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栗須帳(くりす・とばり)
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Novels by 栗須帳(くりす・とばり)

【完結】青空と海と大地ーそらとうみとだいちー

【完結】青空と海と大地ーそらとうみとだいちー

男の自殺の邪魔をしたのは、同じく自殺しようとしていた女だった。 その最悪の出会いが縁となり、共同生活を始めることになった二人。男は言った。「お前が死ぬまで俺は死なない。俺はお前の死を見届けてから死ぬ」と。 死に囚われた二人は共に生活していく中で「生きる意味」「死の意味」について考える。そして「人を愛する意味」を。 全72話です。
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Chapter: 072 青空と海と大地
 一年後。 青空〈そら〉の誕生日であり、一周忌にあたる1月19日。 有料老人ホームがオープンした。 施設長は浩正〈ひろまさ〉、大地は管理者。 海は喫茶「とまりぎ」の責任者として、従事することになった。 * * * この日は運動場を開放し、オープンを祝うたくさんの客が訪れていた。「おめでとう、浩正くん」 車椅子の下川が微笑む。「ありがとうございます。何とか無事、オープンすることが出来ました」「青空〈そら〉ちゃんもきっと、天国で喜んでるわ」「そうですね。でもね、下川さん。天国は勿論ですが、ここにも青空〈そら〉さんはいますからね」 そう言って入口に掲げられた看板を指差す。「そうね、そうだったわね」 有料老人ホーム青空〈そら〉。 それがこの施設の名前だった。「浩正さん、利用者さん一名、到着されました」 そう言って大地が門まで走り、車を誘導する。「すいません大地くん、お願いします」「任せてください」 大地が笑顔で答え、車から降りてきた利用者に手を差し出す。「ありがとう。随分賑やかね」「ようこそ青空〈そら〉へ。歓迎します」 海は運動場を走り回り、スタッフたちと接客に当たっていた。「海ちゃん、本当におめでとう」「ありがとうございます。山田さんも、今日はゆっくりしていってくださいね」「海ちゃん、本当にしっかりしてきたわね。これなら新人さんたちも安心ね」「あはははっ、私、最初の頃はおっかなびっくりでしたからね」「でもここを任されてからの海ちゃん、本当に見違えちゃって。格好いいわよ」「あはははははっ、そんなに褒めても何も出ませんよー。あ、でも紅白饅頭はありますから。後で召し上がってくださいね」 そう言って後輩スタッ
Last Updated: 2025-06-08
Chapter: 071 愛するということ
 買い物から帰ってきた海が、呆然と大地を見つめる。「何……してるの……」 大地は台所で料理をしていた。「おかえり、海」 そう言って振り返った大地を見て、海の目に涙が溢れた。「どうしたどうした。泣くほど寒かったのか? 早く入ってあったまれよ」 海の元に進み、そっと抱きしめる。「そろそろ俺の料理が恋しいんじゃないかと思ってな。久し振りに作ってみた」「大地……」「いっぱい迷惑かけたな。ごめん」「もう……大丈夫なの?」「ああ、大丈夫だ」「……終わったの?」「ちょっとばかり強引だったけどな。何とかなったと思う」「……」「海?」「もう……死にたいって思ってない?」「思ってないというか、死ぬのが惜しいと思った」「……」「死んだら海のこと、こうして抱けないからな」「馬鹿……」「それに……これからだろ? 俺たちの人生は」「大地……」「とにかく手を洗って座ってろよ。全部ちゃんと話すから」 そう言うと海は肩を震わせ、大地を抱きしめた。「うわあああああっ!」 大地は微笑み、囁いた。「愛してるよ、海」 大地の目にも、涙が光っていた。 * * *「そんなことしたんだ、あはははははっ」 風呂から上がり、肩を並べて座り。 ビールを手に、海が笑い転げた。「……そこ、笑うところか?」
Last Updated: 2025-06-07
Chapter: 070 ありがとう
 カーテンを開け。 煙草をくわえ、火をつける。「……」 大地は混乱していた。 海に促されて始めた自己問答。それが思いもよらぬ方向に進んでいた。 人を信じない。誰とも関わらない。それが自分の哲学だった。 それなのに今。実はそれを渇望していたという結論に辿り着いてしまった。 それは大地にとって、驚愕の事実だった。 本当は俺、人と関わりたかったのか? そう思い、眉間に皺を寄せ。白い息を吐く。 そして思った。 自分にとって、深く関わりたいと思えた他人。 青空〈そら〉。浩正〈ひろまさ〉。 そして海。 青空〈そら〉は死んだ。二度と関わることが出来ない。 その絶望は自分にとって、死を選択するに十分なものだった。 浩正さん。 生まれて初めて、尊敬出来ると思えた他人。 思慮深く、人の痛みに理解を示し、手を差し伸べる聖人のような男。 姉を愛し、共に生きることを誓ってくれた人。 だけど俺は彼に対して、いつも心を閉ざしていた。 もし、この人にまで裏切られてしまったら。二度と立ち直れないと恐れたからだ。 * * * 海。 星川海。 こいつと出会ってまだ、数か月しか経っていない。 それなのにこいつのことを、ずっと昔から知っているように思っていた。 この世界に絶望している同志。 最初はそれだけだった。そう思っていた。 だが青空〈そら〉は言った。『あんた、そこまでお人好しだったっけ。いつものあんたなら、後をつけてまで助けるなんてこと、した?』 その言葉に動揺した。確かに俺らしくない、そう思った。 海がどうなろうと、それはあいつの選択だ。 何より海は俺と同じく、近い内に死のうとしてるやつだ。そんなやつがどうなろうと、自分には関係ないはずだっ
