人間の弱さや社会の矛盾を映し出すために、創作者が主人公を
邪険に描くことがあると考えている。その手法は単なる意地悪ではなく、読者や視聴者に問いを投げかけるための計算された手続きだ。主人公が冷たく扱われることで、物語の協調圧力や倫理観が際立ち、登場人物たちの選択がより重みを帯びる。単純な善悪の図式を壊すことで、作者は複雑な人間像と社会構造を提示してくる。
たとえば作品としての構造に目を向けると、主人公を孤立させることは成長や転落を描くための強力な装置になる。周囲の冷たさが主人公の内面や行動を露わにし、結果として読者は主体的に判断を迫られる。登場人物からの軽視や裏切りが、復讐や改心といったドラマを生む触媒になる場合が多い。
具体例を挙げれば、'ブレイキング・バッド'のような作品では主人公が周囲に疎んじられたり、逆に自らを押し殺して周囲を傷つけたりする描写を通じて、道徳的な境界が揺らぐ。そこでは主人公の扱いの冷たさが、観る側に倫理的な自己点検を促すのだと感じている。結局のところ、その冷たさは物語を深め、簡単には答えの出ない問いを残していく役割を果たしていると思う。