翻訳の現場で長く考えてきた観点から語ると、月が綺麗ですね、の英訳は一義的に決められないと感じる。言葉の直訳である "The moon is beautiful, isn't it?" は丁寧で原文の形を尊重するが、日本語の婉曲さや暗示性が失われがちだという欠点がある。
一方で、歴史的に夏目漱石が『I love you』という意訳を支持したという話はよく知られており、英語圏の読者にとってはその方が感情の核心に届く。物語の文脈や登場人物の関係性に応じて、私は二通りの方針を提案する。小説全体が繊細な情感を重ねるタイプなら直訳を保ち、脚注や訳注で背景を補う。対話の瞬間に強い告白の意味が求められるなら、英語でのストレートな表現を選ぶべきだ。
翻訳は文学作品の性格と読者層との対話だと考えていて、場面ごとに解釈を変えつつも、一貫した美的判断を守ることが最も大切だ。たとえば英語圏で雰囲気重視の意訳が有効だった例として、僕は『The Great Gatsby』の日本語訳が持つ再現の仕方を思い出す。最終的には文脈と訳者の美学で決めていいと思う。