Tous les chapitres de : Chapitre 1 - Chapitre 8

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第1話

電話は、そのまま一方的に切れた。全身の血が凍りついたようだった。耳鳴りだけが耳の奥で鳴り続けていた。「……ごめん」ソファに横たわったまま、悠斗がまた寝言のようにつぶやいた。今度は、私の名前だった。「……美月、ごめん……」喉の奥がきゅっと締めつけられた。苦しそうに眉を寄せる悠斗を見つめながら、思わず笑ってしまった。皮肉な笑いだった。私と結婚することは、紗妃だけじゃなく、彼自身の想いまで裏切ることだった。そのくせ、結婚前に紗妃と関係を持ち、私のことまで平然と裏切っていた。私は無言でキッチンへ向かい、コップいっぱいに冷たい水を注いだ。戻ってきた頃には、コップを持つ手が震えていた。次の瞬間、私はその水を悠斗の顔へ思いきり浴びせた。「悠斗、起きて」冷たい水が髪を伝い、頬からシャツへと流れ落ちていった。悠斗は勢いよく目を開けた。怒るどころか、慌てて私の手をつかもうとした。「ごめん、美月。飲みすぎた……あいつらに無理やり飲まされてさ……変な夢を見たんだ。寝坊して、君と入籍に行けなくなって……君に嫌われる夢を見たんだ……そうだ……今、何時だ……?」そう言ってスマホを探そうとした悠斗は、私の足元に落ちていた手紙に気づいた。その瞬間、酔いは完全に醒めたようだった。悠斗は飛びつくように手紙を拾い上げた。「……どこで見つけた!?」さっきまでとはまるで違う声だった。抑えきれない動揺と焦りが滲んでいた。「誰が読んでいいなんて言った!?」私は冷たく笑うと、悠斗の手からスマホを取り返した。通話履歴を開き、録音をそのまま再生した。「悠斗!ちゃんと避妊したって言ったよね!?なんで私、妊娠してるの……!」静まり返った部屋に、紗妃の叫び声だけが鋭く響いた。「……これは、どういうこと?説明してくれる?」「美月、違う。ちゃんと説明――」悠斗が言いかけた瞬間、私は込み上げる吐き気に耐えきれず、洗面所へ駆け込み、その場で激しく吐いた。その間にも、スマホの画面には何度も紗妃の名前が表示されていた。私は知っていた。悠斗の心には、ずっと紗妃だけがいたことを。高校時代、悠斗は3年間ずっと紗妃に想いを寄せていた。卒業後、ようやく恋人同士になれたものの、その幸せはわずか2か月で終わった。紗妃
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第2話

紗妃からの電話は、一度切れたかと思うと、すぐにまた鳴り始めた。私は悠斗の目の前で電話に出ると、そのままスピーカーへ切り替えた。「美月、さっきの電話だけど……あれ、罰ゲームだったの。信じて。私、悠斗のことなんて好きじゃない。彼とは何もない、妊娠なんてあり得ない話だよ。あんなこと、自分で言ってても気持ち悪くなるくらいなの……」悠斗はその場で固まった。私は、その表情を見逃さなかった。その瞳をよぎった、ほんのわずかな失望を。「……美月?」スピーカー越しに、紗妃がもう一度私の名前を呼んだ。震える声だった。悠斗は我に返ると、慌ててスマホへ手を伸ばし、そのまま通話を切った。部屋には重苦しい沈黙だけが残った。悠斗は小さく息をのみ、しばらく黙ったあと、かすれた声で口を開いた。「……ごめん、美月。全部、俺が悪かった。こんな形で知らせることになるなんて思ってなかった。本当に、ごめん」私は黙ったまま彼を見つめた。爪が食い込むほど、拳を強く握り締めた。「あなたたち、いつからまた、そういう関係だったの?」悠斗は答えなかった。沈黙だけが流れた。私は苦く笑うと、返事を待たずに続けた。「2か月前。私の誕生日だったよね。あなた、サプライズだって言って、帰国してくれた。でも、その数日後には急に仕事が入ったと言って、先に戻っていった。あのときのあなた、どこか様子がおかしかった。何か言いたそうだったのに、結局何も言わなくて……ただ『ごめん』って、そればかり繰り返してた」私はまっすぐ悠斗を見つめた。「私に謝っていたのは、一緒にいられなかったからじゃなかった。唇が切れていた理由も、今ならようやくわかった。私が紗妃を見送って帰ってきた、その日に、あなたは私へプロポーズした。罪悪感があったからでしょう?罪悪感を打ち消すように、急に優しくなって……夜も、いつも以上に私を求めた!」「もういい!」悠斗はついに声を荒げた。額には青筋が浮かび、顔色は見る見るうちに悪くなっていた。「もう、それ以上言わないでくれ」「どうして?」私は震える声で問い返した。「自分でやったことなのに、言われるのは嫌なんだ?」悠斗は目を閉じ、大きく息を吐いた。今にも崩れ落ちそうな顔で、私の前に膝をついた。「……美月。本当に悪かった。でも、だからっ
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第3話

