昼休みだった。紗奈は弁当を開けないまま席を立った。スマホには見覚えのない番号からの不在着信が2件残っていた。同じ番号で、10分間隔。午前中の業務中に鳴った電話を、マナーモードのままやり過ごしたのがこの番号だった。トイレに入り、空いている個室の扉を閉めて折り返した。2度目の呼び出しで男の声が出た。「水原紗奈さんでいらっしゃいますか。〇〇法律事務所の弁護士です。高宮さん側の代理人としてご連絡しました」紗奈の背中がタイル張りの壁に触れた。「ご用件は何でしょうか」「現在進行中の面会交流に関する件で、依頼人側の意向をお伝えしたくご連絡しました。依頼人側は、面会交流がお子さんの情緒に及ぼす影響を深く懸念しております」声は事務的で、早口だった。あらかじめ用意された文面を読み上げているように、淀みがなかった。〇〇法律事務所。紗奈も検索したことのある名前だった。丸の内に本社を置く大手法律事務所。弁護士は40人以上、家事事件チームも独立して運営している。夫の実家が、個人の弁護士から大手法律事務所へ代理人を変更したのだ。「現時点で接触を増やすことは、お子さんに混乱を与えるおそれがあると申し上げておきます。お子さんの福祉のためにも、慎重に対応されるようお勧めします」「監督面接は、家庭裁判所が決定した手続きです」「もちろん、裁判所の決定は尊重いたします。ただ、あくまでお願いとしてお受け止めください」お願いという言葉は、警告だった。紗奈には分かった。5年間、裁判所の書類を読み続けるうちに身についたことの一つは、丁寧な法律用語の裏に隠された本当の意味を読み取ることだった。「篠宮先生を通してご連絡ください。私に直接電話をかけてこないでください」「代理人同士で協議が必要でしたら、そのようにいたします」電話が切れた。紗奈はスマホを下ろした。トイレの天井の蛍光灯がジジッと音を立てた。個室の外で水を流す音がして、誰かが出ていき、また静かになった。紗奈は個室の中にあと15秒ほど立ってから、篠宮に電話をかけた。「相手側の法律事務所から、私に直接電話がありました」「どのような内容でしたか」「面会交流は子どもを混乱させるおそれがあるから、慎重に進めてほしいという警告です」篠宮の声に変化はなかった。「水原さんに直接連絡したこと自体、不適切です。
Última actualización : 2026-11-04 Leer más