All Chapters of 密かな復讐のホールインワン: Chapter 11 - Chapter 20

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11話. 寝室前の廊下の背徳

地下の練習場を包む密やかな闇を抜け、ペントハウスの2階へ続く螺旋階段を上る。大理石の階段を踏む紗良のつま先が、かすかに震えていた。ついさっきまでカウチの上で激しく貪られていた身体には、まだ鈍い熱がこもっている。隼人は紗良の一歩後ろをついてきた。紗良が階段で立ち止まれば彼も止まり、彼女が再び歩き出せば、その後に続いた。やがて、2階のマスターベッドルームの前にたどり着いた。金色の縁取りが施された巨大な夫婦寝室の扉は、固く閉ざされていた。紗良は冷たい壁に背を預け、息を整えた。「ここが……久我雅臣の寝室よ」紗良の声が、人気のない廊下に冷たく響いた。「毎晩、酒に酔って帰ってきては私を見下し、子どもも産めない不妊の女だと言って、寝室に鍵をかけていた場所」紗良はドアノブに手を伸ばさなかった。ひとりで廊下を渡る夜には、部屋の中から呼んでくれるのではないかと、待っていたこともある。今日も扉は閉じたままだったが、引き返したくはなかった。開けてほしいと頼むつもりもない。後ろから続いていた足音が止まった。隼人が大股で近づいてきた。男の鋭い視線が寝室の扉をなぞり、それから壁にもたれる紗良の顔へと向かった。「ずいぶんと汚い記憶が染みついた場所ですね」隼人は紗良の左右に手を伸ばし、壁に手をついた。紗良は階段の吹き抜けを背にして、隼人へと向き直った。「中に入りますか?」「いいえ。今日はあの扉を開けたくないの」隼人はドアノブに手を伸ばさなかった。紗良はしばらく彼を見つめてから、シャツの裾をつかんだ。この扉の前では、いつだって雅臣が入る時間も出ていく時間も決めていた。けれど今日は、自分が立ち止まったこの廊下にいたいと、口にすることができた。紗良が顔を上げると、隼人の顔がすぐ近くにあった。「だからあなたを呼んだの。あの汚らわしい記憶を、あなたの匂いですべて塗り替えてほしくて」隼人の唇の端が、つり上がった。「奥様は本当に怖いもの知らずですね。夫の寝室のすぐ前でこんなことをして、家政婦や警備員に見つかったらどうするおつもりですか?」「家政婦は休暇を取らせたし、警備員はインターホンなしじゃ2階に上がれないわ」紗良は挑発するように隼人のシャツの襟をつかみ、引き寄せた。「見つかるつもりはないわ。いつまであの人の顔色をうかがいながら、この家を歩き回らなきゃいけないの?」
last updateLast Updated : 2026-10-23
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12話. 非常ベルと開かれた書斎

ピピピッ――! ピピピッ――!静寂に包まれていたペントハウス全体に、鋭い電子音が響き渡った。紗良は思わず息をのんだ。壁に押しつけられていた全身の神経が、氷水に沈められたように凍りつく。隼人の動きも、その場でぴたりと止まった。鍛え上げられた筋肉が、一瞬にして鋼のように張り詰める。「……!」紗良は隼人の肩を強くつかみ、唇をきつくかみしめた。こんな夜更けに鳴るのは、1階メインロビーの警備室につながる非常インターホンだ。隼人は紗良の唇に人差し指をそっと当てた。「シッ」闇の中で男の冷たい眼差しが光った。隼人は紗良の身体からゆっくり離れ、廊下の手すり越しに1階のリビングを鋭く見下ろした。ピピピッという音がさらに3回鳴り、インターホンの画面から警備員の切迫した声が流れた。『奥様、ペントハウス警備です。地下駐車場に代表専用の送迎車が入ってきました。代表がお戻りのようなので、事前にご連絡しています』紗良は画面に表示された車両番号をもう一度読み直した。見間違いではない。(久我雅臣が、もう帰ってきた?)香港出張は間違いなく3泊4日の予定だった。午後4時の便に乗るはずだった男が、なぜ数時間もしないうちに地下駐車場へ戻ってきたのか。紗良の背中を、冷たい汗が滝のように流れ落ちた。ペントハウス専用エレベーターがこの階に到着するまで、せいぜい2分。まずは服を整えなければならない。隼人も階段の方を警戒していて、返事が遅れた。男は床に落ちていたシャツを拾い、紗良の肩にかけながら、低く冷静な声で囁いた。「先に服を着てください。階段は俺が見ます」隼人の落ち着いた声が紗良の耳を打った。紗良は荒い息をつきながら、歯を食いしばった。紗良は手すりの下へ視線を落とした。エレベーターが上がってくる間に動かなければならない。隼人をつかんでいた手を離せば、そのわずかな時間さえ失ってしまいそうだった。彼女はまず、外へ出る経路を頭の中に描いた。そうよ、ここで取り乱せば、また雅臣の足元に這いつくばることになる。「非常階段へ行って。あそこは監視カメラの死角よ」服を整えながら紗良が囁いた。だが隼人は逃げるつもりがないようだった。男の視線は寝室の隣にある、重厚な木製の扉へ向けられていた。久我雅臣の個人書斎だった。「この部屋は?」隼人が低く尋ねた。「雅臣の書斎よ。会社の機密書類と金庫がある
last updateLast Updated : 2026-10-23
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13話. 書斎の机の下の吐息

