白無垢の呪恋唄

白無垢の呪恋唄

last updateLast Updated : 2025-12-01
By:  フクロウOngoing
Language: Japanese
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高校2年が間近に迫った春休み──古塚美月は、幼馴染の如月乃愛からSNSでつぶやけば必ず想い人と結ばれるという「白無垢の恋唄」の噂を耳にする。 全く興味のない美月だったが、不可思議な動画を見つける。それは、真っ暗闇のなかに佇む白無垢の女性の姿だった。 「白無垢の恋唄」を巡り広がる怪異に巻き込まれていく美月。やがてそれは、家族の秘密や自分の呪われた血筋が浮き彫りにしていく。 これは、「白無垢の恋唄」を巡る閉じない呪いの物語──。

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Chapter 1

第1話 常闇

 夜闇と言ってもあまりにも深い暗闇の中だった。行燈《あんどん》の光はおろか、火皿すらない。明滅する星々の明かりも照らす月の光さえも何もかもが一切存在しない常闇が辺り一面を支配していた。

 感じられるものと言えば、どこかから漂ってくる生温い風に鼻孔を覆わんとするばかりの強い腐臭、それに混じり時折微かに漂う錆びた鉄の臭いだけだった。──いや、そしてもう一つ間隔を置いて垂れる何かの音。

 真の暗闇の中では感覚は狂うばかり。何秒、何分、何時間──どれだけ時間が経ったのか、指の先さえ見えない真っ暗闇の中で時間の感覚はとうに忘れられている。果たして瞼《まぶた》が開いているのか、それとも閉じているのかすらわからない永久の牢獄。外界から切り取られたような異界の中で、女はひたすらに、ただひたすらに没頭していた。

 女。確かに女だと言えた。汗と脂に湧いてくる蟲の死骸がこびりついた髪の毛は顔を覆い尽くすほどで、泥と血に塗《まみ》れた肌には隙間がないほどに蟲が群がっていた。ただ唯一、羽織る衣服だけは穢れとは無縁で、生を押し潰そうとするほどの暗闇の中でも眩いほどの白い光沢を纏っていた。

 女は、何も発しなかった。言葉だけではなく声すらも。ただひたすらに頭《こうべ》を垂れ正座をし、微動だに一つしなかった。何も発しないその代わりに一念、また一念、と。ひたすらに願う。

 どこかから何かが垂れ落ちる音が聞こえる。水溜りに一粒の雨が落ちるようなその音がした瞬間。すかさず女の指が動いた。蟲のように俊敏に、蟲のように異形に。指は暗闇の中をなぞり、何度も何度も擦り付ける。

