Todos los capítulos de 奪われた息子が、私を「お母さん」と呼ぶ日まで: Capítulo 11 - Capítulo 20

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11話. 戦略

午後5時の相談室。蛍光灯の下、篠宮の机には書類が積み上がっていた。窓の向こうでは、夕日が千代田区のビルの間に傾いていた。紗奈が相談室のドアを開けて入った。今回で2度目の面談だった。最初の相談で所見書と陳述書の日付が一致していることを見つけたあと、篠宮は追加で検討するため、1週間ほしいと言っていた。紗奈は向かいの椅子に座った。篠宮は先の依頼人の書類の山を脇へ寄せ、引き出しから紗奈のファイルを取り出した。ファイルの表紙には『水原紗奈案件』と書かれていた。その横に新しい紙を広げた。「前回確認した内容を整理しました」篠宮がノートを開いた。万年筆で書かれた小さな文字がびっしりと並んでいた。「1つ目。診療記録上、治療経過は良好。自傷念慮なし、危険行動なし。これは監護者としての適格性を裏づけます」紗奈はうなずいた。「2つ目。所見書が1通。書式、字体、印字の濃さが、ほかの診療記録と異なる。異質な点が確認できました」「はい」「3つ目。所見書と関係者の陳述書が提出された日付が同じ。調整された可能性をうかがわせます」篠宮はノートから目を上げ、紗奈を見た。「この3点をもとに、戦略を立てる必要があります」紗奈はバッグの上に置いた手を強く握った。手のひらはじっとりと汗ばんでいた。「監護者の変更を申し立てるには、現在の養育環境に問題があることと、申立人に監護者としての適格性があること、その両方を立証しなければなりません」「両方とも、ですか?」「はい。どちらか一方だけでは足りません。以前の申立てが却下された理由も、まさにそこでした」紗奈の目が篠宮の手元へ向いた。これまで2度却下されたのは、その点が弱かったからなのだ。篠宮は紙に2つの円を描いた。左側に『養育環境の問題』、右側に『監護者としての適格性』と書いた。2つの円を双方向の矢印でつなぎ、紗奈のほうへ紙を回した。紗奈はその図を見つめた。5年間の闘いが、2つの円に整理されていた。「環境の問題については、所見書と陳述書に偽造の疑いがあると主張し、従来の審判の根拠を揺るがすんです」「陳述書の原本は、まだ確認できていないんですよね?」「閲覧を申請しました。1、2週間以内には確認できると思います」「看護師さんが保管している資料は?」「看護師さんの資料も、2週間後に受け取る約束でしたね
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12話. 会うための道

篠宮の相談室で、3度目の面談が行われた。今回は紗奈の隣に、妹も座っていた。妹が、今回だけは絶対に一緒に行くと譲らず、紗奈が折れたのだ。窓の外では、夕焼けがビルのガラスに反射していた。相談室には、かすかにコーヒー豆の香りが残っていた。篠宮の空になったコーヒーカップが、机の隅に置かれていた。篠宮は書類を整理しながら、2人を順番に見た。「ご同席の方ですね?」「妹です」妹が頭を下げた。「お話は伺っています」篠宮は短くうなずき、書類に目を戻した。妹に対して特別な感情を見せることはなかった。私的なことに時間を割かない性格なのだろう。紗奈はむしろ、そのほうが気楽だった。机の上には紗奈の事件ファイルと法律用語集、保全処分に関する判例の資料が用意されていた。「今日は具体的な手続きについて説明します」篠宮は紙を取り出し、図を描いた。左側に『保護命令(終了)』、右側に『面会交流の制限(継続中)』と書いた。「水原さんの現在の状況を整理すると、こうなります」紗奈は図をのぞき込んだ。篠宮の文字は小さいがはっきりしていて、図の線もまっすぐ引かれていた。妹も身を乗り出して紙を見た。「保護命令は3年前に終了しています。接近禁止は解除された状態です」「はい」「ですが、面会交流の制限は別の決定で、今も有効です。ここが重要です」妹が首をかしげた。「接近禁止が解除されたのに、どうして子どもに会えないんですか?」篠宮は万年筆の先で、図の2つの項目の間を指した。「保護命令と面会交流の制限は、法的な根拠が異なります。保護命令は被害者を守るためのものです。一方、面会交流の制限は監護者の指定と同時に決められたものです」篠宮は図の2つの項目の間に、バツ印をつけた。「この2つは自動的に連動しません」「つまり、別々ということですね?」「そうです。片方が解除されても、もう片方には影響しません」妹が図を指さした。「じゃあ、面会交流の制限を解除するのは誰なんですか?」「裁判所に変更を申し立てる必要があります。自動的に解除されることはありません」紗奈は、3年前に保護命令が終了したときのことを思い出した。そのときは、もう子どもに会えると思っていた。だが、面会交流の制限が別に残っていると知ったのは、裁判所に問い合わせたあとだった。あのときの虚しさを、今も覚
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13話. 支援の輪