私は、紗妃が何度も自分のお腹を叩く姿を、ただ見つめていた。目は真っ赤に充血し、もう私の知っている紗妃じゃなかった。背筋がぞっとするほど、別人のように見えた。本当に私と悠斗の関係を壊したくなかったというなら、あんな夜中に悠斗へ電話なんてしなかったはずだ。悠斗の声を聞く前から、「妊娠した」なんて口にするはずもなかった。まして翌日が、私たちの入籍日だと知っていたのに。その瞬間、不意に強い吐き気が込み上げた。何度もえずいたのに、何も吐けなかった。「美月、大丈夫?」紗妃は慌てて私の背中をさすり、そのままキッチンへ駆けていった。水と薬を持って戻ってくると、不安そうに私の顔をのぞき込んだ。「ごめんね、美月。また胃が痛いの?顔色も悪いし、唇まで真っ白だよ……」頭が割れそうに痛かった。私はその手を勢いよく振り払った。コップは床に落ち、水が飛び散った。薬も辺りへ転がっていった。私は乾いた笑みを浮かべた。「むしろ、お礼を言わなきゃ。結婚なんていう地獄に飛び込む前に、止めてくれたんだから」紗妃は傷ついたように目を見開いた。後ずさった拍子にバランスを崩し、そのまま後ろへ倒れた。ゴン、と鈍い音が響き、後頭部を棚の角へ強くぶつけた。「紗妃!」玄関のドアが勢いよく開き、悠斗が飛び込んできた。悠斗の視線が私に向いたのは、一瞬だけだった。怒りに満ちた視線を私へ向けると、そのまま紗妃を抱き上げた。「悠斗、降ろして!私が勝手に転んだだけだから!大丈夫!それより美月が――」「先に病院だ」その声には、怒りと焦り、そして隠しきれない心配が滲んでいた。そう言い切ると、悠斗は私を振り返ることさえなく、紗妃を抱えたまま駆け出していった。静まり返った部屋には、割れたガラスと散らばった薬だけが残された。ここにはもう私一人しかいなかった。私はもう一度えずいた。そして鏡へ目を向けた。そこに映っていた私は、血の気を失った顔に、目だけが異様なほど赤く充血していた。まるで幽霊みたいだった。無理に笑ってみると、余計に不気味だった。私は夜が明けるまで、ただぼんやりと座り続けた。朝日が差し込む頃、抜け殻のように立ち上がり、荷物をまとめ始めた。悠斗に関わるものは、もう何一つ残したくなかった。高校時代、勉強を教えてくれたときの
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第4話

