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栗須帳(くりす・とばり)
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栗須帳(くりす・とばり)の小説

【完結】青空と海と大地ーそらとうみとだいちー

【完結】青空と海と大地ーそらとうみとだいちー

男の自殺の邪魔をしたのは、同じく自殺しようとしていた女だった。 その最悪の出会いが縁となり、共同生活を始めることになった二人。男は言った。「お前が死ぬまで俺は死なない。俺はお前の死を見届けてから死ぬ」と。 死に囚われた二人は共に生活していく中で「生きる意味」「死の意味」について考える。そして「人を愛する意味」を。 全72話です。
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Chapter: 072 青空と海と大地
 一年後。 青空〈そら〉の誕生日であり、一周忌にあたる1月19日。 有料老人ホームがオープンした。 施設長は浩正〈ひろまさ〉、大地は管理者。 海は喫茶「とまりぎ」の責任者として、従事することになった。 * * * この日は運動場を開放し、オープンを祝うたくさんの客が訪れていた。「おめでとう、浩正くん」 車椅子の下川が微笑む。「ありがとうございます。何とか無事、オープンすることが出来ました」「青空〈そら〉ちゃんもきっと、天国で喜んでるわ」「そうですね。でもね、下川さん。天国は勿論ですが、ここにも青空〈そら〉さんはいますからね」 そう言って入口に掲げられた看板を指差す。「そうね、そうだったわね」 有料老人ホーム青空〈そら〉。 それがこの施設の名前だった。「浩正さん、利用者さん一名、到着されました」 そう言って大地が門まで走り、車を誘導する。「すいません大地くん、お願いします」「任せてください」 大地が笑顔で答え、車から降りてきた利用者に手を差し出す。「ありがとう。随分賑やかね」「ようこそ青空〈そら〉へ。歓迎します」 海は運動場を走り回り、スタッフたちと接客に当たっていた。「海ちゃん、本当におめでとう」「ありがとうございます。山田さんも、今日はゆっくりしていってくださいね」「海ちゃん、本当にしっかりしてきたわね。これなら新人さんたちも安心ね」「あはははっ、私、最初の頃はおっかなびっくりでしたからね」「でもここを任されてからの海ちゃん、本当に見違えちゃって。格好いいわよ」「あはははははっ、そんなに褒めても何も出ませんよー。あ、でも紅白饅頭はありますから。後で召し上がってくださいね」 そう言って後輩スタッ
最終更新日: 2025-06-08
Chapter: 071 愛するということ
 買い物から帰ってきた海が、呆然と大地を見つめる。「何……してるの……」 大地は台所で料理をしていた。「おかえり、海」 そう言って振り返った大地を見て、海の目に涙が溢れた。「どうしたどうした。泣くほど寒かったのか? 早く入ってあったまれよ」 海の元に進み、そっと抱きしめる。「そろそろ俺の料理が恋しいんじゃないかと思ってな。久し振りに作ってみた」「大地……」「いっぱい迷惑かけたな。ごめん」「もう……大丈夫なの?」「ああ、大丈夫だ」「……終わったの?」「ちょっとばかり強引だったけどな。何とかなったと思う」「……」「海?」「もう……死にたいって思ってない?」「思ってないというか、死ぬのが惜しいと思った」「……」「死んだら海のこと、こうして抱けないからな」「馬鹿……」「それに……これからだろ? 俺たちの人生は」「大地……」「とにかく手を洗って座ってろよ。全部ちゃんと話すから」 そう言うと海は肩を震わせ、大地を抱きしめた。「うわあああああっ!」 大地は微笑み、囁いた。「愛してるよ、海」 大地の目にも、涙が光っていた。 * * *「そんなことしたんだ、あはははははっ」 風呂から上がり、肩を並べて座り。 ビールを手に、海が笑い転げた。「……そこ、笑うところか?」
最終更新日: 2025-06-07
Chapter: 070 ありがとう
 カーテンを開け。 煙草をくわえ、火をつける。「……」 大地は混乱していた。 海に促されて始めた自己問答。それが思いもよらぬ方向に進んでいた。 人を信じない。誰とも関わらない。それが自分の哲学だった。 それなのに今。実はそれを渇望していたという結論に辿り着いてしまった。 それは大地にとって、驚愕の事実だった。 本当は俺、人と関わりたかったのか? そう思い、眉間に皺を寄せ。白い息を吐く。 そして思った。 自分にとって、深く関わりたいと思えた他人。 青空〈そら〉。浩正〈ひろまさ〉。 そして海。 青空〈そら〉は死んだ。二度と関わることが出来ない。 その絶望は自分にとって、死を選択するに十分なものだった。 浩正さん。 生まれて初めて、尊敬出来ると思えた他人。 思慮深く、人の痛みに理解を示し、手を差し伸べる聖人のような男。 姉を愛し、共に生きることを誓ってくれた人。 だけど俺は彼に対して、いつも心を閉ざしていた。 もし、この人にまで裏切られてしまったら。二度と立ち直れないと恐れたからだ。 * * * 海。 星川海。 こいつと出会ってまだ、数か月しか経っていない。 それなのにこいつのことを、ずっと昔から知っているように思っていた。 この世界に絶望している同志。 最初はそれだけだった。そう思っていた。 だが青空〈そら〉は言った。『あんた、そこまでお人好しだったっけ。いつものあんたなら、後をつけてまで助けるなんてこと、した?』 その言葉に動揺した。確かに俺らしくない、そう思った。 海がどうなろうと、それはあいつの選択だ。 何より海は俺と同じく、近い内に死のうとしてるやつだ。そんなやつがどうなろうと、自分には関係ないはずだっ