土曜日の午前、妹が紗奈のワンルームにやって来た。玄関で靴を脱ぎながら、部屋の中を見回した。「お姉ちゃん、ここを弁護士さんに見せるんでしょ?」「うん。養育環境の資料として」妹は部屋の中を慎重に歩いた。26平米ほどの部屋の隅々を見て回った。流し台、冷蔵庫、ベッド、引き出し、机。どれも手を伸ばせば届く距離にあった。壁にはカレンダーと時計が1つずつ掛かり、窓の横には折り畳んだ物干し台が置かれていた。狭いが、それなりに整頓された部屋だった。「狭いのは狭いね」「わかってる」「でも、きれい。ちゃんと片づけてるね」紗奈は朝6時に起きて、部屋の隅々まで掃除した。流し台の水垢を落とし、浴室の鏡を拭き、床を掃いてから雑巾をかけた。弁護士に見せる写真を撮るためでもあったが、いつかこの部屋に子どもが来るかもしれないと思うと、自然と手が動いた。窓枠のほこりまで拭き取った。浴室のタイルの目地に生えたカビも、歯ブラシでこすり落とした。「子ども部屋は?」紗奈はベッドの向かいにある小さなドアを開けた。2畳ほどの空間が現れた。床にはマットが敷かれ、小さな布団と枕が畳んであった。「ここだよ」妹はドア枠にもたれ、中をのぞき込んだ。「布団はいつ買ったの?」「引っ越してきたとき」「5年前?」「うん」「……洗濯は?」「半年に1回は洗ってる」妹の唇が、きゅっと閉じた。5年間、子どもが来ることのない部屋の布団を洗い続けてきたということだ。布団を日なたに干すことも欠かさなかった。妹はそのことを今日初めて知った。「壁に何か飾ろうか? 動物の絵とか、アルファベットのポスターとか」「まだいい。どんなものが好きかわからないから」「そうだね。いつか一緒に選べばいいよ」「お姉ちゃん、この部屋は狭いけど、子ども部屋があることが大事なんだって。弁護士さんもそう言ってたでしょ」「うん」紗奈は小部屋のドアを閉めた。ドアノブを握ったまま少し立ち尽くし、それから手を離した。ワンルームの隅に置いたクッションに座った。妹も隣に腰を下ろした。床が冷たく、2人ともクッションの上に両足を乗せた。「弁護士さんが、育児の支援体制を示さなきゃいけないって言ってたよね?」「うん。1人じゃないって示さなきゃいけないって」「私がいるじゃん。ここから地下鉄で30分だよ」「
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14話. 差し出された手