唇がわずかに動いた。声になったのかどうかも分からないまま、視界が暗転し、そのまま意識を失った。次に目を覚ましたのは病院だった。もうすぐ空になりそうな点滴をぼんやり眺めながら、悠斗と顔を合わせる覚悟だけはしていた。けれど、看護師の後ろから病室へ入ってきた男性を見た瞬間、私は思わず息をのんだ。黒沢晃(くろさわ あきら)先輩だった。「まだ動かないで」晃はすぐベッドの反対側へ回り込み、私をそっと支えた。「ちょうど君に電話したら、管理人が出てな。『この携帯の持ち主とは、どういうご関係ですか』って聞かれて……」私は呆然としたまま晃を見つめた。しばらくして、ようやく状況を理解した。スマホを見ると、悠斗と紗妃から着信が何件も入っていた。メッセージも何十件と届いていた。部屋から私の荷物がなくなっていることに気づいたらしく、「どこにいるんだ」と何度もメッセージを送ってきていた。何度も謝り、「帰ってきてほしい」と必死に訴えていた。悠斗は「結婚するのは美月だけだ」と何度も繰り返し、紗妃も「子どもはちゃんと堕ろすから」と必死に弁解していた。けれど、何気なくSNSを開いた瞬間、その言葉が全部嘘だったと思い知らされた。おすすめに表示された紗妃の投稿が、目に飛び込んできた。【赤ちゃん、よく頑張ったね。これからはママが守るからね】幸せいっぱいの投稿だった。共通の友人たちは「おめでとう」と祝福のコメントを寄せ、「いいね」も次々と増えていった。伊藤真奈(いとう まな)は、紗妃以外で今も付き合いのある、唯一の高校時代の友人だった。結婚式では、ブライズメイドをお願いすることになっていた。そんな彼女からも、メッセージが届いていた。【美月って、親友の元カレと付き合って平気だったんだね】【悠斗がずっと紗妃を忘れられなかったなら、もう身を引いたほうがいいんじゃない?お腹の子まで犠牲にしようとするなんて、本当に最低だよ】胸の奥を、もう一度深くえぐられたような痛みが走った。息をすることさえ苦しかった。2日後、私は退院し、とりあえずホテルへ身を寄せた。その夜、悠斗の母・高橋由紀子(たかはし ゆきこ)からLINEが届いた。私たちから入籍の報告がないことを不審に思った由紀子は、悠斗を問い詰めて真実を知り、そのまま倒れて入院した
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第5話

見知らぬ男が、美月を抱きかかえたまま病室を出ていった。悠斗はそれを見て、慌ててあとを追ったが、廊下にもロビーにも、美月の姿はもうなかった。電話をかけても、当然つながらなかった。病院の玄関に立ち尽くしたまま、照りつける日差しに目の前がくらんだ。それなのに、体が凍りついたように冷えていた。そのとき、紗妃から電話がかかってきた。「悠斗……私、出血してるみたい……」悠斗は頭の中が真っ白になった。どれくらい立ち尽くしていたのか、自分でも分からなかった。気づいたときには、もう病室へ駆け戻っていた。――美月は、まだ受け止めきれないだけなんだ。彼はそう何度も自分に言い聞かせた。――あれほど俺を想ってくれていたじゃないか。中学の頃から10年以上も想い続けてくれた美月が、本当に俺の前からいなくなるはずなんてない。紗妃は3日間入院し、その後はうちで安静にすることになった。退院してからも食欲は戻らず、ほとんど何も食べようとしなかった。悠斗が何度勧めても、ようやくスープを少し口にしたかと思うと、紗妃はスプーンを置き、悠斗を部屋の外へ追い出した。「お願いだから……美月のところへ行ってあげて。もし美月に何かあったら……私、一生自分を許せない……」部屋を出た悠斗は、ゴミ袋を持ってマンションのゴミ置き場へ向かった。エレベーターを降りても、美月のことが頭から離れなかった。――もうつながるはずなんてない。そう分かっていても、美月の番号へ何度も電話をかけずにはいられなかった。すると、呼び出し音が鳴った。悠斗は思わず息をのんだ。耳の奥で、自分の鼓動だけが大きく響いていた。「美月!?今どこなんだ!頼む、返事をしてくれ!」返事はなかった。長い沈黙だけが続いた。ようやく聞こえてきたのは、驚くほど落ち着いた声だった。「悠斗。私たち、もう終わったでしょう。もう電話してこないで」怒っているわけでも、泣いているわけでもない。それが余計に怖かった。本当に、美月を失ってしまう――そんな予感だけが悠斗の胸を締めつけた。「紗妃にも伝えて。私は一生あなたたちを許さない。でも、それ以上責めるつもりもない。これで終わりにしましょう。それがお互いのためだから。2人とも、そこまで想い合っているなら、今度こそ幸せになって」そこで通話は途切
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第6話

