All Chapters of トップアイドルの彼の浮気を目撃したので、ライバルのセンターにキスしました: Chapter 11 - Chapter 20

20 Chapters

第11話 今度は、俺があなたの味方です

律の生放送での発言は、瞬く間に芸能ニュースとSNSを駆け巡った。『4年前から、僕のほうが先に紗奈さんを好きでした。今も、僕のほうがずっと必死です』その言葉が記事になり、短い動画になって拡散される。すべての反応が、一斉に好意的へ変わったわけではなかった。疑う声も、非難も残っていた。それでも、紗奈を「男を食い物にする女」と一方的に決めつける流れには、歯止めがかかった。【神宮寺律が4年間片思いしていた相手――トップアイドルの告白に衝撃広がる】【ZENITHの中傷工作疑惑が浮上。元恋人・一ノ瀬蓮による嫌がらせか】【無名時代を支えた水瀬紗奈。相次ぐ資料公開に同情と応援の声】さらに、以前の仕事仲間の証言や元の映像が公開されると、世間の目は蓮とZENITHへ向き始めた。予告されていた抗議活動は見送られ、律のファンコミュニティには「本人が責任を持って話した以上、まずは事実関係を待とう」という告知が出た。紗奈の過去の振付映像を探し、まとめ始めるファンもいた。流れが変わると、ZENITHは慌てて中傷記事を削除させ、火消しに回った。テレビ関係者や同僚のダンサーが当時の資料を出すにつれ、紗奈の実力と担っていた役割も、見直されていく。一ノ瀬蓮の名前の後ろに隠されていた〈水瀬紗奈〉が、初めて単独で記事の見出しになった。かつて無名のチームのために作った振付のまとめ動画は、今になって再生数を伸ばし始めていた。紗奈の技術も、音楽を捉える感覚も、ようやく世間に届き始めたのだ。* * *その日の夕方。LUXE本社9階のプライベートラウンジ。芝浦での生放送を終え、律がドアを開けて入ってきた。脱いだスーツのジャケットを手に持っている。しっかりした肩に、疲れと安堵が一瞬だけのぞいた。ソファの前に立っていた紗奈は、赤くなった目で律を見た。唇が震える。「律さん……どうして、あんなことを? 世間にもファンにも、どれだけ影響が出るか、わかってたんですか。生放送で、あんな……」悔しさと、こみ上げる気持ちで声が震えた。自分のキャリアまで賭けてくれた。それがありがたくて、同じくらい怖かった。律は歩み寄ったが、手は伸ばさなかった。紗奈が自分から一歩近づいてから、目を合わせてくれる。少しも後悔している顔ではなかった。「放送で言ったこと、どこまで本当なんですか」紗奈が尋ね
last updateLast Updated : 2026-09-15
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第12話 彼はずっと前から、私を知っていた

土曜日、午前1時。代官山にある律のペントハウス、その書斎で、2人はまだ資料を整理していた。本社に外部の目が集まっていたため、法務部の了承を得て、暗号化した作業用コピーだけをこちらへ移したのだ。広い木製のデスクには、過去の振付契約書、クレジットや精算の資料、作成時刻を復元したデータがびっしり広がっている。眼鏡をかけた紗奈は、モニターに並べた蓮の代表曲『SHADOW』と『ECLIPSE』の振付プロジェクトを、慎重に照合していた。向かいで律がファイル名を読み上げ、紗奈が作成時刻と変更履歴を表へ移す。夜が深くなるほど口数は減った。それでも息はよく合った。紗奈が次のファイルを探す前に、律がそのフォルダーを開いてくれるほどだった。窓の外には、静かになった東京の明かりが広がっている。書斎には穏やかなジャズが流れ、暖かなシダーウッドの香りがかすかに漂っていた。「2023年4月12日、午前3時42分。蓮のリード曲の決めの振りを初めて作ったデータと、バックアップの作成時刻が一致しています」紗奈はほっと息をつき、乾いた唇を湿らせた。ZENITHが蓮の単独創作だと言い張っていた振付。その元のファイルが、先に紗奈のパソコンで作られていたと示す、重要な資料だった。さらにドライブの古いバックアップを探していたとき、視線が止まった。4年前、まだ練習生だったころに使っていた、古いメールアカウントのアーカイブ。〈受信箱バックアップ_2022〉ダブルクリックして開くと、紗奈の手が止まった。迷惑メールフォルダーの隅に、何通ものメールが埋もれていた。差出人は、LUXEの統括キャスティングディレクター。そして〈神宮寺律・専属企画チーム〉。紗奈は件名だけで判断せず、メールの元のヘッダー情報を開いた。送信サーバーと受信時刻はそのまま残っていた。既読にされたあと、自動的に迷惑メールへ移された記録もあった。誰かが作った振り分けルールは、4年間、特定の差出人にだけ適用されていた。〈ご提案:振付師・水瀬紗奈様 NOVA次期プロジェクト専属パフォーマンスディレクターのご依頼/LUXE〉〈再送:下北沢のショーケースを拝見しました。神宮寺律の専属ディレクションについて、お打ち合わせのお願い〉〈3度目のご連絡:神宮寺律ソロステージの振付総括のご依頼。水瀬様、ご返信をお待ちしており
last updateLast Updated : 2026-09-15
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第13話 復讐じゃない、本当のキス