再び、幼稚園の前に立った。悠真を初めて見た日から、1か月あまりが過ぎていた。紗奈はケヤキの木の下、前と同じ場所に立っていた。今回は1人ではなかった。妹が近くのコンビニで待っていた。来る前に、妹と電話で話した。「行かなくてもいいよ。監督面接を申し込めば、もうすぐ会えるんだから」「ううん。行かなきゃ。あの子の顔を見たい」「じゃあ、私も行く」「一緒には来ないで。近くで待ってて」「どうして?」「人が多いと目立つから」「わかった。コンビニにいるね」1か月前は、自分でも気づかないうちにここへ来ていた。今日は意図的に半休を取り、やって来た。監督面接を申し込む前に、もう一度だけ子どもの姿を見たかった。元気か、笑っているか、ちゃんと走れているか。書類だけではわからないことを確かめたかった。ケヤキには新しい葉が増え、枝の緑が濃くなっていた。4月が5月に近づくにつれ、木陰も広がっていた。カーン。正門の前では、迎えに来た親たちが待ちながら話していた。「来月から担任が変わるんだって。6月から」「本当? 誰に?」「まだ発表されてないけど、若い先生が来るらしいよ」「悠真のクラスも変わるのかな?」「さあ、それはわからないわね」紗奈の耳は、『悠真』という名前を聞き逃さなかった。指がバッグの持ち手に食い込んだ。カーン。鐘が鳴り、正門が開いた。黄色い帽子をかぶった子どもたちが、いっせいに出てきた。「ママ!」「パパ、今日は体操教室ある?」「おばあちゃん、こっち!」紗奈の視線が正門を探った。青いバッグ。小さなスニーカー。悠真が駆け出してきた。1か月前より走るのが速くなった気がしたし、背も少し伸びたように見えた。半ズボンをはいていた。膝には、キャラクターの絵が描かれた絆創膏が1枚貼られていた。片方の靴下は、足首までずり落ちていた。(転んだんだ)紗奈の手がバッグの持ち手を握った。絆創膏の大きさからして、ひどいけがではなさそうだった。悠真は正門の前で立ち止まり、辺りを見回した。後ろから歩いてくる女の人が見えた。前に悠真を迎えに来た、あの女だった。「悠真」女が近づいた。悠真は両手を広げて女に駆け寄った。「今日は何をしたの?」「ブロックを積んだよ。木のブロック。本当に高く積んだんだ」「上手に積めた?」「でも
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15話. リスト

篠宮の相談室で、4度目の面談が行われた。今回は紗奈が1人で来ていた。相談室のドアが閉まると、篠宮は書類ファイルを取り出し、机の上に置いた。「看護師さんから資料が届きました」紗奈の背中が椅子の背もたれから離れた。2週間前に看護師へ資料を頼んで以来、毎日待ち続けていた。「内容は?」「ひとまず写しを受け取り、整理しているところです。今日はその前に進めておくべきことがあります」篠宮は新しい紙を取り出した。万年筆で『面会交流の変更――保全処分の申立て』と上部に書いた。「監督面接を申し込むための具体的な手続きを決めましょう」「はい」「まず、家庭裁判所の事前相談を予約する必要があります。これはご本人に直接行っていただきます」「家庭裁判所に電話すればいいんですか?」「はい。管轄の家庭裁判所の家事部に電話して、事前相談の日程を予約してください。予約できる日を確認して、私に知らせていただければ大丈夫です」紗奈はスマホを取り出し、メモアプリを開いた。画面の明るさを上げ、篠宮の言葉を1つずつ入力し始めた。誤字をしないよう、指先に力を込めた。「事前相談では、監督面接の手続きと必要書類を確認します。裁判所の職員が案内してくれます」「わかりました」「その次に、保全処分の申立書を作成します。これは私が作成し、水原さんに確認していただいてから提出します」篠宮は紙に必要書類の一覧を書き始めた。文字は小さく、整っていた。1つ書くたびに、横に番号を振っていく。紗奈は篠宮の手が紙の上を動くのを見ながら、緊張を少しずつ解いていった。専門家が整理してくれる一覧には、曖昧さがなかった。「申立書に添付する書類を説明します」紗奈はスマホのメモ画面に指を置いた。「1つ目、収入の証明。源泉徴収票か給与明細です」「給与明細ならあります」「直近3か月分を用意してください」紗奈は『給与明細3か月分』と入力した。「2つ目、住居環境の証明。賃貸借契約書の写しと住民票です」「どちらもあります」「それから住居の写真。子ども部屋も含めてください」「妹が撮ってくれました」「いいですね。3つ目、健康保険料の納付証明書」紗奈は入力した。指が画面の上を素早く動いた。「4つ目、戸籍謄本」「役所で発行してもらえばいいんですよね?」「はい。区役所でも取得できます。5つ
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16話. 陳述者