ドン、ドン、ドン――!1階の玄関から上がってくる久我雅臣の革靴の音が、大理石の階段に響いた。紗良は隼人の手を引き、書斎の奥にある巨大なマホガニー製の机の下へ身を投げ込んだ。狭い机の下で、2人の身体が隙間なく重なり合う。隼人は後ろから紗良を抱き寄せ、片手で彼女の口をそっとふさいだ。男の大きな胸が紗良の背中にぴたりと重なる。逞しい太腿の間に腰を閉じ込められた紗良の心臓は、今にも破裂しそうなほど激しく脈打っていた。ドンッ――!書斎の扉が乱暴に開いた。酒とタバコの臭いを濃く漂わせながら、雅臣が部屋へ大股で入ってきた。明かりもつけず、机の上のノートパソコンの光の前に立つ。すぐ頭上から、雅臣が荒い息をつきながら神経質にキーボードを叩く音が、タタタタッと響いた。わずか30センチ上。机の天板一枚を隔てたすぐ下で、紗良は夫の足元に身を潜め、不倫相手の腕の中で息を殺していた。全身の血が干からびるような極限のスリルと恐怖、そして奇妙な快感が背筋を駆け抜けた。隼人の指が、紗良のくびれた腰を強くつかんでいた。男は、入ってくる直前に目にしたノートパソコンの報告書を思い出したかのように、身体をこわばらせていた。【調査対象者:黒瀬隼人/調査依頼人:久我雅臣】隼人の腕に力がこもった。立ち上がろうとする気配に気づいた紗良は、机の上から聞こえるキーボードの音に意識を集中した。雅臣はまだすぐそこにいる。(隼人、駄目……)隼人が理性を失って飛び出していかないよう、紗良は男の太い腕を両手でぎゅっとつかんだ。そしてゆっくり顔を回し、隼人のうなじに唇を押し当てた。紗良の熱く濡れた唇が、隼人の脈打つ頸動脈をそっと押さえた。(耐えて。今じゃない)紗良の無言の懇願が肌を通して伝わると、隼人の顎の筋肉が荒々しく引き締まった。そのとき、机の上で雅臣が携帯電話を耳に当て、荒々しく通話を始めた。「もしもし、俺だ。香港の投資案件は延期になった。金田部長、あいつの口は確実に塞いだんだろうな?」雅臣の冷酷で卑劣な声が、書斎に響き渡った。「3年前、黒瀬隼人の野郎に不動産PFのリベートをなすりつけて永久追放にしたときと同じだ。今回も同じように尻尾を切ればいい。検察には手を回しておく。帳簿の原本を今すぐ粉砕しろ」雅臣の口から飛び出した、衝撃的な自白。机の下にいる隼人の瞳が、血のように赤く染まった。雅臣
last updateLast Updated : 2026-10-23
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14話. パンドラの箱と告白

