Chapter: 3今日はいつもと違う大事な仕事が入っている。ノーデンスは頭の中で段取りをイメージし、気を引き締めた。暖かい昼下がり。鍛冶師の製作場に数人の客人を招き、完成して間もない短剣の精度を見せた。もっとも、今手にしているのは戦いの為ではない、狩猟をする為のナイフだ。刃先が滑らかな皮剥タイプをメインに、その魅力を伝えていた。客人は皆他国からやってきているが、商人や料理人、そして軍関係者まで、幅広かった。宣伝活動としては幸先が良い。わざわざ用意した鹿(の脚のみ)を手早く解体する。「勿論皮だけでなく、肉もよく切れますよ。荷物を減らしたい時はこれ一本でも満足できる仕上がりとなってます」刃についた油を拭き取り、側近のオッドに人数分の短剣を持ってこさせた。「遠方からせっかく来てくださった皆様に、こちらの短剣を一本ずつ差し上げます。供試となりますがご意見をお聞かせいただければ幸いです」黒い刃と言ってもいい。電灯に近付け、鋭利な刃先で軽く机を叩いた。大きな獲物も解体できるが、野外での使用を考えているので軽量化を重視している。刃の合金には神力を込めたので尚さら自信がある。しかし一番の功労者は鉄を打った鍛冶師達だ。いつだってそれだけは変わらない。「ノーデンス様、お疲れ様でございます。まさか狩猟用の武器を展開するとは思いませんでしたよ。どうなるかと思いましたけど、好評で安心しました」「ほんとにな。余裕ができたら、本格的に調理道具も造ろうかね」これまでは武器をメインに扱っていた為、狩猟におけるナイフや料理用の包丁など考えたこともなかった。だがこの平和な世の中に合わせると、日用的な道具は需要がありそうだ。「さすがにこういうものばかり作るわけにはいかないから何点か絞って、最高級のものだけ作ろう。そうすれば金に糸目をつけない職人が求めてくる」武器ではないのだから、売り上げは申告せず全て自分達のものにしても良さそうだ。どう思う? と訊きそうになったが、オッドは存外潔癖な青年なので訊くだけ無駄だと悟った。「良いですねぇ。ところで……ノーデンス様、エプロンも似合いますよね」「そう?」解体の時につけたエプロンがそのままだった。スーツが血と油まみれになっては大変なので、わざわざ用意したものだ。外してから水を張ったバケツに放り入れる。「普段料理する時はエプロンなんてしないけど」「
Last Updated: 2025-07-01
Chapter: 2翌朝は曇天で、冷気が体内に充満しているようだった。そう……風邪をひいた。「さむ! ううう……寒い、寒い寒い寒い……!」ブランケットを引き摺りながら自身の熱を計る。昨夜の行いを心底後悔しながら体温計を眺めた。 幸い体調を崩した時に必要なものは全て揃ってある。服を着込み、今日の予定を確認した。 熱は三十七度八分。周りにうつすわけにはいかないから、今日は仕事も休んで大人しくしよう。まさか風呂場で自慰をして風邪をひくとは……情けなくて死にたくなる。ただ普段から鋼材に神力を注いだ後は寝込むことが多いので、今回は特に負担が大きかった。ということにしよう。 連絡用の端末を操作し、従者のオッドに繋いだ。すぐに返事が返ってきて、確認するとなにか必要なものはないか、という内容だった。 気遣いは嬉しいものの、今は誰かと話す気分じゃない。「大丈夫。ありがとう」と文字を入力し、送信してから画面を落とした。早朝は城の中も慌ただしい。物資を運び入れる者や、朝食の支度をする者が忙しなく動いている。 王族お抱えの武器職人ということで特別に城に住まわせてもらっているが、あまり有難みを感じないのは気の所為だろうか。 食費や家賃の心配もないし、欲しいものは与えられる裕福な生活をしているのに、時折煩わしさを感じる。独りなのに。「はぁ……」朝から色々考えるのはやめよう。ますます体力を持っていかれる。 熱はあっても腹は空いているので、卵を手に取ってフライパンで焼いた。後は良い具合に焼けるのを待つだけだ。 この卵もそうだが、城のすぐ近くに小さな市場がある。仕事の関係で城の食事が食べられない時もあるので、普段から食料はストックしていた。 備えあれば憂いなしとはこの事だ。頬杖をつきながら固めのパンを頬張った。皿を出すことも億劫になってしまった為、テーブルに鍋敷きを置いてフライパンをそのまま持ってくる。あとはグラスに牛乳を注ぎ、ひといきに飲み干した。「もう食べられないな……」朝のミッションはクリアということでいいだろう。使ったフライパンをシンクに入れて、覚束ない足取りで寝室へ戻った。 洗い物も片付けも明日でいい。まずはゆっくり休もう。 一時期は毎日使っていた氷枕を用意し、ベッドに横たわった。首の後ろと脇、あと脚の付け根にも氷嚢を添える。これでだいぶ体温は下がる
Last Updated: 2025-06-29
