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少しずつ近づく距離

Author: 吉乃椿
last update Huling Na-update: 2025-06-02 14:00:11

「篠原さん、この件、来週のプレゼンまでに資料まとめてもらえるかな。有馬君と一緒に」

上司の何気ない一言に、梨央の手がぴくりと止まった。

(……有馬さんと?)

顔を上げると、彼が穏やかにうなずいていた。

あの目、夢で見た、あの炎の中で剣を抜いた男の瞳と、同じ色。

「よろしくお願いします、篠原さん」

柔らかく笑う声が、妙に耳に残る。

言葉にしてしまえばただの社内連携。だけど、梨央の胸の奥はざわめいていた。

記憶にないはずの“懐かしさ”が、心の奥を静かに締めつける。

(なんで、こんなに苦しいの……?まだほとんど知らないのに)

彼が静かに通り過ぎていく。

その背中に、なぜか「もう二度と離れたくない」と願ってしまいそうになる。

自分でも、わけがわからなかった。

梨央はそっと息を吐いた。

机の上に置かれた書類が滲んで見えるのは、きっと気のせいじゃない。

深呼吸して、資料のファイルを持ち上げる。視線を落とすふりをして、動揺を隠した。

(仕事、に集中しなきゃ)

そう自分に言い聞かせたのに。

午後、会議室に向かう途中で、ふいに背後から声がかかった。

「篠原さん、少しお時間いいですか?」

振り返ると、有馬真一がいた。

手にはタブレットとメモ帳、そして、あの優しい微笑み。

「プレゼンの件で、先に資料をすり合わせておきたいと思って」

「あ、はい……今、大丈夫です」

言葉は自然に出た。でも、心の奥がざわついていた。

ふたりきりで、同じ資料に目を通す。

彼がふと横から覗き込んできた瞬間、肩先が触れるほどの距離。

そのとき、

「……このグラフ、色の見え方をもう少し調整した方がいいかもしれませんね」

ごく当たり前の指摘なのに、梨央はどこか戸惑っていた。

この声も、こんなふうに距離を詰めてくる空気も、全部……知っている気がする。

(思い出せない。でも、懐かしい。胸が痛いほど)

「大丈夫ですか?」

唐突に彼がそう聞いた。

梨央ははっとして、首を振る。

「すみません、ちょっと……寝不足で」

「……そうですか。でも、無理はしないでくださいね。

疲れた時は、頼ってもいいんです。僕が、いますから」

その一言に、心が揺れた。

(今の……言い方……どこかで、聞いたことがある)

でも、どこで? いつ?

心にふと差した影は、すぐに日常の光にかき消された。

ただ、ひとつだけ確かなのは、

また、心が動き始めているということだった。

翌日から、有馬との業務のやり取りが増えた。

最初はぎこちない敬語と、資料の受け渡しだけだった。

けれど、進行の確認やプレゼンの調整で、自然と会話の頻度が増えていく。

「篠原さん、この部分、スライドの流れに合わせてちょっと順番を変えてみませんか?」

「……あ、それ、私も迷ってたところです。やっぱり、その方が分かりやすいですよね」

そんな小さな共感が、気づけば呼吸のようになっていた。

ふとした瞬間、有馬がコーヒーを差し出してくる。

「ブラックで合ってますか?昨日、給湯室で見かけた気がして」

驚いて彼の顔を見ると、微笑を浮かべていた。

(見てくれてたんだ)と、心が微かに温かくなる。

昼休みの会話で、彼がさりげなく梨央の好きな音楽に触れた時、

なぜか「前にもこんなことがあった」と錯覚した。

(まるで昔も、こうして隣に座って話していたような……)

距離はまだ仕事の同僚以上ではない。

けれど、梨央の中で、確かに何かが解け始めていた。

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