LOGIN貴族社会から盛大に追放された悪役令嬢リディア。 前世の記憶をもとに教会の片隅で開いた「断罪カフェ」は、罪悪感ごと煮詰めて抽出する名物コーヒーだった。 ところが常連のなかに、紛れているのは王族!? 恋とスローライフが同時抽出される、人生再焙煎コメディただいま開店! ※毎週月~金の20時更新予定
View More深煎りのコーヒーの香りが教会の無垢な白壁に染み込む頃、わたくしの一日は始まります。
その名も「断罪カフェ」。とある理由で断罪からの追放されたわたくしに与えられた教会の一隅──今は使われていない納骨室を改装して開店した本格焙煎珈琲喫茶です。
ご紹介が遅れましたわ。
わたくしの名は、リディア。姓は──以前は長ったらしい名前がありましたが、追放と同時に失いましたの。
そう、わたくしはいわゆる悪役令嬢。ですが、追放された今となっては
断罪カフェという物騒な名前は──おっと、最初のお客様、神父様がいらしましたわ。
罪の重さに合わせて抽出したコーヒー、味わっていただきましょう。
「……ごきげんよう神父様。今日のコーヒーは、深煎りのデゼルコーヒーのブラック。罪悪感によくお似合いですわ」
デゼルコーヒー。前世で愛した深煎りにそっくり。
そう、わたくしは異世界転生者。こうしてのほほんとカフェを営めているのも、前世の知識と経験のおかげ。
前世はブラック企業のOL。コーヒーだけが生きがいで、まさかの過剰摂取で死にましたの。
「うむ……くっ……苦い、苦すぎる。だが、不思議と沁みわたる味わい。これが、罪の味か……」
「懺悔の味ですわ、神父様。明日は軽めに抽出いたしますから、いい加減、神に仕える身のくせに罪を増やすのはやめていただけますか」
これが、罪の味か……じゃないですわ。
神父様がなめらかな光沢を帯びた真っ黒なコーヒーと格闘している間に、私はお店の外に出て看板を掲げますの。
わたくしの元メイドで今は共同経営者のクラリスが見事な達筆で書いた「断罪カフェ」の看板。
断罪カフェは、カウンターが3席、テーブルが2つだけの小さなお店。教会で懺悔をした者のみが入る資格のある罪と赦しの憩いのカフェ。
今日も、元気に開店いたします。
「クラリス。お水をもう一杯お願い」
店内に戻ると、神父様はいまにも絶望に瀕しそうなひどい顔をしていましたわ。
「了解です、お嬢様! あっ、神父様、今日の罪は自覚ありですか?」
出されたお水を一気に飲み干すと、神父様は震える手でカップに手を付けますの。
「ぐぅ……さっき懺悔したばかりだ」
「懺悔したばかりなのに再犯とは──コーヒーが許しても神はお許しになるのでしょうか」
「言うな、リディア嬢。神はどんな罪をもお許しになられる。……懺悔さえすれば」
こんなことばかり言っていては、一向にコーヒーは薄まりませんわ。
そんなやり取りをしていると──カラン、と扉の開く音がして次の来客がやってきます。
目深にフードを被った黒ずくめの殿方。明らかに素性を隠したい気持ち見え見えのご様子ですが、いつものように詰めが甘いですわ。
翻ったマントにつけられた金の刺繍は、本物。つまり、やんごとなきお方の印。
「リディアお嬢様! 今日も来ました! またあのお方です! 絶対に王族です!」
「クラリス、いつも言っていますが……あなたの声のボリューム、最低あと8割抑えていただけないでしょうか?」
慌てて寄ってきたクラリスは耳元でコソコソとしゃべっているつもりでしょうが、元々がよく通る声。全く筒抜けになっているのです。
「そんな悠長なことを言っている場合じゃないです! 事情をお聞きに──」
「タナカだ。今日は、アルヴィカ・ルシアンの深煎りを頼む」
クラリスの声を遮るように厳かな声で注文した「タナカ」様。
アルヴィカ・ルシアン。まあ、たとえるのならば前世で言うところのブルーマウンテン。1000メートルを超える高地の厳選された栽培地で、人が手ずから収穫する希少な一品。
しかし、この世界では深いコクと強い苦味が特徴ですの。それを深煎りで頼むということは。
「ずいぶんと罪が重いんですの?」
「そういうわけではないが……いや、そうかもしれない」
