Chapter: 第78話 終わりと、始まり 弓弦の顔を見る。酸素マスクが外された顔は、穏やかにともすれば微笑んでいるようにも見えた。「不思議と母さんが死んだことにショックはないんだ。ずっと関係は疎遠だったし、それに母さんはああなる運命だったのかもしれないって。あの『遠い目』も、咎人も、白無垢の女も全てを繫ぎ合わせれば、きっと母さんは最初からあそこで死ぬつもりだったんじゃないかって思う」 返事はもちろん返ってこない。それでも、美月は話を続けた。自分の心情を吐露するように。 唯一同じ境遇の兄──これからもそう呼べるのかは不確かではあるが──ならわかってくれるだろうと。「母さんは、私たちを自分の子どもとして引き取ったときに考えたのかもしれない。将来、儀式が必要になるときが来るんじゃないかって。だから、幼い頃に一度だけ私たちみんなを古塚家へ連れていった」 気まぐれで動くような人ではない。兄と美月の対応は終始一貫していた。兄を溺愛し、妹には厳しくするという対応が。「いつか儀式が必要なら、兄さんは巻き込まれる運命だった。それを変えるために母さんはあのとき、私を連れていったんじゃないかって。兄さんを助けて呪いを終わらせるために私を連れて、そして以後おじいちゃんやおばあちゃんに関わらせることはしなかったんじゃないかって、そう思うんだ」 母の顔を思い出す。最後に見せた表情はやっぱり笑顔だったのではないだろうか。美月に向けたものなのか、自分に対するものなのかはわからないが。「だって、儀式に必要なのは18歳の男性だけ。私を引き取る理由はないはず。母さんの『ごめんなさい』という言葉は、きっとそのことを指していると思うんだよね」 違うかもしれない。思い込みたいだけかもしれない。それでも、取り残された美月には何かこの先に繋がる理由が必要だった。「兄さん。目覚めたら、どんな関係性になっちゃうのかわか
Last Updated: 2026-04-05
Chapter: 第77話 病室にて ライトグリーンのカーテンを閉める。気がつけばもう夜になっていた。 美月は予想よりも長くまだ眠ったままの兄、弓弦の顔を覗き込むと満足そうに微笑み、今座っていた丸椅子に座った。 スマホを開く。SNSは今日も、政治やアニメ、ドラマ、芸能など様々な話題が行き交っている。その中に白無垢の女の話題はなくなっていた。 もちろん検索をかければ出てくるだろうが、パッと目に付くところにはもうワードは挙げられていない。他の全ての事象と同様に次から次へと湯水のように溢れ出てくる話題に呑まれて消えていったのだろう。(それでいい……これが一番いいんだ) 白無垢の女が消えてからおよそ2日が経った。美月が乃愛とともに病院へ運ばれて治療を受けたあと、警察からの事情聴取を受けて丸一日泥のように眠った。 警察には真実を伝えたが、どう受け止められたのかはわからない。美月が白無垢の女の話題を出すと、「ああ、例の……」と知っている素振りを見せていたが、信じているかどうかはわからない。それに、とにかくもう怪異は終わったのだ。事件は永遠に闇の中だ。「兄さん」 美月は布団から出ている弓弦の手を握った。前のときのように過去の映像を見せられることはなかった。 兄は動かない。栄養は点滴から取れてはいるが、体は少し痩せてしまっている。 看護師にはすぐに目覚めると言われていたが、起きる気配はない。体が疲れ切ってしまっているのか、心が目覚めを拒否しているのか。どちらにしても美月は、もう一度呼びかける。「兄さん、もう終わったよ」 終わったのだ。本当に。どれくらいの犠牲者が出たのかわからなかったが、白無垢の呪いはなくなり、やがて世間からは忘れられていく。そして、誰も思い出せなくなり、呪いも古塚家の闇もひっ
Last Updated: 2026-04-04