美月の仕事は激務だった。終電近くまで残業することなんて珍しくなく、「もう辞めたい」が口癖になっていた。悠斗も何度も転職を勧めた。「少しぐらい休んでもいい、俺が支えるから」と。2か月前にプロポーズしてからは、給料が振り込まれる口座も、貯金も、全部美月に預けていた。その数日後だった。残業中に胃の痛みで倒れかけたことがあって、美月はようやく退職を決意した。「先輩」悠斗の知る限り、美月がそう呼ぶ相手は、1人しか思い浮かばない。黒沢晃。3つ上の大学の先輩で、同じ学科の卒業生。そして、美月を会社へ誘ってくれた直属の上司だった。そういえば以前、美月がこんなことを言っていた。「黒沢先輩って、声がちょっと悠斗に似てるんだよね」そのとき悠斗はわざと拗ねたふりをした。「じゃあ、先輩との会議が夜遅くまで続いても平気なわけだ」美月はくすっと笑って、首を横に振った。「そんなわけないでしょ。好きなのは悠斗だけなんだから」10年間、胸の奥に想いを隠し続けてきた美月は、付き合い始めてからは驚くほど真っ直ぐだった。――心のどこかに醜いものを抱えていたのは、美月じゃない。俺のほうだった。悠斗はそう思わずにはいられなかった。美月の会社へ向かい、晃のことを尋ねると、思いがけない答えが返ってきた。「黒沢部長なら、半月ほど前に退職されましたよ」受付で名刺を受け取ると、その場ですぐ電話をかけた。十数回コールが鳴ったあと、ようやく相手が出た。「……美月は、あなたと一緒にいるんですか」電話の向こうで、小さく鼻で笑う声がした。「ずいぶん必死なんですね、高橋さん」そんな皮肉に言い返す余裕はなかった。「お願いします。美月に、電話に出てほしいって、伝えてもらえませんか。俺はもう……全部知ったんです。美月が――」そこから先は、喉が詰まって言葉にならなかった。「高橋さん。美月は、もう君とは終わっています。それを受け入れられるかどうかは、君自身の問題です」晃の口調はやけに美月を気遣っているように聞こえた。悠斗の胸のうちは、たまらなく苦しかった。「これ以上、美月を苦しめるのはやめてください。後悔しているなら、その気持ちは胸の内だけにしまってください。今の彼女には、何の救いにもなりません」何か言い返したかった。けれど、何
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第7話

