある。今までどおり幼稚園へ通えるよう、運転手にも話しました」「運転手に?」「朝は本邸から送らせます。帰りも迎えに行かせるわ。食事も身の回りのことも家の者が見る。あなたが仕事に戻っても、湊をひとりにせずに済むでしょう」申し出ではなかった。祥子の口から出てくる予定は、どれもすでに決まっていた。若菜は黒いバッグへ目を向けた。「そのための着替えですか」「しばらく必要なも
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-09-15
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3話
若菜が幼稚園へ駆けつけると、祥子は門の前で湊の手を取っていた。担任の琴音は湊の通園バッグを胸に抱え、困り切った顔で若菜を見た。若菜の姿を認めると、張り詰めていた息をそっと吐く。そのすぐそばには、祥子が湊を車へ連れていかないよう、園の主任職員が立っていた。門前に止まった黒塗りの車には、子ども用のシートが取り付けられている。後部座席の足元には、新品の青いリュックが置かれていた。朝の送りに来た保護者たちは、黒塗りの車と、湊の手を離そうとしない祥子を見比べ、子どもを園内へ送りながら何度も振り返っていた。「湊」若菜が呼ぶと、湊が振り返り、母へ手を伸ばした。「お母さん」それでも祥子は、湊の手を離さなかった。「ちょうどよかったわ。今日は幼稚園を休ませて、本邸へ連れて帰ります」「そんな話は聞いていません」「いつまで待っても湊くんに会わせてもらえないから、ここで待っていたの」祥子は空いた手で、車の後部ドアを開けた。「本邸には、お父さんが子どもの頃に使っていた部屋が残っているの。昔の写真もたくさんあるわ。今日は幼稚園を休んで、おばあちゃんの家で過ごしましょう」湊は車の中を見てから、祥子を見上げた。「お母さんも行く?」「若菜さんとは、あとで話すわ。さあ、乗って」「待ってください」主任職員が祥子を制し、若菜を見た。「お母さま、湊くんはこのまま登園でよろしいですか」「はい。お願いします」主任職員は若菜の返事を確認すると、湊の前へ半歩出た。「では、このまま園でお預かりします」「家族の話です。口を挟まないでくださる?」「園児の安全に関わることですので、そうはいきません」「お母さん」湊が若菜を見上げた。祥子の指が緩んだ隙に、若菜は湊の手を取り、自分の隣へ寄せた。「湊を連れていかないでください」「あなたが仕事へ行っている間、湊くんに何かあったらどうするの」「今までどおり、幼稚園と預かり保育を利用します」「他人へ預けるくらいなら、祖母の私がいるでしょう」若菜は、開いたままの後部座席へ目を向けた。祥子はその視線を追い、足元に置かれていた青いリュックを取り出した。ファスナーを開くと、中には新品のパジャマと歯ブラシ、数日分の着替えが詰められていた。「湊くんの部屋も用意したわ。送り迎えも食事も、家の者が面倒をみるの。圭吾が育った家で暮ら
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-09-23
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4話
圭吾が亡くなって、ひと月余りが過ぎた。夕方6時、祥子は四十九日の案内状を持って若菜の家を訪ねてきた。若菜が居間の椅子を勧めると、祥子は黒いバッグを膝に置いて腰を下ろした。圭吾の遺影と遺骨が置かれた祭壇へ一礼したあと、居間のソファで眠っている湊を見る。湊は幼稚園から帰るなり、着替えもせずに眠ってしまった。胸元には、圭吾が書き込みをした発表会の台本が残っている。祥子は湊へ手を伸ばしながら腰を浮かせたが、若菜が小さく首を振った。「起こさないでください。昨夜も何度か目を覚ましています」祥子は湊へ伸ばしかけていた手を引き、椅子へ腰を戻した。「圭吾が亡くなってから、私は一度も湊くんとゆっくり話せていないのよ」声は抑えていたが、若菜を見る目には不満がにじんでいた。