Chapter: 第76話 母 ぐちゅっと皮膚が潰れるような音がした。二俣の指と腰の動きが急に止まり、そして体が後ろへと倒れていく。贅肉のついた重い体が床に倒れ、激突する音が響き渡る。(え……) 床に落ちた矢が消えていた。恐る恐る振り返ると、予想もしていなかった人物が美月の矢を片手に持ってたたずんでいた。 美月をしっかりと見据えた瞳は輝いており、口元には気づくか気づかないかくらいの微笑が作られていた。「母、さん?」 古塚しのぶ──美月の母親だった。母は微かに頷くと、倒れている二俣の足を持って暗闇の奥まで引きずっていく。「待って! 母さん何してるの? 今までどこにいて!? なんで、なんで──こんなことになってるの!?」 これまでの思いを全てぶち撒けるような美月の訴えに母の足が止まった。ゆっくりと振り返る。暗くて表情は読めないが、美月には確かに母の顔が笑顔になっていると感じられた。「……今までもこれからも、ごめんね、美月……そしてありがとう」 それだけだった。たった一言、消え入りそうな声でそれだけを言うと、それきり美月の母は二俣を連れて暗闇のなかへ消えていった。「母さん、待っ──」 伸ばした手を慌てて引っ込める。追いかけて行くことはもちろんできただろう。でも、美月はそれを選択せずに母親に背を向けると階段を登っていく。 走る美月の脳裏にはこれまでの思い出がまるで走馬灯のように駆け巡っていった。 外へ出る。永遠に続くかと思われた夜の闇は薄らぎ白み始めていた。 ボッと地下室から炎が上がる。美月は一瞥しただけでその場を去ると、階段のところで倒れたままの乃愛の所へと急いだ。 
Last Updated: 2026-04-03
Chapter: 第75話 妄執(なんで、なんでこんなこと──) 「そんなに怖がる必要はない。やっと二人きりになったんだ。もう、気持ちを隠す必要はないんだよ」 二俣の手が美月の腰に触れた。美月は声を上げて体を捻り逃れたが、すぐに両腕を掴まれて壁に顔を押し付けられる。「やめてっ! 先生──なんでっ!」「──なんで? 白無垢の恋唄だよ。名前を書けば誰でも結ばれるんだよね」 愕然とする。二俣の手がまた弄るように腰を撫でた。虫唾が走るような怖気に美月は唇を噛んだ。「このまじないを知ったとき。絶対に、馬鹿な男子生徒が君の名前を書くと思った。だから、半信半疑で僕が先に書いたんだ。びっくりしたよ。そしたら、すぐに君から連絡が来るんだから。まさか呪いもついてくるとは思わなかったから、そこは予想外だったけどね。まあ、でも障害を乗り越えて二人は結ばれる──そういう運命だったのかもしれない」 二俣は下卑た笑い声を上げた。指先がTシャツの下に侵入してきて、美月は大声を上げながら抵抗した。 思えばトンネルで白無垢の女に襲われたときからおかしかった。恋唄を詠んだ者とその想い人だけが襲われるはずなのに、最初に襲われたのは自分と二俣だった。乃愛は一人で車の中にいたのに。(最初からそういう目的だったの? 励ましの言葉も全部が全部、このために?)「もっと早く結ばれるはずだったのにね。でも、仕方ない。君はずっと如月さんと一緒だったから。なんでか知らないけど、一人になっちゃダメとか余計なことを……でも、ほらもう君と僕の二人しかいない。もう演技する必要はないんだよ、美月」 名前を呼ばれただけで汚された気持ちになる。体全体が拒否しているのにも関わらず、二俣は妄執していた。 白無垢の恋唄の力
Last Updated: 2026-04-02
Chapter: 第74話 急変と裏切り 美月はしばらく茫然と立ち尽くしていた。閑寂とした暗闇の中、風の音と足音だけが上の方から聞こえてくる。 ずっと握り締めていた手のひらを開くと、顔の前で何度か指を動かした。(……私の体だ) 五本の指は欠けることなくしっかりと付いたままなのに、指先に痺れる感覚が残っている。指先で文字を書いた感触も、人形を抱き締めた感触も残っている。 だからか、目尻から涙が出てくるのを止めることができなかった。長い年月を経てようやく、呪いは解かれ祝福が訪れたのだ。 美月は涙を拭いて人形を牢の奥に並べて置くと、弓矢を弓袋に入れて、乃愛のところへ戻るために格子を開けて外へ向かった。歩く度に噛まれた首が痛むが、血はほとんど出ていない。 バタバタと走る足音が止まり、階段を降りてくる。「古塚さんっ!」 美月の姿を見て二俣が声を張り上げた。急いで走り寄ると、首の傷に目を向け大きな手で美月の首を覆う。