夏休みのとある日、県外の高校へ進学をした幼なじみの笹川秋斗が陽葵の元を訪ねてくる。 秋斗は開口一番に陽葵に告げる。 「彼女できた」 その秘訣は恋愛心理学が書かれた一冊の本だと言って陽葵にも頑張って欲しいと言って置いて帰っていった。 クラスで奇人、変人として扱われている滝沢凛という美少女。 凛もこの恋愛心理学書を愛読しているようで、ひょんな事から陽葵と凛の奇妙な関係がはじまる。
View More学校へ向かう道中は、特に何があるというわけでもなく、無事登校できた。 それは良かったのだけれど、俺の心中は穏やかではなかった。 矢野さんはお祭りに誘われた意味を理解していなくて、ただ断っただけで。 振られたと思っていたのは俺の勘違いで、矢野さんは俺を嫌っていない。 幾度となく枕を濡らし、繰り返してきた自己嫌悪、自問自答は全て無意味だったのだ。 つまるところ、まだ俺にはチャンスがある。ということになる。 その事実に気がついてしまっただけでも、胸の高鳴りは止まらない。 俺はこれからどうすれば良いのだろう。 天然な矢野さんにもわかりやすいように、もう一度アプローチをかけてみるべきだろうか……「おはようさん。いつも以上にぼうっとしちゃってどうしたよ?黄昏れるのは夕暮れ時だけにしとけー」 背後からやってきた人物に無粋な挨拶をされるが、邪険には扱わない。 今の俺はとても機嫌が良いのだ。「おはよう。吉岡君。今日はとても爽やかな朝だね」 吉岡は道端に落ちていた邪神像でも見つけてしまったかのように怪訝そうに目を細め言った。「お前……毒キノコでも食べたのか? そこらの公園なんかにも危険なのが自生してるらしいからな。 可哀想に。きっと幻覚作用が見える類の毒キノコを食べてしまったんだな」「んなわけあるか。拾い食いはしないように子供の頃から躾けられるとるわい」 うちの母親はそこん所はしっかりしてるのだ。もちろん他の躾もしっかりされている。 ……訂正しておかないと後が怖いからね。「そりゃよござんした」 吉岡は謝罪する事はなく、当たり前に自席に座り、体を俺のほうに向けた。 そんな態度を見て、見逃してやろうと思っていた気持ちが変わった。これは言わなければなるまい。「お前さ、俺に謝らなきゃならないことがあるんじゃあないのか?」「はて?」 吉岡は悪びれる事なく、今朝の言い訳をしようともしない。「矢野さんから、お前も一緒に登校してくれるように頼まれていたよな?」 吉岡は悪びれる様子もなく答える。「特に何もなかったんだろ?朝こっ早くから押し掛ける暇人もそうは居ないだろうよ。それぞれ学校やら、仕事やらがあるだろうしな」 何もなかったから問題ないだろうで押し通そうとしているが、それとこれとはまた別の話だ。「何かあってからじゃあ遅いだろ。 それに
彼女の口から放たれた言葉の意味は、瞬時には理解できなかった。『私がいつ桐生くんの事を振ったのかな?』 その言葉が、頭の中で幾度となく反響していた。 一学期が終わるあの日、俺は間違いなく振られた。 それも、完膚なきまでに。 だから俺は、新学期からは矢野さんと距離を置くようにしていたのに、ここにきて彼女は何を言い出すのだろうか。「いや、だって、お祭りに誘った時、断られたじゃん」 あれは一学期が終わる、終業式の日だった。 各々が一学期という節目の終わりの日を慌ただしく過ごしていた。 矢野さんのナイト様。陽川も例に漏れず、あの日は矢野さんと一緒に行動をしていなかった。 千載一遇のチャンスだと思った。 俺の住む地域には、意中の相手を、あるお祭りに誘う伝統みたいなものがある。 一人で居る矢野さんを見て、覚悟を決めてお祭りに誘う事を決心した。 ここらの地域の学生であるならお祭りに誘われる=告白と取れる訳で、ここから先は言わなくても分かると思う。 終業式の日。ホームルームが終わった後、矢野さんを校舎裏へ呼び出した。 そして、天使を目の前にして、心拍数アゲアゲ、足元はフワフワ、俺がいるのは本当にこの世なのか、自分の体なのかと疑ってしまうほどの操縦性の悪さを感じながらもしっかりと言った。『もし、俺なんかで良かったら、来月の盆踊り……一緒にいってくれない?』 天使、もとい矢野さんは、左手の人さし指を頬に当てて、少し考えるような仕草を見せた後、こう告げた。『ごめんなさい』『ごめんなさい』その言葉を聞いた瞬間に俺の頭の中は真っ白になった。 その後も優しい矢野さんは、俺をフォローするような事を言っていたような気がするけれど、耳を素通りするばかりで、頭には全く入ってこなかった。 そして、気がついた時には、自室のベッドの上にいた。 どうやって帰ってきたのかも定かではなかった。 あの日の事を思い出すだけで、今だに茫然自失。腑抜け人間になってしまうからなるべく考えないようにしていたのに。「桐生くん……?」 名前を呼ばれて回想世界から現世に戻ってくると、心配そうに矢野さんが俺の顔を覗き込んでいた。「あー、ごめん」「お祭り……。それと振る事がどう関係あるの?」 全く悪びれる様子もなく、本当にわからないといった様子で語る矢野さん。 でも優しい彼女
