伝承の細部に目を凝らすと、あたしは百目鬼という呼び名がかなり多面的に使われてきたことに気づく。語そのものは直截で、百の目+鬼という組み合わせだが、そこに込められた意味は文脈次第で変わる。古い説話集のひとつである『今昔物語集』などには、目の数が異常に多いことで特殊な力を持つ存在の記述があり、後世の語りや絵でそれが「百目鬼」へと収束していった側面がある。私はこれを、視覚の過剰が超常性を示すという象徴として読んでいる。
さらに注目すべきは、「鬼」の語が単に恐ろしい存在だけを意味しない点だ。鬼は境界的な存在で、
災厄をもたらす一方でそれを鎮める力も象る。だから百目鬼は疫病や災厄の原因として語られることもあれば、祈祷や供物で鎮められる対象として語られることもある。あたしはこの二面性が、地域の共同体が外部の脅威に対抗しようとする知恵や物語生成の現場を反映していると感じる。結果として百目鬼は、単純な怪物像を超えた複合的な文化現象になっているのだ。