(……え)「応急処置をしないと! 今、圧迫してますから!」 いきなり首を触られたことにびっくりしたが、美月は言われるがままに大人しくしていた。それより気になるのは、乃愛の容態だ。「先生、乃愛は?」「如月さんは無事です! 車の中で言ったでしょう。古塚さんはもっと自分を大事にした方がいいって。今は自分の傷の心配をしなさい」「無事……?」 無事なわけがない。白無垢の女に襲われて動けなくなるほどだった。すぐに治療できない今の状態で、無事なはずがない。 胸騒ぎがした。乃愛のこともそうだが、何かがおかしい。不意に二俣と視
Last Updated: 2026-04-01
Chapter: 第73話 同化する心 牢の一番奥、過去の記憶の中で白無垢の女が暗闇に消えていった辺りに人形を並べておく。後ろを振り返る間もなく蟲達が美月の体中を包み込み、首筋に激痛が走った。 意識が遠のいていく。暗闇に引きずり込まれていく。全身へと群がる蟲が顔を包み込み、やがて瞳を黒く塗りつぶした。 過去の記憶が流れ込む。突如、村から攫われ、牢に閉じ込められて来る日も来る日も男どもに襲われる地獄のような毎日──場面は変わり、出産を迎えたときには生まれた我が子の首を締め手に掛けようとした。 憎しみが募り、怒りが蓄積し、呪いが溜め込まれていく──。 美月は、指を噛み切った。痺れる痛みだけが地獄の底にいることを忘れさせてくれた。体の中から溢れ出てくる恍惚に身を委ねて、指を壁に擦り付けて文字を刻む。 暗闇に囚われた心は、白無垢の女と同化していた。美月は白無垢の女として想い人に心を馳せ、そしてまた運命に呪いを施す。 美月は、自分を汚した男どもを、無理矢理産まされた子ども達を、そして運命に巻き込まれた自分自身を呪い続ける。──何よりも誰よりも呪いたいのは、汚れたこの体、この心だ。 血が垂れ落ち、木板が吸った。一心不乱に文字を書き綴っていた美月は荒い息を吐きながら格子の前に座り込む。 目を瞑る。色褪せることのない想い人の顔が瞼の裏に蘇り、美月は呻き声を上げながら腕を伸ばした。何もない空だ。匂いも手触りも声も何も感じない。 いつもはそのはずだった。どんなに求めても叶うことはなく、血と皺だらけの手は何も掴むことができないはずだった。 手に何かが当たる。不思議に思ってそれを掴み、目を開いた。2体の人形が手のひらの中にある。白無垢の人形ともう1体は──。 声が上がった。終ぞ出したことのなかった大声だ。しわがれた声が喉を鳴らし、白無垢の女は人形
Last Updated: 2026-03-31
Chapter: 第24話 ごきげんよう、罪の重さは自己申告でお願いしますわ! 乱暴に音を立ててカップを置いたお父様。わたくしはそのことを予想しておりました。 罪の味は、耐え切れないほどに苦い。特に頑なに罪を認めようとしない方には、わたくしのコーヒーはただの泥水と一緒。 ですから。 「お父様。こちらの砂糖をお試しください」 わたくしは小瓶の中から黒砂糖を一つつまむと、お父様へ。お父様は一度逡巡しましたが、わたくしの手のひらから黒砂糖をつかむとコールタールのような真っ黒なコーヒーの中へ。 スプーンでかき混ぜると、香りがほんの少し変わります。苦い罪の味がすぐに受け入れられないのであれば、口あたりを変えればいいのです。 お父様は改めてコーヒーを飲みました。目が少し開き、カップを置くと、味を確かめるようにもう一口。 わたくしはその行動に、微かな、でも確かな希望を見ました。お父様は罪を味わおうとしているのです。 カップを置いたお父様は、目を閉じると腕を組みます。 しばし沈黙が続きました。コーヒーの香りと静かな談笑が続く店内で、わたくしたちだけが時が止まったようでした。 口を開いたのは、ハンカチで涙を拭ったお母様。 「あなた、諦めてください。もう、意地を張るのはやめて。リディアの想いがあなたにも伝わったはずです」 強い口調でした。わたくしの記憶がある中で一番強い口調。 いつも付き従うだけだったお母様に意見を言われ、お父様は腕組みを解きます。そして、居心地悪そうにわたくしに視線を向けました。 