告白が終わったあとも、紗奈は律の手をなかなか放せなかった。指先に残るぬくもりが、どうしても気になる。胸は高鳴った。けれど、怖かった。4年も待ってくれた想いを、今の混乱した自分が受け止めていいのだろうか。――蓮に裏切られた傷を忘れるために、律さんの気持ちを、逃げ場所や代わりにしようとしてるんじゃないの?「私が、蓮を忘れたくて律さんにすがってるだけだったら、どうしますか」とうとう口にすると、律はすぐには答えなかった。「そうなら、立ち止まります。でも、紗奈さんの気持ちを、俺が先回りして『誰かの代わり』と決めつけることもしません」「傷つくかもしれないのに」「その可能性も含めて、俺が選んだことです。ただ、紗奈さんの望まない速さで進めるつもりはありません」蓮から逃げるために、律をつかむ人間にはなりたくなかった。絡めた指を抜こうとすると、律はすぐに力を緩めた。手が離れる直前、手の甲を軽く支えるだけにして、言った。「急いで答えなくていいんです。4年待ちました。気持ちが落ち着くまで、もう少し待つくらい、できます」蓮なら答えを急かしていたはずの場面で、律は選ぶ時間をくれた。その違いが、何よりもはっきりと伝わった。そのとき、木製のテーブルに置いたスマートフォンが、長く、しつこく震えた。ブロックした番号とは違う番号から、音声メッセージと文章が次々に届く。〈紗奈、頼むから1回だけ出て。お前がいないと、本当に死にそうなんだ〉〈3年も一緒にいたのに、いきなり他人になれるのかよ。俺が全部悪かった。頼む、助けてくれ〉〈別れてから、人生が全部壊れていく。お前がいないと何もできない。1回だけ、会ってくれ〉蓮の、未練がましい懇願と執着だった。つい数日前まで、楽屋のソファでほかの女とキスしながら、紗奈の献身を笑っていた男。世間の風向きが変わり、自分が追い詰められた途端、みじめにすがりついてきた。紗奈が好きだった人は、その文章のどこにもいなかった。蓮が繰り返しているのは、謝罪よりも、自分を救ってくれという言葉だった。紗奈はまず、メッセージを保存して、LUXE法務部との共有フォルダーに上げた。ファイル名には、受信時刻も入れる。最後のアップロードを終えてから、新しい番号もブロックした。非通知の電話も受けない設定に変える。気持ちは断ち切る。けれど、記録は残
last updateLast Updated : 2026-09-15
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第14話 後悔するには、もう遅い