「電話をしても、今は眠っている、今日は疲れている。私がこの子とゆっくり話せたことが、一度でもあった?」「朝起きても、幼稚園から帰っても、圭吾がいない。そのことを、湊はまだ受け止めきれていないんです」「私だって受け止められていないわ」祥子の声が揺れた。「息子を失ったうえに、孫の声まで聞かせてもらえない。私が何をしたというの?」最後のひと言だけが思いのほか大きくなり、湊がソファの上でわずかに身じろぎした。祥子ははっと口を閉じた。湊が目を覚まさなかったことを確かめてから、若菜へ向き直る。声は落としたが、その響きには先ほどまでなかった硬さが戻っていた。「私を嫌うのは勝手よ。でも、湊くんまで連れて榊原家から逃げられると思わないで。あの子は、圭吾がこの世に残したたった一人の息子なの。あなた一人のものではないわ」祥子は本気で分かっていなかった。若菜を家族から締め出してきたことと、その若菜が育ててきた湊を「自分の孫」として求めることは、祥子の中で少しも矛盾していないのだ。若菜は言い返さず、湊の肩からずり落ちた毛布を掛け直した。祥子はその手元をしばらく見つめていた。若菜が答える気はないと悟ると、口元を引き締め、膝に置いたバッグを開いた。「今日は、これを渡しに来たの」取り出した厚い封筒を、若菜の前へ置いた。「四十九日は次の日曜日。午前11時から読経、そのあと納骨と会食よ」封筒には案内状のほか、席次表と小さな席札が入っていた。席次表の最前列には、祥子の隣に「榊原湊」と印刷され、その横に
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-09-23
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5話
「おばあちゃんが決めた席だからよ。お母さんは、湊と離れて座りたいわけじゃない」 若菜は席次表を畳み、湊のそばへしゃがんだ。 「四十九日に行くときは、隣に座れるよう祥子さんに話すね」 湊は若菜の顔を見て、ようやく席次表から手を離した。 「うん。お母さんも一緒がいい」 …… 四十九日の朝、榊原家が貸し切った寺の参道には、黒塗りの車が途切れなく入ってきた。 本堂の正面には圭吾の遺影が掲げられ、白菊と胡蝶蘭が階段状に並んでいる。 受付にはグループの総務担当が立ち、参列者の名を確認していた。 榊原メディカルグループ各社の役員、提携病院の理事、古くから付き合いのある親族が、受付へ名刺を預けていく。 祭壇へ進む前には、誰もが英明と祥子の前で足を止め、深く頭を下げた。 圭吾の四十九日は、息子を弔う法要であると同時に、跡継ぎを失った榊原家の今後を探る場にもなっていた。 祥子は挨拶を返しながら、何度も山門を見た。 午前7時12分、若菜からメッセージが届いていた。 【湊が明け方から熱を出しました。本日の法要には参列できません。落ち着き次第、改めて圭吾さんのお墓へ連れていきます】 祥子はすぐに電話をかけたが、若菜は出なかった。 「よりによって、今日になって熱ですって?」 祥子は若菜から届いたメッセージを何度も読み返した。 それでも、湊のために用意した子ども用の椅子は片づけさせなかった。 法要が始まるまでに熱が下がるかもしれない。 若菜も、親族全員を待たせていると分かれば、遅れてでも湊を連れてくるかもしれない。 そう自分に言い聞かせ、車が門をくぐるたびに顔を上げた。 しかし、どの車からも若菜と湊は降りてこなかった。 午前11時が近づき、係の者が本堂の重い扉へ手をかけた。 祥子は空いた椅子を見たまま、まだ「始めて」と言えずにいた。 「あと5分、待って」 「もう定刻です」 英明が腕時計を見た。 「来る者は来ている。始めさせなさい」 圭吾の遺影を前に親族が並ぶなか、祥子の隣に置かれた子ども用の椅子だけが空いていた。 「榊原湊」と印刷された席札は、誰にも触れられないまま残されている。 榊原家では、後継と見なされた子を親族席の最前列へ座らせ、当主夫妻に続いて焼香させるのが古くからの習わしだった。 本堂に集まった男たちは、自然に三つの群れ