瞳の中が揺れます。お父様に真正面から見つめられることは、本当に久しぶりのことでした。 「……私は、私のやり方で貴族の責務を果たした。一つの失敗が次の失敗を生み、やがてそれは領地全体の混乱として広がっていく。……だから私は、お前を──赦すことができなかった」 そう言うと、お父様はカップに手を伸ばしコーヒーカップを手にしました。 「私がやったことは間違いとは思わない。──だが、もしかしたら他のやり方があったのかもしれぬ。……リディア、ともかくこのコーヒーは……悪くない」 お父様は顔を背けたまま、コーヒーを飲むと席を立ちました。 「今日は帰ろう。……ところで、クラリス!」 突然、お父様はクラリスの名前を呼びました。そばにいたクラリスは変な声を出すと、驚いたのか両肩を
Last Updated: 2025-10-06
Chapter: 第23話 白無垢のミオリナ・カフェと、贖罪のフォルテ・ルシアン お母様にお出ししたのは、「白無垢のミオリナ・カフェ」。 最も口当たりが柔らかなミオリナ・ブレンドにミルクをたっぷり入れて、花蜜を加えた一杯。ミルクの白さに隠れていますが、しっかりとコクのあるコーヒーが存在している。赦しへの希望と優しさを伝えるコーヒーですわ。「お父様にはこちらを」 お父様には、アルヴィカ・ルシアンの深煎りにさらに炭を混ぜた強い苦味のあるコーヒーを。 さらに今回、わたくしは初めて直接コーヒー豆に火を当てる「直火焙煎」を行いました。いつものアルヴィカよりもさらに苦味とコクが一段階強くなっています。 その名も「贖罪のフォルテ・ルシアン」。「これが、リディアのコーヒー……普通のカフェとは随分と違うのね」 遠慮がちに口を開いたのはお母様でした。お父様の前で見せるトゲトゲしさは今はなく、穏やかな表情。「ええ。当店ではお客様の罪に応じて豆も味も変わります。わたくしがお二人の罪に一番合うコーヒーを淹れました」「……罪に合うコーヒー」「やめろ」 お母様がカップに手をつけようとしたところで、お父様の硬い声が響き、空気が張り詰めました。「コーヒーで罪が測れるわけもない。茶番だ、帰るぞ」 立ち上がろうとしたお父様に、レオナール様がお声を掛けます。「また逃げるのですか? 娘がこうして向き合っているのに──あなたは逃げるのですか。グレイス候」 レオナール様の言葉の中には、見えない怒りが滲んでいます。わたくしのためを思ってくださる熱が感じられます。&nb
Last Updated: 2025-10-03
Chapter: 第22話 特別な一杯を 「断罪カフェ」が断罪から免れ、教会から正式に認められて一月──カフェは前以上のにぎわいを見せていました。 遠方からのお客様も多数訪れるようになり、中にはこっそりお忍びでやってくる貴族の方々も……。「お待たせしました。アルヴィカ・ルシアンの深煎りです」「ありがとう。リディア」 コーヒーを提供したのはまさかのセドリック様。セドリック様はコーヒーカップを受け取ると、まじまじとわたくしの顔を見つめました。「……すまなかったリディア。私はどうかしていたんだ。このカフェで立派に働く君の姿を見て、そして王子が懇意にしていることも知って、私は──」 セドリック様の噂は、聞いています。わたくしを追放したきっかけをつくったエリス様も、今となってはカフェの常連客のお一人。 口を開けば、セドリック様も含めた愚痴ばかり言っていますから。 あの一件以降セドリック様の性格の悪さが露呈し、周囲からは避けられ婚約も進まないこと、もちろんエリス様も愛想を尽かして婚約を破棄したこと、悪い噂ばかり聞いています。 私は内心「ざまぁ」の気分を楽しんでいるのですが、こう何度も通われるのはさすがに迷惑ですわ。 しおらしい態度を装っているセドリック様の本心もお見通しなのですから。「どうだろう、リディア。もう一度──婚約者というわけにはいかない、一人の友人として付き合うというのは……?」 わたくしはいつかのように差し出された手を拒否し、そのままコーヒーカップを押し当てました。「わたくしを二度も断罪しようとしたこと、忘れたとは言わせませんわよ? 今、こうして、お客様と