日曜日の午後。WAVEテレビ・プリズムタワーの公開スタジオ。生放送のステージを終えたECLIPSEの楽屋では、誰も最初のひと言を口にできなかった。紗奈なしで迎えた新曲披露2週目。『OVER』のステージは、惨憺たる出来だった。新たに入った振付師は、蓮の左回りのターンを減らし、呼吸を整える間を作るべきだと忠告していた。ところが蓮は「紗奈なんかいなくたって、もっと攻められる」と言い張り、生放送の直前に動線を変えてしまった。左回りのターンの直後に高音パートを入れ、息が続かなくなった。紗奈がいつも1カウント空けていた箇所を、なくした結果だった。センターで重心を崩して慌てる蓮につられ、メンバーの動線まで乱れた。カメラに合わせられず、足をもつれさせる姿が、全国へそのまま流れた。放送が終わるなり、芸能掲示板や動画配信のコメント欄は、酷評と嘲笑で埋まった。〈ECLIPSEの新曲、ライブ崩壊。立ち位置までぐちゃぐちゃ〉〈水瀬ディレクターが、3年間かけて見られるものにしてたんだな。実力がバレた〉〈神宮寺律と比べるのも失礼なレベル。これでトップアイドル?〉〈ディレクターが1人抜けただけで、ここまで落ちるのか。水瀬紗奈の存在、大きすぎる〉楽屋のソファで画面をスクロールする蓮の指が、細かく震えた。そのとき、ZENITHの専務が勢いよくドアを開け、書類の束を蓮の顔へ投げつけた。「一ノ瀬! あのステージは何だ! スポーツウェアと腕時計のスポンサーから、キャンペーンを止めて、モデルとしての適性を再検討するって通知が来たぞ!」「せ、専務……」「海外5か国ツアーの主催者まで、追加のチケット販売を保留すると言ってる! 水瀬が1人抜けただけで、このざまか? この3年間、お前が自分で作ったっていう振付は、いったいどれなんだよ!」怒鳴り声が楽屋に響いた。メンバーたちまで冷たい目を向け、蓮を残して出ていった。最後まで残った年下のリーダーが、ドアの前で振り返った。「蓮くん。直前に動線を変えないでって、みんな言ったよね。水瀬さんのせいにしたときも、止めたよね」「お前まで俺に説教するのかよ」「もう、蓮くんのせいで、俺たちのステージまで壊れてるんだよ」ドアが閉まった。蓮は何も返せないまま、床へ崩れるように座り込んだ。見逃し配信を、もう一度再生する。紗奈がいたときは、
last updateLast Updated : 2026-09-15
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第15話 「もう一度、やり直そう」

蓮は、地下駐車場の床から立ち上がれずにいた。それでも紗奈は、迷わずエレベーターに乗った。閉じたドアの向こうで、絶望したような声が途切れる。部屋に入ると、玄関の鍵を2つともかけ、バッグを下ろした。窓から外を見ると、駐車場から追い出された蓮が、エントランスの前の街灯の下に座り込み、ぼんやり上を見上げていた。夜の霞の中でふらつく姿は、華やかな照明を浴びていたトップスターとは、かけ離れていた。3年間の想いと献身を踏みにじった男が、今は中身のない自分の看板を守ろうと、あがいている。再び、インターホンがけたたましく鳴った。通話ボタンを押すと、割れたようにかすれた声が流れてきた。「紗奈……頼む。莉々花とは今すぐ完全に切る! 事務所に言って、お前との交際を公表するし、1年以内に結婚するって発表する! 全部元に戻すから、もう一度やり直そう!」紗奈は冷たく笑った。結婚という言葉すら、自分の転落を止める盾にするのか。3年間、あれほど聞きたかった言葉だった。それを今、崖っぷちに立ってから、取引のカードとして差し出してくる。紗奈は笑うのをやめ、モニターをまっすぐに見た。「蓮」声は、インターホン越しでもはっきり届いた。「私が好きだった一ノ瀬蓮は、もういない。今目の前にいるのは、沈みかけて手当たり次第にすがりついてる、自分勝手な嘘つきだけ」「紗奈……! お前がいなきゃ、本当に終わるんだよ! 1回だけ、俺の人生を助けてくれ! お前の言うとおり、何でもするから!」「警察に来てもらってる。まだ居座るなら、今日の映像も渡して、全部説明するから」紗奈は通話終了を押し、スピーカーを切った。しばらくして、警備員と駆けつけた警察官が蓮の身元を確認し、敷地の外へ連れ出した。紗奈は、蓮が近づいてきた場面の映る駐車場の防犯カメラ映像も、保存を依頼した。追い出された蓮は、怒りと恐怖の混じった顔で、西麻布の会員制バーへ向かった。* * *午前1時。奥まったVIPルームのドアが開き、酒瓶を持った蓮がふらつきながら入ってきた。部屋には、連絡を受けてやってきた莉々花が、不安そうな顔で座っていた。近づきながら、心配そうに声をかける。「蓮くん、大丈夫? 昼間のステージの反応で、事務所が大変なことになってるって……」蓮はその顔を見るなり、注いだばかりのウイスキーグラスを、
last updateLast Updated : 2026-09-15
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第16話 崩れ始めたトップスター