 女の指先はすでに失われていた。爪はそれがあった第一関節ごとごっそりとなくなり、中身が剥き出しのまま。そして、何度も何度も擦り付ける。

 やがてまた女は動きを止める。痙攣が止まったかのように再び正座をし、闇の中で頭を垂れる。

 女はひたすらに願っていた。願いを認《したた》めていた。言葉すらも声すらも吸収する墨色の籠《かご》のなかで、ひたすらに願っていた。

 ──永久に先君をば待たん暗闇に花の塵ゆく定めとしても 

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第1話 常闇
 夜闇と言ってもあまりにも深い暗闇の中だった。行燈《あんどん》の光はおろか、火皿すらない。明滅する星々の明かりも照らす月の光さえも何もかもが一切存在しない常闇が辺り一面を支配していた。  感じられるものと言えば、どこかから漂ってくる生温い風に鼻孔を覆わんとするばかりの強い腐臭、それに混じり時折微かに漂う錆びた鉄の臭いだけだった。──いや、そしてもう一つ間隔を置いて垂れる何かの音。  真の暗闇の中では感覚は狂うばかり。何秒、何分、何時間──どれだけ時間が経ったのか、指の先さえ見えない真っ暗闇の中で時間の感覚はとうに忘れられている。果たして瞼《まぶた》が開いているのか、それとも閉じているのかすらわからない永久の牢獄。外界から切り取られたような異界の中で、女はひたすらに、ただひたすらに没頭していた。  女。確かに女だと言えた。汗と脂に湧いてくる蟲の死骸がこびりついた髪の毛は顔を覆い尽くすほどで、泥と血に塗《まみ》れた肌には隙間がないほどに蟲が群がっていた。ただ唯一、羽織る衣服だけは穢れとは無縁で、生を押し潰そうとするほどの暗闇の中でも眩いほどの白い光沢を纏っていた。  女は、何も発しなかった。言葉だけではなく声すらも。ただひたすらに頭《こうべ》を垂れ正座をし、微動だに一つしなかった。何も発しないその代わりに一念、また一念、と。ひたすらに願う。  どこかから何かが垂れ落ちる音が聞こえる。水溜りに一粒の雨が落ちるようなその音がした瞬間。すかさず女の指が動いた。蟲のように俊敏に、蟲のように異形に。指は暗闇の中をなぞり、何度も何度も擦り付ける。  女の指先はすでに失われていた。爪はそれがあった第一関節ごとごっそりとなくなり、中身が剥き出しのまま。そして、何度も何度も擦り付ける。  やがてまた女は動きを止める。痙攣が止まったかのように再び正座をし、闇の中で頭を垂れる。  女はひたすらに願っていた。願いを認《したた》めていた。言葉すらも声すらも吸収
last updateLast Updated : 2025-10-27
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第2話 弓道
 引き伸ばした弓に肩口を近づけると、外側の音は一切遮断された。内にある鼓動と自らの息遣いだけを感じる。  もっとも、古塚《こづか》美月《みつき》は集中していた。全ての音は蚊帳の外にあり、視界に入っているのは28m先にある一尺二寸の霞的《かすみまと》のみ。矢尻は自然と的の中央、中白《なかじろ》を指していた。  外野の声がこれだけうるさいと、誰であれ少なからず動揺するものだ。美月も同様にこんななかではまともに矢など射ることができないと内心感じていた。しかし、長年に渡る鍛錬の末、弓を構える動作に入ると周りの音は消えてなくなる。ただただいつものように、穏やかな川面を眺めているような心地で気が付けば矢を引いていた。  瞬きをする間に矢は吸い込まれるように的に中《あた》った。川が増水するように、急速に感覚が戻ってくる。薄っすらと額に滲《にじ》む汗に、弓の重み、頬を撫《な》でるそよ風。そして、拍手と飛び交う歓声に柔らかい太陽の日差し。  感覚の渦に呑み込まれないように深く息をすると、弓を降ろし開いていた足を閉じる。一礼をして後ろへと下がった。  美月が背を向けて弓道場の奥へと戻っていくと同時に、他の射手の矢が小気味よく命中していく音が聞こえる。その音はしかし弓道場の外に集まった見学者から聞こえるざわめきによってだんだんとかき消されていってしまった。 (見学者? 違う。ただの野次馬みたいなもの。本当に目障りで耳障り)  美月は所定の位置で正座すると、誰にも気づかれないようにそっと息を吐いた。 「見学者は静かにしなさい! お前ら、あまりにも目に余るようなら出禁にするからな!」  弓道部顧問の二俣《にまた》が、大きなお腹を揺らしながら声を上げた。「はーい」と気のない返事がかえってきたが、誰も本気にはしていないだろうと、美月は思っていた。いくら勇ましい声を出そうとも、たるんだあごにずれ落ちた眼鏡の社会科教師では