Last Updated: 2025-10-02
Chapter: 第21話 どうか、赦しの一杯を「お父様。あなたがわたくしを断罪しようとし、わたくしの店を嫌った理由は明白ですわ。家の名誉。己の体面。そして、追放したはずのわたくしが賞賛されていること。それが、赦せなかったのでしょう?」「……リディア……!」 大司教様は、深く長く息を吐きました。「残念ながら、断罪するべきものが誰なのか、もはや明白ですね──」「お待ちください、大司教様。わたくしは父を断罪したくはないのです」「リディア!」 わたくしはレオナール様に微笑みかけました。大丈夫です、と伝えるために。「もし、今この場で父を断罪すれば、わたくしは自ら断罪カフェを否定することになります」「うぅむ……」 わたくしの言葉に、大司教様が立ち上がります。眼鏡を外し、しばしの沈黙の後、思慮深げに口を開きました。「なるほど……ならば、リディア様。私にも一杯、あなたのコーヒーをいただけますか?」 目を見開いたわたくしは、思わず姿勢を正し──悪役令嬢ではなくカフェの店主として頭を下げました。「承知しました。心を込めてお淹れいたしますわ。しばし、お待ちください」 そして、わたくしはクラリスの名を呼ぶと、ドレスの裾を持って背筋を正したまま、扉へ向かいました。 扉の前ではセドリック様が、情けない困惑顔で立ちすくんでいます。「…
Last Updated: 2025-10-01
Chapter: 第20話 今、断罪のとき ざわつく教会。ことの重大さに気づいたお父様が一歩前に出て、無理に笑みを張りつけて言いました。「……ま、待ってくれ。これは誤解だ」「グレイス様。誤解ではありません。……大司教様。使用人を代表して私が証言をしても?」 眼鏡を上げると、大司教様は微笑みを浮かべてうなずきました。しかし、阻止するようにお父様は声を荒げました。「やめろ! めったなことを言うな! お前たち、いつクビにしてもいいんだぞ!!」 脅し。とても卑怯な、貴族とは思えないやり方。お父様はそうやっていつも支配してきました。わたくしも含めてみんなを。 しかし、今度ばかりはそうはいきませんでした。わたくしたちがいるのは、教会。つまびらかに罪を明らかにする場所。 つまり、お父様の権威はここではなくなるのです。「……クビにしていただいて構いません。私たちはグレイス様と司教様が、リディアお嬢様の断罪カフェを潰そうと密かにやり取りしているのを聞いていました。私一人ではなく、私たちリディア様の使用人全員が、その証人です」「ち、違う! お前たちは誤解をしているのだ!」 情けない父の姿に、わたくしは哀しくなりました。あんなに大きかったはずなのに、今はとても小さく見えます。 なおも無理な弁解を続けようとするお父様の姿を見て、レオナール様は呆れたようにため息を吐きました。「私の従者に調べてもらった。この一月の間に、グレイス侯とベスティアン司教は何度も不自然な面会を重ねている。それに、あなたはここへ来る際に嬉々としていた。娘の──リディアが再び断罪の憂き目にあうやもしれないというのに……」
Last Updated: 2025-09-30
Chapter: 第19話 悪役令嬢のように、気高く「その通りですわね」 いら立つ司教様とは反対に、わたくしはゆっくりと口元に微笑みを浮かべました。物語の悪役令嬢が、そうするように。「ですが、断罪カフェの話を持ち込んだのは司教様ではありませんね?」「な、なにを言う!」「ふふっ。焦りがわかりやすく顔色に出ていますわよ。──断罪カフェが神を騙る。それが事実なら大問題でしょう。しかし、それが事実ではないとしたら? 誰かが仕組んだ罠だとしたら?」「誰かが仕組んだ? 罠? そんな絵空事、どこに証拠が──」「まだ気づかれないのですか? 今、ここに集まったのはグレイス家の使用人の方達ですわ」「「なっ……!?」」 司教様とセドリック様は仲良く一緒に驚きの声を上げました。「……グレイス家、つまりはグレイス伯爵の使用人ということですな?」 大司教様が立ち上がり、みなさまに視線を向けます。「大司教! 