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春埜馨
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Nobela ni 春埜馨

千巡六華

千巡六華

舞台は古代中国の修仙界。『宋長安』『朱源陽』『橙仙南』『青鸞州』の四国が結託し、それぞれの国が持つ特徴的な仙術を使い、日々妖魔や邪祟を退治しながら世を統治していた。 医家術の三宗名家・六華鳳宗の末裔である華蘭瑛(ホア・ランイン)は、華山の麓にある邸宅・鳳明葯院で市医の医家として働いていた。ある日、封印されていたはずの最強の鬼・玄天遊鬼が何者かに解き放たれ、赤潰疫という鬼病が四国を襲う。そこで、眉目秀麗で有名な冷酷無情の剣豪、宋長安の国師・王永憐(ワン・ヨンリェン)と出会い、蘭瑛はある理由から宋長安の宮廷に呼ばれ、この宮廷で起こる様々な出来事に巻き込まれていく。そしてそれぞれの思惑や過去を知ることになり、探し求めていた真実に辿り着くのだが…
Basahin
Chapter: 第三十二話 雪影
 それは剣門山の山に差し掛かったところで起きた。 前方から二人の高身長な男女が歩いてくるのが見え、蘭瑛は目を見開き思わず立ち止まった。 目に飛び込んできたのは、今蘭瑛が一番見たくない|永憐《ヨンリェン》と|儷杏《リーシー》の姿だった。見てはいけないものを見てしまったかのように、沸き立つ恐怖のような動悸が蘭瑛を襲う。 永憐も前から来る蘭瑛の姿を捉えたのか、その場で立ち止まり、茫然とする。見つめ合う二人の間には氷瀑が幾重にも連なり、決してそちらにはいけまいと言わんばかりの雨氷が吹き荒れているようだ。 茫然と突っ立っている永憐に気づいた秀沁は、憐れむような目を向けて拱手した。「これは、これは、|王《ワン》国師殿。こんな所でまたお目にかかれるとは。仙女をお連れになるなんて、珍しいですね」 永憐は目を逸らすだけで何も言わない。 代わりに儷杏が答える。「あら、どなたかと思ったら蘭瑛先生じゃないですか。宋長安では、|私の《・・》永憐がお世話になりました。お二人はどういうご関係なのですか? 随分と仲睦まじく見えますけど。もしかして祝言を控えてらっしゃるとか?」「ははっ。そのようなご報告ができるといいのですが」 蘭瑛は自慢げに話す秀沁を一瞥した。 永憐は氷のような冷えた目で秀沁を見たあと、「お幸せに。では」と言って消え去るように歩いていった。 (「お幸せに。では」) 否定すれば、こんな一方的に突き放されるような言葉を言われずに済んだだろうか。やっと生傷が塞ぎかけてきたというのに、またその生傷に尖った刃を入れられたみたいだ。 蘭瑛は俯き、目を瞑って「待って〜」と言う儷杏が永憐を追いかける声を受け止めた。「蘭瑛、ほらな。あいつは……」「何で勝手なことを言うのよ!! 私がいつ、秀沁兄さんと結婚するって言った?! 勝手にべらべらと私の気も知らずに!! いい加減にしてよ!!」 蘭瑛は涙目になって秀沁に捲し立てた。 「……ごめん。でも、そうでもしないと俺だって……」「俺だって何よ?!」「……もたないよ」 蘭瑛の頬に一粒の大きな涙が伝う。 嗚咽が込み上げ、濡れた頬を手で拭いながら「帰る」と言った。秀沁は慌てて蘭瑛の腕を掴んで止める。「一人でどうやって帰るんだよ?」「離して! 私はどうにでもなるから!」 蘭瑛は勢いよく秀沁の手を振り払り、そのまま
Huling Na-update: 2025-11-05
Chapter: 第三十一話 犹豫