Last Updated: 2025-06-06
Chapter: 069 自己問答
 俺が生きる意味。死ぬ意味。 それはなんだ? * * * 海は言った。俺の根底にはいつも、絶望があると。 その意味を読み解いた時、何かが変わると。 面白いやつだ。 そんな発想、思いつきもしなかった。 これまでずっと、死を渇望しながら生きてきた。 どうしてだ? 毎日飯は食えるし、欲しいものを買う余裕だってある。 自分の時間もあるし、仕事だってそれなりに楽しい。 煩わしい人間関係も持ってないし、特にストレスを感じることもないはずだ。 それなのに。 どうして俺は死を願ってたんだ? * * * 青空姉〈そらねえ〉が死んだ。 俺にとって唯一とも言える、この世界の光。 それが失われ、俺は絶望した。 ある意味壊れた。だから死を実行しようとした。 だが海は言った。 本当にそれだけなのかと。 確かに俺は今まで、青空姉〈そらねえ〉が生きていたにも関わらず、ずっと死を考えていた。望んでいた。 いや。 海に言わせれば呪いか。 青空姉〈そらねえ〉が死んだことで、その思いが強くなったのは確かだ。 しかし俺はそれ以前から、ずっと前から死にたいと思っていた。 それは何故だ? * * * 親父が憎かった。 俺が逆らえない弱い存在と分かった上で、自分のストレスをぶつけてきたあのクズが憎かった。 母親が憎かった。 いつも俺を罵倒し、心を殺してきた悪魔が憎かった。 お前たちは親という立場にも関わらず、俺たちを育てるという最低限の仕事もせず、ただただ見下し、排除することを望んでいた。 そんなお前たちを、俺はただの一度も親だと思ったことはない。 お前たちのおかげで青空姉〈そらねえ〉は右目を失い、心に深い傷を負った。 お前たちがいなければ、俺た
Last Updated: 2025-06-05
Chapter: 068 絶望の根源
 次の日。 目覚めてからずっと、大地は泣いていた。 * * * 昨日、異様なテンションで喋り続けていた大地。 浩正〈ひろまさ〉の忠告を思い出し、海はずっと緊張していた。 夜、大地が眠りについた時。乗り切れたと安堵した。 青空〈そら〉さんが守ってくれた、そう信じ涙した。 それなのに。今日は打って変わり、泣き続けている。 この不安定な情緒こそ、今の大地なんだ。 丸裸になった彼の心。 まるで獣に睨まれ、怯えている小動物の様だ。 泣き続ける大地をそっと抱きしめ、海は囁いた。「どうして泣いてるの?」「分からない……自分のことなのに、分からない……」「そうなんだ……でもそれ、普通なんじゃない?」「そう……なのか?」「だってこれ、大地が言ってたことだもん」「俺、なんて言った?」「自分のことが分からない、他人の方が自分を分かってる。そんなの当たり前だって言ってた」「ははっ……そんなこと言ったのか、俺」「大地は今、何を考えてるの?」「それは……」「泣いてる理由が分からない、そう言ったよね。だから質問を変えてるの。今、何を考えてる?」「……怒らないか」「怒らない。約束する」「……死にたいんだ」「そっか……」 笑みを崩さず、海は抱きしめる手に力を込めた。「青空〈そら〉さんがいないから?」「だと……思う……」「寂しい?」「ああ、寂しい……」
Last Updated: 2025-06-04
Chapter: 067 躁と鬱
 それから数日が経ち。 禁断症状がかなり治まっているのを感じた。 短い時間ではあるが、夜も眠れるようになっている。 煙草の本数に気をつければ、頭痛も酷くならなかった。 少しずつ、食事も摂れるようになってきて。 肉体的にかなり楽になってきたと実感した。 しかし。 入れ代わるように、今度は心が蝕まれていった。 言い様のない不安。恐れ。 それらが全身にまとわりついていた。 * * * 体が震える。 ジャケットを出して羽織る。 しかし震えは治まらなかった。 なんなんだ、これは。 大の男が部屋で一人、何を震えてるんだ? 禁断症状の時とは違う、体が自分のものでないような感覚。 なんでこんなに寒いんだ? そう思いスマホを見ると、気温は20度になっていた。「はああっ? 壊れてんのか?」 しかしすぐに思い直した。 違う、壊れてるのは俺の自律神経だ。 そう言えば昨日、天気予報で5月並みの陽気になると言っていた。 そう思うと、急に暑く感じてきた。 慌ててジャケットを脱ぐ。シャツを脱ぐ。 全身に汗がへばりついていた。 大地はタオルで汗を拭い、新しいシャツに袖を通した。「……また……寒くなってきたな……」 再びジャケットを羽織り、苦笑する。 寒いんだか暑いんだか、よく分からん。 色々と……壊れてるんだな、俺。そう思った。 そして。 嫌な感覚を覚えた。 何かに監視されているような感覚。 視線を感じ、クローゼットを見つめた。「……」 何も起こらない。当たり前だ。 この家に住んでるのは俺と海。他に誰もいない。 海は今、買い物に出
Last Updated: 2025-06-03
【完結】幼馴染の贈り物

【完結】幼馴染の贈り物

39歳独身悠人の家に突然、幼馴染小百合の娘、18歳になった小鳥がやってきた。 5歳の時に悠人とした、悠人のお嫁さんになると言う約束をかなえるために… 全74話です。