最終更新日: 2025-06-06
Chapter: 069 自己問答
 俺が生きる意味。死ぬ意味。 それはなんだ? * * * 海は言った。俺の根底にはいつも、絶望があると。 その意味を読み解いた時、何かが変わると。 面白いやつだ。 そんな発想、思いつきもしなかった。 これまでずっと、死を渇望しながら生きてきた。 どうしてだ? 毎日飯は食えるし、欲しいものを買う余裕だってある。 自分の時間もあるし、仕事だってそれなりに楽しい。 煩わしい人間関係も持ってないし、特にストレスを感じることもないはずだ。 それなのに。 どうして俺は死を願ってたんだ? * * * 青空姉〈そらねえ〉が死んだ。 俺にとって唯一とも言える、この世界の光。 それが失われ、俺は絶望した。 ある意味壊れた。だから死を実行しようとした。 だが海は言った。 本当にそれだけなのかと。 確かに俺は今まで、青空姉〈そらねえ〉が生きていたにも関わらず、ずっと死を考えていた。望んでいた。 いや。 海に言わせれば呪いか。 青空姉〈そらねえ〉が死んだことで、その思いが強くなったのは確かだ。 しかし俺はそれ以前から、ずっと前から死にたいと思っていた。 それは何故だ? * * * 親父が憎かった。 俺が逆らえない弱い存在と分かった上で、自分のストレスをぶつけてきたあのクズが憎かった。 母親が憎かった。 いつも俺を罵倒し、心を殺してきた悪魔が憎かった。 お前たちは親という立場にも関わらず、俺たちを育てるという最低限の仕事もせず、ただただ見下し、排除することを望んでいた。 そんなお前たちを、俺はただの一度も親だと思ったことはない。 お前たちのおかげで青空姉〈そらねえ〉は右目を失い、心に深い傷を負った。 お前たちがいなければ、俺た
最終更新日: 2025-06-05
Chapter: 068 絶望の根源
 次の日。 目覚めてからずっと、大地は泣いていた。 * * * 昨日、異様なテンションで喋り続けていた大地。 浩正〈ひろまさ〉の忠告を思い出し、海はずっと緊張していた。 夜、大地が眠りについた時。乗り切れたと安堵した。 青空〈そら〉さんが守ってくれた、そう信じ涙した。 それなのに。今日は打って変わり、泣き続けている。 この不安定な情緒こそ、今の大地なんだ。 丸裸になった彼の心。 まるで獣に睨まれ、怯えている小動物の様だ。 泣き続ける大地をそっと抱きしめ、海は囁いた。「どうして泣いてるの?」「分からない……自分のことなのに、分からない……」「そうなんだ……でもそれ、普通なんじゃない?」「そう……なのか?」「だってこれ、大地が言ってたことだもん」「俺、なんて言った?」「自分のことが分からない、他人の方が自分を分かってる。そんなの当たり前だって言ってた」「ははっ……そんなこと言ったのか、俺」「大地は今、何を考えてるの?」「それは……」「泣いてる理由が分からない、そう言ったよね。だから質問を変えてるの。今、何を考えてる?」「……怒らないか」「怒らない。約束する」「……死にたいんだ」「そっか……」 笑みを崩さず、海は抱きしめる手に力を込めた。「青空〈そら〉さんがいないから?」「だと……思う……」「寂しい?」「ああ、寂しい……」
最終更新日: 2025-06-04
Chapter: 067 躁と鬱
 それから数日が経ち。 禁断症状がかなり治まっているのを感じた。 短い時間ではあるが、夜も眠れるようになっている。 煙草の本数に気をつければ、頭痛も酷くならなかった。 少しずつ、食事も摂れるようになってきて。 肉体的にかなり楽になってきたと実感した。 しかし。 入れ代わるように、今度は心が蝕まれていった。 言い様のない不安。恐れ。 それらが全身にまとわりついていた。 * * * 体が震える。 ジャケットを出して羽織る。 しかし震えは治まらなかった。 なんなんだ、これは。 大の男が部屋で一人、何を震えてるんだ? 禁断症状の時とは違う、体が自分のものでないような感覚。 なんでこんなに寒いんだ? そう思いスマホを見ると、気温は20度になっていた。「はああっ? 壊れてんのか?」 しかしすぐに思い直した。 違う、壊れてるのは俺の自律神経だ。 そう言えば昨日、天気予報で5月並みの陽気になると言っていた。 そう思うと、急に暑く感じてきた。 慌ててジャケットを脱ぐ。シャツを脱ぐ。 全身に汗がへばりついていた。 大地はタオルで汗を拭い、新しいシャツに袖を通した。「……また……寒くなってきたな……」 再びジャケットを羽織り、苦笑する。 寒いんだか暑いんだか、よく分からん。 色々と……壊れてるんだな、俺。そう思った。 そして。 嫌な感覚を覚えた。 何かに監視されているような感覚。 視線を感じ、クローゼットを見つめた。「……」 何も起こらない。当たり前だ。 この家に住んでるのは俺と海。他に誰もいない。 海は今、買い物に出
最終更新日: 2025-06-03
【完結】幼馴染の贈り物

【完結】幼馴染の贈り物

39歳独身悠人の家に突然、幼馴染小百合の娘、18歳になった小鳥がやってきた。 5歳の時に悠人とした、悠人のお嫁さんになると言う約束をかなえるために… 全74話です。