 あれから、ふた月が経過しようとしていた。 相変わらず傷心している|蘭瑛《ランイン》は、食事の時だけ顔を出し、それ以外は自室に籠り塞ぎ込んだ。 長くなれば長くなるほど|永憐《ヨンリェン》のことが忘れられず、翡翠の指輪を外すことができないでいた。指でその指輪を撫でる度、ほろほろと小さな涙が溢れ、蘭瑛の胸を締め付ける。 いつまでこうしているのだろうか…… 季節は冬へと移り変わっていくのに、自分だけ夏のまま取り残されているようだ。 ある日の晩、相変わらず塞ぎ込んでいる蘭瑛の部屋に双子の|鈴麗《リンリー》が訪ねてきた。「蘭瑛姉様、ご機嫌いかがですか? |遠志《エンシ》宗主がお呼びです。お部屋へ来るようにと」「絶対行かなきゃだめ……?」 蘭瑛は小さな声で扉越しに返事をする。 窓越しに揺れる小さな影が俯き、言葉を選んでいるようだ。「先ほど、|玉針経宗《ぎょくしんけいしゅう》の|秀沁《シウチン》兄様が来られました。蘭瑛姉様のことを心配されての事だそうです。久しぶりにお会いされてはいかがでしょう?」 |秀沁《シウチン》が来たところで、この気持ちが晴れることも、|永憐《ヨンリェン》に対する想いも変わらない。 蘭瑛は「一人にしてと伝えて」と言って、それ以上答えなかった。 それからしばらく寝台の上で寝転がっていると、部屋の壁に差し込んでいた日差しがゆっくりと消えていく。また何もしない一日を終えてしまったと、蘭瑛はまた溜め息を吐いた。そろそろ、|宋武帝《ソンブテイ》との約束の薬を作らなければいけないというのに、心がついていかない。 蝋燭を付けようと、重い腰を上げて寝台から降りると、また扉を叩く音が聞こえた。「蘭瑛。秀沁兄さんだ。ちょっと話せないか?」 さすがに二回も断る訳にはいかないと思った蘭瑛は、扉をそっと開けた。すると目の前には、優しく微笑む眉目秀麗な秀沁が立っていた。「蘭瑛、やっと顔見せてくれた。ったく、酷い顔だなぁ〜。これ持って湯浴みして来い。少し楽になるぞ〜。俺はここで待ってるから、はい! 早く行った行った!」 胸元にぐいっと入浴剤の入った籠を押され、無理矢理外に連れ出される。「気分が晴れるぞ〜。んで、戻ったら少し話そう」 秀沁に言われるがまま、蘭瑛はコクっと頷き、湯浴み処へ向かった。貰った薬入りの入浴剤を入れて、蘭瑛は湯船に浸かって顔を
Huling Na-update: 2025-11-05
Chapter: 第三十話 回家
 衝撃的な事実を知ってしまった蘭瑛は、あれから永憐と顔を合わすことがてきず、六華鳳宗へ帰らせてもらえないかと、|宇辰《ウーチェン》を通して|宋武帝《そんぶてい》に申し出た。 事情を知った宋武帝は、至急|紫王殿《しおうでん》に来るように|蘭瑛《ランイン》を呼び寄せ、二人で話しをすることになった。 完全に正気を失った蘭瑛を見るやいなや、宋武帝は気を利かせ、今まで見たことのない豪華な花茶を差し出した。「呼び寄せて申し訳ないな。少し外で話そうか」「……は、はい」 随分と涼しさを感じる夜に、紫王殿の庭では蛍がふわふわと光り始めた。 外のカウチに腰を下ろし、宋武帝は蛍の光を目で追いながら静かに口を開く。「いずれはきちんと話さなければならないと思っていたのだが……永憐のことで、君を酷く傷つけてしまって申し訳ない。全ては私一族の責任だ。今更許しを乞うつもりはないが、当時、剣門山に所属していた永憐が、個人的な意思で君の父上を殺した訳ではないことは、どうか分かってやって欲しい。あれは、私の父上が理不尽に下した命令だったのだ……」 宋武帝は物寂しく空を仰いだ。 その横顔がどこか永憐に似ていて、蘭瑛はふと目線を逸らし、宋武帝の言葉を待った。 「永憐とは異父兄弟なんだ。この事実を知ったのは、十年ぐらい前だろうか。あいつは幼い倅を、祝言を控えていた妻の変わりに助けてくれてな……。せめてもの思いでここに呼んだんだが、少し気になるところがあって。ほら、私と顔が少し似ているだろう? だから、あいつの出自をこっそりと調べさせたんだ。そしたら、永憐はあの伝説の剣豪・|冠月《グァンユエ》と母上の間に授かった子であると知って、それはそれは驚いたよ。私は永憐を弟だと思っているんだが、あいつは、自分を物凄く卑下な人間だと思っているらしく、自分は私の配下でいいと、皇弟として自分の立場を絶対に認めようとしないんだ」 何一つ自分のことを話さない永憐に、そんな秘密があったとは誰も知る由もない。 宋武帝は飛んでいる蛍を素手でそっと掴み、蘭瑛に見せながら続けた。「そんなあいつがある日突然、君を連れてきた。色欲も断ち、女の話に一寸とも触れようとしなかったあいつがだ。不器用で言葉足らずな奴だが、君には何か思うところがあったんだろう。誰よりも君のことを考えていたからな」 それは分かる。いつだって側