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Chapter: 最終章 悠人の望む未来 4/4
「疲れた……今日が一番疲れた……」 風呂上がり。コーラを飲みながら悠人〈ゆうと〉がうなだれた。 明日でゴールデンウイークも終わり。こんなに濃い休みは初めてだった。「明日こそはゆっくりするぞ。そうだ、アニメもたまってるしな」「悠兄〈ゆうにい〉ちゃーん!」 風呂上がりの小鳥〈ことり〉が、背中に抱きついてきた。「おつかれさま。明日はゆっくり出来そう?」「ああ、ちょうど今、そう思ってたところだ。明日は一日、ゴロゴロしながらアニメ三昧しようかと」「小鳥も付き合うね」 その時、悠人のスマホにメッセージが入った。「誰から?」「ああ、深雪〈みゆき〉さんからだ。明日深雪さんの家で、みんなで夕食一緒にどうかって」「あはははっ。深雪さんも私たちの関係、楽しんでるよね」「だな。じゃあ晩御飯ご馳走になろうか。それまではゆっくりと」「アニメ鑑賞!」「だな」「うん!」 悠人が返信を送り終えるのを待って、小鳥が少し神妙な面持ちで言った。「小鳥、ここにいてもいいのかな」「いきなりどうした」「だってお母さんとの約束は三ヶ月で、今の時点で悠兄ちゃんは小鳥を選んでない訳だし……弥生〈やよい〉さんやサーヤは勿論、一人離れて住んでる菜々美〈ななみ〉さんにも悪いと思って」 悠人が小鳥の頭を優しく撫でる。「……悠兄ちゃん?」「ここにいてていいんだよ。お前はもう俺の家族なんだ。小百合〈さゆり〉とも約束したしな。それに」「それに?」「お前のこと、一人の女の子として意識してるって言ったろ? 小鳥は三ヶ月かけて、娘として愛していた俺の気持ちを変えたんだ。大成功じゃないか。小百合もきっと、認めてくれるよ」「悠兄ちゃん……
Last Updated: 2025-06-11
Chapter: 最終章 悠人の望む未来 3/4
「ふう……」 コーヒーをひと口飲み、悠人〈ゆうと〉が大きなため息をついた。「なんで悠人さんがため息なんですか。私たちの方がドキドキしてますのに」「全くだ。これではエロゲー主人公と変わらないではないか」「いえいえ、エロゲーでこの展開はないかと。選ぶ側より選ばれる側の方が、肝が座ってるんですから」「本当だね」「で、どうだ遊兎〈ゆうと〉、落ち着いたのか」「あ、ああ……」 4人の態度に、悠人は悩んで言葉を探している自分がまぬけに思えてきた。「ったく……みんな俺で遊びすぎだぞ」「だって悠兄〈ゆうにい〉ちゃん、可愛いんだもん」「家に飾っておきたいです」「遊兎が私の玩具……なかなかに興味深い」「じゃあ結論を言います」「待ってました、悠人さん」「悠兄ちゃん、頑張ってー」「悠人さん、私は信じてます」「さあ、私の胸に飛び込んでくるのだ」「ったく……弥生〈やよい〉ちゃん。俺は弥生ちゃんのこと、大好きだ。趣味の話も一番合うし、料理の腕も最高だ。そしていつも、可愛い笑顔で俺を癒してくれる。そしていっぱい俺のこと、好きでいてくれてる」「悠人さん……」「沙耶〈さや〉。俺はお前のこと……好きだよ。お前のその気高さ、強さ。時折見せる弱さも好きだ。人形のような顔立ち、そしてその綺麗な髪も大好きだ。甘えてくる時の顔も好きだ」「遊兎……」「菜々美〈ななみ〉ちゃん、大好きだ。ずっと俺を想ってくれてる一途なところ、二人分の人生を生きようとしてる強い気持ちも好きだ。いつも周りのことを気遣ってくれる、そんな優しいところも大好きだ」「悠人さん……」「小鳥〈こ
Last Updated: 2025-06-10
Chapter: 最終章 悠人の望む未来 2/4
「よし、出来た」 何年ぶりかで作った、自分が作れる唯一の料理、焼飯。 テーブルに並べ、隣にサラダを置く。 自分でも驚いていた。この世である意味、一番価値がないと思っている料理に時間を割いている。ただ悠人〈ゆうと〉の脳裏に、かつての小鳥〈ことり〉の言葉が思い出され、無性に作りたくなったのだ。「悠兄〈ゆうにい〉ちゃん。ご飯を食べるってことはね、もっと生きていたいっていう気持ちと同じなんだよ。もっと食べることを楽しく思わないと、それは生きてることがつまらないって言ってるのと同じなんだよ」 * * *「ただいまーっ!」 小鳥の元気な声。悠人がドアを開ける。「悠兄ちゃんただいま。今日も楽しかったよ」 そう言って、小鳥が悠人に抱きついてきた。「おかえり、小鳥」 微笑み頭を撫でる。「え……何これ? まさかこれ、悠兄ちゃんが作ったの?」 小鳥が、テーブルに並べてある料理に目を丸くした。「そんなに驚かなくてもいいだろ。俺だって、料理のひとつぐらい出来るさ」「こ、これは……お母さんが言ってた、伝説の悠人焼飯……」「なんだ小鳥、知ってるのか」「うん、お母さんが言ってた。悠兄ちゃんが唯一作れる料理。しかもその出来は本物だって」「大袈裟だな、小百合〈さゆり〉は」「すっごく嬉しい! 小鳥、一度食べて見たかったから。でも、なんでこんなにお皿が」 その時インターホンがなった。小鳥がドアを開けると、そこには沙耶〈さや〉、弥生〈やよい〉、そして菜々美〈ななみ〉が立っていた。「みんなどうしたの?」「うむ。夕食に招かれてな」「私も同じくです」「わ、私も……悠人さんすいません、今ちょっとバタバタしてるので、遅れてしまいました」「いいよ菜々美ちゃん、ちょ
Last Updated: 2025-06-09
Chapter: 最終章 悠人の望む未来 1/4