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Chapter: 最終章 悠人の望む未来 4/4
「疲れた……今日が一番疲れた……」 風呂上がり。コーラを飲みながら悠人〈ゆうと〉がうなだれた。 明日でゴールデンウイークも終わり。こんなに濃い休みは初めてだった。「明日こそはゆっくりするぞ。そうだ、アニメもたまってるしな」「悠兄〈ゆうにい〉ちゃーん!」 風呂上がりの小鳥〈ことり〉が、背中に抱きついてきた。「おつかれさま。明日はゆっくり出来そう?」「ああ、ちょうど今、そう思ってたところだ。明日は一日、ゴロゴロしながらアニメ三昧しようかと」「小鳥も付き合うね」 その時、悠人のスマホにメッセージが入った。「誰から?」「ああ、深雪〈みゆき〉さんからだ。明日深雪さんの家で、みんなで夕食一緒にどうかって」「あはははっ。深雪さんも私たちの関係、楽しんでるよね」「だな。じゃあ晩御飯ご馳走になろうか。それまではゆっくりと」「アニメ鑑賞!」「だな」「うん!」 悠人が返信を送り終えるのを待って、小鳥が少し神妙な面持ちで言った。「小鳥、ここにいてもいいのかな」「いきなりどうした」「だってお母さんとの約束は三ヶ月で、今の時点で悠兄ちゃんは小鳥を選んでない訳だし……弥生〈やよい〉さんやサーヤは勿論、一人離れて住んでる菜々美〈ななみ〉さんにも悪いと思って」 悠人が小鳥の頭を優しく撫でる。「……悠兄ちゃん?」「ここにいてていいんだよ。お前はもう俺の家族なんだ。小百合〈さゆり〉とも約束したしな。それに」「それに?」「お前のこと、一人の女の子として意識してるって言ったろ? 小鳥は三ヶ月かけて、娘として愛していた俺の気持ちを変えたんだ。大成功じゃないか。小百合もきっと、認めてくれるよ」「悠兄ちゃん……
最終更新日: 2025-06-11
Chapter: 最終章 悠人の望む未来 3/4
「ふう……」 コーヒーをひと口飲み、悠人〈ゆうと〉が大きなため息をついた。「なんで悠人さんがため息なんですか。私たちの方がドキドキしてますのに」「全くだ。これではエロゲー主人公と変わらないではないか」「いえいえ、エロゲーでこの展開はないかと。選ぶ側より選ばれる側の方が、肝が座ってるんですから」「本当だね」「で、どうだ遊兎〈ゆうと〉、落ち着いたのか」「あ、ああ……」 4人の態度に、悠人は悩んで言葉を探している自分がまぬけに思えてきた。「ったく……みんな俺で遊びすぎだぞ」「だって悠兄〈ゆうにい〉ちゃん、可愛いんだもん」「家に飾っておきたいです」「遊兎が私の玩具……なかなかに興味深い」「じゃあ結論を言います」「待ってました、悠人さん」「悠兄ちゃん、頑張ってー」「悠人さん、私は信じてます」「さあ、私の胸に飛び込んでくるのだ」「ったく……弥生〈やよい〉ちゃん。俺は弥生ちゃんのこと、大好きだ。趣味の話も一番合うし、料理の腕も最高だ。そしていつも、可愛い笑顔で俺を癒してくれる。そしていっぱい俺のこと、好きでいてくれてる」「悠人さん……」「沙耶〈さや〉。俺はお前のこと……好きだよ。お前のその気高さ、強さ。時折見せる弱さも好きだ。人形のような顔立ち、そしてその綺麗な髪も大好きだ。甘えてくる時の顔も好きだ」「遊兎……」「菜々美〈ななみ〉ちゃん、大好きだ。ずっと俺を想ってくれてる一途なところ、二人分の人生を生きようとしてる強い気持ちも好きだ。いつも周りのことを気遣ってくれる、そんな優しいところも大好きだ」「悠人さん……」「小鳥〈こ
最終更新日: 2025-06-10
Chapter: 最終章 悠人の望む未来 2/4
「よし、出来た」 何年ぶりかで作った、自分が作れる唯一の料理、焼飯。 テーブルに並べ、隣にサラダを置く。 自分でも驚いていた。この世である意味、一番価値がないと思っている料理に時間を割いている。ただ悠人〈ゆうと〉の脳裏に、かつての小鳥〈ことり〉の言葉が思い出され、無性に作りたくなったのだ。「悠兄〈ゆうにい〉ちゃん。ご飯を食べるってことはね、もっと生きていたいっていう気持ちと同じなんだよ。もっと食べることを楽しく思わないと、それは生きてることがつまらないって言ってるのと同じなんだよ」 * * *「ただいまーっ!」 小鳥の元気な声。悠人がドアを開ける。「悠兄ちゃんただいま。今日も楽しかったよ」 そう言って、小鳥が悠人に抱きついてきた。「おかえり、小鳥」 微笑み頭を撫でる。「え……何これ? まさかこれ、悠兄ちゃんが作ったの?」 小鳥が、テーブルに並べてある料理に目を丸くした。「そんなに驚かなくてもいいだろ。俺だって、料理のひとつぐらい出来るさ」「こ、これは……お母さんが言ってた、伝説の悠人焼飯……」「なんだ小鳥、知ってるのか」「うん、お母さんが言ってた。悠兄ちゃんが唯一作れる料理。しかもその出来は本物だって」「大袈裟だな、小百合〈さゆり〉は」「すっごく嬉しい! 小鳥、一度食べて見たかったから。でも、なんでこんなにお皿が」 その時インターホンがなった。小鳥がドアを開けると、そこには沙耶〈さや〉、弥生〈やよい〉、そして菜々美〈ななみ〉が立っていた。「みんなどうしたの?」「うむ。夕食に招かれてな」「私も同じくです」「わ、私も……悠人さんすいません、今ちょっとバタバタしてるので、遅れてしまいました」「いいよ菜々美ちゃん、ちょ
最終更新日: 2025-06-09
Chapter: 最終章 悠人の望む未来 1/4
