LOGIN“ロホ”と呼ばれる女性は、世界のどこにも属さない流浪の魔法戦士。 長い銀髪、翠の瞳。腰に剣と小剣、背に弓。編み込まれた髪には刃を忍ばせ、 そして――自らの命を触媒に、火・水・風・土を操る“原初の魔法”を使う者。 彼女の運命はただ一つ。 「歩き続けること」――その理由も、終わりも語らぬまま。 相棒は、翼を持つ小さな竜の子・ファド。 さらに、ペガサスのような白馬・ペガス。 一人と一匹と一頭は、荒れた地、戦争の跡、まだ癒えぬ街を旅し続ける。
View More序「この国のすべてが嘘だとしても――わたしの剣と、歩みだけは、本当でいたいの」第一幕 招かれざる旅人その国の名は――ゼレトリア。大陸の南西、常に霧に包まれた“契約国家”。あらゆる条約、協定、言葉ですら“証文”でなければ意味を持たない。「……この国、やたらサイン求めてこない?」「“旅人歓迎”って言葉も、文書がないと無効なんだって」ファドは目を白黒させる。ロホは警戒を解かず、剣の柄に手を添えたまま城門をくぐった。その背後で、門番たちはひそひそと話す。「例の“銀の剣”じゃないか……」「証拠は?」「まだ……だが、“本物”なら“試練”を与えられるはずだ」第二幕 偽りの審問ゼレトリア王都・ガルメン。石畳の大通りには「契約の祭」を知らせる旗が並び、行き交う人々の指には細い鎖が巻かれていた。それは“誓約の印”――嘘をついた者の鎖は重くなり、やがて声を奪うとされる。「ねぇロホ、この鎖、子どもまでつけてるよ……」「生まれた時に“真実を誓う書”にサインさせるんだろう」「書けない赤ん坊は?」「親が代筆する」ロホは答えながらも、足を止めなかった。広場の中央には白い布を張った台があり、その上に“契約官”と呼ばれる役人たちが並んでいた。「異国の旅人よ!」高らかな声が響く。「ゼレトリアの地に足を踏み入れた以上、あなたも“真実の証明”を行う義務があります」「証明?」「はい。あなたの言葉が嘘でないことを、剣と血で示していただく」ファドが飛び上がった。「剣と血!?なにそれ、契約っていうより拷問だよ!」ロホは静かに前に出る。「手続きの一つ……って顔してるわね」契約官は淡々と頷いた。「“銀の剣の旅人”と噂されるあなたにこそ、ふさわしい試練です。――この国では、言葉の真偽を“剣”で確かめるのです。」沈黙が落ちた。ロホは腰の歩影を抜く。その刃が霧を払うように光り、観衆の息が止まった。「この剣は嘘をつかない」彼女はゆっくりと構えた。「切る者も、斬られる者も、真実だけを映す」契約官は笑みを浮かべ、白手袋の指を上げた。「では問います。“あなたは、この国のために祈る心を持ちますか?”」ロホは一歩、踏み出した。その刃先が、空気の中の霧を裂く。「――祈る。けれど、国のためじゃない。嘘で眠らされた人たちのために、祈る。」
――風の匂いが、どこかおかしかった。ロホは丘を越え、灰色の王都を見下ろした。煙は上がらず、鐘も鳴らない。人々は行き交うが、誰ひとりとして声を発していない。市場の女が指を二本立てて値を示し、子どもが転んでも泣かない。兵士たちは金属板に刻まれた符号を掲げて命令を伝え、老人は、手の甲に墨で言葉を書き合っていた。「……音が、死んでいる」ロホはつぶやいた。ファドが首をかしげる。「変な国だね。誰も喋らないなんて。」ロホは微笑む。「喋れないんじゃない、喋らないのよ。どこかに理由がある。」彼女は宿を取らず、町を歩いた。広場には立派な碑があり、そこにこう刻まれていた。『言葉は刃、沈黙こそ平和なり。』石碑の前では、民が列をなし、無言で頭を垂れている。まるで祈りのようだが、声はない。空には鳥さえ鳴かない。ロホは目を閉じ、指先で地面を撫でた。砂が乾ききっている。人の声がない国では、土も眠っているのだ。「ここは……かつて言葉に殺された国ね。」遠い昔、彼女は同じ光景を見たことがあった。声を奪われた民は、争いを止めた。だが、同時に想いも止めた。