翌早。 だいたい六時四十五分くらい。 俺は一人、早朝の公園のベンチに座っている。 待ち合わせの時間まで約四十五分。 別に楽しみすぎてこんな早くにやってきたわけではない…… ……嘘です。矢野さんに呼び出されたのが嬉しすぎて、凄く早く目が覚めて、部屋にいてもソワソワして落ち着かないから早く家を出てきたわけで。 母さんにも『こんな早く起きてくるなんて珍しいね。今日は雨でも降るのかしら?』なんて言われた。 実際の所、少し雲行きも怪しかった。もし今日雨が降ることがあれば俺のせいだと思う。 今のうちに周辺住民の家を一軒一軒チャイムを押して回って、謝っておこうかと思えてしまうほど気分が良い。 ……とは思いながらも、少し後ろめたさも感じていた。 一度は矢野さんに振られた身だ。 吉岡があんなだから俺に声がかかっただけであって、矢野さんにとっても、陽川にとっても本意ではないであろう事は明らかだ。 その証拠に、陽川は矢野さんに俺に近づかないように警告までしていた訳で。 それは単に、陽川の勘違いではあるのだけれど、きっと、矢野さん本人だって、なるべくなら俺とは関わりたくはないはずなのだ。 暗に俺も、振られたあの日以降は、なるべく関わらないようにはしていた。 俺自身気まずいってのもあったのだけれど、憧れていた人の意図を汲んであげるのも、振られた側の人間ができる最大限の配慮だとは思う。 振られても諦めないから!みたいなアニメやドラマにあるようなノリは、イケメンがやるから盛り上がるのであって、自他ともに認める普通オブ普通の俺がやれば気持ち悪がられるだけなのだ。 考えている事がチグハグかもしれないが、今の自分はそう考えていた。「そ、そうだよ。これは滝沢のためだ!滝沢と矢野さんをくっつける為にまずは俺が仲良くなるだけなんだ!」 思わず気持ちを誤魔化す為の、決意の言葉が口からあふれ出ていた。 自分が思ったよりも大きな声が出てしまったせいか、公園の隅の方で餌を食べていた地域猫が逃げていった。 ご、ごめんよ。別に君を驚かすために大声を出したわけじゃないんだ。ただ気持ちを落ち着かせる為に…… 半身の体勢で猫の逃げていった公園の入り口の方向に視線を向けると、そこには天使が立っていた。 薄っすらと笑顔を浮かべて、ヒラヒラと手を振る天使。 そう、矢野さんだ。
風呂から上がり、夕食を食べ終えてから自室へ戻ると、ベットに飛び込み、すぐに鞄からスマホを取り出した。 秋斗と共に写真に写っていた少女の正体について聞き出さなければならない。 しかし、件のメッセージを開く前に、新着のメッセージが入っている事に気がついた。 通知は三つ。 ストリーグループでのメッセージ、滝沢からのメッセージ、そして空目をしたのかと目を見張ってしまったのは、矢野さん個人からのメッセージ。 何から開くべきか迷ったけれど、楽しみは後に取っておく事にした。 まず開くべきはストリーグループのメッセージだろう。 そこに書かれていたのは、助けて貰った事についてお礼を述べる陽川からのメッセージだった。『今日は迷惑をかけてしまって、本当にごめんなさい。明日からは、一人で解決できるように努力するから。』 なんとも陽川らしいメッセージだった。 凛としていて、強い。しかし、これは彼女の本心なのだろうか? ファンに追われてかなり弱ってしまった姿を思い浮かべて、助けるべきだと思った。けれど、彼女に俺は好かれていない。 俺に助けられる事を陽川が望むだろうか? 今回協力する事になったのだって、なし崩しに吉岡に助けを求めたオマケみたいなもの。 とは言え、既読をつけてしまった手前、スルーするわけには行かないよな。 そこまで考えて、陽川のメッセージにはOKの指の絵文字だけを送り、そっとグループメッセージを閉じた。 一つため息を吐き出してから次に開いたのは、滝沢からのメッセージ。『今日は助けてくれてありがとう。とっても、嬉しかったな』 お礼を言われるような事をしただろうかと疑問に思いながらも、こっちにはダブルサムズアップの絵文字を送信した。 すぐに既読がつくと、滝沢からもサムズアップの絵文字が返ってきた。 よくも悪くも裏表の無いやつだ。 そして、最後に満を持して、意を決して、覚悟を決めて矢野さんからのメッセージを開く。 どんな事が書かれているのか想像もつかない。 ポワポワした矢野さんだから、キツイことを言われたりはしないだろうけど、万が一って事があるからなと予防線を張りながら画面をタップ。 恐る恐る覗き込み、最悪の事態は免れたようでホッと肩を撫で下ろす。『グループメッセージの欄から勝手に個人宛にメッセージ送ってごめんね。これ私のだから登