仕事を終えた紗奈は、そのまま篠宮の事務所へ向かった。5度目の面談だった。エレベーターを降り、廊下を歩きながら時計を見た。6時40分。約束の時間より10分早く着いていた。相談室のドアを開けると、篠宮はすでに席についていた。机の上には書類が広げられ、万年筆がその横に置かれていた。篠宮が紙を1枚、紗奈のほうへ滑らせた。5年前、家庭裁判所に提出された陳述書の写しだった。「監護者変更の審判当時、相手方が提出した陳述書の一覧です」紗奈は紙を受け取った。指が書類の端をなぞった。名前が3つ書かれていた。高宮直哉、相沢芹奈、そしてもう1人。「3人目の名前は……」「高宮直哉さんのおばさまです。高宮澄江さん」紗奈の視線が、その名前の上で止まった。義実家の集まりで何度か見かけた顔が浮かんだ。居間の端に座り、義母の隣で話していた女性。紗奈に話しかけてきたことはなかった。秋の連休に台所で顔を合わせたときも、紗奈には軽く会釈しただけで通り過ぎた。「この人は、何を陳述したんですか?」「『嫁がたびたび子どもを放置し、感情の起伏が激しく、子どもの前で物を投げるところを目撃した』という趣旨です」紗奈の手が書類の上で止まった。「目撃なんてしていません。私はあの人と一緒に暮らしたこともありません」「わかっています。だから確認するんです」篠宮は万年筆で、高宮澄江という名前の横に下線を引いた。左手に持った万年筆が、紙の上を正確に走った。「この陳述が虚偽だと証明するには、まず、この人に当時、水原さんと接触する機会があったのかを確認する必要があります」「どうやってですか?」「住所の履歴と訪問記録を照合します。住民票の転居履歴から、住んでいた場所がどれくらい離れていたか確認できます」紗奈はうなずいた。「水原さん、産後ケア施設を退所したあと、どこに住んでいましたか?」「夫の実家です。千代田区で、3か月暮らしました」「その3か月の間に、高宮澄江さんが実家を訪ねてきたことはありますか?」紗奈は記憶をたどった。産後の3か月は、曖昧な時間だった。子どもの泣き声と授乳、睡眠不足が入り混じった日々。義母がドアを開けるたび、紗奈はうつむいて授乳クッションを抱えていた。誰が出入りしていたのか、確かめる余裕などなかった。「……はっきりとは覚えていません。連
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17話. 家事受付

家庭裁判所の正門前に立った。紗奈は半休を取り、午前中に来ていた。建物の入口にある案内板には、『家事受付 3階』と書かれていた。エレベーターの前で、少し足が止まった。裁判所という場所に、なじみがないわけではなかった。5年前にも、この建物に来たことがある。あのときは廊下で直哉の弁護士と顔を合わせ、何の準備もできないまま審判期日に座っていた。今回は1人だったが、バッグの中には篠宮が整理してくれたチェックリストが入っていた。確認すること、受け取るものが書かれた紙が1枚。それだけでも、5年前とは違う歩き方になっていた。3階の家事受付のドアを開けた。中には番号札の発券機があり、前に4人が並んでいた。待合椅子の半分ほどが埋まっていた。紗奈と同じくらいの年齢の女性が、書類の封筒を膝に乗せて座っていた。隣では、スーツ姿の男性がスマホを見ていた。番号札を取った。37番。待合椅子に座り、バッグからチェックリストを取り出した。篠宮が万年筆で書いてくれた項目が並んでいた。『面会交流変更の保全処分申立て――監督面接の形式――必要書類の確認』窓口の向こうでは、職員が書類を整理していた。相談窓口は2つあり、片方では中年の男性が声を荒らげていた。「どうして受け付けてもらえないんですか? 前回はできると言ったじゃないですか」職員の低い声が答えたが、内容までは聞こえなかった。紗奈は視線をそらし、チェックリストをもう一度見た。ピッ。「37番の方、2番窓口へお越しください」紗奈は席を立ち、窓口の前の椅子に座った。職員は40代くらいの女性だった。眼鏡の奥から紗奈を見て、軽く頭を下げた。「どのようなご用件でしょうか?」「面会交流の変更について、保全処分の申立てを相談したくて来ました」職員がキーボードを打った。画面を確認してから、紗奈を見た。「すでに面会交流についての決定があるんですね?」「はい。5年前の離婚審判のときに決まったものがあります」「監護者は相手方で、ご本人が面会交流を求める側ということですか?」「はい」「現在、面会交流は実施されていますか?」「いいえ。接近を制限する命令があり、その後も面会は実現していません」職員は少し画面を見た。紗奈の手は膝の上でチェックリストを握っていた。紙の端が折れないよう、力を加減した。「
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18話. 確保

