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第4話

Author: 桃瀬乱破

唇がわずかに動いた。声になったのかどうかも分からないまま、視界が暗転し、そのまま意識を失った。

次に目を覚ましたのは病院だった。

もうすぐ空になりそうな点滴をぼんやり眺めながら、悠斗と顔を合わせる覚悟だけはしていた。

けれど、看護師の後ろから病室へ入ってきた男性を見た瞬間、私は思わず息をのんだ。

黒沢晃(くろさわ あきら)先輩だった。

「まだ動かないで」

晃はすぐベッドの反対側へ回り込み、私をそっと支えた。

「ちょうど君に電話したら、管理人が出てな。『この携帯の持ち主とは、どういうご関係ですか』って聞かれて……」

私は呆然としたまま晃を見つめた。しばらくして、ようやく状況を理解した。

スマホを見ると、悠斗と紗妃から着信が何件も入っていた。メッセージも何十件と届いていた。

部屋から私の荷物がなくなっていることに気づいたらしく、「どこにいるんだ」と何度もメッセージを送ってきていた。

何度も謝り、「帰ってきてほしい」と必死に訴えていた。

悠斗は「結婚するのは美月だけだ」と何度も繰り返し、紗妃も「子どもはちゃんと堕ろすから」と必死に弁解していた。

けれど、何気なくSNSを開いた瞬間、その言葉が全部嘘だったと思い知らされた。

おすすめに表示された紗妃の投稿が、目に飛び込んできた。

【赤ちゃん、よく頑張ったね。これからはママが守るからね】

幸せいっぱいの投稿だった。

共通の友人たちは「おめでとう」と祝福のコメントを寄せ、「いいね」も次々と増えていった。

伊藤真奈(いとう まな)は、紗妃以外で今も付き合いのある、唯一の高校時代の友人だった。結婚式では、ブライズメイドをお願いすることになっていた。

そんな彼女からも、メッセージが届いていた。

【美月って、親友の元カレと付き合って平気だったんだね】

【悠斗がずっと紗妃を忘れられなかったなら、もう身を引いたほうがいいんじゃない?お腹の子まで犠牲にしようとするなんて、本当に最低だよ】

胸の奥を、もう一度深くえぐられたような痛みが走った。息をすることさえ苦しかった。

2日後、私は退院し、とりあえずホテルへ身を寄せた。

その夜、悠斗の母・高橋由紀子(たかはし ゆきこ)からLINEが届いた。

私たちから入籍の報告がないことを不審に思った由紀子は、悠斗を問い詰めて真実を知り、そのまま倒れて入院したらしい。

一晩悩んだ末、私は見舞いへ行くことにした。

病室へ入るなり、由紀子は私の手をぎゅっと握り、涙をこぼした。

何度も「ごめんなさい」と頭を下げてくれた。

けれど、話しているうちに、少しずつ悠斗をかばうような口ぶりになっていった。

「美月ちゃん、人間なんだから誰だって間違いはあるのよ。でも、あの子が本当に大切なのは、美月ちゃんだけなのよ。私は美月ちゃんしか、お嫁さんだなんて認めないわ。あの子が子どもを産んだって、あくまで愛人の子よ」

私は言葉を失った。けれど、由紀子と口論する気にはなれなかった。

「どうか、お身体を大切にしてください」

そう言い残し、病室を出ようと扉を開けた。

そこには悠斗が立っていた。

「美月、話を聞いてくれ。紗妃はもともと子宮に問題があって、この子を堕ろしたら、もう子どもを授かれないかもしれないんだ」

その後ろから、紗妃も病室へ入ってきた。目は真っ赤に腫れていた。

「美月……お願い。私は悠斗を奪うつもりなんてない。だから、この子だけは産ませて。

美月は、お母さんを亡くしたことがあるから……出産が怖いんでしょう?だったら、その役目は私が引き受ける。この子は、私たち2人の子どもとして育てよう?美月のことも『ママ』って呼んでくれるから」

あまりにも身勝手で、笑うしかなかった。気づけば涙まであふれていた。

その瞬間、下腹部に鋭い痛みが走った。

「……悠斗」

私はゆっくり顔を上げた。

「悠斗も……そう思ってるの?」

悠斗は黙ったままだった。

何度か口を開きかけ、ようやく絞り出したのは、情けない一言だった。

「……美月。俺は……誰か一人を選ぶなんて、できない。だから……分かってほしい」

私は静かに頷いた。もう、何も言う気になれなかった。

そのまま病室を出ようとすると、紗妃が私の腕をつかんだ。

「美月……行かないで」

振り払おうとしても、なかなか離してくれなかった。

私は皮肉っぽく笑った。そしてもう一方の手を振り上げ、紗妃の頬を思いきり平手で打った。乾いた音が病室に響き渡った。

「紗妃!」

悠斗はすぐ私を突き飛ばし、紗妃を抱き寄せると、赤くなった頬をそっと撫でた。

「何をするんだ!」

私は何も答えなかった。それで十分だった。

足元へ、赤い血が静かに広がっていった。

意識が遠のく中、私は最後の力を振り絞ってスマホを取り出し、電話をかけた。

「先輩……お願い、迎えに来て……」

「分かった。今行く」

返事は、スマホ越しだけではなかった。同じ声が、ほとんど同時に病室の外からも聞こえてきた。

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