「私の部屋で少年と二人きり。中々新鮮だね」「ははっ」 小さなテーブルを挟み、悠人〈ゆうと〉が深雪〈みゆき〉の言葉に笑った。 * * *「小鳥〈ことり〉くんはコンビニかい?」「はい、沙耶〈さや〉とバイト中です。あと二時間ほどであがりなんですが」「そうか。で、わざわざその時間を狙ってここに来たんだ。世間話をしに来た訳じゃないね」「はい……小鳥と一昨日、色々話しました。小百合〈さゆり〉のことも」「小百合さんのこと、聞いたんだね」「深雪さんは知ってたんですね」「ああ。以前君が熱を出した時に、小鳥くんからね」「あの時に……」「あの時、小鳥くんの様子は尋常ではなかった。彼女が抱えているものが何であれ、一度吐き出させる必要がある、そう思ってね。 彼女のお母さん、小百合さんは元気な方で、子供の頃から病気知らずだったそうだね。その彼女が、ある日突然倒れた。ただの過労だと思っていたら、その半年後にあっさりいなくなってしまった」「……」「人は誰も、人生がいつまでも続くと勝手に思い込んでいる。死は必ず訪れるものなのに、なぜか人は、自分だけはそのルールから外れているような錯覚を持って生きている。そして死を身近に感じる経験をした時、初めて自分も死ぬんだということに気付くんだ」「確かに……俺も、いつかはこの世から消えてなくなるって、頭では分かっていますが」「まぁ、だから人は生きていけるんだけどね。いつ来るか分からない死に日々怯えていては、人生を楽しめないからね。 小鳥くん、こんなことを言ってたよ。『お母さんが余命半年だって分かった時、色んなことを考えました。そして思ったんです。お母さんの余命は、お母さんの病状から、これまで積み重ねられてきたデータから出したひとつの目安なんだ。この進行具合に治療を施したとして、生きられる平均的な時間を出したんだって。
最終更新日: 2025-06-08
Chapter: 第14章 小鳥と小百合の想い 4/4
 悠人〈ゆうと〉は小鳥〈ことり〉を探し、走っていた。 何度電話してもつながらない。悠人の頭から、小鳥〈ことり〉が一人で泣いている姿が消えなかった。 コンビニに行くがいない。カウンターにいた沙耶〈さや〉が、会ってはいけないルールを破ってやってきた悠人に、そして様子に驚いていた。弥生〈やよい〉に、菜々美〈ななみ〉に、深雪〈みゆき〉にも電話するが分からない。深雪は冷静だったが、弥生と菜々美は突然の電話に驚いていた。 再びマンションに戻った時には、既に陽が落ちていた。「小鳥……」 その時悠人の脳裏に、ひとつの場所が浮かんだ。 それは、すぐ目の前の堤防だった。「くそっ、何をやってるんだ俺は! いつもなら真っ先に行ってるだろうが!」 * * * 陽が落ちた堤防を見下ろす。暗く静まりかえったそこに、小鳥の姿があった。「小鳥―っ!」 小鳥は堤防で、膝を抱えて座っていた。 小鳥の横に立つと悠人は息を整え、そして小鳥の肩に自分のジャケットをかけた。 悠人が隣に腰を下ろす。小鳥は何も言わず、膝に顔を埋めたまま動かなかった。「……小百合〈さゆり〉のDVD、見たよ」「……」「ごめんな、小鳥……俺、ずっと小鳥を見ていたつもりだったけど、何も見えてなかった。 小鳥がどれだけ寂しい思いをしてきたか、どんな気持ちで俺のところに来たのか、分かってなかった」 悠人の言葉に、小鳥はうつむいたまま首を振った。「そんなことないよ……小鳥、悠兄〈ゆうにい〉ちゃんの家に来てから、本当に楽しかったから……泣きたくなっても、悠兄ちゃんの顔を見たら元気になれたから…… ここに来るまで小鳥、ずっと泣いてたと思う。もうお母さんと話せないんだって思ったら
最終更新日: 2025-06-07
Chapter: 第14章 小鳥と小百合の想い 3/4
 悠人〈ゆうと〉が目を見開く。 息が出来なくなった。変な汗が滲み、胸の動悸が早まった。 今、小百合〈さゆり〉は……小百合は何を言ったんだ……「半年前、私は職場で倒れました。過労かな、そう思ってたんだけど、聞かされた病名は『急性白血病』というものでした。検査した時には症状が進んでいて、手がつけられなかったそうです。そして伝えられたのが、余命半年というものでした。 この半年、自分の人生について、色々と考えることが出来ました。そして気付きました。私の人生って、悠人と小鳥〈ことり〉で埋め尽くされていたって。 余命を伝えられてから、急に悠人に会いたくなった。もう助からない命なら、せめて悠人の胸の中で死にたい、そう思った。でも、そう思って振り返ると、そこには小鳥がいた。 私の余命を先生から聞いたのは、小鳥でした。小鳥、随分悩んだみたいだけど、私に話してくれた。私の胸で泣いてくれました。 死ぬことは怖い。今、こうして話していても怖いです。でもそれ以上に私は、小鳥がこれからどう生きていくのか、それが心配でした。 あの子は本当にいい子に育ってくれました。父親の顔も覚えていなくて、私と母さんと三人、決して裕福ではない環境の中でまっすぐに、素直に育ってくれました。思いやりのある、優しい子になってくれました。 でも小鳥はまだ18歳、人生はこれからです。この子のこれからをずっと見守っていきたい、そう心から願いました。でも、それは叶わない。 この半年、小鳥は毎日病院に来てくれました。たまに先生の許可をもらって、病室に泊まってくれました。いっぱい話しました。今まで話せなかった私のこと、和樹〈かずき〉のこと、そして悠人のこと。 小鳥はよく泣きました。私との別れを、急にリアルに感じる時があるんだと思う。そして、私が悠人のことを本当に好きなんだって知って、悠人に連絡したい、そう何度も言いました。 でも、私は許さなかった。私はもうすぐここからいなくなる。私のことより、小鳥には小鳥のことを考えて欲しかったから。 最初