Huling Na-update: 2025-09-20
Chapter: 第二十九話 真実
 美しい月夜は儚げに消え去り、夢が覚めていくように二人の元に太陽が昇る。 「|蘭瑛《ランイン》、朝だ。起きろ」 「…んーっ。ふぁい」 蘭瑛は欠伸をしながら上体を起こす。 |永憐《ヨンリェン》から寝巻きを渡され、寝台から降りて衣をさっと着る。 昨晩のことは途中までしか覚えておらず、途中から疲れ果てて眠ってしまったようだ。 「昨日はすまない。加減を忘れてしまっていた…。身体は大丈夫か?」 「…はい。大丈夫ですよ。私、途中で寝てしまったみたいですね。すみま…」 「せん」と続けようとした刹那、永憐に力強く抱きしめられた。 「嫌いにならないでくれ…」 「…ど、どうしたんですか?急に。永憐様を嫌いになる訳ないでしょう」 永憐は失うのが怖いといったような、どこか不安げな顔を蘭瑛に向けた。 今日から仙術の強化稽古が始まり、しばらく会えなくなると聞かされたが、稽古が終わったらまた会う約束をし、優しく口づけを交わした。  蘭瑛は隣の部屋に戻り、身支度を整えようと、寝巻きを脱いで鏡を見た。すると、首から下の上半身のありとあらゆる場所に、口づけの印を付けられていることに驚愕した。 (あれから、たくさん口づけされたんだっけ…。どうしよう…この無数の跡。何で隠そう…) 蘭瑛はとりあえず、葯箱から包帯を取り出し首元に巻き付けた。医局のオカマ医官に何か言われるかもしれないが、適当に遇らえば問題ない。蘭瑛は冷静さを保ちながら、医局へ向かった。 医局に到着すると案の定、オカマ医官二人に詰め寄られる。 「|阿蘭《アーラン》、どうしたのよ?!その傷!ちょっと見せてみなさい」 「一体何をやったのよ…」 「だ、大丈夫だから!本当に直ぐ治る傷だし、二人の心配には及ばないから」 |江《ジャン》医官と|金《ジン》医官は、目を細めて蘭瑛を一瞥する。 「阿蘭、また誰かに何かされたんじゃなくて?」 「ったく、女の首元に傷を負わすなんて、どういう神経してんのよ!もし男だったら、男根の先にこれを差し込んでやるんだから!」 金医官は、薬草を混ぜる先の尖った太い銅の棒を光らせた。これは、永憐にされたなんて口が裂けても言えないと、蘭瑛は思わず苦笑いを浮かべる。 「本当に大丈夫だから。六華術を復活させる為に色々やっちゃって…。それで」 「それで、六華術は復活したの?」 江医官に
Huling Na-update: 2025-08-21
Chapter: 第二十八話 和合
もう逃げられないと意を決して、|蘭瑛《ランイン》は急いで湯浴み処へ向かい、簡単に湯浴みを済ませた。 半乾きの髪を靡かせ、急ぎ足で|藍殿《らんでん》へ戻る。 蘭瑛は|永憐《ヨンリェン》の部屋の扉の前で「ふぅー」と呼吸を整え、蝋燭の光が漏れている薄暗い奥の部屋に足を踏み入れた。 中に入ると、寝台の上で腰を下ろし、長い髪を垂らした寝巻き姿の永憐が待っていた。 「来たか」 「お待たせ…しました…」 蘭瑛は固唾を飲み、恐る恐る永憐の元へ歩み寄る。 永憐は真顔で、蘭瑛に向かって一言投げかけた。 「覚悟はあるのか?」 そう言われた蘭瑛は、その場で立ち止まった━︎━︎━︎。 決して覚悟がない訳ではない。ただ理由を話さなければと蘭瑛は六華術を回復させる為に、このような事を口走ったと話した。 「ならば、術の為にしたいということか?」 