半年後――海都市。大きなプロジェクトを終えた打ち上げで、晃が食事をご馳走してくれ、そのついでに一緒にカラオケにも行った。ゲームで盛り上がっていた最中、不意に胃が鋭く痛み出した。顔をしかめた私を見た晃は、小さく息をついた。「帰ろう」それだけ言って立ち上がると、私の返事も待たずに会計を済ませ、そのまま私を連れて店を出た。後ろからは同僚たちの冷やかす声が飛んできた。「部長、抜け駆けですか!」「美月さんだけ連れて帰るなんてずるいですよ!」晃が振り返ってじろりと一瞥した瞬間、場は水を打ったように静まり返った。その空気がおかしくて、私は思わず笑ってしまった。「私たちは先に帰るね。みんなは気にせず楽しんで」そう言い残すと、晃は何も言わず、そのまま私を車まで連れて行った。車へ乗り込むと、晃は常備していた胃薬を取り出し、私に差し出した。「また無理をしてたんだろう。一度ちゃんと検査を受けたほうがいい」私は軽く頷くだけだった。けれど、その日は胃薬も効かなかった。痛みはどんどん強くなり、そのまま病院へ運ばれた。検査の結果、すぐに手術が必要だと言われ、そのまま入院することになった。手術までの2日間、晃は仕事の合間を縫って何度も病室へ顔を出してくれた。晃の優しさに触れるたび、あの頃のことを思い出した。それでも、もう胸が締めつけられることはなかった。傷は消えない。けれど、時間は、その輪郭を少しずつ薄くしてくれた。今でも、ときどき胸の奥が疼くことはある。それでも、その痛みに足を止めることは、もうなかった。私は電話番号を変えた。SNSも連絡先も、悠斗と紗妃はすべてブロックした。この半年、2人のことは何ひとつ耳に入ってこなかった。晃なら何か知っているのかもしれない。でも、私が聞かない限り、彼も何も話そうとはしなかった。手術は2日後に無事終わった。麻酔から目を覚まし、病室へ戻ると、大きなお腹をした紗妃が立っていた。一瞬、幻でも見ているのかと思った。けれど、晃が立ち上がり、険しい顔で問いかけた。「……どうやってここが分かった?」紗妃は答えず、まっすぐ私のベッドへ歩いてきた。「美月……」お腹にそっと両手を添えたまま立ち止まった。もう隠しようもないほど、お腹は大きく膨らんでいた。
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第8話

私が断っても、紗妃は病室の前から動こうとしなかった。あれだけ大きなお腹では、無理に帰らせることもできなかった。結局、退院後、私は紗妃と一緒に汐見市へ戻ることになった。晃も最後まで付き添うと言って、一緒に来てくれた。飛行機の中でも、紗妃はまるで身内のような顔をして、晃にあれこれと口を出していた。「美月を泣かせたりしたら、絶対許さないからね」私はとうとう我慢できなくなった。「紗妃、もういい加減にして。そんなこと、よく平気で言えるね」紗妃は俯き、また目を赤くした。私は皮肉っぽく笑うと、アイマスクをつけ、そのまま口を閉ざした。空港へ着くと、紗妃はそのまま病院へ向かおうとした。けれど、晃が静かに口を開いた。「美月は退院したばかりだ。まずは休ませて、何か食べさせよう」紗妃もそれ以上は何も言わず、小さく笑った。「黒沢さんが美月を大切にしてくれてるなら、安心した」その日はホテルで一泊した。翌日、私は一人でICUへ入った。悠斗はベッドの上に静かに横たわり、人工呼吸器をつけたままだった。眉間にはかすかな皺が寄っていた。それでも、目を閉じたその姿は、ただ眠っているだけのようにも見えた。その姿を目にした瞬間、胸の奥へ押し殺していた苦しみと憎しみが、一気に込み上げてきた。――このまま、目を覚まさなければいい。私は、そう思ってしまった。5分ほどで病室をあとにした。待っていた紗妃が駆け寄り、私の腕を掴んだ。「どうだった!?悠斗の様子は?」私は無言でその手を振り払った。「私は神様じゃないわ。私が会ったくらいで何かが変わるなら、誰も苦労しないでしょう」紗妃は目に見えて肩を落とした。私と晃がタクシーへ乗り込んだ直後だった。また紗妃から電話がかかってきた。「美月!悠斗が……悠斗が目を覚ましたの!」涙混じりの声だった。「この子……お父さんを失わずに済んだ……」何度も「ありがとう」を繰り返しながら、紗妃は電話を切った。私は思わず笑ってしまった。「私、本当に神様だったのかもしれない」どうして私たちの人生は、こんなにも皮肉な偶然ばかり重なるんだろう。1か月後、紗妃は女の子を出産した。悠斗も歩けるまでには回復した。けれど後遺症が残り、動きも受け答えも以前よりずっと鈍くなってい
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