Chapter: 1この地は特別で、必ず同じ時刻に陽が沈む。一分一秒狂うこともなく空は薄紫に染まり、やがて灯りを際立たせる濃紺へ変わる。 昼とは違う活気が生まれ、橙色の灯りが店先に垂れ下がった。仕事を終えた大人達が酒を飲み交わす、ささやかな宴の時間が始まる。「お! ノーデンス様、良かったら一緒にどうだい?」屋台の前を通り過ぎた時、鉱山の歩荷の男性達に捕まった。隣国に商品を運搬する出稼ぎの青年達も一緒だ。どうも通り行く者皆に声を掛けて飲み会をしているらしい。既に席がいっぱいの為、ノーデンスは財布から金貨だけ取り出し、手前の青年に渡した。 「今日はちょっと疲れてて。また誘ってください」 「もちろん。美人がいると酒が進むもんなー」 どっと場に笑い声が響く。その時、まだあどけなさが残る青年が手を挙げた。「そうだ、ノーデンス様。昨日ヨキート王国に行ったんだけど、第二王子に会いましたよ。大丈夫ですか?」 「大丈夫? 何がです?」 「え? いや、その……お子さんも一緒だったから、いつこっちに戻って来るのかな、って。ノーデンス様も寂しいと思いますよ、ってお伝えしたんですけど、彼はまだもど……んっ!」その先を聞くことはできなかった。しどろもどろに話す彼の口を、周りの男達が手で塞いだからだ。中核にいた男が慌てて前に躍り出て、愛想のいい笑顔で弁解する。「すみません、こいつ本当に何も分かってない世間知らずで……今言ってたことは忘れてください! 後でちゃんと、きっつー……く教えておきますんで!」賑やかだった店先が静まり返った。誰も口を開くものがいない。一番に動いた者が殺されるのではないか、という謎の緊張感を放っていた。 心の中で深いため息をつく。 ……結局、こういう事があるから嫌だったんだ。“アレ”に心を許したことが失敗だったのだと、嫌でも思い知らされるから。 努めて当たり障りのない笑顔を浮かべ、元気に答えた。「……もう~、大丈夫ですよ。今までで一番仕事に打ち込めて、充実した日々を送れています。せっかくの飲み会なんですから、皆さんもっとたくさん飲んでください! それでは失礼します」踵を返し、非常に静かになった一行を置いて城へ戻った。住宅街を抜け、城へ近付くほど喧騒は遠ざかる。 音が死ぬ。光が消える。星が輝く。 高台へ登って振り返ると、さっきまでいた城下
Last Updated: 2025-06-29
Chapter: 【ひとり暮らしの武器商人】剣に槍、弓、銃。武器が産まれたことで争いは増え、多くの命が失われた。時代が移るにつれ神術や呪術を扱う者も現れたが、そんな力を開花させるのはほんのひと握り。自分もそうだがせいぜい一国に五、六人いればいいものだ。火を出現させる程度のものから地形を変える神術まで、力の幅もまるで違う。大きな力を持つ者が革命を起こそうとしないのは、まだ武器の存在が抑止力になっているからだ。どれほどの神術を持ち得ていたとしても、大国が協力し合って兵と武器を用意すれば、世界の均衡そのものが危うくなる。資源も人も失われた土地など手に入れても仕方がない。どこの国もなにかひとつ、他所にはない資源を獲得している。隣のサンセン王国は農作、北のヨキート国は羽毛や木綿、絹などの織物。そしてこのランスタッド王国は武器生産。百年以上前に世界がひとつになったことで領土争いなどは無縁となったが、未だに武器の需要は高い。争いがなくなったのに武器がなくならないってのは本当に可笑しい。ランスタッドは元々鍛治屋が多い小さな町だったが、戦火の中生き残る為、他国から武器生産の依頼を受け続けた。その見返りとして大国から庇護され、町のものは誰も兵として招集されることなく、やがて世界の三分の一に近い領土を占める大国に成長した。誰も使わないはずの武器を造り続け、他国に輸出する日々。どの国も平和を謳い、しかし地下に巨大な研究施設を拵えている。人間という生き物の恐怖、醜さ……武器の存在は負の感情を象徴している。武器を生み出したことも、また失くすことができないのも、所詮は弱さ故だ。皆心のどこかでは分かっているが、決して口に出さない。けど自分は違う。自分の信念の為に王を敵に回す覚悟がある。ランスタッドの中央には巨大な城がある。王族だけでなく一部の貴族も住まうその城の最上階で、明るい銀髪を靡かせる青年がいた。白く大きなローブを脱ぎ、見晴らしの良いテラスへ出た。まだ夜明け前で、薄紫の空が果てしなく続いている。実質的には武器商人の最高権力者の青年、ノーデンスだ。 古くからこの地に住んでいた武器商人の一族であり、両親が病で亡くなった今では一族の長でもある。まだ二十六歳だが、鍛冶師達を取り纏めているのは理由があった。ノーデンスは高い神力をその身に宿しており、自身の気を込めることで精度の高い武器を造ることが可能なのだ。今では自分は
Last Updated: 2025-06-29