「いや、そ、それだけでは…」 蘭瑛はそれ以上何も言えず俯く。 永憐は間を置いて、もう一度問うた。 「どんな理由があっても、後悔しないか?」 蘭瑛は永憐の事を心から愛している。 いずれは夫婦の契りを交わしたいとさえ思っている。 術が回復することもそうだが、一番は永憐と口づけ以上の結びつきを得たいと心のどこかでは思う。そこに迷いや後悔はない。蘭瑛は心を決めたかのようにハッと顔を上げ、自分の衣の腰紐をしゅるっと外した。 「…しません。何があっても」 そう言いながら、蘭瑛は衣を少しはだけさせ、寝台の上へ登る。 そして、足を伸ばして座っていた永憐の上に跨り、永憐の目の前で衣を完全に脱いだ。 艶やかな肌を見せられた永憐は、蘭瑛の腰にそっと手を回し、蘭瑛の顔に自ら顔を近づけた。 「本当にいいんだな?」 「…はい」 息をする暇もなく、蘭瑛の唇は瞬く間に塞がれた。 永憐は何度も優しく向きを変え、蘭瑛の乾いた唇を湿らせていく。永憐の力強い舌遣いで閉じていた口をこじ開けられ、何度も舌を絡め取られた。舌を這わせ合うたび、水が弾くような音が部屋中に響き、鼻から漏れる荒い息が熱く交わる。 露わになった胸を何度も揉まれ、永憐の細長くて力強い指先で、先の突起を何度も弄られた。 身体全体に体験した事のない電流が走り、蘭瑛は我慢できず「んんっ」と思わず声を漏らす。唇が離れ、互い
Huling Na-update: 2025-08-21
Chapter: 第二十七話 驕矜
それから、今までの輝かしい穏やかな|橙仙南《とうせんなん》の色は消え、|朱源陽《しゅうげんよう》の武官たちは橙仙南の庶民たちを蔑ろに扱うようになり、逆らおうものなら直ちに打首にされるという理不尽な内乱が勃発した。 橙仙南の一部の軍は朱源陽の傘下に入る者もいたが、深豊《シェンフォン》率いる軍は主に|宋武帝《そんぶてい》の配下に身を置き、永憐たちと並ぶ形で桃園の義を交わした。 朱源陽の理不尽な要求や暴力が日に日に増していくことを懸念した宋武帝は、橙仙南の難民たちを|宋長安《そんちょうあん》へ避難させた。宋長安に住む人々の人柄は他所者を嫌う性格ではない為、難民たちとの間には争いや弊害などは生まれず、互いを尊重しあう形で生業を保つことができた。 秋めいてきた夕暮れの下で、蜻蛉の美しい複眼が、飛び回る害虫のハエを捉える。 瞬きをしたほんの僅かの間に、ハエは蜻蛉の口元で砕かれ、もう一度瞬きをした後にはもうハエはいない。 その卓越した動体視覚と俊敏さを駆使して、獲物を一瞬にして捕える。さすが勝利の虫だ。 その様子を窓越しから見ていた宋武帝は、|永憐《ヨンリェン》と|深豊《シェンフォン》を紫王殿に呼び出し、向かい合っていた。 何を言われるのか大体想像のつく二人は、出された茶を啜りながら宋武帝の言葉を待つ。 「蜻蛉のようにならねばならんな…」 宋武帝はぼそっと独り言を呟いた。 そして目線を二人に戻し、続ける。 「今後のことについてなんだが…。いつ、朱源陽の矢がこちらに飛んでくるか分からない。いつでもその戦火が飛び込んできてもいいように、お前たち全員が持つ仙術の強化を図って欲しい。それに伴い、宋長安管轄の剣士たちも各方面から呼び寄せることになった。お前たち二人が師範となり、全体の底上げを頼む」 永憐と深豊は、同時に頷き『御意』と返事をした。 力強い二人の返事を聞いた宋武帝は、顔を緩ませ穏やかな表情を向ける。 「お前たちが居れば、私に怖いものなどない」 「全力でお守りします」 「橙仙南を代表して私も…」 永憐の後に続けて、深豊も誠意を表すように言葉を繋げた。 一方、蘭瑛のいる医局では環境に慣れず体調を崩す橙仙南の者たちが多く、問診に追われていた。 「食欲がなくて…」 「気持ちが塞ぎがちで…」 「涙が止まら
Huling Na-update: 2025-08-10
天符繚乱

天符繚乱