最終更新日: 2025-06-06
銀の少女

銀の少女

昭和58年。 藤崎柚希(ふじさき・ゆずき)は、いじめに悩まされる日々の中、高校二年の春に田舎の高校に転校、新生活を始めた。 父の大学時代の親友、小倉の隣の家で一人暮らしを始めた柚希に、娘の早苗(さなえ)は少しずつ惹かれていく。 ある日柚希は、銀髪で色白の美少女、桐島紅音(きりしま・あかね)と出会う。 紅音には左手で触れた物の生命力を吸い取り、右手で触れた物の傷を癒す能力があった。その能力で柚希の傷を治した彼女に、柚希は不思議な魅力を感じていく。 ホラー要素を含んだ恋愛小説です。
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Chapter: 第9章 贖罪の十字架 3/9
「早苗〈さなえ〉さんの弟さん、だったんですね」「はい、昇〈のぼる〉くんって言います。確か今、小学6年です」「そうなんですか。可愛い男の子でしたね」「ですね。元気で明るくて、早苗ちゃんそっくりなんです」「ふふふっ」 テントの下に長椅子が置かれた休憩所に、二人は並んで座っていた。 買ってきた林檎飴を舐めながら、柚希〈ゆずき〉は紅音〈あかね〉を気遣って言った。「疲れてませんか?」「はい。なんだか今日は、とっても気分がいいんです」 紅音の嬉しそうなその笑顔は、柚希の胸をまた熱くした。 少し暑いのか、紅音の首筋に汗が流れている。 柚希はハンカチを取り出すと、それを首筋にそっと当てた。「きゃっ」「す、すいません……汗を拭こうと思って」「あ、いえ……ありがとうございます……」 そう言って紅音は、頬を赤らめてうつむいた。 柚希がハンカチを、首筋に優しく当てて汗を拭う。「……なんだかこうしてもらってると、柚希さんと初めて会った日のこと、思い出します」「初めて会った日、ですか」「はい。私、今でもはっきりと覚えています」「僕もです。出会いはコウが」「はい。コウが柚希さんの顔を舐めて……柚希さんの顔の傷、コウがつけたんだと思って驚いて……」「そして紅音さんが、僕の傷をこうして」「もう、随分前のことのようです」「そうですね。まだ出会って4ヶ月なのに、紅音さんのこと、ずっと昔から知っていた様な気がします。でも紅音さん、これからの時間の方が、ずっとずっと長いですからね」「はい。きっとこれからも、楽しいことがいっぱい待ってくれているんでしょうね」「楽しいことだらけですよ、きっと」「ふふっ、待
最終更新日: 2025-06-17
Chapter: 第9章 贖罪の十字架 2/9
「こんばんわーっ」 紅音〈あかね〉の屋敷のインターホンに向かい、早苗〈さなえ〉が元気よく声を上げた。 そしてしばらくして、紅音〈あかね〉が晴美〈はるみ〉と共に玄関から出てきた。 一歩一歩と近付いてくる紅音の浴衣姿に、また柚希〈ゆずき〉の顔が赤くなった。 その柚希のわき腹を肘で殴り、早苗が意地悪そうに笑った。「げほっ、げほっ……早苗ちゃん、いきなりの攻撃は……」「馬鹿柚希。見惚れる前に褒めなさいって、さっき言ったよね」「そうなんだけど……」「何? 何か不満でも?」「ないですないです。その……紅音さん、こんばんは」「こんばんは、柚希さん」「あの、その……浴衣、とても似合ってます……」「そ、そんな……柚希さん、恥ずかしいです……」 紅音がその場で真っ赤になった。「紅音さん、やったね」「むふふふふっ。お嬢様、これでまた一歩、野望に近付きましたよ」「なんですか、晴美さんまで」「むふふふふっ。浴衣美女に囲まれて、柚希さん、男冥利につきますね」「ねえ師匠。折角だから私たち三人、撮ってもらえません?」 そう言って、早苗が柚希に手を出した。「は、はい……」 柚希は観念した様子で、早苗にポケットカメラを手渡した。「お願いしまーす」 紅音を呼び込み、柚希の隣に立たせると、早苗も反対側に立った。 晴美がポケットカメラを構え、ファインダーを覗き込む。「では参ります。お嬢様、ご発声を」「あ、はい……1+1は?」「にーっ!」 カシャ
最終更新日: 2025-06-16
Chapter: 第9章 贖罪の十字架 1/9
 三人が待ちに待った、夏祭りの日がやってきた。 山の斜面の長い参道は、遠目に見ても華やかな灯りで彩られている。 祭りは18時から始まるが、紅音〈あかね〉の家には19時に行く約束をしていた。 それは紅音が早苗〈さなえ〉と柚希〈ゆずき〉に、少しでも二人だけの時間を過ごしてほしい、そう思っての配慮だった。 勿論そのことは伏せ、人混みに出る前に父の診察を受ける為と説明していた。 * * *「柚希―、準備出来たー?」 玄関から、早苗の陽気な声が聞こえる。 その声に、柚希は慌ててカメラバックを持ち、「今行くからー」 そう言って玄関に向かった。「あ……」 玄関を開けた柚希が、早苗の姿に言葉を失った。 赤を基調に彩られた浴衣姿の早苗は、これまで柚希が知っているどの早苗とも違う、艶やかな雰囲気を漂わせていた。 短い髪には簪が付けられていて、それが夕陽に反射して輝いていた。「……こんばんは、柚希」 早苗が恥ずかしそうにうつむく。「う、うん……こんばんは……」 いつも部屋では短パン姿で、それに比べたら露出度も遥かに少ない。それなのに今の早苗には、言い様のない色気と妖艶さがあった。「柚希、その……感想とか……言ってくれないの」「え……」「だーかーらー、感想よ、感想。女の子がこうしておめかししてるんだから、感想のひとつぐらい言うのが男の甲斐性でしょ」「あ、ご、ごめん、その……とっても綺麗だよ、早苗ちゃん」「ひゃんっ」 柚希の直球に、早苗は顔を真っ赤にして身をよじらせた。「も、もう……馬鹿柚希、あんたストレートす
