観たとき、最初に驚いたのは制作側の大胆な取捨選択だった。映画版の'
セレスティア'は原作にある膨大な世界史や細かな慣習をかなり圧縮して、物語の軸をより直線的に見せる方向へ舵を切っている。具体的には地理や年表が簡潔化され、複数の派閥や地域が合併されて一つの対立軸に統合されている。魔法体系も細かい制約や儀礼の描写が削られ、可視化されたビジュアル表現に置き換えられてしまったため、観客には「どう機能するか」は伝わりやすい一方で、その背後にある意味や文化的文脈が薄くなっていると感じた。
登場人物に関しては、いくつかの脇役が統合されて複合キャラクターになっている。これにより映画的テンポは良くなったが、原作で育まれた微妙な人間関係や成長の過程は短縮され、動機付けが説明的になってしまった場面が散見される。また、原作の散文的な章立てや長い回想といった時間の重なりを、映画はフラッシュやモンタージュで置き換えたため、観る側の解釈の余地が減っている。舞台美術や色彩設計は大胆に変えられ、原作にある温度感や空気感を映画なりの言語で再構築しているものの、好き嫌いは分かれるだろう。
なぜここまで変更したのかは想像に難くない。上映時間や視聴者層、映像化の都合から説明的な要素は削られ、感情のピークを強調するための改変が多い。私としては、原作の社会的・神話的広がりが削られたのは寂しい一方で、スクリーンで一気に提示される新たな象徴や視覚表現には見応えがあった。変化は大きいが、完全に別物になったわけではなく、映画は映画としての魅力を持った再構築だと受け止めている。観賞後に原作を読み返すと、どこを削り、どこを残したかがよりはっきり見えてきて、それもまた面白かった。