裏切られた夜、夢に現れたのは炎の中で祈る私、梨央は過去世は神殿巫女ナフィーラだった。 彼に斬られた記憶と、胸に残る強い悲しみ。 そして今、同じ瞳をした男が目の前にいる。 彼は過去世で私を裏切った騎士カイム、真一だった。 でも、もしその裏切りと思っていた事が誤解だったとしたら? 過去と今が重なる時、私達はもう一度、愛を選び直す。 彼の真実に触れたとき、心の奥に眠っていた痛みと祈りが蘇る。 守りたかった、信じたかった、けれど失われた愛。 たとえ何度裏切られても、何度傷ついても 今世では私はあなたを、信じ抜く。 これは、私達の魂が赦しと再生を選ぶ物語。 輪廻の果てに再び巡り逢った私達は、運命さえも書き換えていく。
view more「……ごめん、好きな人ができた」
その瞬間、時間が止まったようだった。
隣に立っていたのは、私の――親友だった。
「……冗談、でしょ?」
喉が詰まり、声がうまく出なかった。
あの日、彼に初めて「好き」と言えた場所。
「ねえ……私の、何がいけなかったの?」
かすれた声がやっと出た。
「梨央は……強すぎるんだよ」
その一言は、胸の奥に突き刺さる刃だった。
そんな言葉に、いつの間に私は縛られていたのだろう。
泣きたかった。叫びたかった。
けれどその時、親友――美里が口を開いた。
「ごめんね、梨央。私たち……ずっと愛し合ってたの。
頭が真っ白になった。思わず顔を上げた。
「……いつから?」
「三年前、くらいからかな」
あまりにも軽く、悪びれもなく笑いながら話すその姿に、背筋が冷たくなった。
「梨央も、知的で綺麗だし、美人だよ。
その言葉で、心臓をえぐられたような気がした。
「……そっか。お幸せに」
口が勝手に動いた。そう言ってしまった。
それだけを言って、私は背を向けた。
それだけを言って、私は背を向けた。
ふらつく足取りで数歩だけ歩いて、思わず足を止めた。
……もしかしたら、彼が呼び止めてくれるかもしれない。
私は、ふっと後ろを振り返った。
でも。
彼らは振り返らなかった。
遠ざかるその背中が、ぼやけていく。
胸が締めつけられて、呼吸がうまくできなかった。
雨に打たれて散ったのは、五年間育てた愛だった。
私は一歩も動けず、その場に立ち尽くしていた。
胸が、張り裂けそうに痛んだ。
ナフィーラが、愛した村と愛した人の背中を同時に失ったのは、まだ春の香りが風に名残をとどめていた頃だった。カイルを逃すため、彼女は自ら村人の非難を受け入れた。 その沈黙の圧力が、彼女を門の外へと押し出す。彼らが消えた森とは反対の、北へと続く荒野。 誰もいない、風の音すら寂しげな道を、彼女は一人で歩き始めた。最初の数日は、何も感じなかった。 石の硬さも、風の冷たさも、自分の鼓動さえも、まるで他人のもののようだった。思考を手放し、ただ夜が来れば眠り、朝が来れば歩く。 心は、厚い氷に閉ざされた湖面のように、静まり返っていた。カイルの最後の瞳に、自分の姿はもう映っていなかった―― その事実だけが、無音の幻影として、何度も再生された。泣くこともできなかった。 涙も、嘆きも、神への祈りさえも、この空虚な心の前では無力に思えたからだ。荒野を越え、やがて彼女は人の気配のない北方の古の森へ辿り着いた。そこは「観月の森」と呼ばれ、かつて月の女神セレイナに捧げられた“観月の祭壇”が存在したという伝承が残る地だった。森はまるで、世界の原初の静寂をそのまま閉じ込めたような場所だった。 苔むした巨木が空を覆い、木漏れ日がまだら模様を地面に描く。風さえも、神聖な囁きのようだった。彼女はその中心、静かな湖のほとりに、小さな庵を築いた。 朽ちた枝、蔓、落ち葉……森の中にあるものだけを使い、祈るように住処を編んでいく。日中は薬草を摘み、夜は湖に映る月を見つめる。 けれどその祈りは、もはや誰かのためではなかった。それは、魂への問いかけだった。「私は、何者だったのか」「なぜ、あれほどまでに彼を愛したのか」 「なぜ、最後の夜に、あの背中を引き止めなかったのか」彼の無事を祈る気持ちと、裏切られた傷に囚われる心。 そして――「彼を赦したいと思ってしまう自分を、どうしても赦せない」その矛盾が、祈りというより自責の念として彼女を苛んだ。「私はまだ……光の巫女でいていいのでしょうか……?」季節は静かに巡り、森は紅に染まり、やがて白い雪に覆われた。 心は摩耗し、感情は鈍くなり、命の光すら、胸の奥で弱まりつつあった。それでも、彼女は生きていた。そして、冬の最も厳しい、ある満月の夜。湖に厚い氷が張り、澄み切った銀の月が、まるで巨大な瞳のように、静まり返った森