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-09-24
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6話
伯母の問いに、祥子はすぐには答えなかった。「熱だと聞いているわ。若菜さんが隠しているみたいに言わないで」伯母の目が、祥子の隣に置かれた子ども用の椅子へ向いた。「葬儀の日も、会えなかったでしょう」斜め向かいの親族が、ふたりの会話へ声を重ねた。「あの日は幼稚園の発表会。四十九日の今日は熱。大事な日が二度とも重なるなんて、偶然にしては変だわ」伯母は空いた椅子を見た。「それだけかしら」伯母の視線が、空席の名札へ落ちた。「圭吾があれほど可愛がっていたのに、私たちは湊くんと数えるほどしか会っていないでしょう」「写真で見たけれど、圭吾にはあまり似ていなかったわね」祥子は箸を膳へ置いた。「圭吾さんの子なら、法要から隠す必要なんてないものね」「何を言っているんですか?誰が何といっても湊は圭吾の子!」祥子の震えた声が広間に通り、親族たちの会話が途切れた。祥子の脳裏に、若菜の家で見た発表会の台本が浮かんだ。湊の台詞の横には、圭吾の字で「ここで前を向く」と書かれていた。圭吾が湊を息子として愛していたことに、疑う余地などない。だからこそ、血縁まで疑う言葉を聞き流すことができなかった。伯母は一瞬目をそらし、取り繕うように笑った。「もちろん、そういう意味ではないの。ただ、葬儀にも四十九日にも出さないから、何か事情があるのかと思って」謝る口調とは裏腹に、親族たちは目を合わせていた。幼稚園では湊を本邸へ連れて帰れず、四十九日の出席も約束されないまま、今日も席が空いた。熱だという若菜の連絡を信じたいのに、伯母の言葉が頭から離れなかった。会食が終わりに近づき、係の者が空いた膳を下げようとした。「もう下げていい」英明が湊の膳を指した。「触らないで。まだ来るかもしれないでしょう」「法要は終わった」英明はそれだけ言い、帰りの挨拶を待つ役員たちのもとへ戻った。英明が離れるのを待っていたように、鷺宮家の男が祥子の席へ来た。法要の前、英明へ何度も頭を下げていた親族だ。「圭吾さんの持株の件です。湊くんがお継ぎになるなら、成人するまで、ご実家から支える者を出せます」祥子は顔を上げた。会食の料理がまだ並ぶ卓で、男は息子の株の行方を気にしている。「今日は圭吾の四十九日よ」「承知しています。ただ、湊くんの姿が見えないままでは、役員たちも不安になります」男
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-09-24
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7話
「本邸へ戻ったら、圭吾の歯ブラシを出すわ」四十九日の会食を終え、寺の廊下を歩きながら、祥子は執事の相馬に言った。先ほど話していた病院長は、もう別の参列者に挨拶をしている。「湊くんのも、残してあるはずよ」相馬は足を止めた。祥子はそのまま進みかけ、振り返った。「聞こえた?」「はい。ただ、若菜さまにはお知らせになるのでしょうか」祥子は答えず、バッグの口を押さえた。中には、会食の席から持ち帰った湊の席札がある。名を印刷して待っていた椅子は、最後まで空いたままだった。「先に知らせたら、若菜さんは湊くんを連れて来なくなる。結果を見てから話すわ」その言葉で、相馬にも何を調べるつもりか分かった。ふたりの歯ブラシを、若菜に知らせず鑑定に出すのだ。「湊さまは、まだ小さいお子さまです」「分かっているわ」祥子の声が一段低くなった。「だから、あの子に聞く前に確かめたいの」本邸へ戻ると、祥子は着替えもせず二階へ上がった。圭吾が帰ってきたときに使っていた洗面所の棚を開ける。洗面台には水滴ひとつなく、使う人のいなくなった黒い歯ブラシだけが、コップに立ててあった。