月曜日、午前10時。南青山のLUXE本社、18階のVIP応接室。厚いブラインドを下ろした室内で、紗奈と律は、莉々花と向かい合って座っていた。キャップを目深にかぶった莉々花の目元は、一晩泣いたせいか、赤く腫れていた。「水瀬さん……本当に、申し訳ありませんでした」莉々花は頭を下げ、外付けドライブと厚いファイルを、そっとテーブルに置いた。「蓮くんが私に言っていたことと、紗奈さんを男目当ての売名女に仕立てるために、事務所の広報と相談していた〈Secret Talk〉のやりとりです。全部入っています」紗奈は、すぐにはドライブに触れなかった。「あの日、楽屋であったことまで、なくなるわけではありません」莉々花の顔を見て、続ける。「証拠を渡す代わりに、記事から自分を外してほしい。そういう条件なら受けられません。事実は話してほしい。でも、あなたの選択には、あなたが責任を持ってください」莉々花はしばらく答えられずにいた。やがて、うなずいた。「わかっています。だから、もう隠すのをやめようと思いました」膝の上の手を握り直した。「見返りは求めません。私のしたことも含めて、話します」用意してきた自筆の経緯書も差し出した。日付、場所、蓮のほうから連絡してきた経緯が、時系列で並んでいる。法務部が手配したデジタル解析の担当者は、書き込みを防ぐ装置を通して元のドライブを接続し、まず複製を作った。確認を終えたファイルが、順にモニターへ開かれた。蓮が新人グループのメンバー3、4人と同時につき合っていたことを示すメッセージ画面と、私的な写真。舞台裏でダンサーやスタイリストに「お前なんか、俺のひと言でこの業界にいられなくなるんだよ」と暴言を浴びせた録音、12件。さらに、紗奈を〈神宮寺律に乗り換えた売名女〉と印象づけるため、ゴシップ媒体の関係者へ数百万円を渡した口座取引の記録まであった。「蓮くんは、誰にも誠実じゃないんです。私も、利用されて捨てられました」莉々花は両手を膝にそろえ、続けた。「あの人が何をしたのか明らかにするためなら、証言も証拠も使ってください。必要なら、取材も受けます。法廷でも話します」紗奈は黙ってうなずいた。莉々花が退出したあと、法務部と外部の弁護士たちが応接室へ入ってきた。紗奈と律も加わり、ここ数日で集めた資料に、証拠番号と説明をつけてい
last updateLast Updated : 2026-09-15
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第17話 あなたが奪った名前

火曜日、午前9時ちょうど。大手ニュースサイトとテレビ局の芸能ニュースに、水瀬紗奈と一ノ瀬蓮の名前が同時に並んだ。【公式 水瀬紗奈ディレクター、一ノ瀬蓮とZENITHに未払い創作報酬など4,800万円を請求へ。刑事告訴も】【独占 「3年間、振付を奪われた」水瀬紗奈、原本の作成記録とリハーサル映像を公開】【暴言の録音を公開 一ノ瀬蓮「俺のひと言で、この業界にいられなくなる」】【白石莉々花が証言 「複数の女性との交際も、中傷工作の指示も、事実です」】LUXE法務部が約150の報道機関に配信した、40ページの事実確認資料は、たちまち主要記事で大きく取り上げられた。そこには、紗奈がこの3年で作った振付プロジェクトの初回作成時刻、モーションキャプチャーの記録、そして4,800万円の創作報酬などが支払われず、不当に処理されていた精算の詳細が載っていた。仕事の依頼が届くメールアカウントへの無断アクセスと、メールの隠蔽・削除の疑いを示すデジタル解析の資料も、合わせて公開された。資料が出ると、蓮への批判は急速に強まった。〈人の人生と才能を、4年も丸ごと盗んでたってこと?〉〈水瀬さん、3年間ただ働き同然で搾取されてたんじゃん。ひどすぎる〉〈スタッフへの暴言に中傷工作まで。もう芸能界に戻ってこないでほしい〉〈神宮寺律が4年も片思いして、守ろうとした理由、今ならわかる〉芸能ニュースや動画サイトには、蓮の過去の発言を掘り起こした映像が次々に上がった。「僕のダンスは、僕の魂から生まれるんです」得意げに語ったインタビューは、今や嘲笑の的だった。レコード会社と放送局は、事実確認が終わるまで、蓮を振付の創作者とする表記を保留し、紗奈から権利に関する異議が出ていることをクレジット情報に併記すると発表した。一部のステージ映像の説明欄には、提出された資料をもとに、先に〈振付原案 水瀬紗奈〉が追加された。権利の全面的な訂正手続きは、まだ残っている。それでも、紗奈の名前はもう、消されたままではなかった。LUXEの会議室で画面を見ていた紗奈は、記事のコメントより先に、公開資料の状態を確認した。ほかの被害者の名前は隠れているか。添付ファイルのハッシュ値は報告書と一致しているか。最後まで、目を通した。律が「おめでとうございます」と声をかけたが、紗奈は首を振った。「ま
last updateLast Updated : 2026-09-15
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第18話 私が育てたスターの終わり