信じてはなりません! 私が──」「ベスティアン司教。これだけ多くの民が押し寄せているのです。話をうかがわなければ、それこそ神に背くことになる──私はそう思いますが」 落ち着いた大司教様の言葉にベスティアン司教様は何も言い返すことができずに、その場に座りました。一方、セドリック様はお顔を真っ青にされています。「あ、ああそうだ。申し訳ない、危急の用事を思い出しました。私はこれで失礼します」 震えた声でぼそぼそととってつけた嘘を述べると、セドリック様は慌てて教会の外へ出ていこうとしました。「おや、セドリック様。今、あなたの証言により一人の女性の罪が決まろうとしているのですよ」「す、すぐ戻りますから! 失礼しま──」 セドリック様が扉に手をかけたそのとき、見計らったかのように外側から扉が押し開かれ、セドリック様の顔に当たりました。 現れたのは、金糸の髪に青い瞳。ああ、やはりレオナール様、来てくれたのですね……!!「ぐぬぬ、誰だ! 私にこんな真似を──!?」 鼻を手でおさえながら典型的な悪役の台詞を吐いたセドリック様を見て、王子はくすりと笑いました。「レオナール王子!? なんでここに!」「なぜとは心外な。私はここへ、不正を暴きに来ただけ」 その場の空気が、一気に張り詰めました。「大司教。断罪カフェをめぐる一連の事件。勝手ながら私も独自に調査をしました」 朗々とした声で話しながら、レオナール王子が進
Last Updated: 2025-09-29
Chapter: 第43話 人か咎人か 手から銀の剣が落ちていく。カランカラン、と地面に当たった音がした。 神に祝福されたと思ったのに。運命から逃れられると思ったのに。巡り巡ってまた呪われた運命は、最悪なタイミングでやって来た。 無精髭を生やした咎人は、何も言えないでいる私の態度に満足したのかその笑みをさらに広げた。「最初はな、あの場で王子をさらおうと思っていたんだ。ベルテーンの城下町でたいした護衛もつけずに歩いているところをな。神の紋章の一つ、太陽の紋章を授かったばかりの王子をさらえばいい交渉ができそうだろう。場合によっては、月の国──終わりの盾の国に渡したっていい」 全身が震えているのがわかる。顔を上げられない。王子の顔を、綺麗な碧の瞳を見ることができない。「だけど、お前が現れて気が変わった。王子の秘書官などと大層な肩書だが、お前の血には咎人の血が流れている。そうだろ?」 ティナ・アールグレン! 剣を拾え! 動け! 頭を回せ! 王子が──王子が待ってる。助けなきゃいけない。王子を守るために嘘をつき通してまでここまで来た! ……はずなのに。「母親を殺したとき、お前は弱かった。守ろうとすることも歯向かうこともできないほどにな。だから捨て置いたのだが、予想外にお前は強くなっていた。今のお前の力は、我ら神に見捨てられた咎人のために使うべきだ。この世界を変えるためにな」「あ……あっ……」 息がうまく吸えない。頭に痛みが走り、ぐるぐると視界が回る。父が倒れ、母が刺され、血が流れるあの夜の記憶が何度も何度も頭の中で回り続ける。「来い。ティナ・アールグレン。忘れたのか? お前は我々と同じ、人の創るこの世界に居場所などないただの咎人だ」 …
Last Updated: 2026-04-28
Chapter: 第42話 王子と咎人 これが戦場ならば血なまぐさい臭いに鼻が曲がっていたことだろう。 もう何十体かわからないほどに沸くフォヴォラを両断しながら、ひたすら真っ直ぐに進み続ける。洞窟はまだ掘られたばかりなのか、途中に分かれ道などはなく、迷うことなく王子がいるであろう最奥へと向かっていけている。 また、幸いなことに街で襲ってきたような、あるいは宮殿を襲ったような大型のフォヴォラも出現せず、野生動物に毛が生えた程度の影しか出てきていない。 光がある以上、影はある。だから咎人は無限にフォヴォラを創り出すことができるのだろうか。この能力が神の力だとするならば、その可能性だって十分にある。 突然、地面から飛び出るように姿を現した黒い影をわけもなく斬り捨てる。と、ほのかに揺れる灯りが見えてきた。 王子! 