舞台は古代中国、三教の一つである道教の修仙界。 呪符を扱う四つの正統門派『大篆門(だいていもん)・寒仙雪門(かんせんせつもん)・緑琉門(りゅうりゅうもん)・金龍台門(きんりゅうだいもん)』たちが、日々蠢く邪祟や妖魔を退治し、世を統治していた。    しかしある日、四つの門派を統括する天台山の裏手にある華陰山で、地の主として祀られていた【三神寳(さんしんほう)】が、突厥の手によって盗まれてしまう。  これにより全ての統治が保てず、世が乱れ始めるのだが、それと同時に、十年前に大敵である青鳴天(チンミンティェン)との闘いの末、強力な霊符の反動で謎の死を遂げてしまった最強の呪符師・墨余穏(モーユーウェン)が突然甦る。    記憶は今世でも引き継がれ、前世では叶わぬ恋心を抱いていた寒仙雪門の門主・師玉寧(シーギョクニン)と再会を果たすが、墨余穏は師玉寧に新たな想い人がいることを知ってしまう…。しかし、それは━︎━︎。  それぞれの想いが過去、未来へと繋がり、繚乱していく仙侠中華BL。
Basahin
Chapter: 第十五話 天台山
|師玉寧《シーギョクニン》にこっ酷く叱られた後、霊力を封じられた|墨余穏《モーユーウェン》は、魂魄の状態を|道玄天尊《ダォシュエンてんずん》に見てもらう為、|師玉寧《シーギョクニン》と天台山へ向かうことにした。 「ねぇ、|賢寧《シェンニン》兄〜。|道玄天尊《ダオシュエンてんずん》のお力で、どうにかなるかな〜」 「それは分からない。だが、行ってみる価値はある」 これまでも数々の難題を解決してこられた天尊だ。 何か手立てを指し示してくださるかもしれない。 |墨余穏《モーユーウェン》はそんな淡い期待を胸に抱き、|師玉寧《シーギョクニン》と途切れ途切れな会話をしながら、山頂を目指した。 しばらく歩くと、天台山の門へ繋がる分かれ道に差し掛かる。 「お! 懐かしいね〜ここ。覚えてる? この分かれ道で俺ら出会ったんだよ。また石ころ遊びでもする?」 「しない」 |師玉寧《シーギョクニン》は相変わらず不機嫌のようだ。 (そりゃそうだよな。俺と一緒にいるってだけで、こうして毎度、面倒事に巻き込まれる……) |墨余穏《モーユーウェン》は|大篆門《だいていもん》に行ったことを腹の底から後悔した。もしあの時|豪剛《ハオガン》が近くに居たら、絶対に行くなと止められていたはずだ。 |師玉寧《シーギョクニン》を横目で見る。 他にも門主としてやる事があるはずなのに、|墨余穏《モーユーウェン》は申し訳ないという気持ちに駆られ、「ごめん」と謝った。 「別にお前の為に天台山へ行く訳じゃない。別件で用があるからだ」 「用って? |道玄天尊《ダオシュエンてんずん》に?」 「違う。|香翠天尊《シィアンツィてんずん》だ」 「……ふぅ〜ん」 香翠天尊と聞いて「またか……」と胸の内で嘆き、|墨余穏《モーユーウェン》は大人げなく不貞腐れた。 そして、じわじわと目には見えない大きな虚無感が墨余穏を襲い始める。 横にいる|師玉寧《シーギョクニン》を見ていると、自分のことなど何一つ眼中にないのだと分かる。自分が死んだ後も、天流会で出会った知り合いが死んだ程度にしか思っておらず、それ以上はきっと何も思わなかったに違いない。今、横にいるような澄ました顔で「そうか」と受け流し、変わらない日常を送っていたのだろう。 |墨余穏《モーユーウェン》は、更に勝手な妄想をし
Huling Na-update: 2025-10-27
Chapter: 第十四話 大篆門
