尼子晴久の領土拡大戦略は、巧妙な婚姻政策と軍事力のバランスが特徴的だった。
まず、出雲を拠点に周辺豪族との縁戚関係を築き、勢力を固めた点が大きい。特に毛利氏との抗争では、安芸の国人衆を取り込むために養子縁組を積極活用し、一時は山陰・山陽に広大な影響圏を確立している。武力衝突だけでなく、外交的駆け引きで領土を広げる手法は当時としては先進的だった。
戦略の要は『攻めるより崩す』発想で、敵対勢力の内部分断を促す工作に力を注いだ。『出雲尼子文書』からは、敵方の重臣を懐柔するための細やかな贈答記録が残っており、心理戦の重要性を理解していたことが
窺える。ただし、後年に至るまでの長期政権維持には苦戦しており、拡大した領土を統治するシステム構築に課題を残した。