罠かもしれない。いや、十中八九罠だろう。それでもその灯りの方へ私の足は止まることがなかった。 灯りの下へ足を踏み入れると眩い光に襲われ目が眩んだ。鈍く光る黒い光だ。 寒気がするような禍々しい光が消えると、今までいなかったはずのフォヴォラの姿があった。 人よりも二回りほど大きな、毛むくじゃらの巨人。それが大木のような太い腕を振り上げる。そのまま押し潰すつもりだろうが、振り下ろされる前に二本の腕は切り落とされ、次の瞬間には首がはねられていた。 着地。と、同時に拍手の音が聞こえた。音がする洞窟の奥を見れば上半身を縄で縛られた王子が固い地面に横たわっていた。「王子っ! 今! 助けます!」「ダメだ! 来るなティナ!」 駆け出そうとしたそのときだった。一人の男が灯りの当たらない暗がりから、まるで暗闇が分離したように静かに姿を現した。
Last Updated: 2026-04-25
Chapter: 第41話 記憶の葛藤 地を蹴り、空を舞い、視界に入ったフォヴォラを王からもらった銀の剣で次々に斬っていく。息はとっくに乱れて心臓がうるさいくらいに早鐘を打っているが、疲れるどころか指の先から足の先まで力が張り巡らされているように体は軽かった。 でも、心は次へ次へと急いでいた。頭の片隅ではあの光景がずっと続いている。今は、1秒でも早く王子の捕われた場所を見つけなければいけない。 今こそ冷静になれ、ティナ。何も考えなくていい。やることはと言えば敵の殲滅。そのためにするべきなのは剣を振るい、目の前の怪物をただただ消していくことだけ。 醜い豚のようなフォヴォラが列をなして向かってくる。「契約」の言葉を述べて強化した力で剣を横薙ぎにすると、一陣の風が撫でるようにフォヴォラの体を真っ二つにしていった。「あそこだ」 開けた視界の先──梯子をいくつか上った先にある洞穴から、新たに何体かのフォヴォラが出現した。おそらくは鉱山夫が鉱石を掘り出すのに掘り進めた洞窟だ。「王子……」 剣を片手に持ち直して今にも壊れそうな梯子を上り始める。洞窟付近に群がった羽の生えた怪物たちが金切り声を出して滑空してくる。鋭いくちばしが顔に触れる寸前に剣で薙いだ。 思わず舌打ちが出たのは、一体仕留め損なったからだ。左の頬に燃えるような痛みが走り、血が滴り落ちていた。「うるさい!」 岩山の間を回旋し、もう一度鳴き声を上げながら突撃してきたところを確実に切り捨てた。 止血する間も惜しんで次の敵が出てくる前に梯子を上り続ける。洞窟が見えてきたところで、周辺に現れたフォヴォラを下から跳び上がって仕留めると、そのまま何の光も見えない洞窟の中へと入っていった。「マリク王子!」
Last Updated: 2026-04-23
Chapter: 第40話 追跡 王子の声が聞こえない。なんで──。「貴様! 王子をどうしたっ! 王子の身を守っていたんじゃないのか!?」 王子の側にいたはずの近衛兵の胸ぐらをつかむ。近衛兵は手を振りほどこうとしながらも何度も首を横に振った。「も、申し訳ありません! 今のフォヴォラの攻撃で」「くっ……他の者は!」 静寂が「NO」と答える。このままじゃ、あのときと同じになる。 私の脳裏に、思い出したくない記憶が浮かんだ。王子をこの手で──。「見ていないのか!? 誰か! 誰でもいい! フリーダにアーダン! 答えて! 王子は! 王子はどこっ!?」 誰も何も言わない。神妙な雰囲気が今の状況を間違いなく現実だと告げていた。私の手を誰かがつかんだ。「ティナと申したな。落ち着け」 イヴァンナが胸ぐらをつかんでいたままの私の手を力づくでほどいた。「落ち着けって、これが落ち着いていられるわけ──」 握ったままだった剣を構える。「ティナ! 待ちなさい!!」 フリーダの声が飛ぶも、構ってなどいられない。「待たない。王子を探す。まだ遠くには行ってないはず!」 そのとき、イヴァンナの手が私の頬をはたいた。「落ち着けと言っている。無意味な仲間割れをしている場合ではないぞ。貴重な時間が無駄になる」 頬が痛む。視界が滲む。涙が出るのは痛みからではない、恐怖からだ。マリクをまた失ってしまうかもしれない。