紗良は報告書の日付と調査依頼人の欄をもう一度指でなぞった。隼人はマウスを止めた。外で車が走り去る音が遠ざかっても、2人は画面の前から離れなかった。最初の報告書には、懲戒委員会の結果ファイルが添付されていた。隼人がそのファイルを開いた。紗良は処分の項目まで読み終えてから、ノートパソコン越しに彼を見た。先ほど一緒に身を隠した理由と、ずっと前から彼が近づいてきた理由は、別の問題だった。【2023年 日本プロゴルフ協会・定期懲戒委員会結果報告書】【議題:ツアープロ黒瀬隼人の違法賭博・不動産PFリベート受領・八百長および禁止薬物使用疑惑】【処分:永久追放および指導者資格剥奪】【事件の黒幕および告発者:久我ホールディングス代表取締役 久我雅臣】紗良は処分内容と調査依頼人の名前を交互に読み返した。同じ保管フォルダには、桐谷莉香のスポンサー契約書と診療記録も目に入った。雅臣が誰かを脅すために集めていた資料だった。紗良は後から出所を照合できるよう、ファイル名と保存場所を記録し、コピーを確保した。隼人が南青山のスクリーンルームでしかレッスンをしていなかった理由は分かったが、この書類だけでは、なぜ彼が自分に近づいてきたのかまでは説明できなかった。その答えは、本人から聞かなければならない。「これだったの?」紗良の低く乾いた声が、書斎の沈黙を破った。隼人の広い背中がかすかに強張った。紗良は大股で歩み寄り、隼人の向かいに立った。「久我雅臣に復讐するために、私を利用したの?」隼人はゆっくり顔を上げた。深い黒い瞳には、隠しきれない傷と冷酷な怒りが渦巻いていた。「……否定はしません」隼人の声は、最後の一音でかすれた。「久我雅臣のクソ野郎が仕掛けたPFの罠で、うちの家族は路頭に迷いました。父は脳出血で倒れた。ずっと手にしてきたゴルフクラブまで、粉々にされたんです」隼人は紗良の目をまっすぐ見つめた。「あいつの息の根を止められるなら、悪魔に魂を売るつもりでした。だから奥様が南青山のスタジオに足を踏み入れたとき、神が与えてくれた機会だと思ったんです」「私を駒として扱ったってことね」紗良は近づかなかった。手首の具合を気遣ってくれた隼人と、今目の前にいる隼人が、まるで別人のように感じられた。優しかった記憶があるからこそ、どこまでが計算だったのか問いただしたかった。「じゃあ
last updateLast Updated : 2026-10-23
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15話. 運命共同体の結束

隼人は机の前で立ち止まった。紗良が突きつけた条件を聞いても、すぐに手を差し出すことはできなかった。ノートパソコンを挟んだまま、彼は答えた。「俺を憎んでも構いません」隼人の低くかすれた声が、紗良の耳に鋭く響いた。「利用されたと怒って、俺を警察に突き出しても、追い出してもいい。すべて奥様の自由です。でも、久我雅臣のクソ野郎だけは、俺の手で必ず引き裂いてやります」紗良は彼の言葉を最後まで聞いた。雅臣への怒りは、隠すつもりさえないようだった。少なくとも今は、誰を見ているのか分からないまま、この男と向き合う必要はない。紗良は報告書が表示された画面を指さした。「追い出すですって?」「……何?」「むしろ、ちょうどいいわ」紗良の冷ややかな声が書斎に響いた。「身体を重ねて終わるだけの、つまらない不倫なんて、最初から興味なかったもの」紗良は隼人のシャツの襟をつかみ、自分の目の前まで乱暴に引き寄せた。2人の唇は触れそうで触れない、危険な距離にあった。「私は久我雅臣の投資家たちの前に立つためのスイングが必要で、あなたにはあいつの会社を内側から潰す人間が必要だったんでしょう?」「でも、私の名前で何かを進めるなら、先に私に話して。私もあなたのことを、ひとりで決めたりしない」隼人はノートパソコンの画面から目を離し、紗良を見た。追い出されると思っていた場所で、条件を突きつけられていた。「利用されてあげるわ、黒瀬隼人」紗良は隼人の唇に自分の赤い唇をかすめ、囁いた。「その代わり、あなたは私の共犯者になって。私が投資家たちの前に堂々と立てるように教えて。私の手足のふりをしながら、裏で勝手に別の計画を立てたりしないで」紗良は言葉を濁さなかった。隼人が先に打ち明けなければ、最後まで疑うべきことだった。今は、彼が何を狙って近づいてきたのか、少なくとも分かっている。その事実が傷を消してくれるわけではない。けれど、雅臣を前にして再びひとりになる理由にもならなかった。彼女は引き寄せた手に力を込め、隼人の返事を待った。隼人は息をのんだ。隼人は、自分が代わりにすべてをやるという言葉を飲み込んだ。紗良が求めているのは、そんな約束ではない。なぜ近づいたのかを打ち明けた今、ようやく一緒に進む方法を尋ねることができた。「分かりました。これからは隠しません。俺も奥様が決めた条件を守って
last updateLast Updated : 2026-10-23
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16話. 240メートルのロングドライブ、そのメカニズム