ファドがぽつりと言う。「ねえロホ、誰かが泣いてる。」ロホは足を止めた。路地の奥で、小さな少女が口を押さえていた。声を出すまいと、震える手で。泣き声が罪になると、教えられているのだ。ロホはそっと膝をつき、少女の肩に手を置く。そして、誰にも聞こえぬほどの小さな声で囁いた。「泣いていいのよ。声は、生きている証だから。」少女の瞳が揺れ、ひとすじの涙がこぼれた。そのとき、ロホの胸の奥に古い痛みが走る。――この国には、声の記憶が封じられている。「行こう、ファド。」「どこへ?」「この沈黙の源へ。」白い馬ペガスが蹄を鳴らす。その音だけが、王国の静寂を裂いた。そしてロホは歩き出す――声を奪われた国に、最初の風を吹かせるために。――夜。王都の空は、星のひとつも灯っていなかった。ロホは宿の屋根の上に腰を下ろし、風の流れを感じていた。音のない世界は、まるで水の底にいるようだ。息づかいすら罪のように重く、胸が痛む。ファドが肩に降り立つ。「ロホ、街の南に沈黙の塔がある。 誰も近づかない。見張りもいない。けど、みんな避けてる。」「……塔が、沈黙の中心ね。」ロホは目を細めた。
夜は、深かった。焚火の火はとうに絶え、星明りだけが、ひっそりと野を照らしていた。ファドは、丸くなって夢の中。ぺガスも、微かな寝息を立てている。ロホは一人、空を仰いでいた。剣も、弓も、ローブも――すべてを地に下ろし、ただ素の自分で、静かに座っていた。誰も聞いていない。だから、ロホはそっと呟く。「……私が歩くのはね。」「旅が好きだからじゃない。自由だからでもない。」「――贖罪なの。」空は答えない。ただ、凍てつくほど静かだった。ロホは、自分の手を見下ろした。細く、しなやかで、幾千の命を救い、また奪った手。「……はるか昔。私は、初めてこの地に、“争い”をもたらした。」「理由なんて、今となっては、どうでもいい。」「知らなかったから?間違っていたから?誰かを守りたかったから?」ロホは、かすかに首を振った。「結果が、すべてよ。」彼女は、目を閉じた。まぶたの裏に、幾千幾万の火と血と、泣き叫ぶ声が蘇る。忘れたくても、忘れられない。赦されなくても、仕方ない。だから。だから――「私は、赦しを求めない。」「ただ、歩く。世界が、戦いを手放すその日まで。」少し、風が吹いた。ロホは、そっと笑った。「……ずっと先のことだろうね。」「それでも、歩く。」「それしか、できないから。」ファドが寝返りを打き、ぺガスが鼻をふん、と鳴らす。その気配に、ロホは目を細めた。そうだ。たとえ永遠の籠に囚われていても、今、ここに、隣で眠る者たちがいる。それだけで、今日という一日は――少しだけ、救われている。ロホは立ち上がり、剣を腰に戻し、ローブを翻した。そしてまた、誰も知らない夜道を、歩き出す。「私は、歩き続ける者。それだけが、私に許された、生き方。」
その街には、妙に評判の良い宿があった。「サービスが良すぎる」「料理が贅沢すぎる」「値段は安すぎる」──そんな噂が旅人たちの間でささやかれていた。ある日、一人の若い旅商人がその宿に泊まった。白髪混じりの宿主が笑顔で迎え、上等な部屋へと案内する。そして夜半、彼は静かに消えた。翌朝、荷物も衣服も残された部屋に、旅商人の姿はなかった。「夜のうちに出て行かれたのでしょう」宿の者は、そう言って笑った。だが、真実を知る者はいなかった。……彼は“狩られた”のだった。私がその宿に入ったのは、数日後のことです。旅の途中、山あいの街に立ち寄ったロホとファドは、妙に丁寧な応対を受けた。「旅人様には特別に、上質な部屋と夕餉を」「ええと、これ……一泊でいいのよね?」とロホ。宿の者はにこやかに笑い、「もちろんです」と応える。温泉、食事、部屋……どれも豪勢すぎた。ファドがそっと呟く。「ロホ……この宿、変だよ。よすぎるもん。」ロホは湯気の立つ茶を飲みながら答えた。「わかってる。……何かが“こちらを試してる”」その夜、静けさが深くなったとき、宿の裏手で“何か”が動いた気配がした。