「はー、今日は一日疲れた……」 家の玄関をくぐった時、無意識に独り言が口をついていた。 なんせ、朝からいろいろあったのだ。仕方がない。 滝沢を待ち構えていたら禁止していた手紙を矢野さんの机にまた忍ばせようとしていたり、それを注意しようと人気のない場所に連れて行ったら矢野さんと陽川の内緒話を聞いてしまったり。 それがまた俺に関係している噂話で、滝沢と俺が付き合っているのではないかみたいな疑惑で、結局俺も連れ出されて問いただされて、間違った答えをしたら、それを滝沢が聞いていて何故か泣きながら逃げていったり。 そして極めつけに、ストリーの正体が陽川だったり、滝沢がまた変装して俺達の前に現れたり。それを捕まえていさめて家まで送り届けて……本当にいろいろあった。 今まで生きてきた十五年間で1番濃い一日だったかもしれない。『しれない』ではないな。間違いなく濃い一日だ。自分で自分を褒めてあげたい気分だね。 なにせ、まだ終わってないのだから……。靴箱にもたれて少しうなだれていると視界の端に人影が見えた。 玄関からまっすぐ続く廊下の先の扉からヒョイっと顔を出したのは母さんだった。「おかえりなさい。って、あら、そんなに制服汚しちゃって。明日の朝までに乾くように洗っておくから、脱いだら洗面所に置いておきなさい。お風呂も沸いてるから先にお風呂入っちゃいなさい」「ただいま。うん。わかった」 滝沢を河川敷で受け止めた時だな。 雑草が生えているとはいえ、土の斜面を転がったのだ。汚れてしまうのも無理はない。 そのまま框《かまち》を上がろうとすると、母さんに制止された。「あっ、そのままそこで全部脱いじゃいなさい。家の中が土で汚れちゃうから」「はーい」「『はーい』じゃないでしょ。返事は『はい』!」「はい。わかりました」「よろしい。ご飯も出来てるから、ちゃっちゃっとお風呂入ってきなさい。」「わかった」 言われるがままに下着を残して服を脱いでいると、母さんがビニール袋を持ってきて俺に手渡した。「全部その中に入れておいて」「はい」 言われるがままに袋の中に制服を詰めると、今度こそ家に上がり、まっすぐにお風呂場を目指した。 言われた通りに洗面台に袋を置いて、風呂場に入室した。 シャワーで体を一通り流してから、ちょうどよい温度に沸いている湯船に浸かった。
決して*追いつかないスピード*で不審者を追いかける。 あいつと追いかけっこみたいな事をするのもこれで何度目だっけな。 だから、力加減はわきまえているつもりだ。 三人から見られる可能性が低い場所まで行ったら呼び止めれば良い。そう思って追いかけていた。 右へ左へ、不審者は蛇行するように路地を曲がって行くが、俺もその後を続く。 なんやかんや結構走って、不審者と俺は気がついたら河川の横に作られた舗装路の上に居た。 額にうっすらと汗が浮かんできている。厚着で走っている不審者さんはさぞ汗だくになってしまっている事だろう。 一応振り返って確認をしてみたけれど、三人のうちの誰かが俺達の事を追ってきているような気配は無かった。 そろそろ頃合いだ。 前方五メートル程、前を走る不審者に声をかけた。「滝沢。もういいぞ、止まれ」「……」 振り返りもしなければ、返事が返って来ることもない。しかも滝沢が止まる気配はない。 聞こえなかったのかと思ってさっきより大きな声でもう一度「滝沢。止まれって!」と声をかけた。 走りながら大声を上げるのってなかなかしんどい。 こんな時に考えることでもないかもしれないけれど、練習の前後に足並みを揃えて掛け声をかけ、ランニングをする野球部は凄いなと感心をした。 今度は間違えなく聞こえていたと思う。 その証拠に俺が声をかけた直後、滝沢は走るスピードをあげた。 それは明らかにオーバーペースで、この先に待っているものがなんなのか、簡単に想像ができた。 俺は滝沢を追い越すくらいの気持ちでペースをあげ、横に並んだ。 次の瞬間、滝沢の足がもつれ、コンクリートの床に向かって顔から倒れていく。 まったく。本当にこいつはしょうがない奴だ。 体が傾いた滝沢を無理やりに抱き寄せると、そのままの勢いで盛り土の堤防に倒れ込んだ。 そのままゴロゴロと転がって、坂の終着点でようやく止まった。「イテテテ。大丈夫か?」 かなりの衝撃があったけれど、人体の中では比較的防御力の高い背中で受け止められた事、舗装されていない雑草の生い茂った部分に倒れ込んだことが幸いしてか、怪我をする事は免れたみたいだ。 俺の上に跨るようにして体を起こした滝沢は、俯いて決して顔を上げようとしない。 転がった時に帽子は飛んでいってしまったのだろう。 髪はボサボサで、某
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