バンッ! バンッ! バンッ!南青山のVIPシミュレーションゴルフルームに、厚い防音壁を突き破りそうな鋭い打球音が立て続けに響いた。紗良の額と鎖骨を伝った汗が、打席のマットにぽたぽたと落ちる。身体にぴたりと張りつく黒のノースリーブのゴルフウェアは汗で濡れ、秘めやかな曲線を余すところなく浮かび上がらせていた。「まだです。インパクトの瞬間に骨盤の動きが止まっています」隼人は紗良の背後にぴたりと寄り添い、両手で彼女の腰骨を荒々しくつかんだ。硬い胸板が汗ばんだ肩甲骨に触れ、熱を伝えてくる。「奥様、手首の力で打とうとしないでください。クラブヘッドが通る道を、身体で作るんです」「はぁ……言うのは簡単だけど、240メートルも飛ばすには……!」「俺の身体に、あなたの身体を預けてください」隼人は紗良の骨盤をつかみ、ターゲット方向へ強く押し込んだ。彼の太腿と紗良の尻が、わずかな隙間もなく重なった。「コックを保って。ダウンスイングを始めるときに左膝を外へ開きます。それから、壁に押しつけるように骨盤を思いきり回すんです」男のごつごつした指が、紗良の下腹部の内側の筋肉をぐっと押した。肌に食い込むような強い圧迫に、紗良の唇から艶めいた声が漏れる。「あっ……!」「そこに力を入れてください。そこが回転の軸です」紗良は呼吸を整えた。飛距離の数字が頭に浮かぶたび、腕に力が入ってしまう。隼人が指摘しているのは、その瞬間に身体の動きが止まることだった。その動きを完成させるため、紗良は自分の身体を隼人の手にすっかり委ねた。「もう一度いきます。3、2、1……打って!」隼人の大きな手が紗良の手を包んだまま、宙を切った。紗良の骨盤が稲妻のように激しく回転し、インパクトゾーンを貫く。ドガァァン――!空気を引き裂く重い轟音がルームを揺るがした。ドライバーの芯で捉えたボールが、大型スクリーンを突き破りそうな勢いで舞い上がる。伸びやかな弾道を描いたボールは、画面のフェアウェイ中央、238メートル地点に落ちた。「できた……!」紗良は歓声を上げて振り向いた。目の前、わずか数センチのところに、汗に濡れた隼人の顔があった。隼人は紗良の腰を抱き寄せ、荒い息を吐いた。「238メートルです。今のは軸が最後まで回りました。まず、その感覚を覚えてください」隼人の力強い手が紗良の腰を包み、ゆっくり
last updateLast Updated : 2026-10-23
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17話. 接待用の道化と残酷な密約

大会前夜、元麻布のペントハウスのダイニングルーム。香港出張を取りやめた久我雅臣は高級葉巻をくゆらせ、食卓の向こうに座る紗良を冷ややかに見下ろしていた。バサッ。雅臣が書類の封筒を一つ、紗良の前へ乱暴に投げた。「明日はプライベートエクイティ協会主催のチャリティーゴルフ大会だ。会長たちの前ではおとなしくしていろ」紗良はコーヒーカップを持ったまま、視線すら向けなかった。「出ていって、また何の恥をかけっていうの?」「恥だと?」雅臣はせせら笑いながら近づき、指で紗良の顎を乱暴に持ち上げた。「明日のラウンドでお前が見せる空振りや無様な動きは、投資家たちを和ませる最高の接待用ピエロショーになるんだよ」雅臣が吐き出した濃い葉巻の煙が、紗良の顔を覆った。「莉香が隣で華麗にナイスショットを決める間、お前は冴えない古女房のふりをして笑ってりゃいい。そうすれば会長たちも上機嫌で、50億円の不動産PF契約に判を押してくれるんだからな」紗良は封筒を開いた。参加者名簿よりも先に、50億円という金額が目に残った。雅臣は彼女を連れていく理由を隠そうともしない。紗良が断ったり、その場を別の目的に使ったりする可能性など考えていないらしい。「わかったわ。言うとおりにする」「そうだ。最初から素直にしてりゃよかったんだ」書斎の扉が閉まるまで、紗良は封筒を読むふりを続けた。雅臣の足音が遠ざかると封筒を置き、明日持っていく資料を選んだ。紗良はドレッシングルームに入り、鍵をかけてから隼人に電話した。呼び出し音が一度鳴っただけでつながった。『聞いています、奥様』その声を聞くと、言葉を切り出しやすくなった。それでも雅臣に笑いものにすると言われたことは心に残っている。明日、実際にあの男の前に立つのは自分なのだ。「久我雅臣は明日、私を接待用の道化にする気らしいわ」『予想していた筋書きです』受話器の向こうから、隼人の冷ややかな笑いが聞こえた。『明日はわざと下手に打つ必要はありません。誰かが笑っていても、奥様は準備してきた一球を打てばいいんです』「明日……本当に来てくれるんでしょうね?」震える問いに、隼人は低い声で囁いた。『約束したでしょう。明日の朝、1番ホールのティーイングエリアの後ろでお待ちしています。奥様が打ち終えるまで、後ろから見守っています』紗良は待ち合わせ場所を頭の
last updateLast Updated : 2026-10-23
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18話. クラブハウスでの宣戦布告