最終更新日: 2025-06-15
Chapter: 第8章 揺れる想い 8/8
「早苗〈さなえ〉さん、最近元気がないように見えます」「え? いきなりどうしたの」 浴衣を脱ぎ、いつものドレス姿に戻った紅音〈あかね〉が、ぼんやり頬杖をついている早苗にそう言った。 晴美〈はるみ〉はキッチンに戻っていた。「何か悩みごとでもあるのでしょうか」「どうして? 私ってば、いつも通りだと思うけど」「はい。確かに早苗さんはいつも元気で、明るく私と接してくれています。でも、最近の早苗さんは……うまく言えませんが、元気な振りをしていると言うか」「あはははははっ。紅音さん、そんなことないって。私は元気印の健康優良児、悩み知らずの能天気娘なんだから」「早苗さん」 紅音が顔を近付け、早苗の目をまっすぐ見つめた。「ちょ、ちょっと紅音さん……顔、近すぎるって……」「……早苗さん」「あか……」「私たち、お友達ですよね」「え……あ、はい……」「早苗さんが言ってくれました。私のことを友達だって。私、本当に嬉しかったんです。 友達って、どんな悩みも打ち明けあえる仲なんだって、そう本に書いてありました。私、早苗さんの力になりたいんです」「本……ね、ははっ」「私、いつも早苗さんや柚希〈ゆずき〉さんにご迷惑をかけています。そんな自分がもどかしくて……自分もお二人の力になりたい、そう思ってるんです。 早苗さん。私では早苗さんのお力になること、出来ないでしょうか」「そんなこと……そんなことないよ」 紅音が再び、早苗を見つめる。 そしてしばらくすると目を閉じ、早苗から離れて言った。「柚希さんのこと……ですね」
最終更新日: 2025-06-14
Chapter: 第8章 揺れる想い 7/8
 夏祭り前日。 柚希〈ゆずき〉と早苗〈さなえ〉は、紅音〈あかね〉の家に来ていた。 柚希は書斎で、明雄〈あきお〉と話をしている。 そして早苗は、紅音の部屋にいた。「では……参りますよ、早苗さん」 晴美〈はるみ〉の声がして、扉が開いた。「おおおっ! 紅音さん、やっぱ可愛いー!」 早苗が歓声を上げた。 紅音は明日、夏祭りに着ていく紺の浴衣を身に纏っていた。「さ、早苗さん……そんな、あんまり見ないでください……恥ずかしいです……」 紅音が頬を赤らめ、恥ずかしそうにうつむく。「いやいや、そのリアクションは柚希に取っとかないと。私相手にそれするのって、何か勿体無いから」 早苗が冷静に突っ込む。「でも……」「むふふふっ。お嬢様、これで準備は整いました。明日は柚希さんを、是非射止めてくださいませ」「ええっ? は、晴美さん、変なこと言わないでください」「……紅音さん」 早苗が静かに紅音の前に立ち、肩に手を乗せた。「私……今日ほど女に生まれたこと、後悔したことはないわ」「……それってどういう」「私の嫁になって!」「きゃっ」 勢いよく抱きついてきた早苗に、紅音が思わず声を漏らした。「もう、早苗さんまで……」「あはははっ。でも本当、紅音さん可愛いよ。柚希も明日、きっとそう思うよ」「柚希さんにこの姿を……」 紅音が改めてそう意識し、再び顔を染め上げた。「浴衣姿の美女二人、これで何も感じなかったらあの馬鹿、今度こそ本当にチョークスリーパーで落としてやるんだから」
最終更新日: 2025-06-13
Chapter: 第8章 揺れる想い 6/8
 夕食を終えた早苗〈さなえ〉が部屋で一人、膝を抱えていた。 自分の気持ちが整理出来ず、混乱し狼狽する。 そして知らぬ間に、涙が頬を伝っていた。「私ってば本当、最近よく泣くよね……」 柚希〈ゆずき〉への想いが自分の中に納まりきらず、いつ暴発するか分からないことが怖かった。 今日、山崎に対してその一端を垣間見てしまったが、早苗にとっての恐怖はそれではなかった。 柚希の笑顔を見たあの時。 紅音〈あかね〉に対する感情をはっきりと感じてしまった。 嫉妬。 紅音さんのことが好きだ。それは間違いない。 出来ればこれからも、ずっと友達でい続けたい、そう思っている。 そして紅音さんは自分と同じく、柚希に恋している。 しかし紅音さんは、私の柚希への想いを知って、自らの想いを封じようとした。 私の為に柚希と二度と会わない、そんな選択肢までも浮かべていた。 だけど私は、そんな紅音さんを叱った。 自分の想いを殺してどうする。一緒に頑張ろう、そう言って励ました。 その筈なのに。 今私は、紅音さんに対して「邪魔者」の様な思いさえ持っている。 矛盾だ。 いつから私は、こんな人間になってしまったんだろう。 柚希のことを諦めたら、元の私に戻れるんだろうか。 でも。 私はやっぱり、柚希のことが好きだ。 誰にも渡したくない。 あんな笑顔、私以外に向けてほしくない。 私だけを見ていてほしい。 それは私の、身勝手な欲求なんだろうか。 そしてきっと、柚希は紅音さんのことを……「早苗ちゃん?」 襖の向こうから、柚希の声がした。「お風呂上がったよ」「……」「早苗ちゃん…&hellip
最終更新日: 2025-06-12
あおい荘にようこそ

あおい荘にようこそ