 |師玉寧《シーギョクニン》の背中に乗るという夢のような体験は瞬く間に幻と化し、|墨余穏《モーユーウェン》は無事寒仙雪門に辿り着いた。玉庵へ続く石段を二人で登っていると、一人の弟子が扉の前でじっと立っているではないか。墨余穏は目を細めて師玉寧に尋ねる。 「お! あれは|一優《イーユイ》か? それとも|一恩《イーエン》? あ、もう一人いたな? 確か|一明《イーミン》だっけ?」「あれは一優だ。一明は、父上の所へ行ってもらっている」 |師玉寧《シーギョクニン》の下には、見分けのつかない三つ子の弟子がいる。どこで個々を判断しているのか尋ねると、師玉寧は眉の位置と声の違いで判断しているという。|墨余穏《モーユーウェン》はさっぱり分からないといった様子で視線の先にいる一優を見る。 |一優《イーユイ》はこちらに気づくと、やっと帰ってきたと言わんばかりに目を輝かせ、二人の前で拱手する。「|師《シー》門主、|墨逸《モーイー》兄さん、お帰りなさい。至急こちらを門主に渡すようにと言われ、ここで待たせていただいておりました」 |師玉寧《シーギョクニン》は、「分かった」と言って、届いた一通の書簡を|一優《イーユイ》から受け取った。包みを丁寧に開け、中の紙をゆっくりと取り出し、達筆で書かれてあった文字を読む。 すると|師玉寧《シーギョクニン》の表情がたちまち曇り始め、眉間に皺を寄せた。「どうしたの? |賢寧《シェンニン》兄? そんな怖い顔して」 師玉寧は無言で、墨余穏に紙を手渡す。「何? 読んでいいの?」 墨余穏はそう言って、紙を受け取り読み始める。「ん〜っと、どれどれ。師門主殿。甦った|墨余穏《モーユーウェン》がそちらにいると聞いた。至急、墨余穏と話がしたい。三日以内にこちらへ来るよう、本人に伝えてもらえないだろうか。決して悪いことはしない。時間がないのだ。よろしく頼む。|高書翰《ガオシューハン》」 |墨余穏《モーユーウェン》は|師玉寧《シーギョクニン》の顔を見ながら確かめるように「だって」と笑う。 「どうする? 行くのか?」「まぁ、そうだね。ここは|賢寧《シェンニン》兄の顔を立てて、行ってくるよ」「大丈夫なのか? 高門主と仲違いしているのではないのか?」 |師玉寧《シーギョクニン》は眉間に皺を寄せたまま、心配そうに尋ねる。|墨余穏《モーユーウェン》は
Huling Na-update: 2025-10-20
Chapter: 第十三話 冠履倒易
 |乗蹻術《じゃきょうじゅつ》を使って、|墨余穏《モーユーウェン》と|師玉寧《シーギョクニン》は、山雲のかかる険しい華陰山へ到着した。 今日は日が所々に当たり、気温はそこまで低くはない。 天候が変わらないうちに、墨余穏と師玉寧は|三神寳《さんしんほう》が保管されていた廟へと歩みを進める。 廟の周りの荒れ具合を見る限り、誰も足を踏み入れていないようだ。 静けさ漂う廟の前に到着した二人は顔を見合わせ、その廃墟のような廟の中に足を踏み入れた。 すると入ってすぐ、|墨余穏《モーユーウェン》は|師玉寧《シーギョクニン》の足元に、枯葉のように色褪せた呪符が落ちていることに気づく。 それをさっと拾い、表裏を交互に見遣ると、|墨余穏《モーユーウェン》は思わず眉間を寄せた。「ねぇ|賢寧《シェンニン》兄。これ見て!」 先に歩いていた|師玉寧《シーギョクニン》は足を止めて振り返り、|墨余穏《モーユーウェン》が頭上にかざしたその呪符を流し目で眺めた。「やっぱり俺の呪符だよ。|徐《シュ》殿の家にあったのと同じやつ」「ったく、一体何が起きてんだ〜?」と、独り言を言いながら、墨余穏は何か痕跡がないかその周辺を見渡した。 |師玉寧《シーギョクニン》は壁に触れながら、眉間に皺を寄せる。「お前の呪符を持っている奴が他にもいるということだ」 |墨余穏《モーユーウェン》は床に刻まれた文字を見ながら続ける。「なるほどね。それで、俺の呪符を使ってここを壊したってことか」「恐らくな。だから言っただろう。自分の呪符は必ず回収しろと」 |墨余穏《モーユーウェン》は唇を一文字に引き結び、大きく鼻から息を吐いた。説教じみたことを言われても、意図的に放置した記憶はない。先日の黄山で妖魔を倒した時は、仕方なく置いてきてしまったけれど……。それはそれだ。 死んだ間に盗られたのだろうか?  それとも、死ぬ前にこの目の前の水仙玉君に恋煩いを起こして、好きでもない女と無理矢理寝てやり過ごしたあの時や、酒に酔って『師玉寧』と叫びながら暴れまくったあの時に、紛失してしまったのだろうか。 廟の薄暗い天井を仰ぐように苦い記憶を辿りながら、墨余穏はこの回収できない事実を泣く泣く受け止める。 「そうだよな。だから掟なんだよな。……待てよ。ってことは、そういうことか! 俺の呪符に俺の魂魄を封じ込めた奴