祥子はそれを取ろうとして、手を止めた。「これを使っていたのは、圭吾ですか」相馬が尋ねると、祥子は顔を上げなかった。「ええ。捨てないでと、私が言ったの」圭吾が亡くなってから、祥子はそのコップにも触らせていなかった。今は自分で歯ブラシを抜き、相馬へ差し出す。相馬は新しい袋を開き、柄に手を触れないよう受け取った。湊の歯ブラシは、廊下を挟んだ客用の洗面所にあった。子どもの手でも届く低い棚に、青い柄の一本が残されている。「これも、前に湊くんが使ったものよ」祥子は相馬が別の袋へ入れるまで、その場を離れなかった。袋にそれぞれ名前を記すと、相馬は念のため確かめた。「圭吾さまの物と、湊さまの物。お預かりしました」「うん」「結果は、奥さまだけにお渡しすればよろしいですか」「ええ。まず私が見るわ」相馬が袋を持ち上げると、祥子の目が黒い歯ブラシを追った。圭吾がまた泊まりに来ることはない。それでも、捨てさせることだけはできなかった。息子が使った物を残しておくためだったはずなのに、今はそれで、息子の家庭を疑おうとしている。「……終わったら、返してもらって」祥子はそう言い、相馬から顔を背けた
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-09-25
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8話
翌朝、若菜が本邸の小応接室へ入ると、祥子は窓側のソファに座っていた。英明がその隣、圭吾の伯母が向かい側。若菜の椅子だけが入口に近い。執事の相馬は扉の脇に立った。厚い絨毯に足音を吸われ、扉が閉まると庭の水音まで遠くなった。四十九日の席次表と同じだ。湊の名だけを前へ置き、若菜はいつも家族の端に座らされる。「湊くんは?」祥子が尋ねた。「連れてきていません」「それでいいわ」祥子は開封済みの報告書を若菜の前へ滑らせた。「読んで。みんなに聞こえるように」若菜は紙を持ち上げた。紙に並んだ文字を目で追い、声に出す。「提出された二検体について、生物学上の父子関係を支持しない……?」祥子の視線が、英明から伯母へ動いた。伯母の膝から、バッグが滑りかけた。英明は若菜ではなく、まず祥子を見た。祥子は二人の反応を確かめるように座っている。若菜の視線は紙の下へ移った。そこには、【検体は、依頼者が持ち込んだ歯ブラシ二本】と書いてあった。「これ、どういうことですか」「どういうこと?こっちのセリフよ!」祥子が身を乗り出した。「湊くんが圭吾の子じゃないって、どういうことなの。六年間、あの子を榊原家の孫だと思ってきたのよ!」「湊の歯ブラシを、私に黙って調べたんですか」「本邸に置いてあったものよ。ふたりが前に泊まったときのもの。もう3カ月以上になるけれど、圭吾の分も湊くんの分も、残してあったの」「私には、一言もありませんでした」「先にあなたへ知らせて、素直に調べさせてもらえたかしら?」若菜は報告書から顔を上げた。幼稚園の門では、祖母だからと湊を連れ帰ろうとした。自分を家族に入れなかった人が、湊だけは欲しがった。その湊まで、今度は本当に孫なのかと疑っていた。「祥子さん」伯母の声が割って入った。「法要で、私が似ていないと言ったから?本当に調べたのね」祥子は伯母を見ない。伯母はその沈黙で十分だったらしい。伯母はバッグを抱え直し、若菜へ顔を向けた。「圭吾は、湊くんをあんなに可愛がっていたのに……」伯母は一度言葉を切った。「若菜さん。あなたは知っていたの?」伯母の声はかすれていた。若菜は持っていた報告書を卓上に置いた。すぐには答えず、伯母を見返した。その沈黙を肯定と受け取ったのか、伯母の顔から血の気が引いていった。若菜には問いを重ねず
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-09-26
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9話