翌朝8時。軽井沢にあるVVIP会員制ゴルフクラブ。数億円もする高額会員権を持つ財界人たちが訪れる、名門プライベートコースだった。秋の澄んだ青空の下、最高級の輸入セダンやロールスロイスがクラブハウス前を埋め尽くしていた。ロビーでは数百億円規模のプライベートエクイティファンドを運用する投資会社の代表や政財界の大物たちが、シャンパンを片手に談笑している。「あら、雅臣さん! 今日は最高のお天気ね!」甲高い笑い声とともに桐谷莉香が現れた。派手なブランドロゴの入ったピンクのゴルフウェアをまとい、数百万円相当のエルメスのバッグを持って、雅臣に近づいていく。きちんとしたネイビーのブレザー姿の久我雅臣は、得意げに立っていた。そのとき、ロビーのガラス扉が開き、ひとりの女性が入ってきた。無駄のない完璧なシルエットの黒いテーラードゴルフウェアを着た白石紗良だった。きれいに結ったポニーテールと濃いサングラスの下に、冷ややかで優雅な顎のラインがのぞく。ロビーを横切る間、紗良は雅臣のほうへ進路を変えなかった。控えめな挨拶とグラスの触れ合う音が近づくほど、最初のラウンドで自分を見世物にした視線が蘇る。紗良はロビーを進みながら、今日の参加者の中で挨拶すべき相手を探した。雅臣に呼ばれたからといってすぐに戻るつもりはない。代わりに、昨夜隼人と決めた動線をたどった。最初のボールを打つ前から夫の指示どおりに動く必要はなかった。投資家たちの視線が一斉に紗良へ向いた。(あの人が久我ホールディングスの奥方か?)(噂では鬱病で寝込んでいるって話だったのに……ずいぶん迫力があるな)莉香の唇が歪んだ。莉香は雅臣の腕に絡みつき、紗良に向けて嫌味を投げた。「奥様、今日も手首を痛めてカートに座りっぱなし、なんてことにならないように。せめてちゃんとボールに当ててくださいね」雅臣も卑しい眼差しで紗良を見回し、小声で告げた。「白石紗良、よく覚えておけ。今日は黙って引き立て役に徹しろ」紗良は答えず、冷たい笑みを浮かべてサングラスを外した。まさにそのときだった。クラブハウスの正面入口から黒瀬隼人が入ってきた。黒いキャディージャケットを着て、紗良のゴルフバッグを背負っている。雅臣に気づいても、自分から喧嘩を売ることはなかった。今日は誰のコーチとして来たのかを示すように、紗良の隣に立った。久我雅臣の顔
last updateLast Updated : 2026-10-23
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19話. 1番ホールのティーイングエリアに漂う殺気