資料が公開されてから、10日後。初秋の激しい雨が、東京の街を濡らしていた。仕事も住まいも失い、芸能ニュースの笑いものになった蓮は、傘も差さず、青山通りを歩いていた。一部の口座には裁判所の仮差押えが入り、活動停止と同時に、事務所が用意した住居からも退去を求められた。多くのファンに背を向けられ、同業者も知人も、次々に連絡を拒んだ。ステージメイクも、警護するスタッフもない顔は、わずか数日で目に見えてやつれていた。帽子を深くかぶっていても、気づいた通行人がスマートフォンを向ける。蓮は顔を隠し、足を速めた。「紗奈……紗奈に会わなきゃ。あいつが許してくれれば……もう一度、俺の振付を作ってくれれば、全部戻せる」現実を認めないまま、LUXE本社の正面にある花壇の陰へ身を潜めた。紗奈が一度だけ話を聞いてくれれば、元に戻れる。まだ、そう信じていた。午後6時。回転扉が開き、黒い傘を持った警護スタッフと、紗奈がロビーから出てきた。ベージュのトレンチコートに、革のブリーフケース。中には、NOVAのリード曲の最終振付データが入っていた。エントランスの大型モニターでは、承認されたばかりの『BLACK OUT』のティザーが繰り返し流れている。「紗奈……!」雨にずぶ濡れになった蓮が、名を叫びながら暗がりから飛び出した。警護スタッフが、即座に立ちはだかった。紗奈は、その後ろで距離を保って足を止めた。「近づけないでください。会話は、ここから録音します」スマートフォンを取り出すと、警護責任者がうなずいた。今度は、蓮の作った状況に引きずられない。終わらせる方法も、距離も、自分で決めた。蓮は、警護スタッフの前に膝をついた。雨に打たれながら、泣き叫ぶ。「紗奈! 俺を作ったのはお前だろ! 3年間、全部の振付を作って、トップスターにしたのはお前じゃないか! だったら最後まで責任取れよ! なんで俺を、こんなどん底に突き落とせるんだよ!」まだ、自分の裏切りも搾取も見ようとしない。紗奈が自分を救うべきだと、言い張っていた。紗奈は傘の下から、膝をついた蓮を冷たく見た。もう、怒りも恨みも残っていなかった。もう一度説得したいとも、わかってほしいとも思わない。「蓮」雨音の間に、声がはっきり響いた。「私が作ったのは、あんたのステージだよ。人生でも、選択でもない。
last updateLast Updated : 2026-09-15
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第19話 契約恋愛は、今日で終わり