「わかりましたわ。知っての通り、断罪カフェは通常のコーヒーとは違う特別な一杯を提供します。ですので、少々時間をいただきますわ」
明らかに偽名を名乗る殿方は大きくうなずきました。
「ああ、頼む。その香りと味わいがいいんだ」
そうして、私は焙煎室──と言っても教会の物置──で特別に焙煎から始めました。
「クラリス。アルヴィカ豆をひとつかみ、お願い」
「はい、お嬢様」
アルヴィカ豆を手回し焙煎機に入れると、窪みに緋色の魔石をはめ込む。この魔石には初級の火魔法が込められていますわ。魔力で火力の調整をいたしますの。
焙煎するときのこの静かな熱気と豊潤な香りの中にいるのが、わたくしの心地のいい時間の一つ。
「お嬢様。タナカさんの素性を聞かないのですか?」
「必要ないですわ。断罪カフェに必要なのは、罪。罪を犯したものは、みな同様にお客様。お客様にあれこれと事情を聞くのは野暮というものですわ」
豆が爆ぜる音が聞こえ、タイミングを見計らって焙煎機を止める。普通コーヒー豆は風味が安定するまでここから3日は置くのですが──。
「これをすぐにミルで砕き抽出しますわ。クラリスはネルドリップの用意を」
「わかりました!」
ネルドリップは、紙ではなく布を用いたドリップの方法。紙でもいいのですけれど、ネルドリップの方が柔らかい口当たりになりますのよ。
でき上がったコーヒー粉をネルドリップに入れて、熱湯で抽出する。……断罪カフェのアルヴィカ・ルシアンは、あまりにも雑味と苦味がひどい荒々しい味ですわ。これはだから、せめてもの慈悲。
「お待たせしました。アルヴィカ・ルシアン。ブラックの深煎りですわ」
「うむ」
タナカ様は、フードを被ったまま香りを楽しむと一口。
「……非常に苦い。だが、不思議と上手いな。これは、我が国の武器になる」
タナカ様はぶつぶつと何かを呟きながら思いにふけっています。
断罪カフェに肩書きは不要。
──それに、もし本当に王族だとしたらいずれ向こうから正体を明かすはず。
それまでは気づかぬふりをして、わたくしは罪と赦しのコーヒーを提供する。心の重さに調整した一杯を。
*
神父様がいなくなり、外では教会の鐘の音が鳴り響きます。罪人も罪なき者も、日々の祈りに向かいます。
その小さな片隅で、今日もわたくしは静かなコーヒーの香りに包まれ、皮肉まみれの会話を楽しむ。
いいですわね。これこそが、私の求めていたスローライフというやつですわ。
断罪されたって、人生、ここから再焙煎できますわ。
「これは、代金だ。それではまた来る」
席を立つタナカ様に向けてわたくしは、お礼を述べていつもの口上を並べるのです。
「では、ごきげんよう。罪の重さは自己申告でお願いしますわ!」
乱暴に音を立ててカップを置いたお父様。わたくしはそのことを予想しておりました。 罪の味は、耐え切れないほどに苦い。特に頑なに罪を認めようとしない方には、わたくしのコーヒーはただの泥水と一緒。 ですから。 「お父様。こちらの砂糖をお試しください」 わたくしは小瓶の中から黒砂糖を一つつまむと、お父様へ。お父様は一度逡巡しましたが、わたくしの手のひらから黒砂糖をつかむとコールタールのような真っ黒なコーヒーの中へ。 スプーンでかき混ぜると、香りがほんの少し変わります。苦い罪の味がすぐに受け入れられないのであれば、口あたりを変えればいいのです。 お父様は改めてコーヒーを飲みました。目が少し開き、カップを置くと、味を確かめるようにもう一口。 わたくしはその行動に、微かな、でも確かな希望を見ました。お父様は罪を味わおうとしているのです。 カップを置いたお父様は、目を閉じると腕を組みます。 しばし沈黙が続きました。コーヒーの香りと静かな談笑が続く店内で、わたくしたちだけが時が止まったようでした。 口を開いたのは、ハンカチで涙を拭ったお母様。 「あなた、諦めてください。もう、意地を張るのはやめて。リディアの想いがあなたにも伝わったはずです」 強い口調でした。わたくしの記憶がある中で一番強い口調。 いつも付き従うだけだったお母様に意見を言われ、お父様は腕組みを解きます。そして、居心地悪そうにわたくしに視線を向けました。 瞳の中が揺れます。