昔の資料をめくると、チームの名前の変遷が映画のエンドロールみたいに見えてくる。
僕は子供の頃に地元で語られていた話を頼りに少し掘り下げてみた。
大洋ホエールズは戦後まもなくプロ野球界に現れ、企業が球団を持つスタイルの中で育っていった。長くは東京近郊や川崎を拠点にしていた時期があり、地域密着度は決して高いものではなかった。それが一つの転機を迎えたのは、本拠地や経営者が変わることで地域との結びつきを強めようとしたときだった。
移転とネーミングが重なり、やがて“横浜”という地域名を冠するようになった。オーナーや経営方針の変更、スタジアムを含む拠点の固定化、地域マーケティングの強化──こうした要素が積み重なって、大洋ホエールズという名前が地域色の濃い呼び方にシフトしていった。僕が覚えているのは、単なる名前の切り替え以上に、地元ファンとの距離感が変わったことだ。最終的には地元の支持を軸にした球団運営が不可欠になり、横浜を名乗る現在へとつながっていると感じる。