Last Updated: 2026-04-21
Chapter: 第39話 急襲と共闘「王子! 無事ですか!?」「大丈夫だよ……だけど、これは」「王子は後ろへ下がっていてください! 全員王子を守れ! アーダン、フリーダは私とともに敵を迎撃する!」 勢いよく白銀の剣を引き抜くと、一足飛びに近付いて飛び上がった。両手で柄を握り締めて上段から振り下ろす。 が、硬い金属音が響き刃は返されてしまった。窓から突き出た顔に当たったもののまるで手応えがない。「ティナ! 避けて!」 張り上げた声に真横へと転がる。フリーダの分厚い炎の壁が同じく長い嘴《くちばし》のついた鳥のような顔へと命中する。続け様にアーダンが槍を真正面に構えて特攻する。「これで、どう!?」「……いや、ダメだ」 炎と黒煙が消えていくも、全く無傷の状態の様子で怪物は口を開けて咆哮した。「硬すぎる」 もう一度、剣撃を喰らわせるか。いや、効果があるのかどうか。それに敵の攻撃がまだわからない。対応を逡巡していると、ふわりと軽快な足取りで何者かが私の横へと舞い降りた。「貴公らでは埒《らち》が明かぬな。力を貸そう」「アヌ王!」「その呼び名は好きではない。気軽にイヴァンナと呼んではくれまいか」 そう言うと、王は左手を掲げた。その手に宿るのは当然、9つの神の紋章の一つ──〈大地の紋章〉。またの名を〈豊穣の斧の紋章〉。 生い茂る葉のような色鮮やかな緑の光が紋章から発せられると、自身の背丈の優に3倍を超えると思われるほどの巨大な斧が現れた。イヴァンナは、その得物を軽々と振り回すと斜めに構えて怪物と対峙した。「皆の者、今一つ我の後に続け!」 王は風のように速く移動すると、躊躇なく飛び掛かっていった。上段、中段、下段と絶え間なく斧による斬撃が浴びせられる。一打、一打、攻撃が振るわれると同時に空気が破裂するような音が生じ、見間違いかもしれないが空間が歪む。「あれが、〈大地の紋章〉……アーダン! フリーダ! 私達も追撃を!」 両者から掛け声が返ってきた。気を取り直して、剣を構えて走ると、壁を伝ってシャンデリアの上へと跳び上がる。 バルスコフ大将は自らの拳を振るって戦っていた。肉体強化型の紋章なのだろう。アーダンも再び突撃し、長い槍を繰っていた。イヴァンナも変わらず、常人には持ち上げるのも不可能と思われるほどの斧を振るっていた。 攻撃はもう何十回と当たっている。だけどそれでも突き崩せな
Last Updated: 2026-04-18
Chapter: 第38話 イヴァンナ・アヌ 王子もまた挨拶を交わした。 アヌ国の王は、女性だが、体つきががっしりとしている。一見、細くしなやかに見えるが、長い間欠かすことなく鍛錬を積んできた体だ。 そして何より、王と呼ばれるにはまだ若い。血気盛んな雰囲気は、常に戦いに身を置く者の力強さを感じさせる。 お互い形式的な挨拶を交わしたところでアヌの王が私の方を向いた。「おや、貴公は?」「ティナ・アールグレン。私の秘書官です」 ここらへんは、前の記憶と同じ。固い挨拶は変わらないのだろう。「面構えがしっかりしている。それに隙がない。秘書官という割には若いが、将来有望と言ったところか。歓迎しよう。政治の場にいる女性は貴重だからな」 前回と同じように、何も言わず深々と頭を下げた。言い方にどこかトゲがあるのは気になるが、私が何かを言える立場ではない。 アヌ王は玉座に戻ると、質素な造りの肘掛けに腕を置いて頬杖をついた。「して、だ。王子。一つ気になる噂を聞きつけてな。少しいいか?」「フォヴォラの件ですね」「そうだ」「聞くところによると、ベルテーンの成人の儀の翌日に襲われたらしいな。しかも貴公は少人数で街に繰り出していたとか。この者たちと同じか?」「はい、そうです」「なるほど。まあ、咎人が人前に現れるのは久方ぶりのこと。対応が後手に回ったのは仕方のないことだろう。だが、それと同じ人数だけで我が国に訪れるというのは、いささか思慮に欠けるのではないか?」 つっ……。回りくどい嫌な言い回しだ。王子の表情を窺うが、平然と見返していた。
Last Updated: 2026-04-03