「私の部屋で少年と二人きり。中々新鮮だね」「ははっ」 小さなテーブルを挟み、悠人〈ゆうと〉が深雪〈みゆき〉の言葉に笑った。 * * *「小鳥〈ことり〉くんはコンビニかい?」「はい、沙耶〈さや〉とバイト中です。あと二時間ほどであがりなんですが」「そうか。で、わざわざその時間を狙ってここに来たんだ。世間話をしに来た訳じゃないね」「はい……小鳥と一昨日、色々話しました。小百合〈さゆり〉のことも」「小百合さんのこと、聞いたんだね」「深雪さんは知ってたんですね」「ああ。以前君が熱を出した時に、小鳥くんからね」「あの時に……」「あの時、小鳥くんの様子は尋常ではなかった。彼女が抱えているものが何であれ、一度吐き出させる必要がある、そう思ってね。 彼女のお母さん、小百合さんは元気な方で、子供の頃から病気知らずだったそうだね。その彼女が、ある日突然倒れた。ただの過労だと思っていたら、その半年後にあっさりいなくなってしまった」「……」「人は誰も、人生がいつまでも続くと勝手に思い込んでいる。死は必ず訪れるものなのに、なぜか人は、自分だけはそのルールから外れているような錯覚を持って生きている。そして死を身近に感じる経験をした時、初めて自分も死ぬんだということに気付くんだ」「確かに……俺も、いつかはこの世から消えてなくなるって、頭では分かっていますが」「まぁ、だから人は生きていけるんだけどね。いつ来るか分からない死に日々怯えていては、人生を楽しめないからね。 小鳥くん、こんなことを言ってたよ。『お母さんが余命半年だって分かった時、色んなことを考えました。そして思ったんです。お母さんの余命は、お母さんの病状から、これまで積み重ねられてきたデータから出したひとつの目安なんだ。この進行具合に治療を施したとして、生きられる平均的な時間を出したんだって。
Last Updated: 2025-06-08
Chapter: 第14章 小鳥と小百合の想い 4/4
 悠人〈ゆうと〉は小鳥〈ことり〉を探し、走っていた。 何度電話してもつながらない。悠人の頭から、小鳥〈ことり〉が一人で泣いている姿が消えなかった。 コンビニに行くがいない。カウンターにいた沙耶〈さや〉が、会ってはいけないルールを破ってやってきた悠人に、そして様子に驚いていた。弥生〈やよい〉に、菜々美〈ななみ〉に、深雪〈みゆき〉にも電話するが分からない。深雪は冷静だったが、弥生と菜々美は突然の電話に驚いていた。 再びマンションに戻った時には、既に陽が落ちていた。「小鳥……」 その時悠人の脳裏に、ひとつの場所が浮かんだ。 それは、すぐ目の前の堤防だった。「くそっ、何をやってるんだ俺は! いつもなら真っ先に行ってるだろうが!」 * * * 陽が落ちた堤防を見下ろす。暗く静まりかえったそこに、小鳥の姿があった。「小鳥―っ!」 小鳥は堤防で、膝を抱えて座っていた。 小鳥の横に立つと悠人は息を整え、そして小鳥の肩に自分のジャケットをかけた。 悠人が隣に腰を下ろす。小鳥は何も言わず、膝に顔を埋めたまま動かなかった。「……小百合〈さゆり〉のDVD、見たよ」「……」「ごめんな、小鳥……俺、ずっと小鳥を見ていたつもりだったけど、何も見えてなかった。 小鳥がどれだけ寂しい思いをしてきたか、どんな気持ちで俺のところに来たのか、分かってなかった」 悠人の言葉に、小鳥はうつむいたまま首を振った。「そんなことないよ……小鳥、悠兄〈ゆうにい〉ちゃんの家に来てから、本当に楽しかったから……泣きたくなっても、悠兄ちゃんの顔を見たら元気になれたから…… ここに来るまで小鳥、ずっと泣いてたと思う。もうお母さんと話せないんだって思ったら
Last Updated: 2025-06-07
Chapter: 第14章 小鳥と小百合の想い 3/4
 悠人〈ゆうと〉が目を見開く。 息が出来なくなった。変な汗が滲み、胸の動悸が早まった。 今、小百合〈さゆり〉は……小百合は何を言ったんだ……「半年前、私は職場で倒れました。過労かな、そう思ってたんだけど、聞かされた病名は『急性白血病』というものでした。検査した時には症状が進んでいて、手がつけられなかったそうです。そして伝えられたのが、余命半年というものでした。 この半年、自分の人生について、色々と考えることが出来ました。そして気付きました。私の人生って、悠人と小鳥〈ことり〉で埋め尽くされていたって。 余命を伝えられてから、急に悠人に会いたくなった。もう助からない命なら、せめて悠人の胸の中で死にたい、そう思った。でも、そう思って振り返ると、そこには小鳥がいた。 私の余命を先生から聞いたのは、小鳥でした。小鳥、随分悩んだみたいだけど、私に話してくれた。私の胸で泣いてくれました。 死ぬことは怖い。今、こうして話していても怖いです。でもそれ以上に私は、小鳥がこれからどう生きていくのか、それが心配でした。 あの子は本当にいい子に育ってくれました。父親の顔も覚えていなくて、私と母さんと三人、決して裕福ではない環境の中でまっすぐに、素直に育ってくれました。思いやりのある、優しい子になってくれました。 でも小鳥はまだ18歳、人生はこれからです。この子のこれからをずっと見守っていきたい、そう心から願いました。でも、それは叶わない。 この半年、小鳥は毎日病院に来てくれました。たまに先生の許可をもらって、病室に泊まってくれました。いっぱい話しました。今まで話せなかった私のこと、和樹〈かずき〉のこと、そして悠人のこと。 小鳥はよく泣きました。私との別れを、急にリアルに感じる時があるんだと思う。そして、私が悠人のことを本当に好きなんだって知って、悠人に連絡したい、そう何度も言いました。 でも、私は許さなかった。私はもうすぐここからいなくなる。私のことより、小鳥には小鳥のことを考えて欲しかったから。 最初