高齢者専用の集合住宅「あおい荘」。 管理人の新藤直希は、ある日家の前で倒れている家出少女、風見あおいと出会う。 あおい荘と同じ名前を持つ天然少女に不思議な縁を感じた直希は、あおい荘で一緒に働くことを提案する。 幼馴染の看護師・東海林つぐみ、入居者の孫・小山菜乃花、シングルマザーの不知火明日香。 直希に想いを寄せる彼女たちを巻き込んで、老人ホームで繰り広げられる恋愛劇場にようこそ。
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Chapter: 034 あおいの入浴介助
 上は半袖シャツ、下はジャージを膝までまくりあげる。滑り止めの為、入浴介助用に購入したスニーカーを素足で履く。「では小山さん、お風呂ご一緒させていただきますです」 脱衣場。 車椅子の小山の前で腰を下ろし、あおいが笑顔で言った。「よろしくね、あおいちゃん」 そう言った小山の笑顔には、あおいに対する信頼が感じられた。 この信頼を裏切ることは出来ない。事故なく、小山さんに楽しい入浴時間を過ごしていただくんだ。 笑顔を絶やさずにあおいは、直希やつぐみ、そして講習でお世話になった教員の言葉を胸に、小山に声をかけた。「では服の方、脱がさせていただきますです」 そう言ってボタンを外し、上着から脱がせていく。「介護の基本は声掛けよ。どんな時でもまず、声をかけること。勿論笑顔でね。でないと、いきなりヘルパーが体を触ったら、何をされるのかと不安になるでしょ?」 はいです……つぐみさん、大丈夫です…… つぐみの言葉を思い出し、次に何をするのかを丁寧に、そして笑顔で伝えていく。 上着が終わると、次にズボンにかかる。「では小山さん、少し車椅子を移動しますですね」 そう言って、車椅子を少し壁側に移動した。 * * *「きゃっ! な、なんですかこれ……」「ははっ、驚いたろ?」「はいです。思わず足が上がってしまいましたです」 直希に車椅子の扱いを教えてもらった時のこと。 庭に用意された車椅子に、あおいが乗っていた。 そして直希が車椅子を突然押すと、あおいは慌てて肘掛けを握りしめ、後ろに体重を乗せた。「どうだった? 今の気持ち」「……なんかこう……うまく言え
最終更新日: 2025-06-17
Chapter: 033 あおい荘の一大事
「直希さん! 直希さん!」 あおいに寄り掛かったまま、意識をなくした直希。あおいは直希を抱き寄せ、何度も名前を呼んだ。「あ……あ……」 コップを落とした菜乃花は、呆然と直希を見ている。「菜乃花さん! おしぼりを持ってきてくださいです!」 いつもと違うあおいの厳しい口調に、菜乃花は我に返り、「は……はいっ!」 そう言ってカウンターに走った。「直希さん、しっかりしてくださいです。大丈夫です、私たちが何とかしますです」 直希の髪に指を通し、優しく撫でる。直希は苦しそうに、小刻みに息をしていた。「あおいさん、これを!」「ありがとうございますです。それからすいません、今すぐ東海林先生に電話してくださいです」「わ、分かりました」 おしぼりを額にそっと当て、汗を拭う。そのひんやりした感触に、直希が笑ったように思えた。「直希さん……こんなになるまで働いて……私が頼りないから……私がもっとしっかりしてたら……ごめんなさい、ごめんなさいです……」 あおいが肩を震わせ、直希を抱き締めた。 そしてしばらくすると小さく息を吐き、厳しい表情で菜乃花に言った。「菜乃花さん、先生はどうですか」「ご、ごめんなさい。まだつながらないんです」「分かりましたです。先に直希さんを部屋で寝かせるです。私が連れて行きますので、布団をお願いしたいです」「は、はい、分かりました。でもその……鍵はどこに」「ちょっと待ってくださいです。直希さん、失礼しますです!」 そう言って直希のスボンのポケットに手を入れる。そして中を探り、鍵を取り出した。「はいです菜乃花さん! お願いします
最終更新日: 2025-06-16
Chapter: 032 下着事件
「そう言えばそうですね。最近直希さんが洗濯してるところ、見てないです」 食堂であおいと菜乃花が、おやつの準備をしながら話をしていた。「そのことなんですけど……その話、私たちにも関係あるんです」「そうなんですか? 直希さんのお仕事が減るのは、いいことだと思いますです。直希さん、ずっと働き詰めですし」「そう、ですよね……考えてみたら、私たち三人がここで働くまでは、全部一人でしてたんですから」「休みもなかったと聞いてますです」「本当、働き者ですよね」「直希さんには、もっともっと自分の時間を持ってもらいたいです」「……つぐみさんと、ここがオープンしたばかりの頃に言い争ってたことがあるんです。そんなに何もかも一人でやってたら、いつか体を壊すって。つぐみさん、あの時かなり怒ってました」「直希さんは、何て言ってたんですか?」「俺は倒れたりしないって。それはもう、すごい勢いで」「何となく……想像出来ますです」「でも、つぐみさんも引かなくて。それでももし倒れたら、このあおい荘を誰がやっていくんだって。だからスタッフを雇って、効率よくしなさいって」「そういう意味では、今はつぐみさんの思ってた通りになってるんですね」「はい、確かに今はそうなんですけど……その時直希さん、言ったんです。このあおい荘は、自分がずっと思い描いてきた理想の施設なんだ。今ある他の施設では出来ないことを、やっていきたいんだ。それに賛同してくれる人、自分が心から信頼出来る人に出会うまでは、一人でやっていくんだって」「直希さん、そんなこと言ったんですか」「はい。それでつぐみさん、泣いちゃって……あなたが理想としている介護、それは理解出来る。でもその理想を共に背負ってくれる人になんて、簡単に出会える訳がない。あなたの理想は、献身を通り越した自己犠牲でしかないんだからって」