月曜日の午前、申立書を提出した。篠宮が作成した保全処分の申立書と、紗奈が準備した書類一式を家事受付に出した。受付確認書を受け取り、透明なファイルに入れた。受付番号の押された紙を見ながら、紗奈はゆっくり息を吐いた。篠宮は受付確認書を写真に撮って保存した。「相手方への意見照会には、通常何日くらいかかりますか?」「早ければ3日から5日、遅ければ2週間です。相手方の代理人がどう対応するかによって変わります」裁判所を出ると、紗奈はスマホのカレンダーを開いた。今日から2週間を数えた。毎日電話が来るかもしれないと思い、スマホのマナーモードを解除した。会社で着信音が鳴れば同僚の視線が集まるだろうが、裁判所からの連絡を逃すわけにはいかなかった。それから4日が過ぎた。その間に紗奈は育児支援確認書を仕上げた。妹が書いた確認書を篠宮に送り、会社の同僚にも慎重に頼んだ。同僚は驚いた顔をしたが、確認書に署名してくれた。養育計画書も夜ごとに少しずつ書き進めた。通園方法、小児科の場所、降園後の預け先。1行書くたびに、子どもと暮らす未来が具体的な形になっていった。金曜日の午後、紗奈は会社のトイレにいた。昼休みが終わったばかりだった。洗面台で手を洗っていると、スマホが鳴った。篠宮の番号だった。「水原さん、今お話しできますか?」「はい」紗奈は濡れた手でスマホを持ち、トイレの奥の個室に入った。ドアを閉め、便座のふたに腰を下ろした。外に誰もいないことを確かめてから、スマホを耳に当てた。「裁判所から連絡がありました」紗奈の背筋が伸びた。「保全処分の申立てについて相手方への意見照会が行われ、相手方の代理人が一部受け入れる意向を示しました」紗奈の手に力が入った。スマホを握る指先が白くなった。「一部受け入れるというのは、どういう意味ですか?」「監督面接そのものは拒否しないということです。ただし、条件をつけようとしています」「どんな条件ですか?」「面会場所を裁判所の面会交流センターに限定し、時間も1時間以内にするという内容です。それから、相手方が指定した調査官の立会いを求めています」「調査官は、もともと裁判所が割り当てるんじゃないんですか?」「そのとおりです。相手方が指定できることではありません。裁判所も、その条件は認めないでしょう」紗奈は
last updateÚltima actualización : 2026-11-04
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19話. クローゼット