王都がまだ深い眠りについている、夜明け前の灰色の時間。騎士団本部の重厚な扉の向こうから、金属が擦れる音と、いくつもの無言の足音が響いていた。それは、極秘裏に進められる出陣の準備だった。「団長、本当に出陣なさるのですか? 王命も出ておりませぬのに……」副官である若き騎士、アルマンが恐る恐る口を開いた。目の前で、騎士団長バルトロムは最後の鎧の部位を装着し、黙して深紅の外套の紐を締めていた。その手が微かに震えているのは、決して夜明け前の冷気のせいではなかった。バルトロムは振り返らない。その背中は、鋼の鎧を着てなお、一人の父親としての苦悩に押しつぶされそうに見えた。「……出陣ではない」絞り出すような声に、アルマンは息をのんだ。「これは――**“願い”**だ」その一言で、アルマンは全てを察した。騎士団長バルトロムが、選りすぐりの部下だけを率いて、夜陰に紛れて出立しようとしている。その目的は、かつて最も信頼し、息子のように可愛がっていた騎士カイルの討伐ではない。今や“堕落した魔女の手先”と噂されるカイルが連れているという、魔女そのものを――ただ、一人の父として、病に蝕まれ、命の灯火が消えかけている息子を救うために。ここ数日、バルトロムは同じ夢にうなされていた。夢の中で、彼は息子の冷たくなっていく手を握りしめ、絶望の淵にいた。その時、官能的な香りと共に、リゼアと名乗る絶世の美女が現れ、彼の耳元で囁くのだ。『可哀想なバルトロム。あなたの息子を救う道は一つだけ。東の森の廃墟に、カイルが連れている魔女がいる。その魔女は、命すらも癒す奇跡の力を持つ』その言葉が、悪魔の誘惑だとわかっていながら、何度も脳裏で繰り返される。「息子の命が……助かるのなら……」バルトロムは、誰に言うでもなく呟いた。「俺は……騎士の誇りも、神への誓いも……捨てても構わん……!」(……すまんな、テオ。お前を救うために、父はもう騎士ではなくなってしまった)その決意を口にした瞬間、彼の胸に、ふわりと何か軽いものが触れた。一匹の、深紅の蝶。それは他の誰にも見えなかった。だが、バルトロムには確かに感じ取れた。その蝶が耳元で囁いた幻聴――『それでこそ、愛深き父よ』彼は静かに頷いた。蝶は満足したように羽ばたくと、闇に溶けて消えた。バルトロムは、自らが悪魔と契約したことを、こ
闇の神界――ゲヘナ。そこは天界の光が届かぬ、永遠の黄昏に支配された領域。ねじれた黒曜石の柱が天を突き、その間を魂の悲鳴にも似た風が吹き抜けている。その中心に位置するユラエルの神殿は、隷属させた者たちの魂を建材とした、壮麗かつ冒涜的な建造物だった。玉座の間で、支配神ユラエルは黒曜石を削り出した長椅子に気だるげに寝そべっていた。彼の長い黒髪は床にまで流れ、磨き上げられた黒い床にインクをこぼしたように広がっている。その怜悧な顔立ちには、万物を駒としか見なさぬ、冷徹な計算の光が宿っていた。彼の前に浮かぶ水晶には、地上界の廃墟で繰り広げられる、ちっぽけな男女の共依存劇が映し出されている。そこへ、むせ返るような甘い香りと共に、一人の女神が音もなく現れた。欲望神リゼア=アナ。彼女の歩みは、獲物を狙う雌豹のようにしなやかで、その身を包む深紅のドレスは、まるで血で染め上げた絹のようだった。彼女はユラエルの寝そべる長椅子の縁に腰を下ろし、その白い指で彼の髪を弄びながら、水晶を覗き込んだ。
廃墟の宿屋で、カイルとエルゼリアが肉体を重ねてから、幾日かの月日が流れた。二人の世界は、より濃密に、そして閉鎖的になっていた。かつてカイルを苛んでいたナフィーラへの罪悪感は、もはや記憶の澱となって心の底に沈み、意識の表面に上ることはない。彼の瞳に映るのは、ただエルゼリアの姿だけだった。彼女の笑顔が彼の世界の太陽であり、彼女の涙が彼の世界の豪雨だった。騎士としての務めも、神への誓いも、全ては遠い過去の夢物語。食料が尽きれば、カイルは近くの村へ向かった。しかし、それはもはや村人を守るためではない。エルゼリアが欲しがる甘い果物を手に入れるため、彼女が暖かく眠れるように上質な毛皮を盗むためだった。その日、彼は市場で上質な毛皮を懐に入れようとしたところを、巡回中の騎士団の分隊に見つかった。その中には、かつて彼が剣術を教えた若い騎士や、酒を酌み交わした顔なじみもいた。「カイル殿