Last Updated: 2025-06-06
【完結】銀の少女

【完結】銀の少女

昭和58年。 藤崎柚希(ふじさき・ゆずき)は、いじめに悩まされる日々の中、高校二年の春に田舎の高校に転校、新生活を始めた。 父の大学時代の親友、小倉の隣の家で一人暮らしを始めた柚希に、娘の早苗(さなえ)は少しずつ惹かれていく。 ある日柚希は、銀髪で色白の美少女、桐島紅音(きりしま・あかね)と出会う。 紅音には左手で触れた物の生命力を吸い取り、右手で触れた物の傷を癒す能力があった。その能力で柚希の傷を治した彼女に、柚希は不思議な魅力を感じていく。 ホラー要素を含んだ恋愛小説です。
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Chapter: 最終章 夏の終わり 3/3
「じゃあ柚希〈ゆずき〉、そろそろ帰ろうか。準備も出来てると思うし」「なんか悪いな。僕なんかの誕生日で」「ゆーずーきー」 柚希の耳たぶを、早苗〈さなえ〉が力一杯に引っ張る。「いたたたたたたっ、ごめん、ごめんってば、早苗ちゃん」「あんたねえ、たった今彼女になった私の前で、よくも僕なんかって言ったわね。それってさ、そんな男を好きになった私に対する侮辱だよ?」「いたたたたたたっ、だからごめん、ごめんって」「もう言わない?」「言わない言わない」「よし、許した」 早苗が耳たぶを離す。「はあっ……結構本気で痛かったよ」「じゃあ」 そう言って、柚希の頬にキスをした。「わっ……さ、早苗ちゃん、恥ずかしいよ……」「おまじないよ、おまじない。痛いの痛いの飛んでけーってやつ」「……でも今の、さっきのキスより恥ずかしかったかも……」「も、もう馬鹿柚希、そんなに照れないでよ。私まで恥ずかしくなるじゃない」「むふふふっ」 聞き慣れた笑い声。 二人が慌てて振り向く。 コウを連れた晴美〈はるみ〉だった。「むふふふっ。お邪魔だったでしょうか」「……し、師匠?」「いや、だから晴美さん、いつもなんてタイミングで出てくるんですか」「むふふふっ。別に私、隠れてお二人の愛の告白を一部始終、盗み聞きなんてしておりませんからご安心を」「師匠―っ!」 早苗が顔を真っ赤にして叫ぶ。「ははっ……全部、見てたんだ……」「いえいえ、これはあくまでもアクシデントでございます。コウを連れて早苗さんのお宅に伺う道中、偶然お二人の姿
Last Updated: 2025-06-26
Chapter: 最終章 夏の終わり 2/3
 風が少し、強く吹いた。「え……」 早苗〈さなえ〉が顔を上げ、柚希〈ゆずき〉を見つめる。 そこには早苗の大好きな、穏やかな笑顔があった。「早苗ちゃん。好きです」 聞き間違いじゃない。 柚希は今、自分のことを好きだと言った。「あ……」 早苗が声にならない声を漏らし、その場にへなへなと座り込んだ。「だ、大丈夫? 早苗ちゃん」 柚希が早苗の腕をつかみ、慌てて自分も腰を下ろした。「私の耳……変になったかも……」「早苗ちゃん、変になってないよ……って言うか、どう聞こえたの?」「柚希が私のこと、好きって……付き合ってって……」「うん。僕、今そう言ったよ」「本当? でも、どうして……」「僕が早苗ちゃんのこと、好きだから」「そんなこと……だって柚希は、紅音〈あかね〉さんのことが……」「確かに僕は、紅音さんのことが好きだった。今も好きだよ。この気持ちは、これからも変わらないと思う」「だったら」「僕は早苗ちゃんから気持ちを伝えられた時、少し時間がほしいって言った。それは僕の中に、早苗ちゃんと紅音さん、二人の女の子が間違いなくいたからなんだ。 だから僕は、自分にとって何が本当なのか、考えたかった。それをずっと、ずっと、考えてた」「……」「あの日、僕はこの場所で、紅音さんから告白されたんだ」「紅音さんから……」「嬉しかった。憧れの紅音さんからそんな風に想ってもらえて……でもね、同時に紅音さん、僕を振ったんだ。『でも、柚
Last Updated: 2025-06-25
Chapter: 最終章 夏の終わり 1/3
 祭りの最中、突如として死の大地になった神社。 その衝撃的なニュースは、のどかな自然が広がるだけだったこの街を、一夜にして日本一有名な街へと変えてしまった。 毎日の様に空を旋回する報道ヘリ、街を歩けばカメラを向けられ、コメントを求められた。 また、この日を境にして忽然と姿を消した5人の行方もつかめず、週刊誌が「現代の神隠し」との見出しで騒ぎ立てた。 神社の境内では、今も調査が続いていた。 原因が全く分からない、この奇怪な現象。 土は死に絶え、向こう10年は何も育たないだろうとも言われた。 山の中腹に出来た楕円形の荒地には、神々からのメッセージなのではないか、UFOが降り立った跡なのではないか、などと言ったゴシップ的な噂も流れ、世間は無責任に盛り上がった。 しかしいくら調べても特に進展することもなく、二週間も過ぎた頃には世間の熱も冷め、報道する回数も日に日に減っていき、街は少しずつ平穏な日常に戻っていった。 * * * 柚希〈ゆずき〉や早苗〈さなえ〉も、元の生活を取り戻しつつあった。 あの日の後、柚希は早苗と孝司〈たかし〉に全てを打ち明けた。 最初の内は二人共、余りに荒唐無稽なその話を信じることが出来なかった。しかし、紅音〈あかね〉を失った柚希の真摯に語るその姿に、少しずつ受け入れる姿勢になっていった。 そして何より、クラスメイトの三人が神隠しにあったこと、神社で起こった、誰人にも説明出来ないこの異様な現象を、ある意味何の矛盾もなく説明出来る柚希の話は、受け入れるに値するものでもあった。 孝司は今、全てを信じることは出来ない。ただ柚希のことを信用している以上、この話を受け入れない訳にはいかない、そう言った。 そして柚希の願い通り、このことは一切他言しない、そう約束した。 早苗はショックを隠しきれなかった。 早苗がいつも感じていた、柚希と紅音の深い絆。そこにこれ程までの理由があったのかと思うと、体の震えが止まらなかった。 紅音が、そして柚希がこれまで背負っていた十字架の