Huling Na-update: 2025-10-13
Chapter: 第十二話 壁符
|墨余穏《モーユーウェン》は静かに目を開ける。 またよく眠っていたようだ。 すっかり熱は引いたようだが、汗ばんで衣全体が濡れている。 日はすっかり沈み、玉庵では何本もある蝋燭の光が揺れていた。 (天流会かぁ。懐かしい夢だったな……) |墨余穏《モーユーウェン》は手で首元を拭いていると、そこに蝋燭を持った|師玉寧《シーギョクニン》が現れる。 「起きたか?」 「お! |賢寧《シェンニン》兄、帰ってきてたんだね。久しぶりに懐かしい夢を見たよ。天流会で|賢寧《シェンニン》兄に出会ったこととかさ、俺を湖から救ってくれたこととか。覚えてる?」 「そんな昔の話は忘れた」 「はぁ〜? 忘れちまったのかよ。じゃ、俺が何かしたことも忘れちまったのか? あぁ〜、いい夢だったのに残念だなぁ〜。あ、そういえばあの黒い鴉、天流会に居なかったけど結局どうなったの?」 「確か、出禁になった」 |青鳴天《チンミンティェン》のいる鳥鴉盟は、今も変わらず天台山の管轄から外されているらしい。それを憎んでいるのか、今も他門派への嫌がらせを続けており、今や|突厥《とっけつ》と手を組み出して天台山の守護神を壊す始末だ。 「じゃ、早いとこ|青鳴天《チンミンティェン》を殺さないと」 「お前は大人しくしていろ」 |師玉寧《シーギョクニン》は椅子に座り、料理の入った箱を卓へ置きながら続ける。 「|墨逸《モーイー》、今は本当に何もするな。少し奴らの動向を探りたい」 「分かった、分かった。俺は何もしない。んで、これは今日の夕餉?」 「そうだ」と言いながら、|師玉寧《シーギョクニン》は根菜と肉の汁物と葉野菜を蒸したものを箱から取り出した。 明らかに色合いと匂いからして、師玉寧が作ったものではなさそうだ。 |墨余穏《モーユーウェン》は思わず顔が綻ぶ。 その表情を見た|師玉寧《シーギョクニン》は頬杖をつきながら「さっきより嬉しそうだな」と嫌味ったらしく言う。 「え〜っ? さっきとどこが違うっていうのさ〜。さぁさぁ、|賢寧《シェンニン》兄も食べよう。ほら、蓮根も入ってる!」 |墨余穏《モーユーウェン》は|師玉寧《シーギョクニン》の気分を害さないよう、全力で言ってのけた。 その日の晩は、月が綺麗だった。 |墨余穏《モーユーウェン》は冗談で
Huling Na-update: 2025-10-06
Chapter: 第十一話 天流会 (実践編)
翌日の追試は、|師玉寧《シーギョクニン》から受けた手解きも相まって、|墨余穏《モーユーウェン》は無事満点で合格した。 合格者はすぐに符門善書を元に、実際の呪符を使った実践項目へと進む。 呪符の扱いに関して、|墨余穏《モーユーウェン》は自信があった。幼い頃からおもちゃのように扱い、|豪剛《ハオガン》の知識を全て受け継いでいるからだ。 しかし、皆の鑑である|師玉寧《シーギョクニン》と道術を競う項目では、どれだけ強力な呪符を書いても、どれだけ武術を駆使したとしても、|師玉寧《シーギョクニン》の驚異的な能力には敵わなかった。 ある日|墨余穏《モーユーウェン》は、どうしたら|師玉寧《シーギョクニン》のように強くなれるか、本人にそれとなく聞いてみた。 すると|師玉寧《シーギョクニン》は相変わらずの仏頂面でこう答えたのだ。 「己の弱さを認めれば強くなれる。誰かを真似た強さは偽りだ」と。 |墨余穏《モーユーウェン》はずっと、誰よりも強いと思っていた。 