裁判所から通知が届いた。6月第1週の土曜日、午前10時、家庭裁判所の面会交流センター。監督面接は1回、1時間。篠宮から電話で日程を知らされたとき、紗奈は仕事帰りの地下鉄に乗っていた。イヤホンをつけ、窓のほうへ体を向けたまま話を聞いた。「6月7日、土曜日の午前10時です」「はい」「面会交流センターの3階にある相談室です。調査官が1人同席します」「相手方からは誰が来るんですか?」「監護者の高宮直哉さんが子どもを連れてきます。別の待合室で待機し、面接の間は相談室の外にいます」「相沢芹奈さんは?」「面会交流を求める権利のない方なので、同席できません」紗奈はうなずいた。地下鉄の窓に、紗奈の顔が映っていた。「何か準備しておくことはありますか?」「明日の面談で詳しく説明します。今日は日程の確認だけです」「わかりました」電話を切り、スマホのカレンダーを開いた。6月7日。3週間後だった。紗奈はその日に赤い印をつけた。家に帰り、玄関のドアを閉めて明かりをつけた。ワンルームの蛍光灯が一度ちらついてから点いた。バッグを下ろし、靴を脱ぎながら小部屋のドアを見た。悠真の布団を畳んである部屋。半年ごとに洗い、日なたに干してきた布団。3週間後、あの子に会う。紗奈は小部屋の前に立ち、中をのぞいた。マットの上に畳んである布団と枕。この部屋に悠真が座っている姿を想像した。まだ実現していないが、いつか。紗奈は食卓兼デスクに座り、篠宮が送ってくれた面接の案内資料を読んだ。A4用紙3枚分だった。監督面接の目的、進め方、注意事項が項目ごとに整理されていた。篠宮の整った文字で、蛍光ペンが引かれている箇所があった。『面会交流センターでの監督面接は、子どもと別居親との相互作用を観察するためのものです』『子どもが拒否反応を示した場合、無理に接触を試みないでください』『おもちゃやお菓子を持参できますが、過度な贈り物は避けてください』お菓子は何を持っていけばいいだろう。悠真が焼きそばを好きなことは知っていたが、面会交流センターに焼きそばを持っていくわけにはいかない。子どもが好きなお菓子が何なのか、紗奈は知らなかった。5歳の男の子が好きそうなもの。好きな色、好きな動物、怖いもの。幼稚園で青いバッグを背負っていたから、青が好きなのだろうか。
last updateÚltima actualización : 2026-11-04
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20話. 電話

紗奈のスマホが鳴った。水曜日の夕方、仕事を終えて家に帰った直後だった。玄関で靴を脱ぎながら画面を見た。義母の番号だった。5年間、連絡が途絶えていた番号。紗奈はその番号を削除していなかった。なぜ削除しなかったのか、自分でもうまく説明できなかった。削除すれば終わるのではなく、いつかまたこの番号が必要になるかもしれない。そんな予感があったからだろうか。スマホは鳴り続けていた。紗奈は玄関に立ったまま、画面を見つめた。出なければならなかった。すでに監督面接の申立ては受理され、相手方にも通知が届いている。義母が知らないはずはなかった。通話ボタンを押した。「もしもし」「私よ」義母の声が受話口から聞こえた。5年前と同じ調子だった。低く、硬く、言葉の終わりに余地を残さない声。「はい」「監督面接を申し込んだんでしょう?」「はい」「いったい何を考えて、そんなことをしたの?」紗奈は答えなかった。玄関の壁に背中を預けて立っていた。手の中のスマホが滑りそうで、握る力を調節した。「弁護士は何て言ってるの? できるって言ったの?」「弁護士と相談して進めています」「もういい。自分が何をしているのか、わかっているの?」義母の声が高くなった。「危険な人間に子どもを会わせるわけにはいかないでしょう。裁判所だって、そう判断したじゃない」紗奈の顎がこわばった。『危険な人間』。5年前にも、その言葉を聞いた。法廷で、書類の中で、義母の口から。その言葉が作られた経緯を、今は知っていた。「裁判所が面接の日程を割り当てました」「それはあなた側の話でしょう。直哉は同意したの?」「相手方の代理人が、一部受け入れる意向を示しました」義母の息が短くなった。「直哉には私から聞くから、あなたは口を出さないで」「この件は裁判所を通して進めています」「いいわね。私が直接動くから」電話が切れた。紗奈はスマホを下ろし、玄関の壁に頭を預けた。息を吐いた。手のひらには、スマホの跡が残っていた。義母の声がまだ耳の奥に残っていた。5年間聞いていなかった声なのに、ひと言で5年前の空気が戻ってきた。夫の実家の居間で、うつむいて座っていた紗奈。義母が話し終える前に口を開けば、すぐに遮られた。そんな会話ばかりだった。『危険な人間』という言葉が頭の中を巡
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