last updateLast Updated : 2025-10-28
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第3話 呪詛のような言葉
 平常心を装っていた美月の心音が、大きく跳ねた。(──うるさい。うるさい。うるさい) 美月は、弓を携えた。深く息を吸って心を落ち着かせようと試みる。いつもなら集中できるはずなのにすれ違いざまに言われた言葉に引きずられて、弓に集中できない。 足を開き、弓を構える。弦《つる》に矢をあてがって引き絞る。そ動作の一つ一つの間に、美月の頭の中を駆け巡ったのは、過去幾度となく聞かされてきた同じような侮蔑の言葉だった。「調子に乗るな」「男にこびてる」「男目当てなんでしょ?」 それらの呪詛のような言葉を否定するように、美月は矢を放った。瞬間。結果は見えていた。 軌道は全くデタラメに飛び、的を大きく外れた。拍手も歓声もなく、皮肉にも望んでいた静寂に包まれる。 美月は、礼をすることも忘れるとうつむいたまま早足で弓道場を出ていった。 蛇口を思いきり開ける。勢いよく吹き出た水が顔にかかった。冷たい感触が汗ばんだ肌には心地よかった。 美月は流れる水を手のひらですくうと、何度か顔を洗った。蛇口を閉めると目の前に現れたのは白いタオルだ。「はい、使って」 穏やかな二俣《にまた》の声だった。最後の行射《ぎょうしゃ》が乱れてしまったから、情けなさはあったが美月は素直にタオルを受け取り顔を拭いた。「ありがとうございます」 振り返って頭を下げると、改めて顔を見る。眼鏡の奥に見える細い目は気にしてないとでも言いたげに、微笑んでいるように見えた。「タオルもらっておくよ」「いえ、いいです。部の物なのでこっちで洗って返します」「……そうか」「はい。本当にありがとうございます」 美月はまた軽く頭を下げると、更衣室に向かおうと足を向けた。「あ、ちょっと、古塚さん」「はい、なんでしょうか?」「あまり気にしないでね。あいつら、最近あまりに度が過ぎるから、ちょっと生徒指導の先生とか、他の先生にも相談してみるよ」 二俣はいかにも深刻そうに眉をひそませると小声でそう言った。あいつら、というのはあくまでも野次馬の男子生徒達のことだろう。すれ違いざまに呟かれた部員の言葉は聞かれていなかったに違いない。「私は気にしていません。ですが、部の全体に迷惑がかかることだと思うので、よろしくお願いします。では」「あっ、古塚さ──」「すみません、失礼します」 まだ何か話そうとする二俣の言葉を
last updateLast Updated : 2025-10-28
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第4話 如月乃愛
 昔から美月は、冷たい対応──無視されることに慣れていた。他の部員のように気軽におしゃべりをすることも、部活動のあとどこかへ遊びに行くことも、SNSやメッセージアプリでやり取りするなんてこともなかった。 それでも中学生のときから弓道を続けているのは、別に特段弓道が好きだからではない。いざというとき自分の身を守れるよう運動神経を鍛えておく必要があったからだ。それは自分の思いというよりは、自身の「兄」からの希望だった。 弓道着から制服へと着替えを済ませると、美月は髪を結っていた赤いヘアゴムをほどいた。一度も染めたことのないつややかな黒髪が背中まで流れる。小さめのグレーのポーチからくしを取り出すと、ロッカーに付属している小さな鏡で乱れた髪をすく。 美月は急に更衣室が静かになったことに気づいて、手を止めた。なんとなく重い空気が肩にのしかかり、「ああ、これは……」と心を固める。「古塚さんさ」「……はい」 左手で髪の毛を触ったまま、3年生の先輩、加護《かご》の方へ顔を向けた。半笑いの表情から何が言われるのかはだいたい予想がつく。「今日も男子、いっぱい来てたよね」「……はい」「そうやって、迷惑だって顔してるけどさ、本当は内心喜んでるんじゃない?」「……」 返事はしない。こういうときは何を言っても悪い方にしか受け取られないことをこれまでの経験で何度も美月は学んでいた。 少し緩いパーマをかけた加護の隣の2人は、腕を組んでわざとらしくため息を吐いた。「清楚なふりして、本当はあいつらと仲良くヤってんじゃないの? あんたのせいでみんな迷惑してるのわかってる? お嬢様気取りかなんか知らないけど、あんま調子に乗ってんじゃねぇーよ」(……うるさい) 「調子に乗るな」「迷惑なんだよ」「気取ってる」──幼い頃から飽きるほど言われてきた言葉だ。昔はムキになったり、怒ったり、泣いてしまったこともあったが、今の美月はもう諦めていた。 どうしたって、変わらない。何をしても変わらない。だから美月は何も言わず深く頭を下げると、荷物を持ってすぐに更衣室から出ていった。「だいじょーぶ? みーちゃん、顔、怖いよ?」 外に出た途端に後ろから話し掛けられて、美月は目を丸くした。 声を掛けてきたのは、如月《きさらぎ》乃愛《のあ》だった。黒髪でストレートの美月とは違い、茶色に染めたボブ