Last Updated: 2025-06-24
Chapter: 第9章 贖罪の十字架 9/9
「ありがとうございます、紅音〈あかね〉さん……そんな風に想ってもらえて、本当に嬉しいです」「柚希〈ゆずき〉さん……」「正直に言いますが、実は僕も、紅音さんに告白しようって、ずっと思ってました」「え……」「でも中々勇気が出なくて……だから僕も今、紅音さんに告白します。僕も紅音さんのことが、好き……です……」「柚希さん……」「駄目ですね、女の子にこんな恥ずかしいことを言わせるなんて。僕がしっかりと、先に告白するべきでした」「ふふっ、確かにそうかも。私はともかく、早苗〈さなえ〉さんにはそうしてあげるべきでしたね」「ええっ? 紅音さん、知ってたんですか?」「はい。早苗さんはお友達ですから」「参ったな……これじゃあ僕って、本当に空気の読めない唐変木〈とうへんぼく〉じゃないですか」「はい、晴美〈はるみ〉さんもそうおっしゃってました」「あはははっ……面目ない」「ふふっ……でもこれで、気持ちがすっきりしました」「……」「……この想いだけは、どうしても伝えたかったんです。でも出来れば、こんなことになる前に伝えたかったです」「紅音さん……」「早苗さんにはもう、お返事されたんですか?」「あ、いや……それはまだ……」「駄目ですよ。想いを告げられた殿方としての責務、ちゃんと果たさないと」「でも……」「でも、じゃないですよ、柚希さん。早苗さんは本当に素敵な方です。私がもし男だったら、間違いな
Last Updated: 2025-06-23
Chapter: 第9章 贖罪の十字架 8/9
「……」 誰もいない夜道を歩き、柚希〈ゆずき〉は紅音〈あかね〉を探していた。 山崎に会った後で、柚希は学校にも足を向けていた。 そしてそこで、山崎の仲間と思える二人の骸を見つけた。 これ以上被害が広がる前に、何とかしないといけない。そう思い紅音を探す柚希の耳に、一発の銃声が聞こえた。 それはあの、いつも紅音と会っていた川の方から聞こえた。「紅音さん……」 柚希が早足で、あの場所に向かう。 今なら。きっと今なら、まだ間にあう。 紅音さんを守ると先生に、そして自分に誓ったんだ。 柚希が何度も何度も、心の中でそう叫んだ。 * * * 満天の星空が川面に映り込み、輝いていた。 川の周りでは、蛍の光が辺りを彩っていた。「……」 その幻想的な世界の中、紅音が一人たたずんでいた。 妖艶で美しいその姿に、柚希が息を呑んだ。「紅音さん……」 土手を降りながら、柚希が声をかけた。 柚希の声に体をビクリとさせた紅音が、振り返らずに囁いた。「柚希さん……来ないでください」 その声は、風が吹けば聞き取れないほど、弱々しいものだった。 柚希の脳裏に、初めてここで会った時の記憶が蘇る。「それは……無理ですよ。だって僕は、こうしていつも紅音さんの側にいたいんですから」「でも……駄目です、柚希さん……私……今の姿を見られたくないんです……こんな醜くて、罪深い姿……」「紅音さんがどんな姿でも、僕にとって、紅音さんは大切な友達なんです。紅音さん、お願いです。こっちを向いてくれませんか
Last Updated: 2025-06-22
Chapter: 第9章 贖罪の十字架 7/9
 今、どの程度の被害が出ているのだろうか。 家を出る前に聞いた青年団の無線によると、祭り会場の半分近くが、灰色の死の世界と化したようだ。 怪我人もかなり出ている。 覚醒した紅音〈あかね〉の能力は、明雄〈あきお〉の予想を遥かに超えていた。 明雄が立ち止まり、月を見上げる。 穏やかな夜だった。 虫の鳴き声が聞こえ、時折吹く夜風もまた心地よかった。 いつかこんな日が訪れる……妻を失ったあの日から、明雄には覚悟が出来ていた。 決して人に理解されない、異能の力。 決して人に支配されることのない、忌まわしき力。 それは、この世に存在してはいけない力だった。 それに気付いた時、決断すべきだったのかもしれない。 事実明雄は妻を亡くしたあの日、紅音をその手にかけようとした。 気を失った紅音の処置が済み、晴美〈はるみ〉が妻の遺体を片付けている時だった。 混乱していた気持ちが整理されていく内に、明雄の中に紅音への恐怖が生まれていた。 この子をこのまま、生かしておいていいのだろうか。 この異能の力を、私は制御出来るのだろうか。 この力は、決して世に出してはならないものだ。 ならいっそのこと、今自分の手で封じ込めた方がいいのではないか。そう思った。 明雄は震える手で、紅音の首を絞めようとした。 しかしその時。 明雄の中に、これまでの紅音との生活が蘇ってきた。 初めて抱いたあの日。天使の様に無垢で真っ白な我が子に涙した。 いつも自分の側から離れず、声をかけると嬉しそうに笑った顔。 父の日に、自分を描いてくれた時の真剣な眼差し。 明雄の手が紅音から離れた。 出来ない。私には、この子を殺めることは出来ない。 どれだけ邪悪な力を持っていたとしても。 今目の前で眠っているこの子は、私にとってたった一人の愛すべき娘だ。 例え世界を敵にまわすことになろうとも、私はこの子を