お父様に真正面から見つめられることは、本当に久しぶりのことでした。 「……私は、私のやり方で貴族の責務を果たした。一つの失敗が次の失敗を生み、やがてそれは領地全体の混乱として広がっていく。……だから私は、お前を──赦すことができなかった」 そう言うと、お父様はカップに手を伸ばしコーヒーカップを手にしました。 「私がやったことは間違いとは思わない。──だが、もしかしたら他のやり方があったのかもしれぬ。……リディア、ともかくこのコーヒーは……悪くない」 お父様は顔を背けたまま、コーヒーを飲むと席を立ちました。 「今日は帰ろう。……ところで、クラリス!」 突然、お父様はクラリスの名前を呼びました。そばにいたクラリスは変な声を出すと、驚いたのか両肩を
お母様にお出ししたのは、「白無垢のミオリナ・カフェ」。 最も口当たりが柔らかなミオリナ・ブレンドにミルクをたっぷり入れて、花蜜を加えた一杯。ミルクの白さに隠れていますが、しっかりとコクのあるコーヒーが存在している。赦しへの希望と優しさを伝えるコーヒーですわ。「お父様にはこちらを」 お父様には、アルヴィカ・ルシアンの深煎りにさらに炭を混ぜた強い苦味のあるコーヒーを。 さらに今回、わたくしは初めて直接コーヒー豆に火を当てる「直火焙煎」を行いました。いつものアルヴィカよりもさらに苦味とコクが一段階強くなっています。 その名も「贖罪のフォルテ・ルシアン」。「これが、リディアのコーヒー……普通のカフェとは随分と違うのね」 遠慮がちに口を開いたのはお母様でした。お父様の前で見せるトゲトゲしさは今はなく、穏やかな表情。「ええ。当店ではお客様の罪に応じて豆も味も変わります。わたくしがお二人の罪に一番合うコーヒーを淹れました」「……罪に合うコーヒー」「やめろ」 お母様がカップに手をつけようとしたところで、お父様の硬い声が響き、空気が張り詰めました。「コーヒーで罪が測れるわけもない。茶番だ、帰るぞ」 立ち上がろうとしたお父様に、レオナール様がお声を掛けます。「また逃げるのですか? 娘がこうして向き合っているのに──あなたは逃げるのですか。グレイス候」 レオナール様の言葉の中には、見えない怒りが滲んでいます。わたくしのためを思ってくださる熱が感じられます。&nb
「断罪カフェ」が断罪から免れ、教会から正式に認められて一月──カフェは前以上のにぎわいを見せていました。 遠方からのお客様も多数訪れるようになり、中にはこっそりお忍びでやってくる貴族の方々も……。「お待たせしました。アルヴィカ・ルシアンの深煎りです」「ありがとう。リディア」 コーヒーを提供したのはまさかのセドリック様。セドリック様はコーヒーカップを受け取ると、まじまじとわたくしの顔を見つめました。「……すまなかったリディア。私はどうかしていたんだ。このカフェで立派に働く君の姿を見て、そして王子が懇意にしていることも知って、私は──」 セドリック様の噂は、聞いています。わたくしを追放したきっかけをつくったエリス様も、今となってはカフェの常連客のお一人。 口を開けば、セドリック様も含めた愚痴ばかり言っていますから。 あの一件以降セドリック様の性格の悪さが露呈し、周囲からは避けられ婚約も進まないこと、もちろんエリス様も愛想を尽かして婚約を破棄したこと、悪い噂ばかり聞いています。 私は内心「ざまぁ」の気分を楽しんでいるのですが、こう何度も通われるのはさすがに迷惑ですわ。 しおらしい態度を装っているセドリック様の本心もお見通しなのですから。「どうだろう、リディア。もう一度──婚約者というわけにはいかない、一人の友人として付き合うというのは……?」 わたくしはいつかのように差し出された手を拒否し、そのままコーヒーカップを押し当てました。「わたくしを二度も断罪しようとしたこと、忘れたとは言わせませんわよ? 今、こうして、お客様と