last updateLast Updated : 2025-10-31
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第5話 恋人を作っちゃおう作戦
 少し丸くなった氷をストローでくるくるとかき回し、美月はアイスコーヒーを啜った。春休みとはいえ、世間はただの平日。いつもなら制服姿で埋まっているカフェの店内も、今日は閑散としていた。(……一人になると何するかわからないのは、乃愛の方だと思うんだけどなぁ) 美月が乃愛とどんな風に出会ったのかはもう記憶にはなかった。ただ、どういうきっかけでこうなったかは覚えている。それは、保育園での散歩中に急に乃愛がいなくなったことだった。 保育士が血相を変えて名前を呼びながら探し回っている間に、美月は乃愛がいそうなところを探し、そして何分もしないうちに見つけた。 覚えたばかりであろう数の数え方を確かめるために、蟻の巣から出てきた蟻を数えていた。まだまともに数を数えられるわけでも、蟻も数えやすいように列になって直進してくれるわけでもない。乃愛は何度も何度も指折り数えては、途中からわからなくなり、また最初から数え直していた。 その後、保育士は乃愛のことを注意が必要な園児と見なしたのか、なぜか毎回の散歩で乃愛の隣に美月。さらに必ず手をつないで散歩をすることになった。 ──今のように。 とととと、と足音が近寄ってくる。「ごめん、ごめん。時間かかっちゃった!」 乃愛は席に着くと、ピンク色でキャラクターのイラストが描かれたスマホを机の上に置いて続きを話し始めた。「それで、二俣先生は何とかしてくれそう?」 美月はストローから口を離すと、首を横に振った。「あの先生、いい先生だけど、怖くないからね。一応、他の先生にも言ってみるとは言ってくれてたけど……」「でもさぁ、ちょおっと対応が鈍《にぶ》ちゃんだよね~みーちゃんが入部したの5月くらいでしょ? 今、もう年をまたいで3月だよ? えっと、6、7……」「10カ月くらいだ。もうすぐ11カ月ってとこ」 指折り数えて確かめようとする乃愛に微笑みながら、美月は言った。「そうそう10カ月。みーちゃんの、まあ、ファン? の男子はさぁ、入部してすぐに増えていったわけじゃん。弓道部の練習は基本、平日は毎日あるわけで、その間ずっと弓道場の見学に来たり、それだけじゃなくて私たちのクラスにも押しかけてきたり、後をつけてきたり、盗撮──」 美月は人差し指を上げた。「それはされてない。その前に、さすがに問題になってつきまとい行為はなくなったよ。
last updateLast Updated : 2025-11-03
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第6話 白無垢の恋唄
 自信満々に手を上げる乃愛に、ストローを指で触る美月。数秒、二人の間に沈黙が流れた。 「……いや、無理でしょ」 「無理じゃない! このお呪《まじな》いならすぐにできる!」 「いや、そういうことじゃなくて――」  乃愛のスマホの画面が美月にも見える位置に置かれた。 「ほら、見てこれ。今、SNSで密かに広がっているんだけど」 「いや、だから、そういう問題じゃなくて――」 「実際に試した人がいるんだって。それでね、そのお呪いが」  美月は、額をおさえてため息を吐いた。何かに夢中になってしまうと誰の声も届かないことを美月は長い年月で身に染みるほど知っていた。 (こうなったら、とりあえず話が終わるまで聞くしかない)  机の上で頬杖をつくと、美月はとりあえずスマホの画面を見つめた。誰かのアイコンと文字の羅列が延々と続いている。ただ、乃愛のふっくらとした指先でスクロールされていく文章には、一つの共通点があった。 「永久《とわ》に先《さき》君《きみ》をば待《ま》たん暗闇《くらやみ》に花《はな》の塵《ちり》ゆく定《さだ》めとしても」「すごい! みーちゃん、よく読めるね」 「うん、まあ……なんとなくだけど、そんなに難しい言葉じゃないから」  それは、短歌だった。五・七・五・七・七の計三十一音で組み合わされる日本の伝統的な詩。その短歌が、どの投稿者の文章にも綴られている。 「これがね。お呪いなんだよ。お呪いの名前は、『白《しろ》無垢《むく》の恋唄《こいうた》』」 (白無垢の恋唄?)