翌朝、ロホが外へ出ると、宿屋の主人が満面の笑みで貴族に金貨の袋を手渡されていた。「良い獲物でございますよ、旦那様。なにせ……筋の通った、美しい女です」貴族たちはくすくすと下品に笑い、袋を揺らす音を楽しむように聞いた。ロホが近づき、低い声で抗議した。「こんなこと……いずれ露見する。法も秩序もないのか」貴族の一人が鼻で笑う。「ここは私有地だよ。お嬢さん」「外の世界の常識など通用しない」「さあ、森へ行こうか。きみの“逃げ道”は、用意してある」兵士たちに武器を取り上げられ、ロホは丸腰で森の縁へと押し出された。背後では、貴族たちが笑いながら下劣な言葉を投げ合っていた。「腰を抜かせてやるのが楽しみだ」「あの気位の高さを、どこまで砕けるか……」彼らの笑い声が、森の奥に響いていた。森へ入ってすぐ、空気が変わった。ロホは立ち止まり、空を仰ぐように目を閉じて呟いた。「……これは、私を怒らせる遊びだったのね」最初の矢が放たれるより早く、ロホの姿が森に溶けた。一人の貴族が弓を構えるより先に、背後から音もなく襲われる。ロホはその男を無言で倒し、弓と短剣を奪った。そこから
夕暮れだった。旅の途中、古びた祠の前で、ロホは一人の老賢者と出会った。雪のように白い髪。深い皺に刻まれた穏やかな微笑み。その目には、幾多の時代を越えてきた者だけが持つ、静かな光が宿っていた。ロホは、ぺガスを休ませ、ファドとともに、その老人のそばで、しばし火を囲んだ。言葉は、少なかった。けれど、心地よい沈黙が続いた後、賢者はふと、ロホに語りかけた。「ロホさん。」「助けてもらった人以上に、自分が助けた人には感謝しなさい。」ロホは、少しだけ眉を寄せた。「……助けた側が、感謝する、のですか?」賢者は、頷いた。その動きは、夕暮れの光の中で、まるで大地そのものが微笑んだかのように
戦は、終わった。血と灰と、燃え残った焦げた布の匂いだけが、まだ重たく空気を押し潰している。ロホは剣を鞘に収め、泥と煤で黒くなった手袋を外した。ぺガスは静かに地を踏みしめ、ファドも無言でロホの後ろにぴたりとついていた。今、この場でなすべきはただひとつ――終わったものたちを、きちんと弔うこと。ロホは、倒れたまま動かない人影に近づいた。それは、布を巻き付けただけの粗末な防具を着た、若い女だった。顔に、苦悶の色はない。まるで、眠るような静けさだった。ロホはそっとしゃがみ、彼女を抱え、静かな場所へ運ぼうと手を伸ばした――その瞬間。小さな影が、ロホの手を遮った。女の子だった。
火は、静かに燃えていた。ぱち、ぱち、と木が弾ける音だけが、夜の闇に浮かんでいた。ロホは焚火の前に腰を下ろし、肩まで垂れた銀の髪を、そっと編み直していた。ファドは丸くなり、ぺガスは焚火の輪から少し離れて立っている。夜は冷たかったが、不思議と、心は静かだった。やがて、ファドがぽつりと呟いた。「ねえ、ロホ……」「ん?」「ロホってさ、すごいのに……なんで、あんまり怒らないの?」ロホは、少しだけ考えた。そして、編んでいた髪をそっと下ろし、焚火を見つめながら語り始めた。「……昔、聞いた話があるの。」「天の神様が、地上を歩いていてね。道端で、足の不自由な人を見つけた。可哀想
雪が舞っていた。「ロホ!もう少しで町だよー!」前を飛ぶ小さなドラゴンがくるくると宙を回る。だが、その羽ばたきも少し重たそうだった。ロホと呼ばれた女性は「……飛ばなくていい。疲れるから歩きなさい、ファド」「えー、でも、空のほうが見通し良いんだもん」「おまえの羽、濡れてる。羽風で雪を巻き込んでるよ。歩く方が賢明」「……はーい……」不服そうにファドと呼ばれたドラゴンがロホの肩に乗った。流麗な白い鬣を持つ馬は鼻をふん、と鳴らして雪を蹴る。細い道を縫うように進むぺガスの背中で、ロホは空を見上げた。空は白く、どこまでも遠かった。銀髪は腰まで伸び、今日は気まぐれに編み込んである。翠の瞳の奥