和子は、牛すじの煮込みを二パック持ってきた。「記念日でも、ろくに食べていないんじゃないかと思って」「どうぞ、お義母さん」電話をかけ、おかずを頼んだのは紗月だった。和子は息子のいない時間に一人で来ることを、不思議がらなかった。直人には内緒にしてほしいという頼みにも、あっさりうなずいた。「あの子、知ったら私があなたの邪魔をするって嫌がるから」慣れた手つきで鍋を出す。紗月は食卓のスマホで録音を始め、画面を伏せた。自分自身が加わる会話だった。「お義母さん、昔、会社からお義母さんに送金した記録があったんです」鍋の蓋を取る手が止まった。「私に?」「五年前です。産後ケア施設の残金」和子がお玉を置いた。金属が鍋の縁に当たり、澄んだ音がした。「直人は、何て?」「まだ聞いていません。先にお義母さんに聞こうと思って」「会社のことは、よくわからないわ」「湊って、誰ですか」和子の顔から血の気が引いた。沈黙は長くなかった。椅子を引いて座ると、まずため息をついた。「もう、見たのね」「いつからご存じだったんですか」「そんな、簡単な話じゃないのよ」「いつからですか」「子どもが生まれるころ」紗月はテーブルの下で拳を握った。爪が手のひらに食い込んでも、声は揺れなかった。「私が流産したときも、知っていたんですか」和子は紗月を見られなかった。「あのとき言って、どうするの。寝込んでいるあなたに、そんな話ができるわけないでしょう」「だから、私の会社のお金で、向こうの施設の残金を払ったんですか」「一度、私の口座を通してくれって直人が言ったの。あとで戻すからって」「なぜ、お義母さんの口座を?」「莉奈の名前が直接出ると、あなたが見るかもしれないって……」言ってから、和子は失言に気づいた。紗月は表情を変えずに聞いた。「隠すためのお金だと、わかって受け取ったんですね」「息子に頼まれただけよ。あのころは会社もまだ軌道に乗っていなかったし、少し借りて返すって言うから」「返したかどうかは、確かめましたか」「夫婦のお金のことまで、私にわかるわけないでしょう」「1704号室を探したときも、ご一緒に?」「莉奈が、子連れで内見するのは大変だって言うから。不動産屋に一度ついていっただけで、そんなに悪いこと?」「不動産屋には、何と説明したんですか」「姪だって。夫
Last Updated : 2026-09-20 Read more