新作の準備と法的な対応に追われているうちに、1か月はあっという間に過ぎた。紗奈が総括を務めたNOVAの5枚目のミニアルバム。そのリード曲『BLACK OUT』は最終データの納品も済み、あとはリリース当日を待つだけになっていた。ティザーは公開直後、世界のSNSトレンド1位に上がった。振付の独創性と、鋭く張り詰めた空気が話題になっている。国内外の批評家からは「NOVAの強みを最も鮮やかに引き出したパフォーマンス」と期待が寄せられた。紗奈の名前が単独で記されたアルバムクレジットにも、大きな注目が集まっていた。そして、律と約束した、1か月限りの契約恋愛の最後の日が来た。月曜日、午後11時。代官山のペントハウスの書斎。窓の向こうに東京の明かりが広がる中、紗奈はバッグから1か月前の契約書を出し、そっとテーブルに置いた。〈NOVA・神宮寺律/パフォーマンスディレクター・水瀬紗奈 相互協力および1か月限定の公表交際に関する契約書〉前へ滑らせても、手を離せなかった。本社のロビーで、先に手を差し出してくれたこと。夜通し、元のファイルを照合したこと。どの資料でも、まず紗奈の名前があるか確かめてくれたこと。1つずつ、思い出した。契約で始まった。それでも、この1か月を偽物と呼ぶには、一緒に過ごした時間が、あまりにはっきり残っていた。けれど、契約は契約だった。律は驚くほど真面目に、ルールを守ってくれた。手をつなぐ前には、目で尋ねるか、言葉で確認した。紗奈が証拠の整理中に眠ってしまえば、毛布だけをかけて、距離を置いた。その抑えた優しさに、かえって気持ちを揺さぶられた。だからこそ、まぶしいほどの彼のキャリアの重荷にならないように、約束どおり引くべきなのだと思った。シャワーを終え、黒いシルクのガウンを羽織った律が、カモミールティーを2杯持って書斎へ入ってきた。濡れた髪から、水滴が1つ落ちる。律が向かいに座ると、紗奈は声を落ち着かせて口を開いた。「律さん。約束した1か月、今日で終わりです」契約書を、もう少し前へ押し出す。「契約は、今日で終わらせないと。明日の午前9時に、破局の発表を出す方向で広報の方と話しました。今まで……本当に、ありがとうございました」平気なふりをして笑った。「それが、紗奈さんの望む結論ですか」すぐには答えられなかった。「
last updateLast Updated : 2026-09-15
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第20話 日本中が知っている恋人たち【最終話】

それから1年余りが過ぎた、12月最後の夜。雪の舞う東京で、音楽界屈指の授賞式〈スターライト・ミュージック・アワード〉が開かれていた。会場のスターライトドーム東京には、数万人の観客が詰めかけている。ドームを揺らすような歓声と、青いペンライトの波が広がっていた。NOVAの5枚目のミニアルバム『BLACK OUT』は、発売直後に国内主要音楽チャートを制し、続いてグローバル・アルバム200チャートでも1位を獲得した。アルバムとステージのクレジット。その先頭には、統括パフォーマンスディレクター、水瀬紗奈の名前があった。紗奈は、1年にわたる調停と訴訟を経て、蓮に奪われていた創作報酬や不当な利益、計4,800万円を取り戻した。その後、国内外のアーティストから依頼を受けるトップディレクターとなり、独立のディレクションレーベル〈LUMEN〉を立ち上げた。初年度の仕事の一覧には、NOVAだけでなく、新人ガールズグループやソロシンガーの名前も並んでいた。紗奈が契約書で真っ先に確認するのは、創作者のクレジットと、二次使用の条件だった。莉々花は公の場で謝罪し、活動を控える期間を経て、再びステージに立った。紗奈へ、もう言い訳を送ってくることはなかった。LUMENのオフィスの壁には、紗奈が初めて正式なクレジットを得た『BLACK OUT』のアルバムが飾られている。その下のキャビネットには、所属する振付師の名前と収益の取り分を明記した契約書のコピーが、整然と並んでいた。一方の蓮は、広告主や元の所属事務所との、6億円規模の損害賠償をめぐる争いに追われていた。無断でのアカウントアクセスや名誉毀損など、一部の行為について第一審で有罪判決を受け、テレビの世界からも姿を消した。「今年のアーティスト大賞は……NOVAです!」司会の発表とともに、祝砲が響き、金色の紙吹雪が降り注いだ。黒いベルベットのタキシードを着た律と、メンバーたちがステージの中央へ出てくる。トロフィーを受け取った律が、マイクの前に立った。いつもは淡々としている口元に、明るい笑顔が広がった。「ファンの皆さん、そしてメンバーに、心から感謝しています」ひと息置いて、メインカメラをまっすぐに見る。「そして今夜、この場で、どうしても伝えたい人がいます」会場の視線と、生中継のカメラが律に集まった。その声
last updateLast Updated : 2026-09-15
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