last updateLast Updated : 2025-11-04
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第7話 悪い予感
 美月は、スマホを手にすると顔に画面を近づけた。手の平に支えられた画面のなかでは、「白無垢の恋唄」の一文とその下に動画だけが投稿されていた。ユーザーのアイコンはなく、ユーザー名も数字とアルファベットを適当に並べただけのものだった。  動画が勝手に再生される。どこかわからない暗闇が映し出された。建物も人もおらず、街灯の明かりや星や月の明かりもない、ただ黒いペンで塗りつぶしたような映像だけが何秒か続いた。 (何の映像? 意味もないただの暗闇?)  白無垢の恋唄の詩と同じように妙に引き付けられている自分がいた。意味も分からないはずの暗闇の映像で、音もミュートになっているのになぜか息遣いのようなものが聞こえてくる気がする。生々しい何か、気配のようなものが。  瞬きをする。と、白い何かが映った気がした。暗闇の中に微かに一瞬。その何かを見たとき、モスキート音のような耳鳴りがした。しかし、それきりで動画は終わってしまった。耳鳴りもいつの間にか消えている。 「どうしたの、みーちゃん?」 「……ああ、いや、なんでもないよ。返すね」  わざと指をスクロールさせて違うユーザーの投稿に変えてから、乃愛にスマホを返した。 (よくわからないけど、今のはあんまりいい感じがしなかった) 「ふーん……」  乃愛は返されたスマホの画面をじっと見た後、また机の端に裏返しでスマホを置いた。 「まあ、いっか! どうみーちゃん、これならすぐに恋人できるでしょ!」 「乃愛。そもそも、私、好きな人いないから。無理やり恋人つくるのも嫌だし。そもそも、それじゃあ何の解決にもならないって!」 「うーん、そっかぁ。我ながらい
last updateLast Updated : 2025-11-05
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第8話 加護彩乃
 弓道部の部活が終わり、いつものように加護《かご》彩乃《あやの》は仲のいい部員と他愛もない話をしたあと、ファストフードのお店を出た。「お疲れ様でした彩先輩!」「お疲れ様〜」 1年後輩の2年生二人と手を振って別れると、加護は頬を緩めながらそわそわと早足で歩き出す。 時間としては午後5時過ぎ。日はもう傾いてきており、辺りは真っ赤な夕暮れに染まっていた。 後輩たちからだいぶ離れたところで後ろを振り返ると、加護は近くにあった自販機の横に立ち止まり、制服のスカートからスマホを取り出した。 透明感、ガラス感があるオフホワイトのスマホの画面を開き、メッセージアプリを開く。トップに表示されている森《もり》久保《くぼ》悠人《ゆうと》の名前を見るだけで、加護は鼓動が早くなっているのを感じていた。(……本当に、連絡が来るなんて思わなかった……) 森久保悠人は、加護と同じ3年生、そして同じクラスだった。森久保が覚えているかどうかはわからないが、加護と森久保は3年間同じクラスで一緒だった。 柔らかな笑顔に端正な顔立ち、性格もよく優しい。それになにより、森久保は男子弓道部のエースだった。 運動ができる男子高校生は、花形のバスケやサッカー、テニス、野球などを選ぶことが多く、弓道部を選ぶ人は少なかった。加護は中学から続けている流れで弓道部に入部したが、同じ弓道部に森久保が入ることを決めたときは同じクラスから入部者が出たことで素直に嬉しかった。 森久保のフォームは初心者と思えないほど美しく、そして華があった。月に一度ある共同練習でも苦手な子や不得手な子にも丁寧に弓を教えていて、その姿勢と性格から同じ女子部員からも密かに人気があった。 加護が自然と森久保の姿を目で追うようになるまでさほど時間はかからなかった。 何度か告白されたという噂も聞いたことがある。けれど、森久保は誰とも付き合うことはしなかった。一人で優しく誰にでも平等──女子の人気は広がっていく。 どうにかなりたいと思ったわけではない、ただその美しいフォームを遠くで眺めているだけで加護は満たされていた……はずだった。 加護は袴姿の森久保のアイコンをタッチする。画面をスクロールさせて、少ないやり取りの一番上のメッセージを見た。もう何回、何十回と見たメッセージだ。〈急に連絡してごめん、弓袋破けちゃって新しいの買おう