荒野の夜は、全ての色と音を吸い込むかのように深かった。 『追憶の泉』で覚醒したナフィーラは、ザンドラに示された北への道を、ただひたすらに歩いていた。昼の灼熱と夜の冷気に耐え、乾いたパンを齧り、岩陰で仮眠を取る。その旅は、かつての巫女としての生活とはかけ離れた、過酷なものだった。しかし、彼女の心は不思議なほどに静かだった。泉での試練は、彼女の魂を根底から変えた。カイルへの想いは、もはや彼を縛る鎖ではなく、遠くから彼を照らす灯火へと昇華されていた。 その夜、彼女は小さな岩棚を見つけ、そこで祈りを捧げることにした。 聖域の風が止み、雲が厚く垂れこめ、月さえも姿を隠した夜。 ナフィーラはひとり、月があったであろう天に向かって膝をついた。冷たい石の床に両手をつき、額を地につけるようにして。 「セレイナ様……どうか、この祈りを……」 声は、旅の疲れでかすかに震えていた。 カイルとエルゼリアが無事であるように。自分が村に残ったことで、ふたりがどうか遠くへ、誰にも追われない安息の地へたどり着けるように―― その祈りは、もはや千切れた糸を結び直すような必死さではなく、ただ純粋な願いとなって、静かな光を放っていた。 祈りを捧げ、意識を集中させていた、その時だった。 静寂の中で、胸の奥が不意にざわめいた。 (……これは、何?) 息をのんだ。魂の表層が、やすりでこすられたようにざらつく。 それは、自分が放つ温かな光とは明らかに異質の、もっと湿り気を帯びた、熱い波動だった。そして、その波動の内側から――言葉にならない、鋭い痛みが迸った。まるで、魂のどこか一部が引き裂かれるような感覚。 (まさか……) その瞬間、覚醒したナフィーラの意識は、ふっと次元の境界に触れた。 天と地の狭間に揺らめく、「魂の波動」――それは、どんなに遠く離れていても、どんなに微かでも、彼女にはっきりと分かった。 それは確かに、カイルのものだった。彼女の魂の半身とも呼ぶべき、愛しい人のものだった。
廃墟となった宿屋での日々は、奇妙なほど穏やかに過ぎていった。世界から切り離されたこの場所が、二人だけの閉ざされた楽園となった。カイルの傷はエルゼリアの力で癒えたが、彼の魂は癒えるどころか、新たな熱に浮かされていた。高熱が引いてからの数日間、カイルはただエルゼリアを見つめていた。彼女は懸命だった。崩れた壁の隙間を枝や葉で塞ぎ、雨風を防ごうとする。森で木の実や食べられる野草を探し、乏しい食料を分け与えてくれる。その姿は、かつて自分が守るべきだったか弱い少女ではなく、むしろ自分を生かしてくれる女神のようにさえ見えた。ある晩、二人は小さな焚き火を囲んでいた。パチパチと薪がはぜる音だけが、静寂を破っている。エルゼリアが、おずおずと口を開いた。「カイルは……どうして、私なんかを助けてくれるの?」その問いは、ずっと彼女の胸にあったのだろう。大きな瞳が不安げに揺れている。カイルは、燃え盛る炎を見つめながら答えた。「……わからない。ただ、お前を放っておけなかった」嘘ではなかった。だが、真実の全てでもない。(なぜだろうな)彼は自問する。かつては騎士の誓いがあった。守るべき巫女がいた。その記憶は、まるで分厚い靄のかかった風景のように、輪郭さえおぼろげだ。ナフィーラ――その名前を思い出すと、頭の奥が鈍く痛む。その痛みを振り払うように、彼は目の前のエルゼリアに意識を集中させた。「俺は、守りたかったものを、守れなかったことがある」彼の口から、無意識に言葉がこぼれた。誰のことだったか、どんな誓いだったか、もはや思い出せない。ただ、焼けつくような後悔と無力感の残滓だけが、胸の奥にこびりついている。「だから、今度こそ……お前だけは、絶対に守り抜くと決めたんだ」その言葉に、エルゼリアの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。彼女はそっと膝を寄せ、カイルの手に自分の手を重ねた。「ありがとう……カイル……」その小さな手の温もりが、カイルの全身に電流のように走った。その瞬間から、カイルの中で何かが決壊した。彼女を守るという使命感は、熱を帯びた欲望へと変貌を遂げた。彼女が眠る横顔を、彼は夜通し見つめ続けた。彼女の唇の形を、うなじの白さを、衣の隙間から覗く細い足首を、目で追ってしまう自分に気づいていた。それは騎士の守護ではなく、雄の渇望だった。(俺は、この子を求めている……)
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