彼に助けられたことは、確かに感謝している。
でも―だからといって、こんな無茶な条件を受け入れる義理はない。
そもそも、彼とは赤の他人同然なのだ。
「俺の動機なんて単純だ。1万ドルと1週間―それが嫌なら、百億ドル」
ヴィンセントは椅子に身を預けながら、気だるげに言い放つ。
若子の顔色が少しだけ険しくなる。
「......だから言ったじゃない。百億ドルなんて、持ってない」
「じゃあ、選べ。1万ドルと1週間か、百億ドルか......どっちも無理なら―君の命、無駄だったな。俺は君を殺す」
その声は低く、深淵から響いてくるような冷たさを帯びていた。
一言一言が鋭く、冷たい刃となって若子の背筋を刺す。
彼の目は闇そのもの。毒蛇が暗闇に潜んで、いつ噛みついてくるかわからない。
若子の胸に、ふと不安がよぎった。
彼が急に別人のように感じられたのは、ただの気のせいだろうか。
さっきまでは、命がけで自分を守ってくれたのに―
ここに着いてからも、車を渡してくれて、護身用に銃までくれたのに。
なのに今の彼は、どこか冷たくて、何かが違う。
まるで......目の前にいるのが、さっきとは別の人間みたいだった。
若子はじっとヴィンセントの瞳を見つめた。
まるでその奥に隠された真意を探るように。
そして、しばらくしてから、静かに口を開いた。
「......あなたは、そんな人じゃない。
この世に、お金のために命を投げ出す人なんていない。
君が私をかばって銃弾を受けたのに、今さら私を殺すなんて、ありえない」
「どうしてそんな酷いこと言うのかはわからないけど......でも、私はただ、早く元気になってほしい。それだけ」
そう言って、若子は椅子から立ち上がった。
「ごはんは、私は食べない。ヴィンセントさんはゆっくり食べて。
......私、もう行くね。息子が待ってるから」
彼女のバッグは近くの棚の上に置いてあった。
そこから一枚の付箋とペンを取り出し、さらさらと数字を書き込む。
「これ、私の電話番号。
ちゃんとした金額を考えたら連絡して。
約束する、逃げたりしないから。でも、百億ドルなんて絶対に無理。
それじゃあ、どんな誘拐犯でも取れっこないでしょ」
彼女は紙をテーブルに置く