last updateLast Updated : 2025-11-06
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第9話 突然の静寂
 確かに目を引く美人だ。スラッと背も高くスタイルもいい。アイドルやモデルと言われても納得してしまうほどの美貌を備えていた。そして、悔しいことに弓の腕前も相当なものだった。  聞けば加護と同じ中学から弓をやっているにも関わらず、その実力の差はもう埋められないほどに開いていた。  これまで平等に注がれていた森久保の視線は、古塚美月一人に注がれるようになった。共同練習のときは顕著で、森久保は古塚美月の指導ばかりをしようとする。  古塚美月に群がる馬鹿な男どもとは違うが、加護にとっては同じことだった。 (なのにあの女は、気にも留めない。悠人に見つめられているのに、恥じらいも戸惑いも何もなく平然としている)  ──あの女は、悠人から好かれることを当たり前だと思っているんだ。  メッセージアプリを閉じると、次に加護はSNSを開いた。  数日前に上げた自分の投稿を見る。 〈永久に先悠人をば待たん暗闇に花の塵ゆく定めとしても〉* 加護と森久保が駅を出たときには辺りはもう夜の闇に包まれていた。  1羽の烏《カラス》が耳障りな声で鳴き、翼を広げてどこかへと飛んでいく。急に目の前を飛び去った烏に加護は声を上げて驚きその場で転んでしまった。 「大丈夫!?」 「う……うん、大丈夫」  差し出された手をつかむ。がっしりとした、しかし手のひらの温かい感触が伝わり急に恥ずかしくなった。 「あっ、ごめん……」  相手も同じだったのか、森久保の声が上擦る。支えられながら立ち上がると、温かい感触が離れていく。
last updateLast Updated : 2025-11-11
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第10話 白い女
「あっ、あれ?」 二人して真っ暗闇の空を見上げる。「電気が消えたのか? こんなときに」 老朽化した電灯が消えた。それはよくあることかもしれない。「……ゆ、悠人。ち、違う」「違う? ……えっ、なんで?」 森久保はキョロキョロと周囲を見回す。老朽化した電灯が消えるのはありえる話だが、全ての電灯が同時に消えるのはありえない。 加護はつかまれたままの森久保の手を握った。「なに? どういうこと? 一体何が起こって──」 どこかから足音がした。真暗闇の中に密やかに。ただしはっきりと。普通の足音ではない、と加護は震える耳の奥で感じ取っていた。擦れるような音、地面を擦るような足音が次第次第に近づいてくるような気がする。 震えていた。確かに加護の体は震えていた。 ──ただの足音だ。いくら人気が少ないと言っても全く人が通らないような獣道でもない。普通の公道。駅から住宅街へと繋がるどこの街にもあるような何の変哲もない一本道。 そう意識が働くものの、体は真逆に震えている。初めて弓を射ったときの感覚に似ている気がした。頭では順序通りやればいいとわかっているのに、体が指先がどうしようもなく震えてしまう。 その根源は、恐怖だ。「に、逃げろ! 彩乃!」 森久保の声が弾けた。腕が思い切り引っ張られる。前を向く前に視界の隅に捉えたのは、白い、白い何かだった。 二人は懸命に走る。後ろを振り向くこともせず、立ち止まることもなくひたすらにがむしゃらに足を動かしていた。(おかしい) 暗闇はどこまでも続いている気がした。森久保の肩口から見える先も街灯のあかりはついていない。ここまで真っ暗だとしたら、停電でも起こったと考える方が自然だ、と加護は頭を巡らせた。 だが、それを口に出すことは憚《はばか》れた。わかっている。ただの偶然だ。急に暗闇になったことも、烏《からす》が羽ばたいたことも、不気味な足音も、白い光も全部が偶然か見間違い。その可能性の方が大きい。というよりも、きっとそれが真実のはずだ。 なのに、そうじゃないと体が否定する。森久保の手から離されないようにと全速力で走っているにも関わらず、全く熱くはならず鳥肌が立つほど凍える体が、現実に基づいた事実と真実を否定する。否定というよりも、それはもはや拒絶だった。 初めて見る必死の形相で走る森久保の息が荒くなっている。加護自
last updateLast Updated : 2025-11-11
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