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太宰治の『人間失格』では、主人公の大庭葉蔵が他人の心情を推し量る際に「さぞかし」という言葉を多用します。特に、幼少期から他人の気持ちを過剰に意識する葉蔵の性格を表現するのに効果的です。
この作品における「さぞかし」は、葉蔵の他人に対する不信感と自己嫌悪を象徴的に表しています。周囲の人間が「さぞかし自分を馬鹿にしているだろう」という葉蔵の妄想は、彼の精神状態の不安定さを浮き彫りにします。太宰文学特有の自虐的ユーモアと重なるこの言葉の使い方が、作品の暗いテーマを一層際立たせているのです。
夏目漱石の『こころ』には「さぞかし」という言葉が印象的に使われています。上野の森で「先生」と青年が出会う場面で、青年が先生の孤独な様子を見て内心で思うセリフとして登場します。この一節は、登場人物の複雑な心理描写を際立たせる役割を果たしています。
漱石作品の中でも特に『こころ』は人間のエゴイズムと倫理観の葛藤を描いた作品で、「さぞかし」という言葉が持つ推量のニュアンスが、登場人物同士の微妙な距離感を表現しています。この作品を読むたびに、言葉選びの繊細さに感心させられます。登場人物がお互いをどう思っているのか、読者が想像を巡らせるきっかけにもなっているんですよね。
森鴎外の『高瀬舟』の中にも「さぞかし」が登場します。弟殺しの罪で島流しになった喜助と、その様子を見送る庄屋の会話で使われるこの言葉は、当時の厳しい刑罰制度と人間の情の間にある矛盾を浮き彫りにしています。
鴎外の簡潔な文体の中にさりげなく登場する「さぞかし」は、登場人物の心情を読者に想像させる効果があります。喜助の心中を察する庄屋の言葉として使われているのですが、この一言で庄屋の人間味が伝わってくるのが鴎外の巧みなところ。短編小説ながら、人間の苦悩と救済を描いた傑作です。