「分かりました」 若菜は、立ったままの英明に答えた。 「家にある物も、勝手に持ち出さず、私がいるときに見てください」 英明は相馬へ顎を向けた。 「手配しろ。今度こそ、誰のものか分からないとは言わせるな」 祥子の前には、角の折れた報告書が残っていた。 …… 翌日の昼、本邸へ戻った相馬は英明の書斎に入った。 「若菜さまにも立ち会っていただきましたが、すぐ再鑑定に使える物は、まだ確保できておりません」 「家にも残っていないのか」 「ご遺品はあります。ただ、圭吾さまのものと確認でき、鑑定にも使えるかとなりますと、調べる時間が必要です」 英明が返事をする前に、机の電話が鳴った。 画面には、兄の榊原宗一(さかきばら そういち)の名前が表示されていた。 英明は相馬を下がらせず、スピーカーで電話に出た。 「麗子から聞いたぞ。湊くんのことで、どうなっている。俺にも説明してもらおう」 宗一の妻、榊原麗子(さかきばら れいこ)は、圭吾の伯母にあたる。 昨日、鑑定結果を聞いて「夫にも話します」と帰っていった麗子が、さっそく宗一に伝えたのだ。 英明は机に肘をついた。 「話すなら、皆の前だ。今夜6時に来てくれ」 電話を切り、相馬へ向き直る。 「今夜、親族を集めろ。若菜にも来るように伝えろ。圭吾がいなくなったあとのことを、皆の前ではっきり
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10話
「私と?」英明は若菜を見上げた。長卓を囲む親族たちの視線が、若菜から英明へ移る。麗子が隣の宗一へ身を寄せた。「まさか、湊くんは英明さんの子だと言いたいの?」「馬鹿なことを言うな!」英明に一喝されても、麗子は若菜を疑う目を変えなかった。湊が榊原家の血を引いていると確かめたい。それが、どうして義父との関係を疑われる話になるのか。圭吾の子ではないと言われ、今度は圭吾の父親と関係を持った女として見られている。夫を亡くした自分に、この人はどこまで言えば気が済むのだろう。「祖父と孫として調べていただきたいんです」「祖父と孫でも、分かるものなの?」「検査できるか、聞いてみればいいでしょう。あの結果だけで、湊は孫じゃないと決めつけるんですか。あんなに可愛がっていたのに、あまりにもひどいじゃありませんか」「そんなことまで、する必要はないわ」祥子が口を挟んだ。若菜は祥子へ向き直った。「湊が本当に孫なのか、知りたかったんでしょう。どうして反対なさるんですか」祥子は卓上の手を固く組んだ。「圭吾のものが見つかるまで待てば――」「湊は孫じゃないと決めつけたときは、待ってくださらなかったでしょう。それなのに、お義父さんと調べるとなったら、今度は待てとおっしゃるんですか」若菜は英明を見た。「お義父さんと湊が一緒に検査を受けて、私も採取に立ち会います。それなら、誰のものか分からないなんて言いません」麗子が宗一と目を合わせ、祥子へ顔を向けた。「祖父と孫でも検査ができるというなら、受けてもらえばいいでしょう」「本当に調べられるかも分からないのよ。あなたまで検査を受けることはないわ」祥子は英明へ訴えた。英明は扉の脇の相馬を呼んだ。「病院長に確認しろ。俺と湊で、祖父と孫の血のつながりを調べられるか」相馬が一礼して出ていくと、祥子は英明の袖に手を添えた。「何も、あなたがそこまでしなくても――」「俺の孫かどうかという話だ。俺が確かめて何が悪い」数分後、戻ってきた相馬が告げた。「祖父とお孫さまの血縁も調べられるそうです。病院長が、対応する検査機関を手配するとのことでした」「そうか。では、手配させろ」祥子の手が袖から離れた。英明は若菜へ向き直った。「今度こそ、出た結果を認めるんだな」若菜はバッグを椅子へ置き、卓の縁に手を添えた。「血がつながってい
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-09-27
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