Last Updated: 2025-06-21
あおい荘にようこそ

あおい荘にようこそ

高齢者専用の集合住宅「あおい荘」。 管理人の新藤直希は、ある日家の前で倒れている家出少女、風見あおいと出会う。 あおい荘と同じ名前を持つ天然少女に不思議な縁を感じた直希は、あおい荘で一緒に働くことを提案する。 幼馴染の看護師・東海林つぐみ、入居者の孫・小山菜乃花、シングルマザーの不知火明日香。 直希に想いを寄せる彼女たちを巻き込んで、老人ホームで繰り広げられる恋愛劇場にようこそ。
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Chapter: 079 小山菜乃花
「はい、お茶のおかわり。どうぞ」「ありがとう……ございます……」 テーブルにお茶を置き、直希は腰を下ろした。 菜乃花は告白したことで、かなり動揺しているようだった。 湯飲みを持つ手が震えている。 そんな菜乃花に、直希は愛おしさを感じた。そして菜乃花の想いの強さを知った。 こんな小さな女の子が、勇気を出して自分に告白してくれた。自分には答える責任がある。そう強く思った。 * * *「菜乃花ちゃんは……やっぱり強いよ」「……」「状況がどうであれ、菜乃花ちゃんは自分の気持ちを伝えてくれた。確かにその……ちょっと驚いたけど、でもすごいと思う。俺にはとても真似出来ない」「……私は直希さんのこと、ずっと好きでした。これはただの憧れなんかじゃない、これからもずっと、直希さんといたい、そう思ったんです。 このタイミングで言うのは、ずるいと分かってます。でも……それでも私は、直希さんのことが好き、好きなんです」「……」「直希さんのことを考えると、心がどうにかなっちゃいそうなんです。直希さんの声を聞いて、直希さんに触れて、笑顔を向けられて……私にとって、これ以上の幸せはないんです」「どうして俺のこと、そこまで」「……私にもよく分かりません。どうしてこんなに直希さんのこと、好きになっちゃったのか……今まで男の人に対して、こんな気持ちになったことはありません。だから男の人とお付き合いすることも、好きになることもないんだろうな、そう思ってましたから」「俺は」「直希さん、好き、好きなんです。ずっとずっと直希さんのこと、好きだったんです」 菜乃花の肩が震
Last Updated: 2025-08-01
Chapter: 078 告白
「何が何やら、全く訳が分からなかった。いきなりみんながよそよそしくなって、明らかに俺を避けてた。と言うか、俺の存在を無視してた」「それでその、原因は……」「思い当たる節がなくて。そんな状態が半年続いたんだけど、結構きつかったよ」「直希さん、それでもその職場で働き続けたんですか?」「うん。最初はきつかったけど、不思議なものでね、人間って色んなことに慣れていくものなんだ。気が付けば、それが俺にとっての日常になっていて、あまり気にならないようになってたんだ」「すごい……そんなこと、出来るんですね……」「それにほら、俺たちの仕事は介護だから。利用者さんはいつも通りに接してくれてたし、そういう意味では助かったかな」「……」「その間に、さっき言った看護師さんも退職してね、いなくなってた。そんなある日、フロアー長から呼び出しを受けたんだ」「フロアー長?」「うん。俺はフロアーの副長だったから、言ってみれば直属の上司」「その人も女の人、なんですよね」「うん。その人は50代の人でね、いい人だったよ。そう言えば、その人だけは俺のこと、無視してなかったな」「それで、どんな話だったんですか」「喫茶店に呼ばれてね、言われたんだ。『単刀直入に聞くけど、あなたストーカーなの?』って」「ストーカー?」「ははっ。俺も聞いた時、そんな反応だったと思う。それで『なんの話ですか?』って聞いたら、こういうことだったんだ。 俺に好きな人はいるかって聞いてきた看護師さんが、俺に付きまとわれて困ってるって、みんなに言いふらしていたらしいんだ」「……なんでそんなこと」「だから俺、フロアー長に言ったんだ。どこからそんな話になったのか知りませんけど、悪いですが俺、ストーカーしてまで付き合いたい女なんかいませんから。と言うか、そういうことに興味ないですからっ
Last Updated: 2025-07-31
Chapter: 077 優しい灯の下で
「駄目だ菜乃花ちゃん!」「……直希……さん?」「そんなこと、菜乃花ちゃんに考えてほしくない……いなくなってほしくない!」 直希が菜乃花を抱きしめる。初めての抱擁に、菜乃花は動揺した。 直希の体温を感じる。直希の胸の中、菜乃花の鼓動は激しくなっていった。「な……直希さん、その……」 耳まで赤くなった菜乃花が、声を震わせながら直希に言った。「何かその……勘違いされてるかも、なんですけど……」「え……」 直希がゆっくりと離れ、菜乃花を見つめる。「勘違い……」「は、はい……私、直希さんが思ってるようなこと、考えたりしてませんから」「……」「……直希さん?」「そ、そっか……よかった……」 そう言うと、直希は安堵のため息をついた。「……」 直希の瞳が濡れていることに、菜乃花の胸がまた熱くなった。 * * *「これでよし」 雨戸を閉めた直希が、そう言って部屋の電気をつけようとした。「あ、その……電気、つけないでほしいです……」「でもこれじゃ、暗すぎない?」「今はその……その方が落ち着くって言うか……」「……分かった、じゃあこのままで……と言いたいところだけど、どうしよう
Last Updated: 2025-07-30
Chapter: 076 台風の夜
