古い資料を掘るうちに、
百目鬼の輪郭が少しずつ変わっていくのを確かに感じた。
僕が最初に出会った伝承では、百目鬼は恐ろしい存在として描かれている。顔や体じゅうに無数の眼があり、通行人を嘲笑うように見つめ、怪異を引き起こす存在だった。江戸期の怪談集や絵巻物では、視線の不穏さと超自然性が強調され、脅威としての機能がはっきりしている。実用的には「見ること」の恐怖を具現化する役割が大きかった。
時代が進むにつれて、その設定は柔らかくなっていった。明治以降の散文、昭和の幻想小説では、百目鬼は罪深さや悲哀を背負った存在に変わり、単なる脅威ではなく「見られる者」と「見る者」の関係性を問いかけるキャラクターになった。現代のビジュアル表現では、奇怪さを残しつつも感情表現を持たせ、人間味を帯びた解釈が増えている。ここで面白いのは、古い一枚絵での不可解な視線が、現代では内面表現の象徴として再解釈されている点だ。
まとめると、百目鬼は最初は外的脅威として設計され、社会や文学の変化に伴って内面的で象徴的な存在へと変遷した。『百鬼夜行絵巻』のような古典的資料と、現代の物語表現を対比すると、その移り変わりがよく見える。