昔話を聞くと、
霊験あらたかな神社には必ずと言っていいほど不思議な始まりがある。
地元の古老が夢の中で神の姿を見たとか、山の奥で光る石や鏡が見つかったといった「発見譚」は典型的で、そういう小さな出来事が人々の信仰心を集めて社が建立されることが多い。僕は地域の祭礼に何度か参加してきたが、疫病や飢饉の際に神の加護で救われたという語りが、後世まで「霊験」の根拠として語り継がれる様子を何度も見ている。特に『出雲大社』のように神話と結びついた社では、古代からの伝承と地域共同体の記憶が混ざり合って、信仰の強さが増していくように感じられる。
また、支配者や有力者からの寄進や勅願によって格が上がり、参拝者が増えることで「霊験がある」と評判になるケースもある。芸能や商売繁盛と結びついて神社が脚光を浴びると、絵馬やお礼参りの記録が残りやすく、事実と物語が相互に補強されるんだ。こうした種々の要素が積み重なって「霊験あらたか」という評判が生まれる――その過程を追うのが僕には面白いし、地域の人々の信仰が時間と共に形を変える様が心に残る。