 猛烈な雨と風。 10年ぶりと言われている、この街への台風直撃。 街は昼過ぎ頃から、人の動きが完全に止まっていた。「つぐみ、これで全部だ」「お疲れ様。って直希、ずぶ濡れじゃない」 庭にある、風で飛んでいきそうなものを全て玄関に運び終えた直希。 雨合羽を着ていたが、そんなものが役に立たないほど雨風は強く、ズボンも靴もずぶ濡れになっていた。「とりあえずこれで拭いて」 そう言ってバスタオルを渡す。「それから今、あおいがお湯を入れてるところだから。準備が出来たら先に入って」「いや、まだ雨戸とか出来てないし」「いいから、それは任せて頂戴。風邪ひいちゃったらどうするのよ」「分かったよ、つぐみ。ありがとな」 体を拭き終わると、玄関のシャッターを下ろした。「……なんだか急に、静かになったわね」「だな。このシャッター、結構いいやつなんだぜ。少々の風ぐらいじゃ、びくともしないよ」「考えたらこのシャッター、降ろしたのは初めてよね」「ここを作った時、こんな物本当にいるかなって思ったけど、設置しておいてよかったよ」「子供の頃にもこんなこと、あったわよね」「ああ。あの時は何だかワクワクしてたけどな。部屋の中も暗くなって、秘密基地みたいでテンション上がったよ」「何よそれ、ふふっ」「ははっ」 つぐみの笑顔がいつも通りだと感じ、直希は安心していた。 勿論、まだ何も解決していない。だがつぐみも一日休んだことで、自分なりに色々と消化したんだろうと思った。そして今はまず、目の前にある問題から対処していこう、そう心に決めたんだと感じ、嬉しく思った。「直希さん直希さん、お風呂の用意、出来ましたです」「ありがとう、あおいちゃん。じゃあ申し訳ないけど、今日の一番風呂いただきますね」「ああ、直希くん。早く温もって来るんだ」「ナオちゃん、ちゃんと肩
Last Updated: 2025-07-29
Chapter: 075 ぬくもり
 風呂場に入ると、明日香は菜乃花を座らせ、頭からシャワーを浴びせた。「きゃっ」「あはははははっ、びっくりさせちゃった? ごめんごめん」「あの、その……いいです明日香さん、自分でやりますから」「いいからいいから。今日はあたしに任せて」 そう言ってシャンプーをつけ、髪を優しく洗っていく。「みぞれー、しずくー。あんたたちはほら、後で洗ってあげるから。シャワーでお股キレイキレイして、お風呂に入っておきな」「はーい」「はーい」「しっかしあれだねー、やっぱなのっちの髪、綺麗だよねー」「そんなこと……」「いやいや本当、さらっさらのふわっふわなんだもん。交換してほしいぐらいだよ」「明日香さんだって、その……綺麗な黒髪で」「ありがと。でもさ、これって無い物ねだりってやつなのかな。あたしは昔っから、この針金みたいな髪が嫌いだった。コンプレックスって言ってもいいくらい。だからね、なのっちに初めて会った時、羨ましいなって思ったんだ」「私は、その……明日香さんのような、日本人形みたいな綺麗な髪に憧れてました」「あはははっ、日本人形は言い過ぎだって……ん? でもないか、あたしってやっぱ、綺麗なんだよね」「はい……明日香さんは本当、綺麗だと思います……身長だってあるし、胸だって、その……」「ん~? 胸がなんだって~?」「ひゃっ! あ、明日香さん、胸、胸触らないで」「ふっふ~ん。隠したってお姉さん、分かってるんだぞ~。なのっちあんた、胸、大きくなったでしょ」「え……あのその……」「つぐみんとジム、行ってるんだよね」「知ってたんですか」
Last Updated: 2025-07-28
Chapter: 074 台風前夜のハリケーン 
 目が覚めてかなり経つが、布団から出ることが出来なかった。「……」 昨日までのことが、まるで映画のように頭の中で再生され、その度に気分が悪くなった。 クラスの女子たちの、自分を蔑むような視線。 発言するたびに、どこからともなく聞こえてくる笑い声。 踏み荒らされた菜園。 小さくため息をつくと、菜乃花は再び目を閉じた。 * * * 昨日の夜。 直希が用意してくれたこの部屋に来てから、菜乃花は脱力感に支配され、何も手につかなくなっていた。 もういい。何もしたくない。 将来の夢だって、どうでもいい。 頑張ろう、自分を変えよう、そう思ったことが間違いだったんだ。 疲れた。 このまま消えることが出来たら、どんなに楽だろう。心からそう思った。 そう思った、はずだったのに。 昨日の夜、そして今日の朝と昼。 直希とあおいが、扉を開けてご飯を置いていってくれた。 何もしたくないはずなのに起き上がり、そして料理を見ると、食欲が湧いてくるのが分かった。 無意識に手を伸ばし、口に運ぶ。 そしてトイレに行きたくなると、また起き上がる。 矛盾してる。 このまま消えたいと思っているのは本当だ。なのに自分は、生理現象にすら勝てない。 そう思うと、自分が滑稽に思えてきた。 何より昨日、つぐみに言った言葉を思い出すと、胸が締め付けられそうになった。 つぐみは何も悪くない。 自分のことを思い、守ろうとしてくれた。 栄太郎たちの喧嘩のことだって、文化祭で忙しい自分の邪魔をしない為に、最低限の情報だけにとどめてくれていた。 彼女の取った行動に、責める要素などどこにもなかった。 つぐみはただ、自分を守ろうとしてくれただけなのだ。 そんな当たり前のこと、誰に言われなくても分かっている。それなのにあの時、自分はつぐみを非難した。
Last Updated: 2025-07-27
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