「お父様。あなたがわたくしを断罪しようとし、わたくしの店を嫌った理由は明白ですわ。家の名誉。己の体面。そして、追放したはずのわたくしが賞賛されていること。それが、赦せなかったのでしょう?」「……リディア……!」 大司教様は、深く長く息を吐きました。「残念ながら、断罪するべきものが誰なのか、もはや明白ですね──」「お待ちください、大司教様。わたくしは父を断罪したくはないのです」「リディア!」 わたくしはレオナール様に微笑みかけました。大丈夫です、と伝えるために。「もし、今この場で父を断罪すれば、わたくしは自ら断罪カフェを否定することになります」「うぅむ……」 わたくしの言葉に、大司教様が立ち上がります。眼鏡を外し、しばしの沈黙の後、思慮深げに口を開きました。「なるほど……ならば、リディア様。私にも一杯、あなたのコーヒーをいただけますか?」 目を見開いたわたくしは、思わず姿勢を正し──悪役令嬢ではなくカフェの店主として頭を下げました。「承知しました。心を込めてお淹れいたしますわ。しばし、お待ちください」 そして、わたくしはクラリスの名を呼ぶと、ドレスの裾を持って背筋を正したまま、扉へ向かいました。 扉の前ではセドリック様が、情けない困惑顔で立ちすくんでいます。「…
ざわつく教会。ことの重大さに気づいたお父様が一歩前に出て、無理に笑みを張りつけて言いました。「……ま、待ってくれ。これは誤解だ」「グレイス様。誤解ではありません。……大司教様。使用人を代表して私が証言をしても?」 眼鏡を上げると、大司教様は微笑みを浮かべてうなずきました。しかし、阻止するようにお父様は声を荒げました。「やめろ! めったなことを言うな! お前たち、いつクビにしてもいいんだぞ!!」 脅し。とても卑怯な、貴族とは思えないやり方。お父様はそうやっていつも支配してきました。わたくしも含めてみんなを。 しかし、今度ばかりはそうはいきませんでした。わたくしたちがいるのは、教会。つまびらかに罪を明らかにする場所。 つまり、お父様の権威はここではなくなるのです。「……クビにしていただいて構いません。私たちはグレイス様と司教様が、リディアお嬢様の断罪カフェを潰そうと密かにやり取りしているのを聞いていました。私一人ではなく、私たちリディア様の使用人全員が、その証人です」「ち、違う! お前たちは誤解をしているのだ!」 情けない父の姿に、わたくしは哀しくなりました。あんなに大きかったはずなのに、今はとても小さく見えます。 なおも無理な弁解を続けようとするお父様の姿を見て、レオナール様は呆れたようにため息を吐きました。「私の従者に調べてもらった。この一月の間に、グレイス侯とベスティアン司教は何度も不自然な面会を重ねている。それに、あなたはここへ来る際に嬉々としていた。娘の──リディアが再び断罪の憂き目にあうやもしれないというのに……」
「その通りですわね」 いら立つ司教様とは反対に、わたくしはゆっくりと口元に微笑みを浮かべました。物語の悪役令嬢が、そうするように。「ですが、断罪カフェの話を持ち込んだのは司教様ではありませんね?」「な、なにを言う!」「ふふっ。焦りがわかりやすく顔色に出ていますわよ。──断罪カフェが神を騙る。それが事実なら大問題でしょう。しかし、それが事実ではないとしたら? 誰かが仕組んだ罠だとしたら?」「誰かが仕組んだ? 罠? そんな絵空事、どこに証拠が──」「まだ気づかれないのですか? 今、ここに集まったのはグレイス家の使用人の方達ですわ」「「なっ……!?」」 司教様とセドリック様は仲良く一緒に驚きの声を上げました。「……グレイス家、つまりはグレイス伯爵の使用人ということですな?」 大司教様が立ち上がり、みなさまに視線を向けます。「大司教! 信じてはなりません! 私が──」「ベスティアン司教。これだけ多くの民が押し寄せているのです。話をうかがわなければ、それこそ神に背くことになる──私はそう思いますが」 落ち着いた大司教様の言葉にベスティアン司教様は何も言い返すことができずに、その場に座りました。一方、セドリック様はお顔を真っ青にされています。「あ、ああそうだ。申し訳ない、危急の用事を思い出しました。私はこれで失礼します」 震えた声でぼそぼそととってつけた嘘を述べると、セドリック様は慌てて教会の外へ出ていこうとしました。「おや、
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