弱さを認めるなど、師範への冒涜に過ぎない。 |豪剛《ハオガン》のような強い者に倣えば、自分もそうなれると信じ、勝手に思い込んでいたのだ。しかし、誰かのようになりたいという、際限のないその貪欲こそが弱さを生む。 |師玉寧《シーギョクニン》はもう一つ大切なことを言っていた。 「強さを量る基準は悪をどれだけ倒せたかではない。守りたいものをどれだけ守れたかだ」とも。 |墨余穏《モーユーウェン》は、|師玉寧《シーギョクニン》の言葉を聞いてしばらく人と距離を置き、自分を見つめ直す時間を作った。 残り半月になったある日、最終項目である水中呪符を用いた実践を行う為、一同は天台山から少し離れた清流湖へ向かっていた。 しばらく歩くと、青く澄んだ真っさらな湖面が見え始める。 |墨余穏《モーユーウェン》は、世の中にはこんな綺麗な湖が存在するのか! と、己の見識の狭さと感動を同時に体感した。 隣にいた|張秋《ジャンチウ》と少しばかり話していると、|道玄天尊《ドウゲンてんずん》の側近であるという|深月師尊《シェンユエしずん》がやってきた。 物凄い長身であると噂では聞いてはいたが、|師玉寧《シーギョクニン》よりも精悍な男で、まるで壁が立っているかのような存在感を醸し出している。 「さぁ、今日は
Huling Na-update: 2025-10-06
Chapter: 第十話 天流会 (座学編)
 |道玄天尊《ダオシュエンてんずん》は、高級な絹の|裳《も》を引き摺って登壇する。「皆、無事に到着したようだね。疲れてはいないかい? 私は皆の顔が見れないけれど、皆の内丹の気を頼りに見ているよ。私はここの長を勤めている|道玄《ダオシュエン》だ。本日よりふた月ほど、皆の成長を見させてもらうね。まずは皆、自己紹介をしてくれるかな?」  |裳《も》と同じような滑らかな声に、柔和温順な雰囲気が重なると、赤ん坊を見ているかのように癒される。 包帯に巻かれた少し窪みのある目の枠から、慈悲深く憐憫のような眼差しを感じるのは何故だろう。 |墨余穏《モーユーウェン》は、しばらく|道玄天尊《ダオシュエンてんずん》の不思議な力に見惚れてしまい、他の修士たちの自己紹介は耳に入ってこなかった。 自分の番が回ってきていることにも気づかず、そのまま道玄天尊を眺めていると、隣にいた|張秋《ジャンチウ》に肩を突かれた。「|墨逸《モーイー》、ねぇ、|墨逸《モーイー》。君の番だよ。自己紹介」 |墨余穏《モーユーウェン》はハッと我に返り、机にあった筆を床に落とすほどの慌てぶりで、自己紹介を始めた。 |墨余穏《モーユーウェン》の自己紹介が終わり、残り三人の自己紹介が終わると、さっそく座学で使用する分厚い道教経典と天台山の符門善書が配られた。 話しを聞いていると、どうやらこの経典に付随する符道の座学をこのひと月で、残りのひと月は道術、内丹の強化、実践という流れになるらしい。 それにしても、この経典の分厚さ……。 親指の半分ぐらいはあるぞ……。 |墨余穏《モーユーウェン》はパラパラと紙を捲りながら目を細める。「さて、皆の前に揃ったかな? ここには特殊な能力を持つ修士たちが軒並み揃っているからね、さっそく鍛錬の一環として、このひと月でこの符門善書を全て暗記してもらおうと思う。七日過ぎるたびに採点も行うからね。皆の力を信じているよ」 (げっ……、採点?) |墨余穏《モーユーウェン》は目を更に細め、大きく息を吐く。 本殿が溜め息に包まれる中、陽だまりの中で咲く花のように|道玄天尊《ダオシュエンてんずん》は温かな笑みを湛えながら、上座の席へ腰を下ろした。  しばらくすると、背後にある出入り口の扉が音を立てて開いた。二人目の講師の登場だ。 一斉に向けられたその視線の先には、眩いほ
Huling Na-update: 2025-09-29
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