絵画の陰影を慎重に重ねるような手つきで、作者は登場人物たちを描いていると思う。
僕の眼には、'
ドレッドノート'の主要キャラクターは単なる記号や役割以上のものとして提示されている。表情や仕草の細かな描写だけでなく、過去の断片や些細な習慣が丁寧に散りばめられ、読者が自然に彼らの決断や恐怖、希望を理解できるようになっている。たとえば主人公の葛藤は内面独白だけで説明されず、他者との小さな衝突や日常の選択を通してじわじわと明らかにされるので、感情移入しやすい。背景描写も人物像に寄り添っていて、環境が行動の動機を裏打ちする構成になっている。
また、作者は二面性や灰色領域を恐れずに取り入れている。善悪の線引きを曖昧にし、ある人物の利他的行動が別の場面では
利己的に見えるような配置を用いることで、単純なヒーロー像を避けている。周縁のキャラクターにも強い描写が与えられ、主要人物との対話や対立が物語を推進する。こうした手法は、以前に読んだ'ベルセルク'のような濃密な人物
描写とは違う方向性だが、同じく読後の余韻を残す点で共通している。
総じて、作者は言葉と行動の両方で人物を立ち上げ、矛盾や微妙な変化を見せることで生きたキャラクター群を作り上げている。物語が進むにつれて彼らの選択がより重く、より現実的に響いてくるから、その過程を追うのがたまらなく面白いと感じている。