初秋の涼しい風が、軽井沢ヴェネツィアCCの1番ホールのフェアウェイを吹き抜けた。だがティーイングエリアの周囲の空気は、薄氷を踏むように冷えきっていた。大手プライベートエクイティファンド、アルファインベストの石原誠司社長をはじめ、政財界の大物およそ30人がギャラリーとしてティーイングエリアの後方に並んでいた。久我雅臣はひねられた手首を押さえ、殺意に満ちた目で隼人と紗良を睨んでいた。(俺の金で食わせてやっている男女のくせに……今日こそ2人ともこの手で破滅させてやる)雅臣は歯を食いしばり、莉香に目配せした。「莉香、お前が先に打て。あのへたくそな女に、本物のプロ並みのスイングってやつを見せてやれ」「うん、雅臣さん! 任せて!」莉香は甘えた声を出し、ピンク色のドライバーを手にティーイングエリアへ上がった。SNSで100万人のフォロワーを抱えるゴルフインフルエンサーらしく、フォームは華やかだった。バックスイングから振り抜いたドライバーが軽快な音を立てる。パーン――!ボールはフェアウェイの右へ飛び、およそ180メートル地点に着地した。「おお、ナイスショット!」ギャラリーから儀礼的な拍手が起きた。莉香は得意満面で紗良を横目に見て、鼻で笑った。「奥様、180メートルくらいは飛ばさないとセカンドショットにもなりませんよね……また20メートルしか転がらないミスショットをしないか、心配ですぅ」雅臣も卑しく笑って加勢した。「石原社長、うちの妻はひどい運動音痴でして。笑いものになっても大目に見てやってください」石原誠司は答えず、無表情で紗良を見つめた。紗良は眉一つ動かさない。グローブをはめ直し、ゆっくりとティーイングエリアの中央へ歩いた。黒いキャディージャケット姿の隼人が、重い足取りでその後を追った。彼は片膝をつき、紗良の足元の芝に丁寧にロングティーを刺した。白いボールを乗せて立ち上がり、紗良の背後に静かに寄り添った。「奥様」隼人は周囲の笑い声よりも、紗良がグリップをどれほど強く握っているかを見ていた。彼女が受け取りやすいよう、クラブのグリップの向きを変える。「あんな連中のたわ言など、聞く価値もありません」隼人はクラブを渡しながら、紗良の指をしっかり包んだ。「練習でつかんだ動きの順序だけを考えてください。今は飛距離を伸ばそうとして、余計な力を入れる必要
last updateLast Updated : 2026-10-23
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20話. 245メートルの一撃、そして沈黙

隼人が下がった場所で、紗良の瞳が冷たいダイヤモンドのように光った。ドライバーを握ったまま、アドレスの軸を最後まで保っている。引き締まった腰、腕が作る完璧な三角形。石原誠司は紗良の構えが決まると、隣の人との会話を止めた。まだボールは飛んでいない。彼はセットアップの美しさより、その姿勢をインパクトまで維持できるかを見ようとした。(あの構えで……運動音痴だと?)石原社長の瞳が揺れた。紗良は吸い込んだ息を保ったままバックスイングを続ける。隼人から教わったとおり、低く長く伸ばすテークアウェイ。頂点に達した瞬間、紗良の体幹の筋肉がぴんと張り詰めた。そして――!紗良の骨盤が隼人の手の感覚を覚えているかのように、ためらいなく爆発的に回転した。下半身の体重移動を余すところなく受けたクラブフェースが、雷のようにボールへ振り下ろされる。ドガァァン――!大砲が炸裂したかのような重い打球音が、ゴルフ場全体を呑み込んだ。一瞬でティーイングエリアの騒音が嘘のように消える。白いボールは重力を無視するかのように舞い上がり、青い秋空を鋭く切り裂いた。弾丸のような弾道で飛ぶボールは、向かい風を突き抜けてどこまでも伸びた。200メートル、220メートル、230メートル……! そしてフェアウェイの真ん中、245メートル地点にドンと落ち、ぴたりと止まった。静寂。先ほど笑っていた人々も、ボールの止まった場所を確かめていた。「……ありえない」桐谷莉香の手からドライバーが力なく滑り、芝の上にぽとりと落ちた。久我雅臣の顔は血の気をすべて失い、死人のように青白くなっていた。245メートル。国内女子プロツアーでも、トップクラスの飛ばし屋にしか出せない驚異の飛距離だった。「うわあああ――!」石原誠司社長が両手を上げ、雷鳴のような拍手を送った。「ワンダフル! 素晴らしいですよ、白石紗良さん! 私は30年ゴルフをやってきましたが、アマチュアの女性ゴルファーがこれほど完璧なメカニズムで240メートルも飛ばすのは初めて見ました!」ファンドの代表や大物たちが一斉に感嘆し、紗良に拍手を送った。紗良は余裕をもってフィニッシュを解き、サングラスを直した。そして呆然と口を開けたままの莉香を冷たく見下ろした。「桐谷莉香さん」紗良の冷たい声が、ティーイングエリアを貫いた。「運動音痴でごめんなさいね。
last updateLast Updated : 2026-10-23
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