――遠藤杏、27歳。 家具や照明、空間デザインなどをトータルで手がける総合インテリアメーカー〝株式会社いろのわ〟に勤めて、今年で3年目になる営業部社員だ。 幼い頃に両親が離婚してからは母子家庭で育ち、現在は都内の小さなアパートで一人暮らしをしている。 仕事はそれなりに順調で、やりがいも感じている。 ただ一つ、直属の上司である波多野直樹営業部長との相性がすこぶる悪いことだけが、会社生活における唯一の悩みの種だった。 顔を合わせれば小言を言われ、冷たい視線で射抜かれる。 仕事ができるのは認めているけれど、どうにも苦手な相手だ。「遠藤。この見積書、どういうつもりだ?」 営業部のオフィスに、波多野の低く冷ややかな声が響いた。 提出したばかりの見積書を指差され、杏は小さく瞬きをする。 それは、取引先から依頼されたオフィス改装用の家具や照明のリストだった。先方の要望を最大限に取り入れた結果、一部の輸入家具が予算を少しオーバーしてしまっているのだ。「先方の予算は確認したのか?」「はい。ですので、品質を落とさずに価格を抑えられる代替案もご用意しています」 杏が手元のファイルから別の資料を差し出そうとすると、波多野はそれを目で制した。「ならば最初から比較できる資料としてまとめろ。相手に判断を委ねるつもりなら、必要な情報をひと目でわかるように揃えるのが先だ」「……おっしゃる通りです。申し訳ありません、すぐに修正します」 杏は反論することなく、素直に頭を下げた。 特に落ち込むこともなく、杏が資料の修正に取りかかろうとしたときだった。 波多野が背を向けて歩き去った途端、近くにいた男性社員たちがわらわらと杏のデスクに集まってきた。「遠藤さん、大丈夫? また波多野部長に絞られてたね」「あの人、遠藤さんにだけ当たりキツくない? 資料の修正、俺も手伝おうか?」「俺、ちょうど午後の予定空いてるからさ。手分けしようよ」 次々とかけられる労いの言葉に、杏はきょとんと首を傾げた。「ありがとうございます。でも、資料をまとめるだけなので、これくらい自分でできますよ」 杏は柔らかく微笑んで、気遣いを丁重に断った。 男性社員たちは、そんな彼女の反応にかえって鼻の下を伸ばしている。 杏は少し吊り上がり気味の切れ長
Last Updated : 2026-10-24 Read more