最終更新日: 2025-06-15
Chapter: 031 大切なこと
「ではでは文江さん。血圧測らせてもらいますです」 朝のバイタルチェック。つぐみが見守る中、あおいが直希の祖母、文江に腕帯を巻いて測定する。 あおいが使用している血圧計は、市販の測定器。つぐみは水銀式にこだわっているが、最近の電子計測器でもかなり正確な数値が出るようになっているので、あおいたちが使用する分には構わないと許可を出していた。「はい、終わりましたです。文江さん、今日も健康そのものです」「うふふふっ。ありがとう、あおいちゃん」「うっ……」 つぐみが口を押えてうつむく。「どうしたんですか、つぐみさん」「あ、うん……あおい、立派になったなって思って……」「ええええっ? 血圧測っただけでですか?」「うふふふっ。つぐみちゃん、毎日大変だったものね」 * * * あおいを連れて初めてバイタルチェックに行った日。 この日はつぐみが、各部屋で入居者の血圧を測っていた。 まずは私の動きを見ておきなさい、見て学ぶことも大切だから。 つぐみの言葉にうなずき、あおいはつぐみの動きを観察した。 体温、血圧を手馴れた様子で測っていき、そして前日の排便等を聞いて記入する。その後、体調に変化がないかを確認し、気になったことがあれば記録する。 そしてその間中、ずっと笑顔で接していた。「じゃああおい、私の血圧、測ってみなさい」「あ……は、はいです!」 昼の休憩時間を利用して、食堂での測定講習が始まった。 腕帯を手に取り、つぐみの方を向く。「朝、私が測ってたの、ちゃんと見てたわよね。その通りにすればいいのよ。6人分の計測を見てたんだから、出来るはずよ。私を入居者さんだと思って、声掛けも忘れないようにね」「は、はいです…&helli
最終更新日: 2025-06-14
Chapter: 030 二人の想い
「どう? ちょっとは慣れたかしら」「あ……はい、大丈夫です。先週ぐらいまでは次の日痛かったんですけど、最近はそうでもないです」「そ、よかった。私も筋肉痛の呪いからは、脱出出来たみたいよ」「でもこれって……どれくらい続けたらいいんでしょうか」「個人差があるからね、何とも言えないわ。でも私たちの目標は来年の夏なんだから、まだまだ時間はたっぷりあるわよ」「そう……ですよね。すいません、変なこと聞いちゃって」「それにね、こうしてトレーニングの後、しっかり食べた方がいいって本に書いてあったの。あおい荘で食べられないのは寂しいけど、でもこうして、菜乃花と一緒にトレーニングしてご飯食べるの、楽しいわ」「あ、ありがとうございます。私も楽しいです」 今日はラーメン屋に寄っていた。 トレーニング後の食事にも慣れてきたのか、二人共結構な量を食べていた。にんにく入りラーメンに焼き飯、そして餃子を一人前ずつ。今までの二人には考えられない量だった。「菜乃花、あなた大丈夫? 無理して私と同じ量、食べなくてもいいのよ」「大丈夫です、その……私、最近なんだか食べる量が増えてるみたいで」「そうなんだ。ひょっとしたら、ちょっと遅れてやってきた成長期なのかもね」「だったら嬉しいんですけど……出来たらその、身長ももう少しほしいなって」「そうなの? 背の高い女子から怒られそうな意見ね」「そうなんですか? 私はもう少し身長、ほしいと思ってるんですけど」「ちっちゃくて可愛くて。私たちにとったら夢のような容姿なのにね」「そんな……私、可愛くなんてないです」「呆れた、自覚なかったの?」「自覚……というか、確かにその……そう言われることもありますけど、でもその&helli
最終更新日: 2025-06-13
Chapter: 029 同盟
 18時になり、食堂は賑わっていた。 いつもの様に菜乃花は小山の席で、料理を小さく刻んでいく。それを小山がスプーンですくい、食べる。「むぐむぐ……むぐむぐ……」「はーい。あおいちゃん、おかわり置いておくね」「はいです……むぐむぐ……ありがとうございますです……むぐむぐ……」 あおいの隣に座る生田が、料理を頬張るあおいを見て微笑む。「あおいくんは……食べてる時が、一番幸せそうだね」「はいです、むぐむぐ……これ以上の幸せはありませんです、むぐむぐ……」「こんなにおいしそうに食べてもらえると、作った甲斐がありますよ」「確かにそうだね」「それに……むぐむぐ……直希さんの料理は本当、むぐむぐ……おいしいですから」「お褒めいただき光栄です、お嬢様」「はいです……むぐむぐ……」「ははっ、聞いちゃいないな」「ただいま」「あ、つぐみさん、おかえりなさい。その、お疲れ様でした」「ありがとう菜乃花。ちょっと遅くなっちゃったわね。どう? 今から行ける?」「あ、はい、大丈夫です。でもその……もうちょっとだけ」「菜乃花、行っておいで」「でも……おばあちゃん、まだ食べてるし」「いいよ、菜乃花ちゃん。俺が引き継ぐから大丈夫」「直希さん……その、いいんでしょうか」「大丈夫だって。それにほら、早くしないと時間、なくなっちゃうよ」「あ、本当だ。じ
最終更新日: 2025-06-12
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